函谷関を守った劉邦に、項羽はなぜ激怒したのか
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項羽と劉邦編も8回目です。前回、劉邦がなぜか咸陽に先着してしまい、これを項羽がどう受け止めるかというところで終わっていました。
項羽は、一番の功労者は自分だという思いが強い人物です。章邯 ── 秦の名将。項羽と戦い最終的に降伏した武将を倒したのも王離 ── 秦の将軍。鉅鹿の戦いで項羽に敗れたを倒したのも自分なのに、という不満を抱えていました。
劉邦は函谷関という関所に兵を派遣して守らせていました。ここは、突破されると咸陽まで一直線という秦の要衝です。項羽がまず怒ったのがこの点でした。
お前がここ(函谷関)守ってるってことは、お前漢中の王になろうとしてるってこと?要は俺を防いでるってこと?は?殺すけど、みたいになるんですよ。
一方で劉邦の行動自体には非がありませんでした。先に函谷関に入った者を関中の王にするという楚の懐王の約束があり、大義名分はあったのです。ただし、それで項羽が納得するかというと別問題でした。
劉邦を裏切った部下と、項羽の殺意
さらに事態を悪くしたのが、劉邦の部下による裏切りでした。曹無傷という武将が、劉邦は関中の王になる下心を持っている、と項羽に告げ口したのです。
曹無傷は、劉邦が秦の珍しい宝もすべて自分のものにしていると項羽に伝えました。項羽に劉邦が殺されると読んで、先回りして寝返ったのだと考えられています。
なんか項羽にこいつ殺されるわって思って、先に項羽にあいつこんなことやってますよみたいなこと言って、自分は味方になろうって思ったかもしれないですよね。
これを聞いた項羽は大いに怒り、明日兵士たちをもてなして劉邦の軍を打ち破ろうと決めました。この時点で、項羽は劉邦を殺すことを決断したのです。
この時の兵力差は圧倒的でした。項羽の軍は40万にまで膨れ上がっていた一方、劉邦の兵はまだ10万ほどしかいませんでした。
樊噲の進言が示した、より高い視座
項羽の配下には樊噲という軍官がいました。この人物が、劉邦の変化に気づいて進言します。かつて財貨や美人を好んだ劉邦が、咸陽に入ってからは財物にも婦女にも手をつけていないというのです。
これはね、ただ事ではありませんって言うんですよ。
樊噲が言いたかったのは、劉邦は天下を狙っているということでした。史記には、劉邦の体から昇るオーラを見たところ天子になる聖気だった、という逸話も残されていますが、これは誇張だと考えられています。
項羽が劉邦を殺そうとした主な動機は、状況への感情的な怒りでした。諸侯連合の盟主である自分を差し置いて、格下の劉邦が関中王になるのは認められないという感覚です。
これに対し樊噲は、より高いレイヤーの視点を示しました。感情ではなく、劉邦は天下を狙うライバルだから、なおさら殺すべきだと進言したのです。
盟主である自分を差し置いて格下の劉邦が関中王になるのは許せない、という怒り
劉邦は天下を狙うライバルであり、放置すればいずれ脅威になる、という戦略判断
項伯の夜駆けが劉邦を救う
ここで劉邦の運の良さが発揮されます。楚の司徒という高い役職に、項伯という項羽の親戚のおじにあたる人物がいました。この項伯が、もともと劉邦のブレーンである張良と親しく、借りがあったのです。
張良は劉邦側で最も頭の切れるブレーンで、実質的な策のほとんどを担っていた人物です。その張良に、項羽の近しい親戚である項伯が個人的な借りを持っていたのでした。
項伯は、命の恩人である張良を助けようと、夜に馬を走らせて劉邦の陣まで行き、項羽が激怒していることを伝えました。一緒に逃げよう、と持ちかけたのです。
しかし張良は、王の命令で劉邦に付き従ってきた身であり、危険だからと逃げ去るのは不義だと考えました。そこで、この重要な情報を劉邦に伝えることを選びます。
「どうすればいい」に表れる劉邦の人柄
張良から項羽の殺意を告げられたとき、劉邦のリアクションが彼らしいものでした。どうしたら良いだろう、と周囲に問いかけたのです。
この「これを為すこといかんせん」という言葉は、劉邦の人柄を表す名言とされています。困ったときに周囲へ問いかけ、そこから活路が開けていくのが彼の人生でした。
(劉邦は)考えがいがあるよね。
劉邦が自分で思いついた計略は一つもなかった、と書く本もあります。裏を返せば、周囲のアドバイスを受け入れて実践できることこそ、劉邦の強みでした。
張良の提案は、自分が恩を与えた項伯を通じて、劉邦は決して項羽に背かないと直接伝える場を作ることでした。劉邦は、張良と項伯が秦の統一時代に一緒に学び、項伯が人を殺めて死刑になるところを張良が助けた経緯を聞き出します。
劉邦は、項伯が張良より年上だと知ると、自分は兄として礼を尽くすと言って項伯を呼ばせました。大事にしている張良の年長者なら、自分にとっては兄の立場だという理屈です。
義兄弟の契りと、必死の弁明
張良に呼ばれた項伯は、敵の大将に会うリスクを抱えながらも、劉邦のもとへ向かいました。劉邦は角の杯を掲げて項伯の長寿を祝い、そのまま義兄弟の契りを結びます。
さらに劉邦は、自分の子と項伯の子を結婚させる姻戚関係まで結びました。そのうえで、項羽に逆らう気は全くなく、財宝にも美女にも手をつけていないのは項羽を待っていたからだ、と必死に弁明します。
これらの立ち回りは、ほぼすべて張良が考えたものだと語られています。函谷関を守らせたのも盗賊の出入りに備えただけだ、という言い訳も含めての演出でした。
劉邦にも本当は王になる野心があったと考えられます。しかし項羽が激怒していると知り、勝てないと判断したからこそ、ここまで下手に出ているのです。
気分を良くした項伯は、明日の朝早く来て項羽に詫びるとよい、と劉邦に伝えました。そして夜中に項羽の陣営へ戻り、劉邦は大功を立てたのだから殺すのは不義だ、と項羽に進言します。
項羽は、敬うべき親戚のおじがそう言うならと、劉邦に会うことを決めました。こうして一旦、危機は乗り切られたのです。
なぜ項羽は疑わなかったのか
この場面には引っかかる点もあります。項伯が夜中に敵側の首脳陣に会いに行ったことを、項羽が異様に思わなかったのか、という疑問です。おじとはいえ、正直に報告してしまったことに釈然としない部分が残ります。
(項伯は敵に会ったと)だからそこ正直に報告しちゃったんやって。やっぱ俺も第一感思いましたもん。
理由の一つとして、項羽がまだ若く、順風満帆に過ごしてきたため、親族に裏切られた経験がなかった可能性が挙げられます。親族の言うことだから信じよう、という判断だったのかもしれません。
もう一つは、項羽が下手に出る相手に弱かったという見方です。怖い人物ではあっても、相手を無下に扱うタイプではなかったと考えられています。
鴻門の会、二人の対面
翌朝、劉邦は百人ほどを従えて項羽のもとへ現れます。これが有名な鴻門の会です。
劉邦は、将軍とともに秦を攻め、項羽は河北を、自分は河南を戦ったと切り出しました。まず、共に戦った古い仲間だという印象を演出したのです。
そのうえで劉邦は、しょうもない人間が自分を中傷し、二人を仲違いさせようとしたと訴えました。これは裏切った曹無傷を指しています。
すると項羽は、君の左司馬である曹無傷が言いに来たのだ、それがなければ疑ったりしなかった、と口を滑らせてしまいます。
これはスパイである曹無傷の存在を敵側に明かす行為で、項羽にとってメリットはありません。しかし目の前の相手が平身低頭しているのが気持ちよく、そこまで頭が回らなかったのだと考えられます。
俺が本気出したらいつでもぶっ殺せるしみたいな感じなんですよ、多分。
疑いを解いた項羽は、一緒に酒を飲もうと宴席を設けました。席次は項羽と項伯が上座、次に范増、劉邦は三番目、張良は一番の下座で、劉邦が自分の立場の低さを示す配置になっていました。
范増の合図を無視し続ける項羽
項羽側のブレーンである范増は、劉邦がいずれライバルになる人間だから、この場で殺すべきだと考えていました。政治的判断としては正しい選択でした。
范増は宴会中、項羽に何度も目配せで合図を送りました。今殺せ、という合図です。しかし項羽はそれをすべて無視してしまいます。
項羽は本当に劉邦を誤解したと思い込み、なんなら罪悪感すら抱いていたのかもしれません。范増にとっては、謀反心の有無に関わらずライバルの芽を摘むべきなのに、甥がまったくそのモードでなくなっていたのです。
(范増からすると)なんやこいつってなるんですよ。
そこで范増は、項一族の項荘という項伯のいとこを呼びます。祝杯のあとに剣舞を舞い、そのどさくさに紛れて劉邦を刺し殺せ、と命じたのです。
もしそうじゃなかったらお前の一族全員殺すぞ、みたいなこと言うんですよね。
項荘の主君である項伯の意に反する命令のため、范増は脅しの言葉まで添えていました。項荘は、いとこである劉邦を刺しても問題にならないだろうという理屈で送り込まれます。
剣舞と、それを防いだ項伯
祝杯のあと、項荘は座興として剣舞を披露すると申し出ます。項伯もそれを認め、項荘は剣を持って舞い始めました。
これを見た項伯は、これは劉邦を殺す動きだと見抜きます。項伯もまた自分も舞う、と言って立ち上がりました。
項荘が劉邦の近くに来ると、項伯はその間に入って舞い、劉邦を刺させないようにしました。もともと張良のためにやっていることを、項伯は身を挺して守ったのです。
ここで面白いのは、宴席で唯一、剣舞の本当の目的を知らなかったのが項羽だったという点です。項羽だけが楽しそうに眺め、他の全員が殺気立っている、という対比が生まれていました。
剣舞の目的を知らず、いいねと拍手しながら楽しく眺めている
刺す側と守る側で緊迫し、劉邦と張良はヒヤヒヤしている
樊噲、宴席に乗り込む
張良は危険を感じて外へ出て、劉邦軍の樊噲のもとへ向かいます。樊噲はもともと犬の肉を売っていた人物で、劉邦が今にも殺されそうだと伝えました。
この樊噲は数々の武功を持つ猛将でした。個人で取った首の数が176、捕虜が288、敵軍撃破が7回など、多くの功績がありました。しかも樊噲の妻と劉邦の妻は姉妹で、劉邦の親戚でもありました。
樊噲は劉邦と生死を共にすると言い、剣と盾を持って宴席に乗り込みました。制止する衛兵を盾で突き飛ばし、中に入るなり項羽を睨みつけます。髪の毛も逆立つほどの怒りぶりでした。
項羽は一瞬警戒して剣に手をかけますが、張良から劉邦の側近の樊噲だと聞くと、意外な反応を見せます。壮士である彼に酒を与えよ、と命じたのです。
これはね、やっぱ半分強がりだと思う。プライドだと思います。やっぱビビるわけにもいかないし。
樊噲はなみなみと注がれた酒を一気に飲み干し、与えられた豚の肩肉を盾の上に置き、剣で切って豪快に食べました。肉屋だっただけに、切る手際も見事だったのだろうと語られています。
樊噲の啖呵が項羽を飲み込む
項羽がまだ飲むかと問うと、樊噲は死も恐れないと答え、そのまま啖呵を切ります。かつての秦王は虎狼の心を持ち、いくら人を殺し罰しても足りないような残虐さだったため、天下が皆秦に背いた、と語り出しました。
そのうえで樊噲は、真っ先に咸陽に入った者を王にするという楚王の約束を持ち出します。劉邦は最初に秦を破って咸陽に入ったのに悪いことは何もしていない、宮室を封鎖して項羽を待っていたのだ、と訴えました。
函谷関を守らせたのも盗賊への備えにすぎず、むしろ褒められるべきなのに、なぜ小人の言葉を信じて劉邦を殺そうとするのか、と樊噲は詰め寄ります。これを聞いた項羽は、確かにと思い込み、まあ座れと樊噲に勧めました。
この啖呵にも、張良の計算が働いていたと考えられます。教養があるとは言えない樊噲の口を通したことに、実は3つのポイントがありました。
1つ目は、項羽を滅んだばかりの秦になぞらえて警告した点です。当時、秦滅亡の原因は暴虐だと捉えられており、リアルタイムで最も威力のある反面教師でした。お前も秦のように滅ぶぞ、という含意で項羽を揺さぶったのです。
2つ目は、劉邦本人の口からは言いづらい正論を、第三者の樊噲に代わりに言わせた点です。楚王の約束という大義名分を劉邦自身が主張すれば、やはり野心があると疑われてしまいます。
劉邦じゃない第三者である樊噲の口から、この正論が遠慮なく放たれるっていうのが結構良かったんですよね。
3つ目は、樊噲が豪傑風の男だったという点です。項羽がリスペクトしシンパシーを感じるタイプの男から正論を突きつけられると、面子の手前、引き下がれなくなります。頭のいいキャラから言われれば嫌味に聞こえかねない言葉が、樊噲だからこそ効いたのです。
劉邦、宴席から脱出する
樊噲も座らせて酒が続き、項羽はもはや劉邦を殺す気をなくし、悪いことをしたと思っている様子でした。剣舞も止められたことで、危機は一旦去ります。
劉邦はトイレに行くと言って席を立ち、張良との相談のうえで、そのまま帰ることにしました。またいつ殺されそうになるかわからないため、挨拶をせずに立ち去る判断です。
張良は、劉邦が持参した土産を確認しました。白璧という宝石と酒器を項羽と范増に渡すつもりだったものの、殺されそうな空気で渡せなかったといい、代わりに張良に託します。
帰り際、劉邦は挨拶をしなかったことを気にしていました。殺されかけたばかりなのに、項伯が怒らないか心配する姿は、いかにも彼らしいものでした。
いや今出ていく時挨拶しなかったけど大丈夫かな、とか言って帰っていきます。
これに対し樊噲は、挨拶よりこの場から逃げることに集中すべきだ、ずっと殺されそうだったのだ、と諭します。心が死にかけて逃げた飲み会の経験に、出演者が共感する場面もありました。
後始末をした張良と、宝を叩き割る范増
劉邦が帰ったあとも、張良はその場に残りました。しかも、劉邦が自分の陣地に着くまで帰ったことを知らせないでほしい、という無茶な頼みまで引き受けています。互いの陣営はおよそ20キロ離れていました。
劉邦が帰り着いた頃を見計らい、張良は項伯や范増に、劉邦は酔いすぎて挨拶もできず、皆が怖くて先に帰ったと伝えました。そして託された宝を差し出し、後始末を引き受けます。
これを聞いた范増は激怒しました。托された宝をその場で叩き割り、剣舞をさせた項荘や項伯に対して、お前たちとは天下を謀る価値がない、全員劉邦に殺されるぞ、とキレたのです。
お前らは本当にバカだ、もう一緒に天下を謀る価値がない、お前ら全員多分劉邦に殺されるわ、つってキレる。
范増が怒った理由の一つは、劉邦が宝を持っていたことでした。平民の劉邦がこれほどの宝を持てるはずはなく、咸陽から取ってきたものに違いない、嘘つきだと見抜いたのです。
この鴻門の会の場面は、日本の漢文の教科書にも取り上げられています。緊迫した駆け引きと人物像が凝縮されているだけに、教材として面白いのだろうと語られています。
軍営に戻った劉邦は、すぐさま裏切り者の曹無傷を殺しました。
三ヶ月燃え続けた咸陽と、蕭何の慧眼
項羽は数日後、秦の都だった咸陽に入ります。劉邦に無血開城していた三代目の子嬰を、劉邦は生かしていましたが、項羽は子嬰を殺し、秦の血筋を引く者をすべて殺しました。
項羽は宮殿を焼き払い、その火は三ヶ月間消えなかったと史記には記されています。ただし考古学的には焼かれていない場所もあるとされ、記述通りではないと考えられています。
三ヶ月ってどんだけどんだけ燃えるんだ。
項羽は宮女たちを略奪した一方で、秦を徹底的に破壊し、故郷である楚へ戻っていきました。彼のアイデンティティはあくまで楚の人間であり、秦を乗っ取って中華全体を統治するという発想はなかったのです。
もし皇帝になる発想があれば、咸陽のシステムを利用して全国を統治する道もありました。しかし項羽はそれをせず、すべてを壊して東へ帰りました。ただし、彼が後々皇帝になりたかったのではないかという説も一部にあります。
一方、劉邦軍が咸陽に入ったとき、多くの者が財宝を求めて倉庫へ走りました。そんな中、バックオフィスを担う蕭何だけは、法律文書や地図、古籍を確保していたのです。
めちゃくちゃかっけー。こういうやつたまんないですね、なんか。
咸陽が焼かれても、秦の土地の地形や人口、各地の政治課題といった情報のアーカイブは蕭何の手元に残りました。劉邦がのちに秦の土地をベースに再起できたのは、このデータがあったからです。
これは会社でいえば、財務諸表や契約書、取引先情報、マーケットデータをすべて保全したようなものです。蕭何だけが知的財産に着目し、それを後に活かした賢さを示しています。
覇者となった項羽の、次の課題
この回の時点で、項羽は楚の最大実力者として、そして旧六国の中でのリーダーとして中華の覇者の地位を確立しました。楚の懐王はまだ存在し、劉邦も一旦は降っています。
次の課題は、この若い項羽が広大な土地をどう治めるのか、という点です。その挑戦が次回のテーマになると語られました。
出演者は、この回を通じて項羽が真面目ゆえに滑稽に見えてきたと振り返っています。前回までの伏線が効いた分、笑いの多い回になりました。
劉邦が去る時にさ、あれだけ殺されかけててやばかったのに、やべえ挨拶しにけど大丈夫かな、と思ったのが一番面白かったです。
張良のような人物なら、そんな小事は気にせず、中長期の次の手を考えているはずです。目の前の挨拶を気にする劉邦の姿に、彼らしい性格がよく表れていました。
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まとめ
鴻門の会は、劉邦が張良の策と周囲の人物を頼りに、圧倒的な兵力差の中で命拾いした一幕でした。項羽の純粋さ、劉邦の柔軟さ、そして張良や蕭何の慧眼が、その後の展開を大きく左右していきます。
- 項羽は感情的な怒りから劉邦を殺そうとしたが、下手に出る相手に弱く、項伯や樊噲の言葉で殺意を解いた
- 劉邦は「どうしたら良いだろう」と周囲に問い、張良の策を受け入れることで窮地を切り抜けた
- 樊噲の啖呵は、秦になぞらえた警告・劉邦が言えない正論の代弁・豪傑同士の面子という3つの効果を持っていた
- 范増は劉邦を殺す好機を逃したことに激怒し、いずれ全員が劉邦に殺されると予言した
- 蕭何は財宝ではなく法律文書や地図を確保し、これが劉邦の再起を支える知的財産となった







