教皇の言うことはなぜ「全部正しい」とされたのか
コテンラジオ宗教改革編の第3回は、前回に続いてローマ教皇の権力、いわゆる教皇至上権の中身を掘り下げる回です。深井さんはまず、中世ヨーロッパが信仰を基に社会を作っていたという大前提に立ち返ります。
信仰を基に社会を作れば、その頂点にいるのは信仰の頂点であるローマ教皇になります。深井さんは、実態はともかく「理論上」まず教皇の権力はものすごく高い位置に置かれる、と説明しています。
中世ヨーロッパの信仰の重さを示す例として、深井さんは破門 ── カトリック教会が信者を教会の交わりから締め出す処分。中世では宗教的な制裁にとどまらず、社会的な排除と強く結びついていましたを挙げます。破門されると親族や使用人を除いて誰とも会話できず、物の売り買いもできなくなり、生活そのものが成り立たなくなったといいます。
だから信仰っていうものは、今の僕たちの世界だと内面の問題が結構でかいじゃないですか。
じゃなくて、社会生活に直接に関わるものなんですね。
こうした社会で、ローマ教皇権は神によって樹立されたものであり、神に立てられた教会はローマ教会以外に存在しないとされました。そのため教皇は神の代弁者のような立場になり、信仰の面でも社会の面でも、教皇の言うことは全部正しいという理屈になります。
ただし深井さんは、「神とイコール」と言うと語弊があると補足しています。宗教を語るときは言葉選びが難しく、かなり慎重に話しているという断りも添えられました。
世俗の権力が「レベルが低い」とはどういうことか
深井さんが次に挙げたのは、現代人にはない感覚です。中世ヨーロッパでは、王などがおこなう世俗の行為は、教会の行為に比べて「レベルが低い」とみなされていました。
キリスト教的には、人間はそもそも堕落と罪の産物で、この世は堕落と罪の世界です。そのため世俗の権力は、力があっても権威がとても低いものになります。ここでいう罪は法律上の罪ではなく、原罪 ── キリスト教で、アダムとイブが神に背いたことに由来し、すべての人間が生まれながらに負っているとされる罪を指すと確認されています。
権威の高さは純粋な信仰から生まれるので、聖職者の行いは高潔で、世俗の支配は罪深いものとされます。深井さんによれば、だからこそ王様がどれだけ頑張っても、権威と高潔さの点ではローマ教皇に勝てなかったのです。
この構図は「救い」の概念にもつながっています。死が身近にあった中世では、権力者も庶民も救いを求めていて、その救いを誰が判断するのかといえば、ローマ教会でした。
彼らがすべてそれ(救い)を司っているので、ある意味天国への扉の鍵は、この人たちが持ってることになりますよね。
深井さんは正確な言い方として、ローマ教会を通してしか神の判断を伺えない、ということだと言い直しています。聖職者に対する告解 ── カトリックの秘跡(サクラメント)の一つ。司祭に自分の罪を告白し、神の赦しを受ける儀式で、懺悔とも呼ばれますで罪を許してもらい天国へ行く流れは、中世ヨーロッパの人々にとってとても大切なものでした。
さらにローマ教皇は世俗の法律の上にあり、誰の裁判にも服さない存在でした。世俗の支配者よりも高い地位を保っていたことになります。
一般的な権力と、魂を握る教皇の権力は何が違うのか
深井さんは、ローマ教皇の権力は一般に想像される権力とは質がまったく違うと強調します。一般的な権力者は、軍事力で攻められたら殺されるから従わせる、政治権力で領地を没収できるから従わせる、という形で言うことを聞かせます。
ローマ教皇が持ってる権力って何かっていったら、まずお前は天国に行けないんだっていうことを言える権力を持ってるんです。
もちろんローマ教皇も十字軍で軍隊を動かし、教皇領という領地と収入を持っていたので、世俗の権力も備えていました。それでも深井さんは、教皇の権力の本質は「聖なる権力」であり、人の魂の領域を管轄している点にあると話しています。
軍事力や領地の没収を背景に、殺される・土地を失うという恐れで言うことを聞かせる
世俗の権力も持ちつつ、天国に行けるかどうかという魂の領域まで管轄する
楊さんは、現代の宗教観との違いからこの感覚の理解しにくさを語ります。
今って、多分中国人である僕も、お二人も多分そうだと思うんですけど、宗教はたまにお寺とかたまに神社とかで、お葬式の時にちょっと関わるぐらいの話じゃないですか。
楊さんによれば、当時のヨーロッパでは死後の世界が今生きている世界と同じか、それ以上に重要なテーマでした。精神世界に権力を及ぼせるからこそ、目に見える世俗の世界にも影響が及ぶ、という意味で権力の「深さが違う」のだといいます。
深井さんは、魂と世俗の権力の両面をがっちり握っている状態を、教皇至上権という言葉で表現していると整理しました。
カトリック教会が一番恐れたのは誰の批判か
教皇至上権の中身がわかると、ルター以前から現れていた「異端」と呼ばれる人々が、どれほど危うい主張をしていたかが見えてきます。深井さんは、カトリック教会が世俗の権力と魂の救済の両方を担っていたことに、絶妙なバランスの問題があったと説明します。
世俗の権力はレベルが低いとされる以上、聖なることをする人たちは本来、世俗と関わらないほうがよいことになります。修道院のように世俗から隔離された場所で救いに打ち込む姿が、その理想に近いものでした。
ところが教会は現実の世界で組織を作り、お金を使い、権力と対抗しながら活動していました。お金を集める、税金を徴収するといった、純粋な救いのための信仰とは違う行為がどうしても出てきます。
そうすると内部から言われるんですよ。それ信仰と関係なくない?みたいな。
深井さんによれば、こうした疑問を抱くのは教会の外ではなく、純粋に魂の救済を考える内部の人たちでした。ルターもカトリック教会の人間で、超純粋に救済を考える人だったといいます。
カトリック教会が一番怖いのは、内部の人から信仰に関しての論理を崩されるのが一番怖いんですよ。全部瓦解するからです。
キリスト教徒でない人から異端だと言われても、カトリック教会は痛くも痒くもありません。困るのは、神学 ── 神や信仰、聖書の教えを体系的に研究する学問。中世ヨーロッパでは大学で最も権威ある学問の一つでしたを深く学んだ同じカトリックの人から、聖書から考えればおかしいと言われることでした。だから異端として殺さなければ成り立たなかった、と深井さんは話しています。
楊さんはこの状況を、信仰と世俗という2つのOSを無理に合体させて走らせているようなものだと表現します。ずれをなあなあで後回しにしてきたところに、納得できない人が少しずつ出てきた、という見方です。
宗教改革は「腐敗の結果」ではなかった?
深井さんによれば、異議を唱える人が出るたびに教会は潰してきましたが、教皇が権力を極めた後、その権力は下降していきます。そこに純粋な信仰を説く人たちと、ローマカトリック教会に対抗したい王たちの動きが重なりました。
教皇権力の下降
権力の頂点に達した後、ローマ教皇の力は下がっていく
純粋な信仰の声
内部から教会の論理はおかしいと唱える人たちが現れる
王権の台頭
教会の権力に対抗したい王たちが力をつける
宗教改革
これらが交わった真ん中で宗教改革が起こる
深井さんはここで、宗教改革はカトリック教会が腐敗したから起きた、という見方に疑問を投げかけます。私腹を肥やす人もいたものの、組織全体としては官僚制がうまく機能していたように見えた、というのが深井さん自身の主観だと断ったうえでの見解です。
でも仮にカトリック教会ガチで腐敗してたら、僕ルター出てこないと思う。
その根拠として深井さんは、ルターもカルヴァンもカトリック教会の人であり、議論する文化や修道院での信仰を突き詰める教育があったからこそ、彼らのような人物が育ったと説明します。ルターが考えを張り出した行為は史実ではないとも言われる一方、楊さんは手紙は出していると補足しました。
だって本当に腐敗した企業があって、その中から新しいベンチャー企業を作る人出てこないでしょ。
信仰を真剣に考える人と、世俗権力の管理に追われる人、世俗に振り切った人が同居している。深井さんは、当たり前の人間社会で起こることがカトリック教会でも起こっていたという捉え方が面白かったと語っています。
教皇の評判を落とした3つの理由とは
話は、教皇の権力が下降していった理由へ移ります。深井さんは早足で、いくつかの要因を挙げました。
1つ目はペストの流行です。教会は死後の世界の話はできても、あまりに多くの人が死ぬ現実の前では無力でした。楊さんは、あれだけ祈りを捧げたのに救われていない、という声が出てきたと補足しています。
2つ目は十字軍の失敗です。1回目の十字軍でエルサレムを奪還したものの、その後は取り返され、信仰の純粋さも失われて利害で動くグダグダな状態になりました。十字軍を呼びかけたのはローマ教皇だったため、言い出しっぺとして評判が下がったといいます。
3つ目として深井さんが一番大事だと話すのが、主権国家 ── 一定の領域を持ち、外部の権威に従わない独立した統治権を備えた国家。近世ヨーロッパで形成されていきましたの台頭です。イングランドやフランス、神聖ローマ帝国内のザクセンなどの領邦 ── 神聖ローマ帝国を構成した諸侯の領地。それぞれが独自の統治権を持つ小さな国のような存在でしたが、教皇権力の上昇と同時に少しずつ力をつけていました。
ローマ帝国が壊れた後、強い権力者がいなかったため、各地の君主は教会の権威を借りていました。その君主たちが力をつけると、今度は一番邪魔な存在がローマカトリック教会になったのです。
で、ルターを誰が応援したか。この主権国家の人たちが応援してるんです。
深井さんによれば、君主たちはルターの教説そのものにさほど興味があったわけではなく、カトリックを倒す大義名分が立つことが大事でした。一方のルターたちは、救いについて超純粋に考えていました。
でも、カトリック教会は世俗権力も、その聖なる方もどっちも幅を利かせてたから、どっちともから来るんです。
イングランドとフランスはローマからどう離れたのか
ローマカトリックの権力を押し出していった主権国家のうち、イングランドはイギリス国教会という新しい教会を作りました。ローマ教皇がすべてを見る状態から、国王の傘下に教会がある状態へと作り直し、国王権力を強めていきます。
この時期には王権神授説 ── 王の権力は神から直接授けられたものだとする考え方。教皇を介さず王の正統性を神に結びつける理論として使われましたも登場します。深井さんは、教皇が神の代理人として管轄していた聖なる権利を、王様に移したものだと説明しています。
だからローマ教皇を介さなくても、救いに対して直接アプローチができるようになったよということなんです、あれは。
深井さんは、王権神授説はこの段階ではまだ信仰を元にした考え方だと補足します。フランスではプロテスタントとカトリックが戦い、カトリックが優勢になりますが、それでも同じカトリックのままローマ教会からは独立していきました。
その後フランスでは絶対王政が確立し、ルイ16世の時代に行き過ぎてフランス革命が起こり、国王が処刑されます。そこで初めて人権の概念が生まれる流れにつながっていくと話されています。
神聖ローマ帝国だけがバラバラになったのはなぜか
今のドイツやスイスなどにあたる神聖ローマ帝国では、逆の動きが起きました。皇帝の権力は下がり、神聖ローマ皇帝は名前こそ残るものの、事実上いないも同然のレベルになり、各領邦が強くなってバラバラになります。
深井さんは、この違いがもっと先の時代にもつながると話します。
領邦の分立
皇帝の権力が下がり、各領邦がバラバラになる
ナポレオン戦争
バラバラだったためにナポレオンに大敗する
統合へ
バラバラではダメだとくっつき、普仏戦争を経る
第一次世界大戦
そこから第一次世界大戦へ突入する
神聖ローマ帝国はゲルマン民族の国で、もともと部族社会でまとまりにくい性格がありました。ローマの後継者を名乗る帝国という名前をつけても、ちゃんとまとまってはいなかったといいます。
深井さんは、皇帝の政府が諸侯 ── 皇帝や国王に仕えながら、自分の領地を治めた有力な貴族。江戸時代の大名に近い存在として紹介されましたから税を徴収しても、額が諸侯のさじ加減で大きく変わってしまう例を挙げ、江戸幕府と比べて説明しました。
3代家光が参勤交代を確立し人質も取れた。大名への干渉力が強く、石高の4分の1ほどを直轄し、貨幣鋳造権も持っていた
貨幣鋳造権を持たず、直轄地もそれほどない。税の徴収も諸侯次第で、もともと財政がひっ迫していた
国王が持つべき権利である国王大権 ── 君主が議会などの同意なしに行使できるとされた権限の総称。課税、貨幣発行、軍事などが含まれますを、幕府は比較的持っていましたが、神聖ローマ帝国は持っていませんでした。その弱い国にルターが現れ、皇帝は有名無実になるまで追い込まれていきます。
深井さんは、ドイツだけ主権国家の単位が違うと整理します。アメリカでいえばウィスコンシン州のような各地方が、連邦政府を有名無実にして主権国家として成り立ったような形で、そこにルターと利害が一致したのです。
中世ヨーロッパを理解するための2つの前提
次回はいよいよマルティン・ルターが登場します。その前に深井さんは、中世ヨーロッパの一番の特徴として2つの前提を押さえておくよう呼びかけました。
1つは信仰を元にした社会であること、もう1つはローマ帝国がなくなった後に弱かった王権が、どんどん強くなっていく過程にあることです。これを理解しておけば、ルターの話の意味がわかるはずだといいます。
楊さんは、モンゴルもオスマンもローマも、現代日本社会とまったく違うという前提をつい忘れがちだと振り返ります。
今までの培ってきた常識をいかに横に置いておいて話を聞くかっていう練習にもなってて、僕は結構楽しいです。
深井さんは、こんな仕組みの社会があるのかという発見が一番好きだと語ります。楊さんも、違う惑星の話を聞いているようだと応じ、ルター登場の次回へとつなげました。
まとめ
この回では、ローマ教皇の権力が魂の救済と世俗の権力の両面を握る特殊なものだったこと、そしてその二重性こそが、内部の純粋な信仰者と力をつけた主権国家の両方から攻められる原因になったことが語られました。
- 中世ヨーロッパでは信仰が社会生活に直結し、破門は生活そのものを失うことを意味した
- ローマ教皇の権力は、天国に行けるかを左右する「魂の領域」に及ぶ点で一般的な権力と質が違った
- 教会が世俗の権力も握るほど、内部の純粋な信仰者から「信仰と関係ない」という批判が生まれた
- 深井さんは、ルターが内部から出てきたことを、教会が完全には腐敗していなかった証拠と見ている
- 主権国家の君主たちはローマ教会を倒す大義名分としてルターを支援し、イングランド・フランス・神聖ローマ帝国で異なる道をたどった




