劉邦の最期と、遺言に込められた人を見る目
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最終回の冒頭で語られるのは、劉邦の死です。きっかけは、下邑の討伐に自ら赴いた際に負った矢傷でした。
深井さんによると、その矢傷が化膿して、劉邦は62歳で亡くなったと伝えられています。当時としては長生きの部類だと話されています。
凄まじい人生だったよね。本当。
病床の劉邦に、妻の呂后が「今後、誰に政治を委ねるべきか」を問いかけます。当時、丞相(総理大臣にあたる役職)を務めていた蕭何の後任について尋ねた場面です。
劉邦は、蕭何の後は曹参が良い、その次は嫪毐が良いが少し愚直だから陳平に補佐させよ、と答えます。ただし陳平は知恵者すぎるので一人に任せてはいけない、とも付け加えました。
さらに劉邦は、周勃は重厚で口下手だが、劉氏を安泰にするには周勃なので太尉に任命すべきだと語ります。深井さんは、この的確な人物評から劉邦には人を見る目があったのだろうと話しています。
一応聞きたい。(劉邦は)その次は?って聞いたら、いや、その後はもう知らないって言った。
この遺言は、実際にすべてその通りに実行されていったと語られています。
劉邦の死が4日間伏せられた理由
劉邦の死は、4日間伏せられました。深井さんは、その理由を政権の成り立ちから説明しています。
劉邦の政権は、劉邦個人と諸侯・列侯との信頼関係に支えられていました。いわば個人的な紐帯で成り立っていたため、劉邦の死が広まれば一気に瓦解する恐れがあったのです。
そこで、まず4日間は死を伏せ、どう伝えれば混乱を防げるかを考える時間が取られたと語られています。
劉邦を最後まで支えたのは、潘蔡、周勃、闞昌、陳平、韓栄、蕭何、曹参、張良、王陵といった人々でした。深井さんによれば、そのほとんどが劉邦の故郷である沛県の出身だったといいます。
自分の故郷からやってきてる人たちっていうのは最後まで比較的信頼してたってことですよね。
一方で、同じ沛県出身でも例外はありました。幼なじみで燕王にしていた呂庵を、周勃や潘蔡が倒しに行くなど、殺さざるを得なかった人物もいたと語られています。
なんかね、切ない話だな。でも意外と沛県出身のやつ大事にするみたいな動きもするんやなと思いました。
故郷で泣いた劉邦──何も持っていなかった頃の記憶
この回で印象的に語られるのが、劉邦が故郷・沛県に立ち寄った場面です。下邑討伐に向かう戦争は、高齢を理由に行きたがらなかった劉邦を、呂后が背中を押して行かせたものでした。
その帰り道、劉邦は故郷の沛県を訪ねます。宮殿には昔の友人や地域の富豪・有力者たちが集められ、祝宴が開かれました。
パーティー、故郷に錦を飾ったって感じですね。
深井さんによると、劉邦はこの宴がひどく嬉しかったらしく、子供たちに歌を教え、自らも踊り、楽しさのあまり涙を流したと伝えられています。
深井さんは、その涙の背景をこう解釈します。犯罪者として逃げてから怒涛のように皇帝まで駆け上がり、気づけば幼なじみを殺し、仲間を疑って粛清する殺伐とした日々を生きていた、と。
そんな中で、故郷の宴は「何も考えなくてよかった時期」を思い出させたのではないか、と語られています。
何も持ってなかった頃。皇帝になるっていうのはどういうことなのかって理解しないまま皇帝になって。結局(このゲームは)終われないじゃん、大変じゃんっていう状態になって。
降りれないボードゲームみたいな。
楊さんは、権力もリスペクトもなく、仕事もせずチンピラのように見られていた頃の自分を知る故郷で、劉邦がふと素の感情を取り戻したのではないかと話しています。
この宴は10日間も続いたと伝えられています。怪我をしているのに飲みすぎだ、とツッコミが入る場面もありました。
それはやりすぎやろ。飲みすぎ飲みすぎ。
故郷を持つ皇帝という、劉邦の特異さ
楊さんは、劉邦が「故郷を持つ皇帝」であることの珍しさを指摘します。
通常の皇帝は、父である前の皇帝から地位を受け継ぎ、宮殿の中で育ちます。そのため、帰るべき故郷を持たないのが普通だ、と楊さんは説明します。
劉邦は平民出身で、沛県という帰る故郷がありました。楊さんは、これこそが劉邦という皇帝の特徴だと話しています。
もっとも、権力がありすぎるため、墓を故郷に建てることはできませんでした。気持ちの上では故郷に葬ってほしかったようですが、首都を移した以上、皇帝の墓を田舎に置くわけにはいかなかったと語られています。
樊噲暗殺命令と、陳平の機転
劉邦の死後の話へと移ります。まず語られるのが、鴻門の会で活躍した樊噲のその後です。樊噲は劉邦の妻・呂后の妹を娶っており、劉邦とは親戚関係にありました。
安泰かと思われた樊噲ですが、劉邦の臨終間際に事件が起こります。劉邦には愛人の戚夫人と、その腹の中にいた劉除がいました。
劉邦は、自分が死ねば呂后が戚夫人と劉除を殺すのではないかと恐れます。そこで陳平と周勃に、呂后派で最有力の樊噲を殺すよう命じて世を去りました。
昔の劉邦だったら絶対言わないけど(皇帝になった後は違う)。なんだよそれ。
深井さんは、鴻門の会で自分の命を救った樊噲を殺せと命じるほど、皇帝となった劉邦のメンタルは追い詰められていたと話しています。
しかし陳平と周勃は迷います。樊噲を殺せば、劉邦の死後に呂后から自分たちが殺されると考えたからです。
そこで陳平は一計を案じます。樊噲を殺さず、逮捕して長安に連行し、時間を稼ぐという策でした。
連行の途中で劉邦は世を去り、権力を握った呂后によって樊噲は釈放されます。危ういところで、樊噲は難を逃れました。
ナイス陳平。
実質的な皇帝だった呂后の専横
劉邦の死後、呂后が専横を始めます。呂后は名を呂雉といい、「后」は皇后を意味する字だと説明されています。
楊さんによると、呂后は実際には皇帝に近い地位にあったのではないかという研究があり、かなりの権力を握っていたといいます。
実際に皇帝に近い地位にあったのではないかっていう研究があるんですよね。
深井さんは、劉邦がチンピラだった頃から実家の太い呂后に支えられてきたため、力関係の上で強く言えなかったのだろうと話しています。
劉邦の死後、呂后との間の息子である劉栄(恵帝)が即位します。呂后は皇太后として政治に関与し、息子より発言権を持つ、事実上の陰の実力者となりました。
呂后はまず、後継を脅かしうる劉邦の庶子たちを標的にします。腹違いの兄弟である劉肥と劉長を殺そうとしたのです。
恵帝はこれに抵抗します。腹違いとはいえ兄弟を守ろうとし、劉肥の殺害は防ぐことができました。しかし劉長は繰り返し狙われ、その生母である戚夫人は呂后にひどく嫌われていたと語られています。
戚夫人への残酷な仕打ちと、悪女エピソードの読み方
ここからは、戚夫人をめぐる残酷な話が語られます。史実かどうかは定かではない、と前置きされています。
呂后は戚夫人を単に殺すのではなく、両手両足を切り、目・耳・声を潰した上で便所に捨て、「人豚」と呼ばせてあざけったと伝えられています。
さらに、それを息子の恵帝に見せました。恵帝は衝撃のあまりメンタルを崩し、そのまま亡くなってしまったというエピソードが残っていると語られています。
胸糞悪。何それ。
ただし深井さんは、この「悪女エピソード」の読み方に注意を促します。こうした残酷な行為は、男性皇帝も同様に行っていたからです。
深井さんは、男性皇帝も残酷なことをしているのに、女性ばかりが「感情で動く残酷な存在」とレッテルを貼られる傾向があり、そこには男目線の偏りがある、という指摘を紹介しています。
後日談として、呂后は息子である恵帝の葬儀でも涙を見せなかったと伝えられています。ただしこれも、悪女として貶められた記録かもしれない、と留保が付けられています。
孫を殺し、別の孫を立てる──皇位継承のグリップ
恵帝の死後、呂后は孫の劉恭を少帝として立てます。少帝とは「幼い帝」を意味する呼び名です。
遺言通り陳平や周勃の助力を得て政治の安定を図りますが、この劉恭が祖母である呂后に反抗的だったため、呂后は少帝を殺してしまいます。
早いわ。
呂后は代わりに、同じく恵帝の子である劉宏を立てます。こちらも同じく少帝と呼ばれました。つまり、孫を殺して別の孫を立てたことになります。
楊さんは、統治側の視点から呂后を評価する見方も紹介します。帝国立ち上げ初期の不安定な状況で、デリケートな皇位継承を彼女がグリップし、乗り越えたという側面です。
その残虐性は、まあ不安定な状況の中で皇位継承という結構デリケートなことを彼女がグリップしようとして、それを乗り越えたっていうことでもあるんですよね。
もっとも、深井さんは倫理からの逸脱として呂后が怖れられてきたことにも触れます。ただし同時に、劉邦もかつて逃亡中に子供を車から蹴り落としていたと指摘し、両者は本質的に変わらないと語ります。
孫を殺した人と子供を戦場で車から蹴り落とした人と一緒じゃんって言われたら一緒。
楊さんは、司馬遷が『史記』を書いた際、劉邦を悪く書きすぎない力学が働いていた可能性にも言及します。劉邦も相当残酷なことをしていたが、書かれていないだけかもしれない、という想像です。
創業モードから統治維持モードへ移る漢帝国
呂后の死後、陳平と周勃は呂氏の一族を駆逐し、劉氏の世に戻すことを進めていったと語られています。呂后の存命中、陳平はアル中のふりをして身を守っていたと伝えられています。
楊さんは、時代が下るにつれて漢帝国を創業した劉邦集団とその子孫の割合が減っていったことを、数字で説明します。
楊さんによると、当初は初代レジェンド世代が上級官僚の96%を占めていたとされますが、劉邦の死後100年ほどで15%まで低下したといいます。
代わりに増えたのが法律官僚でした。0%から41%へと増加したと語られています。
ゼロパーセント面白いな。
40年かけて秦と同じ体制へ戻る
深井さんは、劉邦の死後に起きた最も大きな変化として、中央集権化を挙げます。約40年をかけて進んだ流れです。
当初は諸侯がおり、劉邦の親戚や腹違いの息子を趙王などにしていました。そこから、中央政府が派遣した官僚が諸侯王に代わって各地を統治する形へと変化していきます。
これにより王がいなくなり、完全な郡県制、つまり官僚制へと戻っていきました。6代皇帝の景帝の頃にこれが達成されたと語られています。
深井さんは、この歩みを秦の失敗を踏まえたものだと解釈します。秦はあまりにドラスティックな改革で恨みを買い、反動で一気に滅びました。
漢はその経験を生かし、6代をかけて秦と同じ体制へ持っていくことで、帝国を安定させていったと語られています。本当はこれぐらいの時間がかかるというのが結論です。
こうして出来上がった漢帝国は、約400年後に滅びます。その滅亡期に登場するのが、諸葛孔明、劉備、曹操、孫権らの三国志の時代でした。
そこにつながるんや。そして伝説へや。
統一までのスキルと、統治のスキルは違う
エンディングでは、樋口さんがこの回全体を通じた気づきを語ります。国を統一するまでに必要なスキルと、統一後にそれを継続させるスキルはまったく違う、という点です。
樋口さんは、国が統一された瞬間には、戦って勝つスキルを持つ人々が重要な地位に就かざるを得ないと指摘します。そのため、統一直後も「戦国ムーブ」が続いてしまう、という見立てです。
深井さんも、必要とされる人間は時代や環境によって違うと応じます。乱世で必要とされる項羽や劉邦のような人物は、よく治まった国では機能しないだろう、と語ります。
項羽とか劉邦みたいなのは、よく治まってる国では多分全く機能しない。
楊さんは、彼らを「あぶれ者」と表現します。傭兵の仕方やモチベーションの上げ方が平時とはまったく違うからこそ、乱世で活躍できたのだろう、と語られています。
統治フェーズにも残る「気に入らないやつを殺す」価値観
楊さんは、リスナーが期待するような三国志的な盛り上がりとは違い、このエンディングが殺伐としていることに触れます。粛清と専横、そして呂氏一族の滅亡で終わるからです。
なんか三国志みたいな盛り上がりを期待してるんだろうけれど、もうこのエンディングはなんか殺伐してるよね。
楊さんは、統一まで「気に入らないやつを殺す」「戦って勝つ」という価値観で来たため、統治フェーズになってもその価値観が粛清として残ってしまうのではないか、と考察します。
深井さんは、これを以前のシリーズで語った「Vの論理」に重ねます。かっこよさやリスペクト、人を引っ張る力の基準が固まってしまっているため、統治開始と同時に急に切り替えることはできない、という見立てです。
ただし、国家の要請としては、統治が始まった瞬間から法律官僚のような人材に切り替えるほうが本来は合理的だったはずだ、とも語られます。
一方で楊さんは、功労を立てた人が認められてほしいと思うのは当たり前の人間の感情だと指摘し、だからこそこの問題はややこしいと話しています。
三人が選ぶ、この時代の「好きな人物」
最後に、出演者それぞれがこの時代で心に残った人物を語ります。まず楊さんは、樊噲、蕭何、張良の3人を挙げました。
楊さんは、樊噲について「ずっと合っていることを言っているのに聞いてもらえない感じ」に惹かれると話します。蕭何は官位を得た際にデータのアーカイブをきちんとしていた点、張良はずっとクールで全体を俯瞰できている点を評価しました。
一方で楊さんは、特定の人物への強い思い入れはないとも語ります。むしろ登場人物たちに共通する「根源的な心理的不安全性」が印象に残ったといいます。
楊さんは、この時代の勉強で「中国の残酷な刑罰を集めた本」を買ったものの、3ページ目で吐きそうになり、読むのをやめてしまったという余談も披露します。参考文献にも入れないほどだったといいます。
この登場人物たち、なんでこんな必死なのかというと、ああいう刑罰を自分が受けさせられるかもしれないから、そういう恐怖があるんじゃないかな。
深井さんは、残酷な処刑が市場でさらされていたのは、まさに「この処刑が嫌だから逆らうのをやめよう」と思わせるための見せしめだったと補足します。
二人は、こうした光景に耐えられたのは、当時の人々が「人格の捨象」を極端に行っていたからではないか、と語り合います。逆にその能力がなければ、まともに生きていられなかったのではないか、という見立てです。
項羽の心が折れた瞬間と、劉邦の不思議なエゴ
深井さんが挙げたのは項羽でした。無敵感を持ち、途中まで明らかに勝っていた項羽が、気づけば死にそうになっていく。その「心の折れ方」に強くシンパシーを感じたと語ります。
気づいたら死にそうって思って、あ、俺負けるんだって思った時の心の折れ方みたいなのを、やっぱりこう精緻に勉強していくと、心折れたなってわかる感じなんだよね。
深井さんは、10万人の兵を捨てて800人で逃げる場面に、項羽の心が折れた瞬間を見ています。若い失敗をして再起できない悲しみと、若気の至りをしても生きていられる現代への感謝を同時に感じたと語りました。
樋口さんも項羽の「青臭さ」に惹かれると応じます。気に入らないやつはいらない、俺の言うことを聞け、という自意識に、どこかかわいげを感じるといいます。
続いて話題は劉邦へ移ります。樋口さんは、劉邦の出世のタイミングにほとんど強い意志が見えないことを面白がります。逃亡先で担がれ、県令になり、気づけば首都に着いていた、という具合です。
目的意識なくて、気づいたら仲間が周りにいて、なんか軍隊がでかくなっていって、なんかこう、え、俺にこんなについてきてんの?みたいな。
深井さんは、これほど万能感のないまま社会的成果を出すタイプは珍しいと話します。起業家などは強いエゴと万能感に支えられていることが多いのに、劉邦にはそれがない、という指摘です。
樋口さんは、劉邦には性欲や食欲といった下賤な欲求は強いのに、尊敬されたいといった高度な欲求や執着が薄いと分析します。動物的だ、という表現も出ました。
その劉邦が、皇帝になった最後だけは地位に強く執着しました。樋口さんは、そこにこそ人間らしさと衝撃を感じたと語ります。
そこまで全然執着ない感じなのに、そこになった瞬間に捨てれなくなるっていうか。
深井さんは、その執着を「降りられないゲーム」として説明します。多くの人を殺してきた以上、地位を手放せば自分自身が危うい。1位まで来てしまうと、粛清し続けるか一族が皆殺しになるかしかなくなる、という構造です。
樋口さんは、劉邦が何のために生き、何のために死んだのかを考えさせられたと語ります。深井さんは、そうして昔の人の心の内を思いやること自体を、この番組の醍醐味として受け止めていました。
シリーズの位置づけと、次回予告
深井さんは、始皇帝編、この項羽と劉邦編、そして次の曹操につながる流れによって、この時代の大きな流れがつかめると整理します。漢帝国の400年は飛ばしているものの、時代の骨格は追える、という位置づけです。
書籍紹介では、比較的難しいが構造理解に役立つ3冊が挙げられました。
- 漢帝国成立前史 ―秦末反乱と楚漢戦争―(柴田登、白帝社)
- 項羽と劉邦の時代 ―秦漢帝国興亡史―(藤田勝久、講談社選書メチエ)
- 戦国秦漢時代の都市と国家 ―考古学と文献史学からのアプローチ―(江村治樹、白帝社)
深井さんは、いずれも歴史学の教授による本だと紹介し、この時代を構造から知りたい人に勧めています。
また、番組が広告収入を捨て、COTEN CREWによる支援で成り立っていることにも触れ、引き続きの支援を呼びかけました。
先に僕たちがもう無料で提供しちゃうから、それになんかお返ししたいなという人たちからぜひお返ししてください。
次回予告として告げられたのは、エイブラハム・リンカーンです。南北戦争を扱うストーリー系の回になると予告され、これでアメリカ史がかなり網羅できるだろうと語られました。
最初から読むにはこちら
まとめ
項羽と劉邦編の最終回は、劉邦の死から呂后の専横、そして漢帝国が創業モードから統治維持モードへ移行していく過程を辿りました。乱世で必要とされた人材と平時の統治に必要な人材の断絶、そして「降りられないゲーム」に飲まれた人々の心理的な過酷さが、シリーズ全体を貫くテーマとして語られています。
- 劉邦は矢傷の化膿により62歳で死去。死は4日間伏せられ、政権が個人的な信頼関係に支えられていたことを示している
- 劉邦の死後、呂后が実質的な権力を握り、庶子や孫までも粛清して皇位継承をグリップした
- 上級官僚に占めるレジェンド世代は約100年で96%から15%へ低下し、代わりに法律官僚が0%から41%へ増加。創業モードから統治維持モードへの移行を示す
- 漢帝国は秦の急激な改革による反動での滅亡を踏まえ、約40年・6代をかけて中央集権化を完了させた
- 乱世で機能する人材と統治に必要な人材は異なり、その断絶が粛清という形で現れたと考察された
- 出演者はそれぞれ好きな人物を語り、項羽の「心が折れた瞬間」や劉邦の「執着の薄さと最後のエゴ」に人間的な魅力を見出した







