ソーシャルベンチャーで年商54億円の会社とは
コテンラジオの番外編に、株式会社ボーダレス・ジャパン代表取締役の田口一成さんがゲストとして招かれました。深井さんは田口さんを、同じ福岡の起業家であり「ソーシャルベンチャーで日本で一番の方」と紹介しています。
深井さんの紹介によると、ボーダレス・ジャパンは設立12年目で、年商は54億円です。深井さんが強調したのは金額そのものよりも、社会に役立つ活動をビジネスにしたうえで54億円に達している点でした。
ボーダレス・ジャパンは世界13カ国に37社を持ち、従業員は1,000人ほどいます。深井さんが「ホールディングスみたいな感じ」かと尋ねると、田口さんは、形態としてはホールディングスだが考え方は全く別物だと答え、詳しくは後で話すと予告しました。
田口さんはフォーブスジャパンの「世界を動かす日本人50」や「日本のインパクトアントレプレナー35」に選ばれ、カンブリア宮殿 ── テレビ東京系で放送されている経済トーク番組。注目企業の経営者をゲストに招き、経営の考え方や事業を紹介していますにも出演しています。田口さん本人は「僕でいいのか」と恐縮していました。
(深井さん)本当出世しましたね。我々コテンラジオが。
社会問題をビジネスで解く会社は何をしているのか
田口さんはまず、ボーダレス・ジャパンの前提となるソーシャルビジネス ── 社会問題の解決を目的に、寄付や補助金ではなく事業収益で活動を続けるビジネスの形。利益と社会的な成果の両立を目指しますを説明しました。社会問題を、ビジネスという手段で解決しようとするアプローチのことです。
田口さんによれば、社会問題のための起業は、儲かるから始めるビジネスに比べて難易度が上がります。せっかく社会のために挑戦した人が、そのまま失敗していなくなるのは社会にとって大きな損失だと田口さんは考えました。
そこで田口さんが作ったのが、社会起業家たちが助け合い、成長して社会的インパクトを出していくためのコミュニティのような会社です。田口さんはボーダレス・ジャパンを「社会起業家の集まり」や「プラットフォーム」のようなイメージだと表現しています。
具体的な事業として田口さんが挙げたのは、ミャンマーやケニアの僻地にいる小規模農家との契約栽培です。農家が必要とする価格で買い取る関係を作る、フェアトレード ── 途上国の生産者から適正な価格で継続的に商品を買い取り、生産者の生活改善と自立を支える取引の仕組みのような取り組みで、マイクロファイナンスなど金融の事業もあるといいます。
ボーダレス・ジャパンは日本国内でも、高齢化と後継ぎ不足で増える耕作放棄地 ── 以前は農地として使われていたが、1年以上作付けされず、今後も耕作の予定がない土地を使った有機農業や、ホームレスの方の就職支援、精神障害や発達障害がある方の雇用づくりを手がけています。田口さんは自社を「何でも屋みたいな」と笑います。
もう社会課題っていう、そのビジネスで本来解決ができないと思われていて、最後残ってる課題ですもんね。
19歳で見た映像が人生の矛先になった
樋口さんは、なぜ社会起業家が集まる形になったのかを尋ねました。田口さんがボーダレス・ジャパンを立ち上げたのは25歳のときで、当時はベンチャー企業にお金どころかオフィスも貸さない時代だったといいます。
田口さんは、いろいろな人に助けられてようやく生き延びた経験を持っています。儲けや上場を目指す会社ならリスクとリターンの話で片づくかもしれないが、社会課題を何とかしたい人たちが自分と同じ道をたどるのかと考えた、というのがこの形の出発点でした。
田口さんにとって、25歳での起業は最初から社会課題の解決が目的でした。その原点は19歳のとき、途上国で栄養失調によりお腹がふくらんだ子どもの映像を見たことにあります。
当時の田口さんは、人生を何に使うか、エネルギーの矛先を探していました。先人たちが何百年もかけて取り組んできたはずの貧困がまだ解決されていないと知り、この問題に人生を使うなら「敵に不足なし」だと感じたといいます。
19歳ですか。(貧困問題に人生を使おうと)思ったのが。
田口さん自身は、福岡から東京の大学に出たものの、何かを成し遂げてから地元に帰るという「田舎っぺ根性」を抱えつつ、毎日飲んだくれていたと振り返ります。資格試験のような形で違和感を解消したくはなく、1年ちょっと探し続けていた時期だったそうです。
「一条男」と呼ばれた子どもが、けじめの人になるまで
深井さんは予定を変えて、田口さんの子ども時代について質問しました。田口さんは保育園の頃、運動会の「よーいドン」で泣いて先生に手を引かれる子どもだったといいます。
田口さんの親たちは、幼い田口さんを「一条男」と呼んでいたそうです。畳一畳あれば十分なほど動かない、怖がって動かない子という意味でした。
全然イメージ違え。
小学校、中学校と進むにつれて、田口さんは少しずつ活発になりました。小学校から野球に夢中になり、中学では軟式野球部なのに一人で硬式の練習をして甲子園を目指したといいます。入学時の身長は137センチほどで、本人は「身の程知らず」だったと語っています。
田口さんによると、社会貢献への関心は19歳でドキュメンタリー映像を見るまで全くありませんでした。高校ではテニスに打ち込み、早稲田への推薦も見込まれていましたが、日頃の素行を理由に体育教官から反対が出て推薦を逃し、夏から半年間の受験勉強でぎりぎり大学に入ったそうです。
田口さんが今もよく使う言葉が「けじめ」です。やると決めたらやり、持っていないものについてうだうだ考えない。スポーツの間は勉強を考えず、受験すると決めたら勉強する、という切り替え方です。
大学に入って目の前のレールがなくなり、心がスポンジのように何でも吸収しようとする状態になったからこそ、以前にも見ていたはずの映像が初めて自分の中に入ってきたのではないか、と田口さんは振り返ります。
「君はNGOに来ない方がいい」が会社を生んだ
貧困の映像を見たあと、田口さんは途上国支援の現場で活動したいと考えてNGOを回りました。そこである職員から、本気で貧困問題を解決したいなら「君はNGOに来ない方がいい」と言われます。
えっ、(NGOに来ない方がいいって)なんでですか?
その職員は、NGOの活動を「波打ち際に砂山を作り、できたと思うと波が来てゼロに戻される」ことの繰り返しに例えました。助成金や寄付に頼るため、あと1年で地域の自治につながる活動でも、スポンサーの要望に合わせて女性のエンパワーメントや子どもの教育へ移らざるを得ないことがある、という話です。
田口さんは、これは全てのNGOに当てはまるわけではないと断ったうえで、19歳のときに「素晴らしい活動がお金のせいで制限されている」と受け止めました。そこで、NGOにお金を送るための会社を作ろうと考えます。
田口さんの構想は、利益の有無にかかわらず売上の1パーセントをNPOやNGOに出す事業を作るというものでした。友人に「ソニーの社長になる」と話すと、売上の1パーセントを出すなど株主が認めるわけがないと言われます。
それなら自分で巨大な会社を作るしかないと考えた田口さんは、大学を1年休学してアメリカのビジネス留学プログラムに参加しました。参加者のほとんどが社会人のなかで、数人の学生に混ざってビジネスプランを作ったそうです。
映像
19歳で途上国の貧困を知り、支援の現場を志す
NGOの職員の言葉
寄付や助成金に頼ると活動が制限される現実を知る
構想
売上の1パーセントをNGOに出す会社を作ると決める
行動
大学を休学し、アメリカでビジネスプランを作る
樋口さんが、利益を上げるだけでも難しい起業をその思いで始めるのは相当難しいはずだと問うと、田口さんは「やりたいって思っちゃった」と答えました。田口さんは、社会課題に取り組むのに原体験は要らない、やりたいと思ったらまず始め、現場で違うと思えば次へ進めばいいと考えています。
全員が拒否権を持つ「元老院」のような意思決定
深井さんが特に印象的だと話したのは、ボーダレス・ジャパンの社長たちと田口さんの信頼関係です。外から見ても、嘘では作れない強固な信頼関係だとわかるほどだといいます。
田口さんは、その視点では考えたことがなかったとしつつ、ボーダレス・ジャパンのマネジメントが「めちゃくちゃ特殊」であることは認めます。賞の審査でも、仕組み自体が本当なのかと疑われるほどだそうです。
ボーダレス・ジャパンでは、社会起業家である各社の社長が主役で、ボーダレス・ジャパン本体は全体がうまく回るための事務局にすぎないとされています。最高意思決定機関は社長会で、全員の合議制です。株式会社でありながら、取締役会も株主総会も一度も開かれたことがないといいます。
元老院やんもう。
社長会での決定は全員一致が条件で、一人でもノーと言えば決まりません。立ち上がったばかりの赤字の会社も、売上20億円ほどで利益を3億〜4億円出す会社も、同じ権限を持っています。
拒否権ってちなみに権力の中で最高だと言われてるんですよ。政治権力の中で。それを全員が持ってると。
取締役会や株主総会が意思決定を担う
社長会の全員一致で決め、どの社長も拒否権を持つ
この仕組みの理由として、田口さんは起業家を「自立したいのに孤立したくない」面倒な存在だと表現します。人の指図は受けたくないが、一人は嫌だという人たちです。
田口さんによれば、お金も人も集めて上場を目指す強い起業家向けの仕組みはすでにあります。一方で、地域や目の前の困っている人を助けたい小さな起業家が大多数で、この99パーセントをどう力にできるかが社会システムとして大切だと田口さんは考えています。
田口さんは、そうした起業家が集う場は馴れ合いではなく実効性のある場であるべきだと話します。誰かが決めて自分が受ける側にいるのではなく、全員が主体者になって初めて本当のエコシステム ── もとは生態系を指す言葉。ビジネスでは、複数の企業や人が互いに支え合い、全体として成長していく仕組みを指しますが回る、というのが田口さんの考えです。
視点が基本的にやっぱり社会に何ができるかっていう視点であって、自分たちの会社をどうやってうまく回すかとかじゃない感じがしますね。
「小さいことはいいことだ」とスイミーの発想
ボーダレス・ジャパンも最初から今の仕組みだったわけではありません。当初はカンパニー制を取り、田口さん自身が事業を立ち上げて軌道に乗ったら人に渡す形でした。
ところが、田口さんが1つの事業を軌道に乗せるには1年ほどかかります。60歳まで続けても30個ほどしか立ち上がらず、これでは死ぬときに「世の中が少し良くなった」とは言えないと田口さんは考えました。
一方で田口さんは、自分程度のスキルなら多くの人が持っていると気づきます。100億円の会社は難しくても、10億円規模なら作れるうえ、コアメンバーは7〜10人ほどで足り、スーパーマンでなくてもリーダーシップを取れる風通しのよいサイズだと考えたのです。
田口さんが自ら事業を作り、軌道に乗ったら渡すカンパニー制
多くの社会起業家がそれぞれ10億円規模の会社を作り、連携する仕組み
ここから田口さんの考え方は、小さいことはいいことだへと変わりました。田口さんによると、大きいことを良しとした瞬間に売上と利益の拡大が目的になり、新規事業もマーケットサイズの話にすり替わってしまいます。
その結果、競合との価格競争にしのぎを削ることになり、人生を使うには疲れてしまう、と田口さんは話します。本当に課題を抱える人たちに集中し続けられるサイズが良く、小さいままでは沈んでしまうので、皆で連携すればいいという発想です。
田口さんはこの考えを、絵本『スイミー ── レオ・レオニ作の絵本。小さな赤い魚たちが集まって大きな魚の形になり、1匹だけ黒いスイミーが目の役になって大きな魚を追い払う物語』に例えます。1匹ずつは小さくても、皆が集まれば大きな力になり、深い海でも大きな魚に食べられない、というイメージです。
それでいうとスイミーの目の部分が田口さんになるってことですね。
田口さんの答えは「今のところ」でした。組織が大きくなるほど創業者やリーダーに依存しやすく、それが会社をだめにすると田口さんは考えています。そのため、あと数年ほどで代表を退き、任期制でグループ代表を回すほうがいいのではないかと話しています。
えっ、(田口さんが代表を)辞めるんですか。
年間100社が立ち上がる仕組みを目指して
楊さんが、37人いる社長がどこまで増えるのかを尋ねました。田口さんによると、昨年1年間で16社増えており、2025年までに年間100社が立ち上がる体制を作ることが今の目標です。
全員拒否権を持つんですか?年間100社増えたあと。
田口さんは、組織はサイズに合わせて変わるもので、小さいときと大きくなったときの最適な仕組みを実験しながら開発していくと答えました。
田口さんが失いたくないと話すのは、起業家たちが「ここにいてよかった」とつながりを感じ、助け合い、自分が重要な役割を果たしていると実感できることです。その実感さえ失わなければ、年間100社が加わっても大丈夫ではないかと田口さんは考えています。
前編の最後には、楊さんがボーダレス・ジャパンの特殊な利益配当のルールについて質問を投げかけました。その答えは後編に続きます。
まとめ
田口一成さんは、19歳で見た貧困の映像とNGO職員の言葉をきっかけに、社会課題をビジネスで解く道を選びました。ボーダレス・ジャパンは、小さな社会起業家たちが全員主体者として支え合う、スイミーのような組織を目指しています。
- ボーダレス・ジャパンは社会起業家が集うプラットフォームで、世界13カ国に37社を持つ
- 田口さんは原体験よりも「やりたいと思ったら始める」ことを重視している
- 意思決定は社長会の全員一致で、どの社長も同じ拒否権を持つ
- 「小さいことはいいことだ」という考えのもと、10億円規模の会社が連携する形を選んだ
- 2025年までに年間100社が立ち上がる体制づくりを目標にしている





