教皇はなぜルターを「イノシシ」と呼んだのか
宗教改革編の第5回は、主張を曲げないルターに対して、ローマ教皇の側が強硬な手段に出るところから始まります。
当時の教皇レオ10世 ── 16世紀前半のローマ教皇。フィレンツェのメディチ家の出身で、サン・ピエトロ大聖堂の再建資金を集めるために贖宥状の販売を進めたことで知られますは、1520年、ルターが95か条を出してから3年ほど後に「破門威嚇勅書」を出します。破門の警告にあたるもので、キリスト教徒でなくなることは当時の人にとってすべてが崩れるほどの重さでした。
ここで教皇が言ったのが、野生のイノシシが実り豊かなブドウ園になんか入り込んだなみたいな。カトリック教会にちょっとわけわかんないのが来たなみたいな。
教皇はルターをイノシシにたとえたわけです。これに対してルターは、宗教改革三大論文と呼ばれる3つの論文を矢継ぎ早に出し、カトリック教会を徹底的に批判していきます。
三大論文でルターが打ち出した考えの一つが、万人祭司主義 ── 信仰者はみな神と直接つながっており、その意味で全員が祭司であるとする考え方。聖職者だけを特別な身分とする教会の序列を否定するものですです。神の前に立つ限り、聖職者も一般の人も全員が同じ立場であり、教会がヒエラルキーを作るのはおかしいという主張でした。
深井さんによれば、この主張はカトリックにとって非常に困るものでした。教皇を頂点とする官僚組織を各地に派遣することで成り立っている教会にとって、全員平等という考え方は組織を根底から崩すものだったからです。
両者はこうしてバチバチの対立に入り、収拾がつかなくなります。そして威嚇勅書の翌年の1521年、ルターは正式に破門されます。
皇帝カール5世がルターを公の場で裁こうとした理由
ルターの破門後、次に動いたのは神聖ローマ皇帝 ── 中世から近世にかけて、現在のドイツを中心とする神聖ローマ帝国を治めた君主。ただし帝国内の諸侯の力が強く、皇帝の権力は限られていましたのカール5世です。
深井さんによると、カール5世にとって、自分の国内でカトリック教会に反抗する人物が現れるのは避けたい事態でした。しかもルターは理論武装しているので、きちんとした公式の場で抑え込まないと何が起こるかわかりません。
カール5世が警戒した背景には、約100年前の前例があります。ヤン・フスという人物がボヘミア地域で教会を批判し、農民がそれに追随して大きな反乱が起きていたのです。楊さんが補足するように、フスは最後に火あぶりにされました。
だから結構デリケートな問題なんですよ。めちゃくちゃデリケートな問題です。
そこでカール5世はウォルムス帝国議会を開き、ルターを呼び出して弁明させます。ところがルターは、自分の説をまったく撤回しませんでした。
こういう挙動になるんだなって思ったんですけど。命より大切なんですよ。だからもう信仰の方が。彼にしたらね。
ここまでの流れを年代順に並べると、次のようになります。
「LINEをスクショされて拡散」された95か条
ウォルムス帝国議会に至るまでのルターの動きについて、楊さんは自分が読んだ本の内容として興味深い話を紹介します。ルターはもともと、95か条について学術的な議論をしたかっただけだというのです。
楊さんの説明では、ルターから手紙を受け取った司教の側が過剰に反応しました。学術的な議論の提案ではなく、贖宥状販売の体制を告発する文書だと受け取り、早めに抑え込もうとしてローマ教会の総本山に情報を共有したのです。
ルターとしては学問の議論がしたかっただけなんですよね。でもなぜか知らんけど、ローマ教会がマジで(ルターを)異端審問にかけるぐらいの勢いでガンガン来たんですよね。
同じころ、ルターは友人たちにも95か条の内容を伝えていました。その友人たちの行動が、事態をさらに大きくします。
友達はルターを応援したくて、この95か条をバンバン印刷したんですよ、印刷所に持ち込んで。バンバンばらまいて大炎上したんですよね。
楊さんは、この拡散もルターにとってはまったくの想定外だったと話します。審議の場で高圧的に間違いを認めろと迫られたルターは、身を守るために徹底的に理論武装し、教会のロジックへの反感もあって、聖書をもとに議論しろとキレ気味に言ったのではないか、というのが楊さんの見立てです。
手紙
ルターが95か条について学術的な議論を司教に持ちかける
過剰反応
司教が告発文書だと受け取り、ローマ教会に報告する
拡散
応援したい友人たちが95か条を印刷してばらまき、大炎上する
審問
ルターは理論武装し、撤回を拒んで立ち向かう
深井さんもこの見方に同意し、ルターは最初からローマ教会に対抗していたわけではなく、議論させてもらえない状態が続いた不信感から「もうローマ教会はいいや」となっていったと整理します。
ウォルムス帝国議会でルターは、聖書を見るとカトリックの主張は間違っているようなので、良心に反して自説を撤回することはできないと述べます。
神よ、私を救いたまえ。アーメンっていうんですよね。ここで。もう取り下げたくても取り下げられないわけですよ。
楊さんの言葉を借りれば、この時点でルターの問題は学問上の議論ではなく、政治問題になっていました。
深井さんは、ルターの主張が一気に広まった理由を、ローマカトリック教会が世俗権力を握り、反感を買っていたことに見ています。教会の正当性を覆すような主張が出ると、反感を持つ人たちが飛びついたのです。
ルターはなんかどっかの手紙か何かの中で、こんなことになるとは思わんかったって書いてる。
いや、それはだって、それはそうです。だってLINEをスクショされてツイートされてリツイートしまくられる。
拉致されたルターが城で始めた聖書のドイツ語訳
ウォルムス帝国議会でも屈しなかったルターに、教会も皇帝も困ってしまいます。深井さんによれば、このままならルターは殺されるはずの状況でした。ところが、ここからが今までの歴史と違ったところです。
ザクセン選帝侯のフリードリヒが、ルターを拉致して自分のヴァルトブルク城に匿ったのです。目的はルターを守ることでした。
深井さんの説明では、フリードリヒは神聖ローマ皇帝カール5世にも、ローマ教皇レオ10世にも対抗したい立場の人物でした。神聖ローマ帝国は皇帝の権力が弱いため、有力諸侯に匿われると皇帝は手が出せなかったのです。
匿われている間にルターが取り組んだのが、聖書のドイツ語訳です。ルターは新約聖書を2か月で全訳し、その後出版していきます。
みんな聖書読んでみろつって。本当にカトリックがやってることを(聖書の)ここに書いてありますか?っていうことをやるために、彼は聖書をドイツ語に訳して、みんなが読める状態を作るんですよ。
楊さんは、この時間がルターにとって必要な時間だったと驚きます。そして深井さんは、印刷技術がなければこの動きは広まっていなかったと話します。
ただし当時のヨーロッパの識字率は5〜10%ほどで、地域によっては3〜4%ともいわれるほど低い状態でした。印刷術の普及とルターの宗教改革によって、最終的には30〜50%まで上がっていったといいます。
字を読めない人が大半だったため、聖書の内容は、文字を読める少数の人が音読し、それをみんなが耳で聞く形で広まりました。
もう一つの手段が、8割ほどが絵で、文字が少しだけ書かれた1枚のビラです。ルターを応援する人たちはこのビラを大量に刷り、主張をどんどん広めていきました。
ルターが「抑える側」に回った改革の過激化
ビラや音読によってルターの主張が広まると、ルター自身が予想しなかったほどボルテージが上がっていきます。深井さんは、ルターが「そんなことせんで」と思うほどの過激な改革活動をする人たちが現れたと話します。
その一人がアンドレアス・カールシュタットです。カールシュタットは、権威を示すための荘厳な衣服をやめて簡素なものに変え、民衆にはわからなかったラテン語の儀式をすべてドイツ語で行うようにしました。
カールシュタットはさらに、聖書で偶像崇拝が禁じられていることを根拠に、偶像の撤去まで始めます。ここでルターは、一気にそんなことをしてはいけないと、今度は改革を抑える側に回ります。
そう、ルターは過激派じゃないんですよ。
過激じゃないです。彼はただ、ただ単純に議論がしたかった人。
カールシュタットのほかにも、ミュンツァーのような人物が現れ、騎士階級の人たちも盛り上がっていきます。そして深井さんが「ルターが一番やばいと思った」と話すのが、農民の動きでした。
農民は領主の権力にも「聖書のどこに書いてあるのか」と問い始めた
ルターの主張に触れた農民たちは、聖書に基づいた社会正義を考え始めます。農民はそれまで、ローマ教会だけでなく領主にもずっと搾取されていると感じていました。
その領主が持っている権力の源って、聖書のどこに書いてあるんですか?っていう話をし始めちゃうんですよ、農民が。
深井さんによれば、それまでの社会は信仰をもとに序列が作られていました。ルターがその序列を覆す考え方を示したことで、虐げられていた人たちが「なぜこの序列に従わなければいけないのか」と考えるようになったのです。
農民たちは教会に対して、税金のあり方や、司祭を教会が決めることに疑問を投げかけます。さらに領主に対しても、自由に狩りや漁をする権利がないことや、死亡税と呼ばれる税金をかけられていることを問題にし始めました。
深井さんは、この状況を複層的な構図として説明します。ルターが下の立場の人が上の人に異議を唱える思想的バックボーンを渡した結果、それぞれの階層で同じことが起き始めたのです。
ルター
信仰の上では全員平等だという考えを示し、ローマ教会を批判する
領主・王
ルターの考えを背景に、ローマ教皇の権限に異議を唱える
農民
同じ論理で、領主や王の権限の根拠を聖書に求め始める
こうして社会は、上の立場の人に「権限の根拠は何か」と問う時代に突入し、てんやわんやの状態になっていきます。
ルターはなぜ農民の味方をしなかったのか
反乱を起こした農民に対して、ルターははっきりと距離を取ります。深井さんが面白いと感じたのは、そのときのルターの言い分です。
ルターの主張は、農民が聖書をもとにしているような体で語っていることは、すべて世俗の権力や権利の話であり、信仰とは関係がないというものでした。世俗の問題は世俗の人たちで解決すべきで、聖書を絡めるべきではないという立場です。
楊さんは、ルターの中では戦争のような暴力行為は国家だけに許されたものだったと補足します。ルターの批判はあくまでローマ教会に向けたもので、世俗の王に向けたものではありませんでした。
だから、農民たちの反乱とか暴動は、もうルターの中で、あの、なんだろう、宗教的にアウトなんです。
批判の対象はローマ教会であり、信仰の問題だけを語っている。暴力は国家だけに許される
ルターの考えを根拠に、領主の権力や税、狩猟・漁業の制限にも異議を唱えてよいと受け止めた
説得しても農民たちの動きは収まらず、最終的にルターはブチ切れます。深井さんによれば、ルターは最後には、できることなら農民を撃ち殺し、絞め殺し、刺し殺さなければいけないとまで言っていたそうです。
番組では、農民たちが領主に向けて書いた声明書に、ルターの名前を勝手に入れていたことも紹介されます。味方だと思っていたルターから強い言葉を向けられ、農民たちは大きく戸惑いました。
そしたら農民もびっくりするんですよ。え?みたいな。ルターって僕たち応援してくれる感じじゃないの?みたいな。
深井さんは、結局この宗教改革によって農民の権力が上がることはなかったと話します。農民の権利が上がっていったのは、以前お金の歴史の回で扱ったように、ペストで人口が大きく減ったことによるものでした。
深井さんはさらに、その後の資本主義への突入には、ローマ教皇の影響力が弱まっていたことや、王権が強まっていたこと、のちに話すカルヴァンの影響などが関わっているのではないかという、いくつかの説があると紹介します。
深井さんは、そのルターに思想的バックボーンを与えたのは、処刑されていったヤン・フスたちだとも付け加えます。そして、この後はついに戦争に突入し、社会が一気に変わっていくと次回を予告します。
本人の意図を超えて社会が動く、ルターの宗教改革
一連の話を聞いた樋口さんは、コテンラジオでたびたび話題になるテーマが、まさにルターの身に起きていると感じます。
よくこのラジオの中で言ってる、その人間は活動によって社会にどういう成果を与えるかっていうのは想像できないみたいな話をよくするじゃないですか。マジそれが起こってるなと思って。
深井さんは最後に、反乱を起こした農民たちが意外に強かったことを紹介します。領主側は鎮圧のために、ヨーロッパでも最強クラスの傭兵部隊ランツクネヒト ── 15〜16世紀に神聖ローマ帝国で編成されたドイツ人傭兵部隊。長槍を使う歩兵として知られ、派手な服装でも有名でしたを雇いました。
ところがランツクネヒトの大半は農民出身でした。鎮圧すべき農民を殺すのが忍びなく、農民側に寝返った傭兵も少なくありませんでした。
寝返った傭兵たちは農民に戦闘スキルを教え、横の連携も取らせたため、農民の反乱は意外なほどうまく戦ったといいます。それでも最終的には多くの農民が亡くなり、深井さんは「死者人数万人」という説もあると話しています。
樋口さんは、ルターは相当テンパっていたはずだとしつつ、このルターという人物によって時代がどう変わっていくのかを次回以降に見ていこうと締めくくります。
まとめ
今回のエピソードでは、学術的な議論をしたかっただけのルターが、司教の過剰反応と友人たちによる印刷・拡散によって政治問題の中心に立たされ、破門後は匿われながら聖書をドイツ語に訳し、その主張が農民反乱にまで広がっていく流れが語られました。ルターの戸惑いと、それでも思想的バックボーンを渡したのはルターだったという二つの側面が、この回の見どころです。
- 1520年に破門威嚇勅書、1521年に正式な破門を受けても、ルターはウォルムス帝国議会で自説を撤回しなかった
- 95か条は友人たちが印刷してばらまいたことで大炎上し、ルター自身にとっても想定外の展開だった
- ヴァルトブルク城に匿われたルターは新約聖書を2か月でドイツ語に訳し、音読や絵入りのビラで主張が広まった
- 農民は領主の権力の根拠まで問い始めたが、ルターは信仰と世俗を分け、反乱する農民を激しく非難した
- 人の活動が社会にどんな影響を与えるかは本人にも想像できない、というテーマが表れた回だった





