ドクトルクラブで頭角を現す若きマルクス
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療養から戻ったマルクスは、療養先で出会った青年ヘーゲル派の若者たちが集まるドクトルクラブ ── ベルリンで活動した青年ヘーゲル派の知識人サークル。ヘーゲル哲学を議論し、宗教や国家への批判を展開した集まりですに入っていきます。
ドクトルクラブのメンバーは、マルクスより9歳ほど年上の30歳前後が中心でした。博士号を持つ、その領域で名の知れた人物が多かったといいます。
この集まりのリーダーがブルーノ・バウアーでした。バウアーのもとに青年ヘーゲル派の人々が集まっていたと説明されています。
ここでマルクスは頭角を現していきます。年上の優秀な面々の中で、「若いけれどすごい」と一目置かれる存在になっていったといいます。
青年ヘーゲル派とは、ヘーゲルを学びながらも、その内側からヘーゲル批判を進めていった人々です。「ここは正しいが、ここはおかしいのではないか」という議論をする立場でした。
ヘーゲルの「意識」と、なぜ神にたどりつくのか
楊さんは、ヘーゲル哲学の背景をプロイセンの農業国という状況から整理します。ナポレオンの侵攻による近代化の前、プロイセンでは領主が農奴を使う社会でした。
一見すると、主人がすべてを考え、奴隷は何も考えない無に等しい存在に見えます。しかし実際に畑を耕し、自然界を変える労働をしているのは奴隷のほうだと楊さんは指摘します。
この世界に対して奴隷っていうのは、世界と交わることによって、だんだん自己意識っていうのが芽生えてきますよね。
一方で主人は生産活動のすべてを奴隷に依存するため、どんどん怠惰になっていきます。こうして奴隷の精神が解放され、主人と奴隷の関係がなくなっていくとヘーゲルは考えました。
ここからヘーゲルの核心が見えてきます。意識を解放して自由にしていけば、世界の様々な対立が解消されるのではないか、という発想です。
ただし、この究極的に自由になった精神を、ヘーゲルは絶対精神や世界精神と呼びました。それは最終的に神のようなものではないか、という考えがついてまわったといいます。
樋口さんは「なんで神に行くのか」と驚きます。これに対し深井さんは、啓蒙思想の流れを補足します。
今までキリスト教が支配してた思想っていうのに対する反論として出てくるわけじゃないですか、一つは。
神との関係ですべてを語っていた世界観を、人間を中心に語り直す。そのため、これまでの論調が使えず、すべてを最初から考え直す必要があったと深井さんは説明します。
その出発点がデカルト ── 17世紀フランスの哲学者。すべてを疑っても「考えている自分」の存在だけは疑えないとした「我思う、ゆえに我あり」で知られますでした。疑っても否定できないのは自分の意識が存在することだ、という議論から「意識とは何か」という問いが育ち、ヘーゲルの時代にいたったとされます。
主人と奴隷の関係
主人が全て、奴隷は無に見える状態
奴隷の労働
実際に世界を変えているのは奴隷
自己意識の芽生え
世界と交わることで奴隷に意識が生まれる
精神の解放
意識が自由になり主人と奴隷の関係が消える
ヘーゲルの死後に始まった弟子たちの論争
ヘーゲル哲学は1810年代から20年代にかけて、ベルリン大学を中心に学閥を作っていきました。しかしヘーゲルが亡くなると、弟子たちの間で「何が正しいのか」をめぐる論争が始まります。
論争はまず宗教の話から始まりました。ヘーゲルの考える神とは何か、という問いが対立の入り口になったと楊さんは語ります。
最初に登場したのがダーフィト・シュトラウスです。『イエスの生涯』という本を書き、聖書は神話であり、史実としてのイエスに批判的な態度をとりました。
この聖書っていうのは神話だよねっていう話をして。やばい発言ですよ。ちなみにこれは。
深井さんは、キリスト教世界で言えば危険なこうした発言が、この時代になって言えるようになってきたと補足します。
ただしシュトラウスは、聖書の伝統的解釈やイエスの実在は否定しても、キリスト教そのものは批判していません。聖書をテキストとして読み直そうという立場でした。
この立場に賛同した人々をヘーゲル左派 ── 青年ヘーゲル派とも呼ばれる。ヘーゲル哲学を土台に宗教や国家を批判的にとらえ直そうとした人々で、マルクスもここに属しました、疑問を感じた人々をヘーゲル右派と呼びます。ドクトルクラブは左派で構成されていました。
バウアー、フォイエルバッハと進む宗教批判
次に登場するのが、マルクスに個人的にも影響を与えたブルーノ・バウアーです。ドクトルクラブのリーダーであり、シュトラウスの流れを汲んでキリスト教そのものを批判していきました。
バウアーの批判の鍵となるのが「疎外」という概念です。社会が自分を規定するため、本当の自分を隠さざるをえない状態が生まれます。
バウアーは、宗教が人間の疎外を引き起こしていると批判しました。人間が自分自身でなくなり、大事な意識を失わせている、という論法です。
さらにラディカルな人物として登場するのがルートヴィヒ・フォイエルバッハです。彼は唯物論 ── 意識や観念よりも、実際の物質や現実のあり方を根本とみなす立場。マルクスの思想の土台の一つになりますを持ち出し、ヘーゲル哲学とキリスト教の両方を批判しました。
フォイエルバッハの批判は発想の逆転にありました。バウアーまでは宗教があって人間がいるという前提でしたが、彼は人間から宗教が生まれていると考えます。
人間から生まれている宗教というものに、かえって僕たちコントロールされちゃってるじゃん、これおかしくない?
だからこそ、意識や考えではなく、実際に起きていること、実際の人間を見ていかなければならない。フォイエルバッハはそう言い出したと楊さんは説明します。
「理性的なものは現実的である」をめぐる対立
こうした対立の背景には、ヘーゲルが残したある有名な言葉がありました。
ヘーゲル右派と左派は、この言葉の前半と後半のどちらを重視するかで揉めていたと楊さんは語ります。
後半の「現実的なものは理性的である」を強調すると、現状肯定になります。ヘーゲルはプロイセンを理性国家と呼び、その国家体制を肯定していた体制側の人物でした。
一方、ヘーゲル左派は前半の「理性的なものは現実的である」を強調しました。現在は最終的な完成ではなく、これからも進歩していくのだから、師の言うことも修正していくべきだ、というラディカルな立場です。
この対立は宗教解釈から始まり、歴史観や法哲学へと広がっていきます。法律の分野では、マルクスと親交のあったアーノルド・ルーゲが、プロイセン国家への批判として展開しました。
ルーゲは、国家はさらに変化・進歩すべきであり、その担い手として大衆が政治的実践に参加していかなければならないと考えました。この考え方に影響を受けて出てくるのがマルクスだと説明されます。
「現実的なものは理性的である」を重視。プロイセンの現状を肯定する立場
「理性的なものは現実的である」を重視。現状を進歩させるべきとするラディカルな立場
難しい議論の中で、マルクスが向かった先
深井さんは、ここまでの流れを噛み砕いて整理します。ヘーゲルは、どんな対立物も一段レイヤーを上げて解消でき、すべての対立が解消されると調和のとれた世界全体になると考えました。
この調和のとれた世界全体を、神のようなものと受け取ってよいのか。それをめぐって弟子たちが揉め始め、さらに現状を肯定するか先に進めるかで派閥が分かれていったといいます。
そして、先に進めるべきという派閥の中から、最もラディカルな人物としてマルクスが登場します。樋口さんは「相当難しい」とこぼしつつ、その要点を受け止めます。
理解なんてこの会話の中でできないんですよね、やっぱり。ヘーゲルの哲学を。
深井さんは、伝えたかったポイントを2つに絞ります。1つは、啓蒙思想以降、社会と自己意識の関係を神抜きで考え直す必要があったこと。もう1つは、それに基づいて歴史や宗教を再解釈しようとしていたことです。
そのうえで、マルクスはこの人々全員を批判していくことになります。全員と喧嘩する中で、次回登場するエンゲルスだけが何を言っているか意味がわかる、という展開につながっていきます。
自己意識か、社会の現状か。分かれていく立場
深井さんは、宗教批判の議論がなぜ延々と続いたのかを説明します。人間が作ったはずの宗教が逆に人間を規定している、という主張には、社会と自己意識のどちらが先かという問いが隠れているからです。
宗教に規定されてるのか、僕たちが宗教を規定してたのかっていうのは、社会と自分の自意識との関係性においてしか語れないでしょ。
マルクスもドクトルクラブの一員として宗教批判に加わり、才能を発揮して会を活気づけていきました。9歳ほど年上のメンバーの中で頭角を現していったといいます。
一方でマルクスは、ヘーゲル哲学に徐々に限界を感じ始めます。新しい社会の担い手である資本家やブルジョワジーが労働者を搾取している矛盾から、目をそらせなくなっていったと楊さんは語ります。
その関心は経済へと向かいます。人間の生活に根ざした具体的なシステムを、きちんと見なければならないと考えたのです。
深井さんは、この違いも社会と自己意識のどちらを重視するかから生まれていると整理します。マルクスが重視したのは社会の現状側でした。だからこそ哲学だけでなく経済も学ぶ必要があると考えたのです。
いや、社会側が俺らの自己意識を規定してるでしょって話をして、社会側がどういう挙動をとっているかということを研究していく。
楊さんは、両者の立場はどちらも正しいと述べます。深く考えた結果として分かれていったのであり、どちらかが愚かなわけではないと二人は確認します。
樋口さんは、この人々がなぜ交わらず戦うのかを尋ねます。深井さんは、この後に彼らが政治について語り、その思想が政治のあり方に直結してしまうからだと答えます。
哲学と政治が超くっついてんだよ、この時期って。
意識の展開から現実が生まれる。意識が変われば世界が変わると考える
意識は生活に根ざし社会に規定される。経済など現実のシステムを研究する
ライン新聞への参加とジャーナリズムとの出会い
療養から回復したマルクスは大学に戻り、バウアーとの親交を深めていました。バウアーがボン大学の講師になると、そのつてを頼ってマルクスも大学講師になるつもりでいたといいます。
二人は、哲学討論の成果を社会に出すため、進歩的な雑誌を出そうとしていました。当時のメディアは新聞や雑誌しかなく、哲学の研究でドイツを変えていこうと考えていたのです。
一方で、故郷ではマルクスの帰りを待つ人々がいました。早く博士課程を終えて世に出て、結婚のために稼がなければならない状況でした。論文執筆には2年ほどかかり、ギリシャ末期の哲学の論文を書いて23歳で大学を卒業します。
ところが、頼みのブルーノ・バウアーが聖書を批判したことでボン大学の講師を追われてしまいます。論文を出したマルクスも教壇に立つのが難しくなり、いったん故郷に戻ります。
ちょうどこの頃、工業が発達したライン地方では新興のブルジョワジーが力をつけていました。彼らは自分たちの意見を公表する場として、ライン新聞という新聞の発行を計画していました。
同じヘーゲル左派のモーゼス・ヘスが編集主任について相談し、マルクスたちは仲間のルーテンベルクを推薦します。こうして発刊されたライン新聞に、マルクスは記事を書く人として参加していきました。
この時、ブルジョワジーとマルクスたちは利害が一致していました。保守的なプロイセン政府を、ブルジョワジーにメリットのある立場から批判する。それが彼らの仕事でした。
当然、君主国家であるプロイセン側からは圧力がかかります。やがて編集長のルーテンベルクよりマルクスのほうが有能だとされ、マルクスがケルンで編集主任になっていきました。
木材法批判が示した「現実」への視点
ジャーナリズムに関わったことは、哲学を勉強するだけだったマルクスを、より具体的に世の中を見る視点へと変えていきます。その代表例が木材法への批判です。
資本主義化が進む中で、これまで曖昧に「みんなのもの」とされていた裏山なども、誰のものかが確定されていきました。私有財産という資本主義の特徴が広がっていったのです。
その結果、山の所有者が決まり、貧しい農民が慣習的に薪を拾って燃料にする行為が禁じられます。「俺の土地で何を勝手に拾っているのか」となったのです。
楊さんは、貴族が持つ森林の木材について補足します。昔は慣習的に許されていた採取が、私有財産という法的権利によって窃盗として扱われるようになりました。
そもそも何が窃盗であるかという定義自体を地主たちは法律で決められる。なぜなら、あいつらは議会で議席を持ってるからだ。
公のことを考えるべき立場の地主が、自分の利益のために法律を作り、その正当性を盾に権利を執行している。マルクスはこれを鋭く批判したと楊さんは語ります。
ヘーゲルは国家を公益のためのものと語りました。しかし現実の政治は全くそうなっていないではないか、というのがマルクスの政治批判でした。さらに検閲によって政府が自分に有利な世論を作っている点も批判しています。
資本主義化
曖昧だった山や森の所有が確定していく
私有財産化
農民の慣習的な薪拾いが窃盗として禁じられる
法律の制定
議席を持つ地主が窃盗の定義を自分に有利に決める
マルクスの批判
公益を考えず私益で法を作る政治として糾弾
理性という武器の無力さに気づく
マルクスは、理性という武器と新聞を使って現実を変えようとしました。木材法や社会の矛盾、封建制の残りかす、資本主義社会の矛盾を、理性によって改めようとしたのです。
しかしここで、彼はこの武器が無力であることを感じ始めます。哲学議論だけをしていた頃と違い、ジャーナリストとして具体的な法律や問題に向き合うと、生々しい現実とぶつかることになりました。
資本主義が勃興する中で、貧しく淘汰されていく人々がいました。彼らを救おうとする記事は、新興ブルジョワジー向けの新聞である以上、資本家と衝突してしまいます。ここでマルクスは無力感を覚えたといいます。
マルクスは後年、この経験を経済学批判という書物の中でふり返っています。
深井さんは、この言葉には実際にジャーナリストとして問題を扱った人間ならではの説得力があると述べます。物質的利害を知らずに世の中はわからないという気づきが、ここで生まれたのです。
仲間へのいら立ちと勉強への傾倒
一方で、一緒に新聞を作っていたヘーゲル左派の仲間たちに、マルクスはいら立ちを募らせていきます。現実を見ずに哲学の側からばかり物を言うことに、意味を感じられなくなっていったのです。
リーダーのバウアーは理想主義者として、検閲に引っかかるとわかりきった激烈な文章を書いてきました。マルクスはそうした人々を、過激で非現実的で独りよがりだと厳しく評しています。
もう少し具体的なことを探求して、専門的知識を持って喋ろやっていうことをマルクスはこの時に言っている。
樋口さんは、その姿勢を「事件は会議室で起きてるんじゃない、というような感じ」だと表現します。マルクスは大きなことを言うだけでなく、自分でも徹底的に専門知識を勉強していきました。
この頃マルクスは、自分が経済や共産主義、社会主義について知らないことに思い至ります。木材法への批判は、私有財産の木材をみんなで共有すべきという共産主義的な発想でもありました。
ただし共産主義も社会主義も、マルクスが作ったものではなく、もともと存在していた思想です。マルクスはその勉強が足りないと気づき、独学で死ぬほどの勉強を続けていきます。
エンゲルスとの、そっけない最初の出会い
この頃、マルクスはエンゲルスと最初の出会いを迎えます。エンゲルスは、父が経営する紡績工場で働くため、ベルリンからイギリスのマンチェスターへ渡ろうとしていました。
その途中、ケルンのライン新聞編集部に立ち寄ります。ここに編集主任として働いていたのがマルクスでした。マルクスは24歳、エンゲルスは2歳下でした。
当時のマルクスは、バウアーたちヘーゲル左派を軽蔑していら立っていました。エンゲルスはそのベルリンでバウアーたちと仲が良かった人物です。
なんかまたバカ来たなみたいな感じでマルクスが対応してるんですね。
マルクスはエンゲルスを「あのバカの友達」とみなし、何も怒ることなく、そっけない対応で終わらせます。深井さんは、ここにマルクスの性格の悪さと、エンゲルスの人柄の良さがよく出ていると語ります。
それでもエンゲルスの側は、そっけなくされてもさほど悪い印象を持ちませんでした。この数年後、マルクスがエンゲルスを見直す出来事が起こり、二人は再会して意気投合していきます。
樋口さんは、今回のマルクスに主人公感があると述べます。深井さんは、いいところも悪いところもフラットに分析していく方針だと応じ、次回はエンゲルスの人生に視点を移すと予告しました。
このシリーズの次のエピソードはこちら
ライン新聞編集部での初対面。マルクスはエンゲルスをそっけなく扱う
数年後にマルクスがエンゲルスを見直し、再会して意気投合する
まとめ
この回では、ヘーゲルの死後に始まった弟子たちの論争から、マルクスがジャーナリズムを通じて「現実」を重視する立場へと変わっていく過程が語られました。抽象的な哲学議論から、経済や具体的な社会問題へと視点が移っていく転換点です。
- 青年ヘーゲル派の論争は、宗教解釈から歴史観・法哲学へと広がり、現状肯定か進歩かで対立した
- マルクスは、意識よりも社会の現状を重視し、哲学だけでなく経済を学ぶ必要を感じていった
- ライン新聞での木材法批判を通じて、マルクスは「世の中は物質的利害の塊だ」と気づいた
- 理性という武器の無力さを痛感し、独学で経済や社会主義を徹底的に学び始めた
- エンゲルスとの最初の出会いはそっけないものだったが、数年後に再会して意気投合する






