軍事や経済だけじゃない、宗教でも超大国のアメリカ
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リンカン編の第2回は、宗教を軸に進みます。深井さんは冒頭で、アメリカを語るときにキリスト教の宗教観は避けて通れないと述べ、その理由を説明していくと予告します。
樋口さんがまず紹介したのは、アメリカが軍事、経済、ITだけでなく宗教でも超大国だという点です。アメリカでは総人口の約8割がキリスト教徒です。
2007年時点の調査では、アメリカ人の92%が神または普遍的な霊魂の存在を信じていると回答しています。深井さんによると、同じ項目でイギリスは60%ほど、フランスは56%、スウェーデンは46%です。
イギリスだと60パー、フランスだと56パーみたいな。スウェーデンだと46パー。それでも高えなって思うけど。
さらに、神による天地創造を全面的または部分的に信じる人は63〜82%にのぼります。人間の進化について神の関与を否定する人は、14〜26%にとどまるといいます。
こうした数字から、アメリカ人はキリスト教の規範を守ろうとする宗教的に保守的な国民だと書く本もあります。ただし深井さんは、2007年の調査はやや古いため、現在は変わっているかもしれないと断っています。
神を信じなくても残る「宗教の思考フレームワーク」とは?
深井さんは早い段階で、この回の結論を示します。アメリカに初期に渡ってきた人々は非常に宗教熱心で、そもそも宗教が理由で海を渡ってきた人たちでした。
その人たちが、世界にまだ存在しない新しい国を仕組みとして作ろうとしたとき、自分たちが強く信仰する宗教の思考フレームワークを使って国を組み立てていきました。その結果、アメリカのシステムそのものがキリスト教の思考フレームワークでできていると言えるほどになった、というのが深井さんの説明です。
深井さんは、この点が重要だと強調します。仮に神を信じる人の割合が下がっても、思考の枠組み自体が宗教由来であるため、アメリカの仕組みは変わらず残るという見立てです。
深井さんは、アメリカの基盤は宗教的信念だと指摘する学者は多いと話します。その例として挙げたのが、イギリスの作家・批評家のギルバート・チェスタトン ── 20世紀前半のイギリスの作家・批評家。推理小説「ブラウン神父」シリーズでも知られ、逆説を多用する文体が特徴ですの言葉です。チェスタトンはアメリカを「ほとんど神学的とも言える信念によって建てられた世界でただ一つの国」と評しました。
もう1人の例が、2024年まで存命だったドイツの神学者ユルゲン・モルトマン ── ドイツのプロテスタント神学者。代表作『希望の神学』で、キリスト教を未来への希望から捉え直したことで知られますです。モルトマンは、アメリカは国民的統一の焦点を共通の過去に求めることができない、と指摘しました。
移民大国のアメリカでは、一人ひとりの民族的起源がばらばらです。そのため共有できるのは共通の未来しかない、というのがモルトマンの指摘だと深井さんは説明します。
だからずっと未来の話をし続けて、ビジョンを描き続け、そのビジョンでまとまれなかったら分断するんです。
深井さんによれば、共通の過去がないアメリカは、同じ未来を見られなくなったとき、日本よりも圧倒的に分断しやすくなります。現在のアメリカの分断も、同じビジョンを見られない状態だといいます。
アメリカが最初に共通のビジョンを求めた先は、宗教的理念でした。その後ビジョンはアメリカンドリームのような利益の追求へと移りますが、深井さんは、お金を求めることを崇高とみなす発想そのものも宗教的フレームワークから来ていると話します。
ピルグリム・ファーザーズはなぜ新大陸を目指したのか
ここから話は、入植時代の信仰へとさかのぼります。1603年、イングランドではエリザベス1世の後を継いでジェームズが王になっていました。
イングランドはヘンリー8世の時代にカトリック教会から離れ、プロテスタント側の方針をとっていました。ところがジェームズは「主教なくして国王なし(ノー・ビショップ、ノー・キング)」と述べ、国教会の体制を強化して宗教を中央集権化していきます。
この政策に、プロテスタントの人々は絶望しました。プロテスタントは教会権力を良しとせず、個人が自ら神とつながる信仰を重んじる立場だったためです。
特に失望した人々はピューリタン ── 「純粋な」を意味する言葉に由来する、イングランド国教会のさらなる改革を求めたプロテスタントの人々。清教徒とも訳されますと呼ばれます。その一部が、のちにピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々になり、海外移住を決意しました。
深井さんは、ピルグリム・ファーザーズにとって信仰を守れないことは地獄に落ちることを意味し、現世の暮らしよりも重大だったと説明します。
ネクストステージの方が優位なんですよ、彼らの感覚は。そっちの方が大事。
ピルグリム・ファーザーズは1607年に移住を決意し、まずプロテスタントの国オランダに渡ります。しかし農民だったピルグリム・ファーザーズには、酪農が盛んなオランダでできる仕事があまりなく、言語の壁も大きかったといいます。
樋口さんは、子どもたちが英語を話せなくなると信仰を継承できなくなる、という危機もあったと補足します。イングランドにいれば信仰が守れず、オランダにいればイングランド人として暮らせない。その両方を守るために、ピルグリム・ファーザーズは命がけで新大陸を目指しました。
樋口さんによれば、たとえ名ばかりでもイギリス国王の臣民を名乗ることには、新天地で生き延びるための基盤を示す意味もあったといいます。
一方で、同じ1607年には、すでに新大陸のバージニアへの入植が始まっていました。バージニアは企業が営利目的で主導した入植だったため、渡った人のほとんどが男性でした。
これに対してピルグリム・ファーザーズは、女性や子どもを連れて家族で移住しました。深井さんは、このバージニアとプリマスの違いがのちに文化の分岐につながり、アメリカのベースはピルグリム・ファーザーズ的なほうだと話します。
メイフラワー号でプリマスに渡ったのは約120人でした。深井さんは、この規模の人々が170年ほどかけて増え、建国に至ったと説明します。ただし、ほかにもさまざまな場所に入植した人々がいたとも補足しています。
よそ者と生きるための「メイフラワー契約」
ピルグリム・ファーザーズだけでは、新大陸での生活は成り立ちませんでした。大工や医者、牧師など必要な職業をすべて信者でまかなうことはできず、信仰の違う人やイギリス国教会の人など、いわゆるよそ者も一緒に連れて行ったためです。
よそ者と共存するために結ばれたのがメイフラワー契約 ── 1620年、メイフラワー号の船上で入植者たちが結んだ誓約。自治の政治体をつくり、定めた法に従うことを約束しましたです。神の御前で互いに契約を結び、市民政治体を形成して、共同の秩序と安全のために法律と公職に従うことが取り決められました。
深井さんは、メイフラワー契約の発想そのものが聖書のアナロジーだと指摘します。旧約聖書ではイスラエルの民と神が契約を結び、新約聖書ではイエスの贖罪のもとで全人類と神の新しい契約が結ばれます。
この契約の思考っていうのがもうめちゃくちゃ彼らに浸透してるから、この思考フレームワークを使って、俺らも神の御前において契約しようねっていうんです。
樋口さんは、生活環境が厳しい新大陸では分裂するより集団で固まったほうが生存率が高く、仲間割れを防ぐことも契約の背景にあったと補足します。
深井さんによると、ピルグリム・ファーザーズは宗教的権威も世俗的権威もない場所で、よそ者も含めた社会を一から作らなければなりませんでした。お手本がないなかで、ピルグリム・ファーザーズが自然と思いついたのが聖書をまねることでした。
ビジネスパーソンに何させてもビジネス思考使うじゃん。
深井さんは、自分の思考をメタ認知しない限り人は同じ思考回路から逃れられないと話します。そのうえで、メイフラワー契約は政治的な空白地帯に新しい秩序を作った、非常にクリエイティブな試みだったと評価しています。
ネイティブアメリカンがいても「空白」に見えた理由
新大陸にはネイティブアメリカンが暮らしていました。それでもピルグリム・ファーザーズが新大陸を空白地帯とみなせたのは、そこに教会権威がなかったからだと深井さんは説明します。
教会権威のない土地なら、ピューリタンとして、そしてイングランド人として生きていける。ピルグリム・ファーザーズにとってはその状態こそが「空白」であり、だからこそネイティブアメリカンを無視できた、という見方です。
(ネイティブアメリカンが)人がいないのと同等に見えてるんですね。
深井さんは、この契約の考え方が、多くの移民を統合する多言語国家アメリカの原形そのものだと話します。空白とみなした土地に新しい秩序を作り、その秩序を相互の合意による契約で成り立たせる。その契約が聖書のアナロジーになっている点が、アメリカ的だといいます。
深井さんによれば、過去を共有できない人々が契約にもとづいて同じ未来を見ようとする意志は、分断と常に表裏一体です。この感覚は個人間、組織間、州、連邦のすべてに効いているといいます。
樋口さんは、日本で言えば地元が同じだという感覚の強さが近いのではないかと、幼なじみとの関係を例に挙げます。深井さんは、要は説明しなくても通じるかどうか、つまりコンテクストの共有度合いの違いだと応じます。
さらに深井さんは、聖書のアナロジーから生まれた契約には、単なる機能的な取り決めとは違う聖性があると指摘します。その聖性は連邦を作るときにも引き継がれ、連邦は一種の聖性を帯びたものになったといいます。
プリマスとニューイングランド、2つの植民地の作り方
メイフラワー契約のもとで成立したのがプリマス植民地です。当初は総督と2名の参議がまとめ役でしたが、のちには成人男性のほぼ全員が総会に参加して市政にあたる、直接民主制に近い形がとられました。
深井さんが重要だと強調するのは、プリマス植民地が植民地議会への参加資格を教会員であることにしなかった点です。同じクリスチャンなら派閥が違っても参加でき、深井さんはこれをイギリス本国やヨーロッパでは絶対に起こらない革命的なことだと話します。
一方で、同じ新大陸には宗教的な限定をはっきり設けた植民地群もありました。ニューイングランド方式と呼ばれる植民地では、教会員であることが当然の前提とされ、本国のやり方を踏襲していました。
深井さんによれば、ニューイングランド方式の植民地は、クエーカー教徒やバプテストなどの少数派を迫害しながら、世俗でも宗教でも中央集権的な仕組みを作りました。迫害されて渡ってきた人々がマジョリティになると同じ構造を繰り返した例だといいます。
教会員であることを議会の参加資格にせず、派閥の違うクリスチャンも受け入れた
教会員であることを前提とし、少数派を迫害して中央集権的な仕組みを作った
植民地に共通する特徴として、深井さんは入植直後から教育が重視されたことを挙げます。識字率が非常に高かったため、のちにトマス・ペインのパンフレットがよく売れる現象にもつながったといいます。
植民地では生活がまともに整わないうちから大学が作られました。牧師という宗教的エリートがいなければ信仰を維持できないからです。1636年にはハーバード大学が創設されます。
ハーバード大学とかイェール大学とかプリンストン大学って結構早い段階で作られてるんですよ。全部牧師養成学校なんです、もともと。
深井さんによると、これらの大学は当初からリベラルアーツを重視していました。求められていたのは研究室にこもる人ではなく、人に信仰を伝えられる牧師であり、スピーキングスキルが非常に大切だったためです。
中央集権の内側から生まれた「違うだろ」の声
深井さんは、中央集権的な仕組みの中からでも自浄作用が働く点を、西洋近代以降のリスペクトできる部分だと話します。その例として挙げたのがロジャー・ウィリアムズ ── 17世紀のイングランド出身の牧師。マサチューセッツから追放されたのち、政教分離と信教の自由を掲げてプロビデンスを開きましたです。
ロジャー・ウィリアムズはロンドンに生まれ、ケンブリッジ大学を卒業して国教会の牧師になりました。1630年にニューイングランドに渡り、ボストンの教会に招かれますが、その教会の中央集権的なあり方に反対します。
ロジャー・ウィリアムズは新しい植民地としてプロビデンスを作りました。プロビデンスは現在もロードアイランド州にある街で、信教の自由を掲げていました。
これはだから1600年代だから超早いよ。信教の自由とか言って街作ってんすよ。
深井さんによれば、ニューイングランドでは多数派が中央集権型を作ったものの、次第にプリマス型へと移っていきます。もともと多くの住民がピューリタンで、教会権力を否定する感覚をずっと持っていたためだと考えられます。
(ニューイングランドは)国の作り方わかんねえから模倣しちゃって、同じようなの作ったけど、やっぱ違うなってなったってことよね。
退屈な説教と、話のうまい牧師の登場
ニューイングランドの変化は、1700年代初頭ごろから具体的に始まります。ヨーロッパと違い、アメリカでは教会と世俗の権力が強く結びついていなかったため、教会は人々に何かを提供しなければなりませんでした。
ところが、プロテスタントの教会にはカトリックのような荘厳な建物はありません。教会は精神的な欲求に応える必要がありましたが、牧師資格を持つエリートたちの話がつまらない、という現象が起きていたといいます。
樋口さんは、国土が広く人口密度が低いアメリカでは人と出会う機会が少なく、孤独を癒すうえで信仰が欠かせなかったと補足します。深井さんも、現在のアメリカでも家と家の間が広く、夜の娯楽がほとんどないと、自身の体験を交えて語ります。
ほんと俺、アメリカ行った時結構びっくりしたんだけど、どうやってみんな生きてんだろうって思うぐらい娯楽ないんですよ。
入植から時間が経ち、生活に少し余裕が出てくると、人々の間に満たされない感覚が溜まっていきました。そこに登場したのが、エリート中間層くらいの、話が非常にうまい牧師たちです。
その代表例が、ソロモン・ストッダードやジョナサン・エドワーズ ── 18世紀アメリカの神学者・牧師。大覚醒と呼ばれる信仰復興運動の中心人物の一人で、のちにプリンストン大学の学長も務めましたです。深井さんは、エドワーズが学んだイェール大学は当時できたばかりで、それほどエリートの学校ではなかったのだろうと話します。
エドワーズは1734年ごろ、ノーサンプトンという町で説教を行い、半年のうちに300人が神の声を聞くような不思議な体験をしたといいます。町の風紀は改まり、教会は神の恵みを求める人々で溢れかえりました。
1741年には隣町のエンフィールドで「怒れる神の手の内にある罪人」という説教を行います。アメリカ史で最もよく知られる説教の一つで、昨晩眠ったあと地獄に落ちずに目覚められたのは何の理由もなく、ただ神の手が支えていたからにすぎない、と語りかける内容でした。
聴衆はこの説教を聞いて泣き、震え、説教壇に駆け寄って救われるために何をすればよいかを尋ねたといいます。深井さんは、脅しているように聞こえる説教は、実は神の愛を語っているのだと解説します。
やっぱ大事なのはバカにしちゃダメなんですよ。なんで?とは思うでしょうけど、バカにしちゃダメで、これが理解できるように勉強するとかがやっぱ勉強なんですよね。
言葉がわからなくても感動させたホイットフィールドの話術
次に紹介されるのが、演説が最もうまかったと言われるジョージ・ホイットフィールド ── 18世紀イギリス出身の説教者。大西洋の両岸を巡回して野外で説教し、大覚醒を広げた人物として知られますです。ホイットフィールドはエドワーズの本に感銘を受けてイギリスから渡り、ニューイングランドから南部まで精力的に巡回して魂の救済を呼びかけました。
深井さんは、演説のうまさを重んじる点は非常にアメリカ的で、現代のアメリカ大統領にも通じると話します。ホイットフィールドは、同じ言葉を繰り返しながら語調を変え、一回ごとに聴衆の感動を高められたといいます。その言葉は「メソポタミア」だったと伝えられています。
メソポタミア、メソポタミア、メソポタミアみたいな感じですか?
ほかにも、英語をまったく理解できない移住直後のドイツ人女性が、ホイットフィールドの演説を聞いて「人生でこれほど啓発されたことはありません」と叫んだという逸話が紹介されます。樋口さんは、歌詞がわからない英語の曲でも心に響くことがあると、音楽にたとえて理解を示します。
ベンジャミン・フランクリン ── アメリカ建国の父の一人。印刷業者、著述家、科学者、外交官として幅広く活躍しましたも、はじめはホイットフィールドの演説に懐疑的でした。しかし聞いているうちに気持ちが高揚し、最終的に多額の寄付をしたといいます。
こうした巡回牧師の流行は、教会権力が強くなれないことと表裏一体でした。巡回牧師たちは、出身国によって分かれていたプロテスタントの教派の壁を取り払い、植民地全体を一つのコミュニティとしてまとめるほどの力を持ったといいます。
深井さんは、巡回牧師への熱狂の根底には、自立心の強い人々が権力の集中を嫌う感覚があったと話します。集中した権力を持つのはたいていインテリであるため、結果としてインテリに反感が向かうという見方です。
深井さんは、この感覚を反知性主義 ── 知的権威やエリートへの反発を指す言葉。アメリカでは、権力と結びついた知性への異議申し立てという文脈で論じられることが多い概念ですと呼び、次回さらに詳しく説明すると予告します。巡回牧師の話術によって黒人奴隷の中からもキリスト教に帰依する人が現れ、黒人教会の流れはのちのキング牧師にもつながっていくといいます。
信仰復興で横につながり、芽生えた「アメリカ」の自覚
収録が1時間を超えたため、深井さんはこの回の話をここで区切り、最後に押さえてほしいポイントをまとめます。権威的な仕組みで作られた植民地でも、巡回牧師の流行によって権力が無効化されていきました。
この現象は信仰復興と呼ばれ、プロテスタント的な信仰が戻ってきた出来事でした。深井さんが特に重要だと話すのは、信仰復興によってアメリカの植民地が初めて横につながったことです。
退屈な説教
エリート牧師の話が人々の精神的な欲求を満たせない
巡回牧師の熱狂
非エリートの話のうまい牧師が各地を回り、人々を熱狂させる
植民地が横につながる
教派の壁を越え、反権力的な信仰感覚で植民地がまとまる
アメリカの自覚
本国とは違う「俺ららしさ」を意識する
本国イギリスでは、非エリートの牧師が話して人々が熱狂する現象は起きていませんでした。植民地の人々はその違いを共有したことで、初めて自分たちはイギリス的ではないと意識したと深井さんは説明します。
この現象を共有してるのって植民地だけだよねっつって、植民地がまとまったんです。
自分っぽくなさを理解した時に、自分っぽさも同時に理解できる。
深井さんは、この出発点がアメリカ人の精神性を理解するうえで非常に大切だと話します。次回は、この回の続編として内容をさらにまとめて詳しく語る予定です。
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まとめ
この回では、アメリカの建国を担った人々が、キリスト教の思考フレームワークを使って新しい社会を組み立てていった過程が語られました。メイフラワー契約による包摂から、巡回牧師がもたらした信仰復興まで、宗教の枠組みがアメリカの契約・分断・反権力の感覚の源になっていることが見えてきます。
- アメリカは宗教大国であり、神を信じる人が減っても、国の仕組みには宗教由来の思考フレームワークが残ると深井さんは指摘しています
- 共通の過去を持たない移民の国アメリカは、共通の未来を描いてまとまり、同じ未来を見られなければ分断しやすいとされています
- よそ者と共存するために結ばれたメイフラワー契約は聖書の契約のアナロジーであり、アメリカ的な民主主義の原形とされています
- 教会権力を嫌う感覚から話のうまい巡回牧師が支持され、信仰復興によって植民地が初めて横につながりました
- 本国とは違う信仰の熱狂を共有したことが、「アメリカ」という自覚が芽生えるきっかけになったと語られています






