後には引けない規格争い、勝った方が全部を支配する
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今回はニコラ・テスラ編の第7回です。エジソン率いる直流派と、ニコラ・テスラのいる交流派が、どちらの規格で社会が動くかを争っている状況が舞台になります。
楊さんは、規格争いの厳しさを強調します。すでに社会実装され莫大な投資がされている以上、個人が交流のほうがいいと思っても後には引けない、と説明します。
こういうのって、いわゆるネットワーク効果みたいなのが働いて、勝った方が全部支配しちゃうみたいな世界になるから、負けた方が完全に駆逐されるみたいな。
相手が完全に負けるよう消滅させないといけないぐらいのマインドでやるのが規格争い。
一人で交流システムを丸ごと設計したテスラ
この回では時間はあまり進まず、テスラが自分の会社で交流モーター事業に取り組む場面が中心になります。彼がやったことは主に2つだと楊さんは整理します。
1つはモーター単体の完成度を上げること。もう1つは、発電機や変圧器など、交流システムのためのあらゆる技術と装置を一から設計し直すことでした。
これってものすごいこと言ってますけど、テスラのチーム(研究チーム)って何人ぐらいいるんですかね?
いや、もうほぼワンマンアーミーですよ。
テスラは交流配電システムの基本特許など、いくつもの特許を取得します。実物はまだなくても、こうすれば交流システムができるという理論上の青写真を一人で完成させた、と楊さんは語ります。
変圧できるから遠くまで届く、交流システムの強み
楊さんは、テスラの交流システムがエジソンの直流システムより優れていた点を説明します。まず大きいのが変圧ができることです。
圧力を変えられれば長距離送電ができます。大規模な産業プラントから各家庭の小さな需要まで、電圧を変えて一貫して対応できるようになります。
ニーズに合わせて電圧を変えれる、そして遠くまで送れる。
送電の効率も高く、同じ量の電線でエジソンのシステムの何千倍もの電気エネルギーを運べたといいます。電線網の投資コストが大きく下がる点も強みでした。
これにより、大きな川や滝の近くに発電所を作り、遠くの都会や工場、家庭まで電気を届けられるようになります。これが今日の発電・送電・配電システムの基本スタイルで、この時テスラの頭の中でできたものだと楊さんは述べます。
変圧が難しく長距離送電に不向き。すでに社会実装され投資も進んでいた
変圧できて長距離送電が可能。需要規模に合わせて電圧を変えられ、送電効率も高い
二相から三相へ、多相交流の設計者
ここからは理系寄りの話になります。テスラが作ったのは、2本の交流を位相をずらして使う二相交流モーターでした。
ただ彼は二相にとどまらず、単相・三相を含む多相交流の実証も行います。位相の異なる交流の本数のバリエーションを試し、最適解のシステム設計を探して理論を組み立てていきました。
実際、テスラの後には三相交流が実用的な最適解として世界のスタンダードになっていきます。三相交流は同じ電力を送る場合、二相より電線の太さや本数が少なくて済むという優位性があると楊さんは説明します。
楊さんは補足として、三相交流を世界標準に押し上げた直接の功労者は別の人物だという見方も紹介します。ロシア出身の研究者ドリヴォ・ドブロヴォルスキーが、三相交流発電機を実際に開発した人物だといいます。
テスラは多相交流のシステムを理論設計した一方、ものとして三相交流モーターと発電機を作ったのはこの研究者だ、という整理です。ただ、その三相システムはテスラの特許にすでに含まれていた、とする見解もあります。
この辺がだから誰の手柄かみたいなものが明確には決めづらいですよね。
研究者の立場とか、研究者の国籍によっても違いますよね。自分の国籍の発明家とか科学者を推したいので。
講演デビューでスターに、伝説になった一夜
テスラの特許は全米の電気工学者に知れ渡ります。交流システムの理論を誰かが特許を取ったらしい、それがニコラ・テスラらしい、と話題になりました。
当時のアメリカ電気工学者協会は、この未来のスターを講演に招こうとします。しかしテスラはモーターと多相交流システムの完成に体力とメンタルを注いでおり、疲労困憊で講演どころではありませんでした。
それでも強く説得され、テスラはニューヨークの講演会に行きます。会場には多くの人が集まりました。講演の冒頭で、テスラは交流の未来についてこう語ったといいます。
私は交流電流を直ちに送電に応用することによって、直流では実現しえない成果を達成しうることを示す自信があります。
テスラは自分の交流理論と応用を、簡潔に過不足なく論じたそうです。楊さんは、今の世界中の電力システムのほとんどが、この時述べられた理論に基づくと言っても過言ではない、と本の記述を紹介します。
講演のテーマは「交流モーターと変圧器による新システム」でした。参加した一人の博士は、次のような言葉を残しています。
ファラデーの研究が発表されて以来、偉大な発明がこれほど明確に語られたことはない。後継者がなすべきことは何も残っていない。
この日をもって、テスラは電気工学会のスターになった、と楊さんは語ります。めんどうだと思いながら出た講演が、結果的に大きな転機になりました。
採用に尻込みする市場と、待ち望んだウェスティングハウス
交流システムは理論としては完成しました。残った最後の問題が、資本主義との接続、つまり商業化です。
ところがいざ商業化の段階になると、電力事業者や投資家は尻込みします。すでに直流が社会実装されており、それをリプレースするには勇気と大きなコストがかかるからです。
全部(直流のシステムを)壊してから新しいの作ったらいいじゃないですか。一回データベースをバンって消してゼロから作ったらいいじゃないですか。
それエジソンにめっちゃ怒られるやつ。
ここでテスラの強力なパートナーとして登場するのが、ジョージ・ウェスティングハウスです。テスラが講演で述べた理論は、彼がちょうど待ち望んでいたものでした。
ウェスティングハウスは、アメリカ全土に電気を送れるシステムを望んでいました。しかも、ナイアガラの滝から力を引き出したいという、テスラと同じ夢を持っていた、と楊さんは語ります。
意気投合した2人、契約が電気の未来を変える
ウェスティングハウスは、テスラの講演から1ヶ月で、自社でテスラのシステムを正式採用すると決めます。楊さんはこの経営判断の勢いに触れます。
そしてテスラの研究所を訪ね、2人は意気投合します。エネルギーへのビジョンも、ファッションの趣味まで一致したといいます。
研究所には見たこともないような機械が並び、滑らかに回る交流モーターにウェスティングハウスは食い入るように見入りました。技術屋である彼には、これが社会をどう変えるかがはっきり見えていた、と楊さんは語ります。
ウェスティングハウスはテスラモーター1馬力いくらという高額な契約を結びます。以降、2人はパートナーとして、テスラの特許に含まれる交流システムを実用化・商業化していく流れになりました。
樋口さんは、歴史を変えた場面には財政的に支える理解者がいる、とマルクスを支えたエンゲルスを引き合いに出します。楊さんは、ウェスティングハウス自身が発明家で技術者であり、話がわかる相手だった点を重ねます。
動物実験に電気椅子、エジソンのなりふり構わぬネガキャン
テスラとウェスティングハウスの提携で、交流と直流の電流戦争はさらに激しくなります。エジソンは交流は危ないというネガティブキャンペーンを繰り広げます。
その一つが動物実験でした。新聞記者を招き、野良犬や野良猫を交流の発電機につないだブリキの板で感電死させて見せたといいます。楊さんは非常に残酷な話だと断りを入れます。
楊さんは、これは科学的なデモではないと指摘します。直流でも感電死は起こり得るため、完全にイメージ戦略だという整理です。
ちょっとエグいな。なりふり構わない感じ。
もう一つが電気椅子でした。当時ニューヨーク州で新しい死刑の手段として電気椅子が採用されようとしており、エジソンはそこにウェスティングハウスの交流発電機を使わせるよう政府に働きかけたといいます。
交流は死刑にも使われるほど危険だと印象づけるためでした。交流は「殺し屋の電流」と呼ばれたり、交流で処刑することを「ウェスティングハウスする」という言葉で表現させたりした、という話も残っていると楊さんは紹介します。
楊さんは、これを倫理崩壊と見ることもできるが、投資家や社員への責任を背負う経営者として本気だった、とも捉えられると語ります。共感はしないが理解はできる、という距離感を示します。
どんなことが言われようとも、どんなに非合理的なことでも、徹底的に潰しに来るという挙動を彼(エジソン)はやった。
自らに100万ボルト、電気の魔術師の過激なデモ
テスラも反撃します。不当な攻撃に対し、彼は自分自身に100万ボルトの電流を流すという過激なデモを行いました。
テスラは高周波・高電圧を出せるテスラコイルを作り、100万ボルトの電流を自分の体内に通してみせます。
え?え?意味わかんないでしょ。
これは電気の特質を理解した上でのデモでした。高周波の交流電気は体の内部まで浸透せず、表面近くだけを流れて筋肉や心臓、神経に干渉しにくいといいます。
テスラはこの性質を分かっていたため、あえて高電圧を身に流して無事な姿を見せました。楊さんはこれをピカチュウのようだと表現します。電気を自由自在に扱うことから、テスラは電気の魔術師と呼ばれるようになりました。
(テスラは)命かけてますわ。
命かけてますよ。だって普通に感電死してもおかしくないと思いますけど。
世界初の交流家電は売れなかった、早すぎた2人
泥仕合を続けながらも、テスラとウェスティングハウスは一緒に仕事を進めます。最終目標は交流ベースの電線網を全米に広げることでしたが、まずは小さいところから結果を出そうとしました。
2人が作ったのは扇風機でした。研究者によれば、おそらく世界で最初の交流を使った家庭用電化製品で、テスラの誘導モーターを動力にした革命的な発明だったといいます。ただ、売れませんでした。
当時は電気を家庭に受け入れる素地がまだできていなかった、と楊さんは説明します。産業用では電気が使われていても、家庭では電球ぐらいで、価格も高く、扇風機には代替できるものが多くありました。
テスラの誘導モーターを使った扇風機や洗濯機が普及し始めるのは、それから30年余り経った第一次世界大戦の後でした。イノベーションが広まるまでのタイムラグの大きさが語られます。
ちょっとタイムラグがあったっていう風にも言えるし、その時代を先取りしすぎた2人というふうにも言えますよね。
樋口さんは、携帯電話や電気自動車を例に、技術がイノベーターからアーリーマジョリティーへ広がるまで時間がかかることや、インフラが整っていないと使えない事情に触れます。
契約書を破り捨てたテスラ、義理人情のドラマ
ここでウェスティングハウスの会社に事件が起きます。事業拡大と不況で財政が圧迫され、他の企業に買収され、企業再編のフェーズに入りました。
この時の投資顧問が、ウェスティングハウスにテスラとの特許使用料契約の破棄を要求します。テスラに支払われる特許料が企業再建の重荷になっていたためでした。
ウェスティングハウスは板挟みになります。要求を飲めば尊敬する友人テスラに大きな損を与える一方、経営者として会社も守らねばなりません。彼はテスラのもとを訪ね、会社の状況をすべて開示します。
テスラ、君の返事次第でウェスティングハウス社の運命が決まります。
テスラは、自分が契約を諦めればウェスティングハウスは会社を守り、多相システムを世界に広める計画に邁進できる、という状況を確認します。これに対しウェスティングハウスはこう答えました。
私は君の多相システムこそ、電気の世界における最大の発見だと信じています。
たとえ何があっても、私はこの国を交流の基礎の上に据える計画を継続するつもりだ。
テスラはこれに応え、他の誰もが信用しなかった時に自分を信じ、勇敢に100万ドルを払ってくれたのはウェスティングハウスだと語ります。そして、多相システムから生まれる文明社会の利益は金銭以上の意味を持つと述べました。
テスラは、ここに双方の契約書があると言い、これを両方とも破りますと告げて、その場で契約書を破り捨てたといいます。特許料に悩まされなくなるように、という判断でした。
この契約は正式なもので、裁判に持ち込めばテスラは間違いなく勝てました。それでもテスラは、ウェスティングハウスが会社を失えば元も子もないと考えたのです。ウェスティングハウスは感動して言葉もなかったといいます。
交流システムの社会実装と、テスラが払った代償
その後、ウェスティングハウスは交流システムの普及を進めます。テスラの技術を無償で使えるようになり、財政危機を乗り越えたと考えられます。
樋口さんと楊さんは、この場面が時代の転換点だと語り合います。もしウェスティングハウスが潰れていれば、交流の社会実装が遅れたり、直流システムが独自に発展した世界線もあり得た、と想像します。
本当にワンチャンその直流システムが独自の発展を遂げ、今世の中全部直流システムの基盤の上でできてる可能性もありますから。
一方で、この決断はテスラ本人に代償を残しました。契約破棄は、すでに発生した特許料だけでなく、その後に発生する全ての請求権の放棄でもあったからです。本来ならテスラは億万長者になれたはずでした。
テスラはその後も開発を続けますが、慢性的な資金不足に悩まされ、亡くなるまで金に困ります。世に出ないまま葬られた発明も多く、人生後半はものを作らず、頭の中と紙の上で理論設計を続けたといいます。
それでもテスラは、この件でウェスティングハウスを恨むことはなかったそうです。およそ50年後、おじいちゃんになったテスラはスピーチでこう語りました。
ジョージ・ウェスティングハウスは、偏見や財力との戦いに勝利して、私の交流システムを採用した地球上で唯一の人間です。
樋口さんは、契約を破ったことを全然後悔している感じがしないと述べます。楊さんは、金があれば好きな研究ができたのにと全く思わないとは考えにくい、と自分の想像だと断りつつ語ります。
次回はいよいよ最終回で、電流戦争の勝敗が決まる象徴的な出来事が語られる予定です。テスラとウェスティングハウスが乗り越えてきた歩みの結末が示されます。
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まとめ
この回は、テスラが交流システムを理論として一人で完成させ、講演でスターになり、契約書を破ってまで交流の未来を選ぶまでを描いています。技術の卓越さと、規格争いの激しさ、そして義理人情のドラマが重なった一夜のような回でした。
- テスラは交流モーターだけでなく、発電機や変圧器を含む交流システム全体を一人で設計し、特許まで取得した
- 変圧による長距離送電と高い送電効率が、今日の発電・送電・配電システムの基本スタイルになった
- ニューヨークでの講演でテスラは電気工学界のスターとなり、ウェスティングハウスという強力なパートナーを得た
- 規格争いは激化し、エジソンは動物実験や電気椅子でのネガキャン、テスラは自らに100万ボルトを流すデモで応酬した
- テスラは会社危機のウェスティングハウスのため特許料契約を破棄し、交流の普及を優先した一方で、生涯の資金不足という代償を負った





