敗戦国カルタゴは、なぜ再び繁栄できたのか
第二次ポエニ戦争に敗れたカルタゴは、その後、経済再建によって目覚ましい復興を遂げます。深井さんは、ハンニバルが進めた財政改革も影響しているのではないかと話しています。
カルタゴは敗戦でイベリア半島を銀山ごと失い、海軍も禁止されていました。それでも貿易都市としてのカルタゴは、ギリシアやローマ、ローマの同盟都市と広く交易し、富を蓄えていきます。
収入源を何個か失ったんだが、普通にメイン事業でちゃんと栄えるっていうね。
戦後10年目には、カルタゴは50年分割で課された莫大な賠償金を払える状態になっていました。カルタゴがローマに一括返済を申し出ると、ローマはこれを断ったといいます。
深井さんは、ローマの拒否について、賠償金を通じた力関係を維持したかったのではないかと推測しています。
カルタゴの都市の姿も語られます。商船用と軍船用の2つの港が行き来できる形でつながり、入り口は鉄の鎖で封鎖でき、軍港には320隻の船が収容できたとされます。
商業だけでなく、金銀細工や鉄鋼の金属加工、陶器、毛織物、染色といった工業も盛んでした。6階建ての建物が軒を連ね、人口は少なくとも10万、おそらく25万人ほどいたと推察されています。
うちのマンションより高いな。紀元前のくせに。
勝ちすぎたローマが戦争をやめられない理由
一方のローマは、第二次ポエニ戦争に勝って地中海の覇権を握り、その後数十年でマケドニア王国やシリア王国も破ります。かつて「若い共和国」と呼ばれたローマは、並ぶもののない超大国になっていました。
同じ頃、カルタゴと国境を接するヌミディア ── 北アフリカ、現在のアルジェリア周辺にあった王国。騎兵が強く、第二次ポエニ戦争ではローマ側について戦いましたとの関係は、ずっと険悪なままでした。深井さんはその理由を、ヌミディア王マシニッサが長く生き続けたことに求めています。
マシニッサはね、90歳ぐらいまで生きます。
ずっとカルタゴが嫌いです。ずっとカルタゴと仲が悪いんですよね。これが第三次ポエニ戦争につながっていくんですよ。
超大国になったローマは、それでも軍事行動を止めませんでした。深井さんによれば、ローマの貴族層は軍事的栄光で評価され、凱旋式を執り行うことが栄誉だったからです。
強い敵がいなくなったローマは、一度降伏した国をもう一度攻めるようになります。深井さんはこれを、国内の論理で戦争が利用されるモラルハザードだと表現しています。
覇権の獲得
カルタゴ、マケドニア、シリアを破り、並ぶもののない超大国になる
評価の仕組み
貴族は軍事的栄光と凱旋式で評価される
敵の不在
強い敵も反抗する国もいなくなる
再攻撃
一度降伏した国に言いがかりをつけて再び攻める。その対象にカルタゴも選ばれる
ちょっとなんか不穏だからもう一回潰そうみたいな。全然不穏じゃないのに。
「カルタゴ絶対滅ぼすマン」カトーの登場
紀元前150年代、ローマの使節団がカルタゴ市を訪れます。本来の目的は、カルタゴとマシニッサの間で激しくなっていた領土紛争の調停でした。その使節団の中にカトー ── 大カトーと呼ばれるローマの政治家。質実剛健を重んじ、ギリシア文化の流入や贅沢を強く批判したことでも知られますがいました。
深井さんによれば、カトーは英雄スキピオを汚職問題で追い落とした政敵です。スキピオは失意のうちに引きこもり、亡くなったと前回までに語られていました。
カトーが見たカルタゴは、戦争から半世紀も経たないうちに国力も人口も増大していました。カトーは「いつかまた必ずローマの敵になる」と考え、反カルタゴキャンペーンを始めます。
カトーは演説のたびに、最後を「カルタゴは滅ぼさなければならない」という言葉で締めくくったことで有名になりました。
深井さんは、カトーがここまでしつこく繰り返したのは、カルタゴをそのままにしておこうという反対派がまだ多かったからかもしれない、と想像しています。
やがてローマ元老院も、大きくなったカルタゴがまた自分たちを脅かすかもしれないとして、早めに手をつけるという合意を固めていったといいます。
90歳近いマシニッサの出陣と、ローマの不穏な徴兵
開戦に向けて、ローマは策略を進めます。カルタゴは勝手に戦争することを禁じられていましたが、ローマは裏からマシニッサを動かし、カルタゴにちょっかいを出させて開戦に持ち込みます。
同じ人間が生きてんだよ、半世紀後に。
このとき88歳だったマシニッサは、裸馬にまたがって自ら指揮を執ったとされます。カルタゴ軍は全軍5万8000人を擁しながら、ヌミディアに敗れてしまいました。
カルタゴの敗戦を知ったローマは、勝手に戦争したことを口実に全イタリアから徴兵を始めます。目的は言わず「緊急事態に備えている」と説明していたといいます。
焦ったカルタゴは、賠償金の増額か、マシニッサとの係争地の譲渡を申し出て、どうすればよいのかをローマに尋ねます。ローマの返事は、具体的な条件を示さないものでした。
(ローマは)カルタゴ人はよくわかっているはずだよねって話しか言わないんですよ。
怖いわ、もうめちゃくちゃ怖え。
不安になったカルタゴでは同盟都市の離反も起こります。その間にもローマ元老院は粛々と対カルタゴ戦争を決議し、大艦隊と8万の歩兵、4000の騎兵を集めて宣戦布告しました。
人質、武器、そして都市。際限なく続く要求
宣戦布告を受けたカルタゴは使節を送り、許しを請います。するとローマは初めて具体的な条件を示しました。30日以内に最も高貴な家柄の子供300人を人質として差し出せば、カルタゴの自由と自治、アフリカの土地の保持を認めるというものです。
カルタゴは子供たちを引き渡します。貴族の母親たちはロープを切ったり水夫にしがみついたりして船の出港を阻もうとしましたが、無駄だったといいます。
母親たちは「条件も確定していないのに子供を渡すのは、都市そのものを敵に渡すのと同じだ」と抗議しました。深井さんは、この後まさにその通りになっていくと話しています。
人質を受け取ったローマは、戦争終結の条件はアフリカ上陸後に伝えると告げます。上陸後、カルタゴが歴史ある都市への情けを求めると、今度は武器を全て渡すよう命じられました。
怖い怖い。20万人分の武器を渡せと。で、それをね、本当に渡したそうです。
武器を渡したカルタゴに告げられた次の要求は、カルタゴ市そのものを明け渡し、海から15キロ以上離れた場所へ移れ、というものでした。
カルタゴは海沿いだからこそ国家として発展してきた都市です。カルタゴ側が「自由と自治を保障すると言ったではないか」と訴えると、ローマ人は海が悪いのだと答えたといいます。
海が悪いよねと。海がお前たちに罪を犯させるよね。だから離れたらいいじゃんっていう話をする。
深井さんはこの理屈を、海から離れるしか生きる術はないと突きつける「ギャングスタイル」だと評しています。内陸で農業でもして静かに暮らせ、というのがローマの言い分でした。
武器も船もない都市が選んだ徹底抗戦
ローマに使節さえ拒まれるようになると、カルタゴ市民の感情は爆発します。人質の引き渡しを進めた議員を八つ裂きにする者や、悪い知らせを持ち帰った使節に石を投げる者が現れ、大混乱に陥りました。
市民は武器庫へ行っては空っぽで泣き、ドックへ行っては船がなくて泣いた、と深井さんは語ります。
この混乱の中で、カルタゴ元老院はローマに宣戦布告し、将軍ハスドルバル ── カルタゴでよく見られる男性名。ハンニバルの兄弟や義兄など同名の人物が多く、この回の将軍は深井さんいわく4人目か5人目のハスドルバルですに戦いを委ねます。30日間の休戦の申し出も拒まれ、市民は都市を捨てるくらいなら死ぬまで戦うと決意しました。
武器を失っていたカルタゴは、神殿を含むあらゆる建物を作業場に変え、市民総出で昼夜交代で武器を作りました。投石機や弩の弦の材料がなく、女性たちが長い髪を切って弦にしたといいます。
ここから3年間持ちこたえます、カルタゴは。
8万を超えるローマ軍に包囲されながら、カルタゴ軍は風向きを計算して火を放ったボートでローマ艦隊を焼くなど、あらゆる工夫で抵抗します。市内は掃除をする人もいないほど、全員で戦い続けていたことが発掘からもうかがえるそうです。
スキピオ家の再登場と兵糧攻め
予想外の抵抗でローマのアフリカ遠征は何年も停滞します。そこでコンスル選挙で選ばれたのが、スキピオ家の人物でした。名前は大スキピオと同じで、血のつながらない養子の子孫です。
深井さんによれば、この人物はまだコンスル候補になるほどの功績を持っていませんでした。それでも「カルタゴにはスキピオ」という縁起担ぎのような期待を背負って選ばれたといいます。
スキピオが選んだ手段は兵糧攻めでした。カルタゴの街を完全に囲み、陸からの食料を断ちます。包囲網をくぐって高値で物資を売る冒険商人くらいしか補給がなくなり、カルタゴは飢餓状態に陥りました。
スキピオは残された海の道も工事で封鎖しようとします。対抗するカルタゴは、子供まで動員して秘密裏に三段櫂船と五段櫂船を50隻作り上げました。
(50隻の船は)多分木材とかもまともになかったと思うんだけど、まあいろんなものを壊して作ったんでしょうね、家とかを。
攻城兵器で攻めるローマに対し、カルタゴの決死隊は夜中に海を泳いで渡り、夜襲をかけるなど、総力戦が続きました。
6昼夜の市街戦と、地上から消えた都市
紀元前147年の夏の終わりから冬にかけて、カルタゴにとって最後の望みだった補給隊が殲滅されます。飢えと絶え間ない攻撃の中、ついにローマ軍が城壁を破って市内に侵入しました。
6階建ての建物が密集する市内で、激しい市街戦が展開されます。ローマ軍は中に人がいるかどうかに関わらず家屋を倒し、火を放ち、老人も女性も子供も区別なく殺戮しました。
この惨状は突入から6昼夜続き、ローマ兵は交代制で休みなく破壊を進めたといいます。最後にエシュモン神殿へ逃げ込んだ5万人は奴隷として売られ、その倍以上の市民が市内で命を落としたと言われています。
ローマは目に見える建物を全て焼き払い、二度と農業ができないよう塩をまいたとされます。深井さんは、再生させないための呪いの儀式という意味もあったらしい、と諸説に触れています。火は17日間消えなかったそうです。
あの栄えたカルタゴがマジで1週間で地上から消滅してしまうっていうね。
その光景を前に、スキピオは涙を流してホメロスの詩「いずれ必ずやその日はやってくる」を歌ったといいます。深井さんは、自分でやっておいて泣いている真意はよくわからない、と率直に語っています。
なぜローマはカルタゴを完全に消したのか
樋口さんは、ローマがなぜここまで完璧にカルタゴを壊滅させる必要があったのかがわからない、と疑問を投げかけます。
深井さんの答えの第一は、ハンニバルへの恐怖の記憶です。第二次ポエニ戦争でローマは滅亡を本気で考えるほど追い込まれ、ようやくカルタゴを抑え込みました。そのカルタゴがたった50年で大きく発展したのを見て、ローマは強い恐怖を抱いたのだろうと話しています。
そこにカトーのカルタゴ脅威論が膨らみ、政治闘争を経て国の決定になっていきます。さらに、軍功と凱旋式を必要とする貴族にとって、言いがかりをつけてでも戦争をする動機がありました。
樋口さんは、それでも弱体化させて生かしておく選択肢はあったはずだと食い下がります。深井さんも、ローマは本来、壊滅させるのではなく服属させて属州にするタイプの国であり、カルタゴへの措置は異例だと認めています。
服属させ、属州化する
都市を焼き払い、住民を殺すか奴隷にし、地上から消滅させる
また第二、第三のハンニバルが出てきて、その時ローマが勝てるかどうかわからないわけじゃん、ローマからすると。
深井さんの整理では、第二のハンニバルを生まないためには海上貿易を奪う必要があり、それを拒んで徹底抗戦するなら殲滅する、という思考回路だったと考えられます。
恐怖の記憶
ハンニバルに滅亡寸前まで追い込まれた
急速な復興
50年足らずでカルタゴが再び繁栄する
海の剥奪
第二のハンニバルを防ぐため、海上貿易を奪おうとする
殲滅
カルタゴが徹底抗戦を選び、ローマは殲滅に踏み切る
だってカルタゴ滅ぼしてもハンニバルみたいな人どこで生まれるかわからないですからね。
ローマが受け継いだものと、カルタゴの為政者の甘さ
深井さんは、カルタゴのすべてが消えたわけではないと補足します。滅亡直後、ローマ元老院の命令で、カルタゴ人が書いた農業技術書がラテン語などに翻訳されています。文化や農業技術など、ローマが受け継いだものも少なくないといいます。
第一次ポエニ戦争の頃に地中海の覇者だったカルタゴは、約100年のうちに3度の戦争を経て、英雄ハンニバルを出しながらも完全に消滅しました。
この結末は、経済大国で軍事力を持たない国が弱腰外交で滅びた例として、日本とのアナロジーで語られることがあります。ただ深井さんは、状況が違いすぎるので安易にアナロジーにしない方がいいと慎重な姿勢を示しています。
そのうえで深井さんが指摘するのは、カルタゴ元老院のローマに対する考察の甘さです。ここで妥協したら次に何が起こるかを読めていなかったことが、カルタゴが滅んだ理由の1つだろうと話しています。
ローマが何をしようとしてきているか、この後ここで妥協したら何が起こるかの、その次の次を読んでなさすぎて。
また、国として一度再繁栄し、成功体験を重ねてきたことも影響したかもしれない、と深井さんは付け加えます。次回はハンニバル編の最終回として、消滅したカルタゴのその後が語られる予定です。
まとめ
第三次ポエニ戦争は、復興したカルタゴへのローマの恐怖と、戦争を必要とする貴族社会の論理が重なって起きた戦争でした。人質、武器、都市と要求を重ねたローマに対し、カルタゴは3年間抗戦しましたが、都市ごと地上から消されました。
- カルタゴは敗戦後も貿易都市として繁栄し、賠償金の一括返済を申し出るほど復興した
- 軍事的栄光で評価されるローマ貴族にとって、戦争は国内の論理で必要とされていた
- カトーの反カルタゴキャンペーンとマシニッサの存在が、開戦への流れをつくった
- ローマは人質・武器・都市と段階的に要求を重ね、海から離れることまで求めた
- 深井さんは、ハンニバルへの恐怖と、カルタゴ元老院の読みの甘さを滅亡の背景に挙げている





