カエサルを失ったクレオパトラは、なぜ弟を消したのか
前回までの話では、クレオパトラにとって最大の後ろ盾だったカエサルが暗殺されました。深井さんによると、カエサルを失ったクレオパトラがまずしたことは、ローマからアレクサンドリアへ逃げ帰ることでした。
ローマはクレオパトラをそれほど好意的に扱っておらず、残っていても危険があるかもしれないし、意味もありませんでした。そのためクレオパトラは、自分たちの本拠地であるアレクサンドリアに戻ったと深井さんは説明します。
アレクサンドリアに戻ったクレオパトラの前には、いくつかの課題がありました。最初の課題は、プトレマイオス朝 ── アレクサンドロス大王の死後、部下のプトレマイオスがエジプトに開いたギリシア系の王朝。クレオパトラ7世がその最後の実質的な君主となります内部の後継者問題です。
クレオパトラと共同統治していた弟であり夫でもあるプトレマイオス14世が、この時期に亡くなります。諸説あるものの、クレオパトラが毒殺したのではないかという説もあるそうです。
そもそもやはり自分の権力の基盤っていうのは非常に脆いという認識がまず前提としてありますよね。で、ローマからの支持だけがエジプトの統治を安泰にしてくれるわけです。
深井さんの説明では、クレオパトラの状況認識はこうです。統治を安定させてくれるのはローマの支持だけなのに、キーパーソンのカエサルはもういない。しかもカエサル亡き後のローマは内乱に向かっていて、先行きが見えませんでした。
一方で、弟のプトレマイオス14世はだんだん大人になり、クレオパトラには弟をコントロールし続ける確信が持てなくなっていました。以前のプトレマイオス13世のときのように、貴族や有力者が弟の取り巻きになって力を持つ事態も考えられました。
クレオパトラは。だったらもう早いうちに始末しちゃおうよみたいな。
怖え姉ちゃんだなぁ。弟であり夫である人間ですからね。14世はね。
後ろ盾の喪失
カエサルが亡くなり、ローマの支持が不安定になる
ローマの内乱
カエサル亡き後のローマは先行き不透明になる
弟の成長
プトレマイオス14世が大人になり、有力者が取り巻きになるおそれが出る
弟の排除
権力基盤を固めるため、早いうちに弟を始末したという説
深井さんは、これはあくまで一つの説だと念を押しています。弟の後釜に据えられたのは、クレオパトラとカエサルの間に生まれた幼いカエサリオンで、プトレマイオス15世として即位しました。実権を握ったのはもちろんクレオパトラです。
国内では飢饉も起きていました。ナイル川の調子が悪く干ばつが起きたため、クレオパトラは食料の備蓄を放出して乗り切ろうとしたと深井さんは話しています。
アントニウスとオクタヴィアヌス、カエサルの後継争い
クレオパトラにとって最大の課題は、ローマとの関係でした。カエサルの死後、ローマでは権力の座を巡る政治闘争が激しくなり、その中心にアントニウスとオクタヴィアヌスという2人の人物が現れます。
カエサルの幕僚。大衆からの人気が高く、執政官として地位を固めつつあった
カエサルの姪の息子。遺言状で養子・相続人に指定され、元老院議員の支持を取り付けた
2人は内戦を経て一度和解し、レピドゥスを加えた3人で第二回三頭政治 ── カエサル暗殺後の紀元前43年に、アントニウス、オクタヴィアヌス、レピドゥスの3人が結んだ権力分担の体制。カエサル、ポンペイウス、クラッススによる第一回三頭政治と区別してこう呼ばれますを始めます。深井さんによると、とりあえず喧嘩せずに3人で政治をやろうという取り組みでした。
権力の座についた3人は反対派を粛清し、数百名の元老院議員らの命を奪ったとも語られます。3人のなかで最も成功したのがアントニウスで、カエサルを暗殺した共和主義者たちの軍も鎮圧し、ローマの内乱を治める功労者になっていきました。
アントニウスという名前だけ覚えてもらえばいいです。この人がこの後のキーマンになっていきます。
勝ち馬を見定めるクレオパトラの「判断保留」
ローマが内戦で混乱していた時期、クレオパトラのもとにはそれぞれの派閥から、エジプトに駐留するローマ軍を援軍として出せという要求が来ていました。この駐留軍は、クレオパトラの身の安全を守るためにカエサルが残した軍です。
深井さんによると、カエサルの駐留軍にはクレオパトラを守る役割と同時に、クレオパトラに睨みを利かせる任務も持たされていました。その軍をどの陣営に出すかで、クレオパトラは難しい選択を迫られます。
どっちの陣営に対しても、ちょっと八方美人な感じで振る舞いつつも、決定的にこう、手を結ばないみたいな動きをしているような印象を受けたんですよね。
深井さんは、これはあくまで本を読んだうえでの自分の主観だと断りつつ、クレオパトラは満を持して勝ち馬を見定めていたという印象を語ります。
判断保留してね、ちょうどいいところでバッとこっちだ。
ただし、クレオパトラの判断保留にはリスクがありました。最終的に勝ち馬になったアントニウスは、勝利の後にクレオパトラを呼び出そうとします。
アントニウスがクレオパトラを呼び出した目的の一つは、ローマの内戦中に援軍を送らなかったことを糾弾することでした。共和主義者と戦っているときに属国のくせに何のつもりだ、と詰めようとしたわけです。
もう一つの、そして最大の目的は、カエサルのときと同じく資金調達でした。内戦が一段落し、自分の権力基盤を固める段階に入ったアントニウスには、安定した多額の収入が必要だったと深井さんは説明します。
あえて「シカト」、タルソスの会見という大演出
アントニウスとパートナーシップを結ぶ以外に、クレオパトラに選択肢はありませんでした。ただ、どういう形で結ぶかについては、自分がイニシアティブを握ろうとします。エジプトが侵略されず、かつアントニウスが自分の後ろ盾になる関係を作る必要がありました。
そこでクレオパトラがとった行動は、アントニウスを無視することでした。釈明を聞こうと呼び出す書簡が次々と届いても、クレオパトラはすべて無視したといいます。
深井さんは、ローマの権力者の呼び出しを無視するのはかなりリスキーだと話します。クレオパトラは、自分が選んだタイミングで、最も目立つやり方で登場しようと考えていたのです。
こうして実現したのが、有名なタルソス ── 現在のトルコ南部にあった古代都市。地中海に近く、交通の要衝として栄えましたの会見です。クレオパトラはアレクサンドリアを出発し、前代未聞の豪華さを演出した船団でアントニウスのもとへ向かいました。
深井さんが紹介する記録によると、クレオパトラの船は舳先を黄金で飾り、赤い帆を翻していました。漕ぎ手はフルートの音に合わせて銀の櫂を漕ぎ、クレオパトラ自身はアフロディーテのように着飾って金糸の天蓋の下に横たわり、キューピッドに扮した少年たちが扇いでいたといいます。
自分が女神だということを視覚化したっていうことですね。
コスプレやん。
侍女たちも神様の衣装で船のあちこちに横たわり、お香の香りが両岸に広がって、川辺の住民がこの光景を見ようと集まってきたと記録されています。
もうこれ、考え方は暴走族の暴走ですね、これね。
そのときアントニウスはタルソスの市内で大きな集会を開いていましたが、女神がやってくるという噂で人々が集会を抜け出し、クレオパトラの船団を見に行ってしまいます。取り残されたアントニウスたちも見に行き、おそらく度肝を抜かれただろうと深井さんは語ります。
「札束でぶん殴る」外交はなぜ効いたのか
深井さんによると、この時のアントニウスはイケイケドンドンの状態でした。ローマで勝ち、軍事力も権力もあり、エジプトに金を出せと言えば出すだろうという振る舞いをしていたのです。
そしたらクレオパトラはマジでもうガチ金持ち女王っていうなりで、こういきなりアントニウスの前で登場したんですよ。
さらにアントニウスが夕食に招くと、クレオパトラはそれを断り、逆にアントニウスを自分の船へ招待します。船には言葉にできないほどのごちそうが並び、贅を尽くした宴が4日間続いたといいます。
クレオパトラは黄金と宝石で飾った食器を使い、室内には高価な壁掛けをかけ、そのすべてを招待客に与えました。最高級のものはアントニウスに贈られ、別の宴では一同の上に大量のバラの花びらを降らせたとも伝えられています。
深井さんが面白いと指摘するのは、その後の出来事です。今度はアントニウスが夕食会を開いてクレオパトラを招きますが、クレオパトラの宴と比べると見劣りしてしまいました。
うわ、これは嫌やな、なんか。
だからアントニウスの部下たちもめっちゃ一生懸命頑張ったんですよ。めっちゃ一生懸命頑張ったんだけれども、どうあがいてもクレオパトラの贅沢な宴には到達できないという現実を悟ってしまう。
こうした状況を作ったうえで、2人は交渉に入り手を握ります。政治的にも、男と女としても、お互いが必要だと感じたと記録されていると深井さんは話します。
勝者として強気。内戦中の消極姿勢を詰め、エジプトに資金を出させるつもりだった
豪華さに圧倒され、クレオパトラの言い訳を深く追及せず、要求を受け入れた
強気だったアントニウスの勢いはしぼみ、内戦中の件もあまり責めずに、クレオパトラの言い訳を受け入れたようです。その言い訳は、艦隊が嵐に襲われて行けなかった、自分も病気になった、というものでした。
いや、そんなギャルみたいな言い方はしてないでしょ。もうちょっと知的に言って。
クレオパトラはさらに、牢に入っていた妹のアルシノエを殺すようアントニウスに頼み、アントニウスは実際に実行します。これでプトレマイオス12世の子で生き残ったのはクレオパトラだけになりました。カエサルが決めたキプロスのエジプトへの返還も再確認され、見事な外交成果となりました。
サークル「真似のできない生活」の贅沢は何のためか
会見の後、アントニウスはアレクサンドリアに滞在します。長く内戦を戦ってきて休暇が欲しかったのだろうし、頭が良く多言語を操るビジネスパートナーもいる、と深井さんは話します。カエサルと同じような挙動だったわけです。
アレクサンドリアでアントニウスとクレオパトラは、「真似のできない生活」という名前のサークルを作ります。
腹立つなんか。何それ。
2人は暇な若者のように娯楽にふけり、毎日持ち回りで宴会を開いて、度を越した浪費を続けました。宝石で飾った皿で食事をし、狩りやサイコロの賭け事に興じ、夜には召使いの格好でアレクサンドリアの街を歩き、民家の窓の前に立って冷やかすこともあったといいます。
もうこれ、だって真似のできない生活とか言っときながら、こっちは真似してるわけでしょ。一般庶民の生活を。
深井さんは、2人が心から楽しんでいた面もあるとしつつ、この贅沢には権力を誇示する政治的な目的もあったと説明します。プトレマイオス朝の末期には、度を過ぎた贅沢は君主の職務とされ、カリスマ性を構成する要素だったのです。
第1回で触れたように、エジプトではファラオの豊かさが権力の源泉の一つでした。ファラオは自然が与える豊穣を司る存在なので、ファラオ自身が贅沢をしていないと、自然の力とつながっていないと見られたのではないかという見方があるそうです。
ファラオの役割
自然が与える豊かさ・豊穣を司る存在とされる
豊かさの証明
ファラオ自身が贅沢をしていることが求められる
カリスマの維持
贅沢が部下や民衆の尊敬と信頼につながる
アメリカのなんかアーティストとかがスターになった時に贅沢な生活をしないと、逆になんかこうね、カリスマがないみたいな、なんかそういう感覚あるかもしれないですね。
深井さんによると、クレオパトラは着飾らずに部下の前へ出ることもできず、常に尊敬を集めておかなければ信頼を失う立場でした。
贅沢の具体例として、クレオパトラがアントニウスに出した食事の記録があります。食べる人は多くないのに、厨房には串に刺された8頭のイノシシなど莫大な食材が用意されていました。アントニウスが食べたいと思った瞬間に、常に温かい最高の料理を出すためです。
もう冷えた飯とかを出せないから。
そう、電子レンジとかないからね。
深井さんは、今の政治家や公務員がこれをやったら絶対に叩かれると言い、現代との違いがはっきり出て面白いと話しています。
オクタヴィアヌスのネガキャンはなぜ効いたのか
休暇を終えたアントニウスは、パルティア ── 現在のイランを中心に栄えた王国。ローマ東方の強国で、たびたびローマと戦いました軍がローマの領地に侵入したという知らせを受け、クレオパトラのもとを離れます。出発から6ヶ月後、カエサルのときと同じように、クレオパトラはアントニウスの子を産みました。
パートナーとなったクレオパトラは、アントニウスに財政支援や軍事支援を続けます。アントニウスは、クレオパトラの権力基盤を保ってくれる重要人物だったからです。
一方ローマでは、一度和解したアントニウスとオクタヴィアヌスが再び対立していきます。まだ戦争には至らないものの、2人は味方を増やそうと動き、特に民衆や政治家に向けたネガティブキャンペーンを展開しました。
このネガキャン合戦で、アントニウスは徐々に劣勢になります。深井さんは、オクタヴィアヌスの政治センスが優れていたことに加え、クレオパトラの存在がアントニウスにとって強みであると同時に弱みでもあったと指摘します。
アントニウスとクレオパトラの間に子どもまでできたことは、ローマではよく見られませんでした。オクタヴィアヌスはこの距離の近さを格好の攻撃材料にし、アントニウスはエジプト女にたぶらかされた、というプロパガンダを流したといいます。
深井さんによると、オクタヴィアヌスのプロパガンダの中のクレオパトラ像が、現代にまで伝わっているそうです。
アントニウスはクレオパトラを頼りにし続け、ついにはローマの領土をエジプトに与えるという宣言までしてしまいます。クレオパトラと組んでローマ・エジプトの大帝国を構想していたのではないか、など理由には諸説あります。
かつてのプトレマイオス朝の領土が復活し、過去の栄光を取り戻したと宣伝できる大成果
ローマ軍が血を流して得た領土をエジプト女に与える言語道断の行為として、オクタヴィアヌスの攻撃材料に
オクタヴィアヌスはこの宣言を黙って見逃さず、ローマに批判を流します。アントニウスの政治的立場とローマの世論は、どんどん厳しくなっていきました。
アントニウス対オクタヴィアヌス、クレオパトラ像はどう作られたか
ついにアントニウスとオクタヴィアヌスは戦火を交えます。クレオパトラはアントニウス側に立って戦い、その結果がクレオパトラの人生を決定づける最後の大きな出来事になると深井さんは予告します。
うわぁ、だからアントニウスがどうなるかによって、もうほぼ運命決まる状態ですよね。
ここで楊さんが、これまでの流れを整理します。地中海世界で台頭したローマは内乱が続き、共和政が崩れつつありました。属国の王であるクレオパトラにできたのは、三頭政治の有力者と結びついてバランスを取ることだけだったといいます。
第一回の時はカエサルが選ばれたし、第二回の時はアントニウスが選ばれたんだっていう話ですよね。
しかし共和政を重んじるローマ市民から見れば、東方の専制的な王が享楽にふけることは許されない価値観でした。楊さんは、ローマの男たちを次々と籠絡するクレオパトラというイメージがローマ市民の中で生まれ、オクタヴィアヌスがそれを利用したと説明します。
深井さんは、クレオパトラが女性の権力者だったことが、マイナスイメージをさらに強めた側面もあると付け加えます。樋口さんも、たぶらかしたという捉え方をされるのだと応じ、アントニウスとオクタヴィアヌスの戦いを描く最終回へと話は続きます。
まとめ
カエサルを失ったクレオパトラは、弟を排除して国内を固め、判断を保留して勝ち馬のアントニウスを見定め、タルソスの会見で圧倒的な豪華さを見せて交渉の主導権を握りました。しかしアントニウスとの近すぎる関係は、オクタヴィアヌスのプロパガンダの材料となり、その像が今日のクレオパトラのイメージにまで影響していると語られています。
- カエサル亡き後、クレオパトラは弟プトレマイオス14世を始末したという説があり、幼いカエサリオンを即位させて実権を握った
- クレオパトラは内戦中どの陣営とも決定的に組まず、勝者アントニウスの呼び出しもあえて無視した
- タルソスの会見では女神を演出した船団と4日間の宴で、強気のアントニウスを圧倒した
- プトレマイオス朝末期、度を過ぎた贅沢は君主の職務であり、カリスマを支える要素だった
- オクタヴィアヌスのネガキャンで作られたクレオパトラ像が、現代のイメージにも大きく影響している





