日本海海戦のあと、なぜ講和へ向かったのか
日本海海戦でバルチック艦隊が壊滅し、日本が制海権を握ることが確定しました。これを受けて、ロシア側も講和条約へ向かわざるを得なくなっていきます。
ただし深井さんは、日本の勝利を単純な圧勝とは見ていません。ロシアがもう少し粘れば日本はおそらく負けていたと前置きしたうえで、ロシア国内の混乱こそが戦争継続を難しくしたと説明します。
ロシア、ほら、国内がもうぐっちゃぐちゃで、バルト艦隊壊滅したことによってさらにぐちゃぐちゃになっていくから、戦争を続けられなくなっていくわけです。
日本側では外務大臣の小村寿太郎 ── 明治期の外交官・政治家。外務大臣として日英同盟の締結や日露戦争の講和交渉を担い、のちに関税自主権の回復にも関わりましたが、駐米公使を通じてアメリカのルーズベルト大統領に講和の仲介を頼みます。深井さんによれば、ルーズベルトの仲介は善意ではなく、アメリカ自身の利益を踏まえた政策の一環でした。
講和へ向かう一方で、日本の指導部は樺太(サハリン)の占領に乗り出します。深井さんは、日清戦争で講和が決まる前に台湾を押さえた動きと同じく、「取れるところは全部取ろう」という発想だったと話します。
この樺太の占領について深井さんは、第二次世界大戦後にソ連からもっと強くやり返され、より多くを取られることになると付け加えています。
ポーツマスで日本とロシアは何を求めたか
講和会議はアメリカ・ニューハンプシャー州の小都市ポーツマスで8月9日に開かれ、正式な交渉は翌10日から9月5日まで、約1か月にわたって続きました。日本の代表は小村寿太郎、ロシアの代表はウィッテ ── 帝政ロシアの政治家。蔵相として鉄道建設や工業化を進めた人物で、日露戦争には慎重な立場でしたです。
ウィッテは戦争に反対していたため、開戦直前に大蔵大臣の職を解かれていました。しかし敗戦側の講和交渉は誰もやりたがらず、ニコライ2世もウィッテを好んでいなかったものの、最終的にウィッテしか送れる人がいなくなったと深井さんは説明します。
日本側の要求はわかりやすいもので、韓国を日本の自由にさせること、満州から日露両軍を撤退させること、遼東半島の租借権とハルビンから旅順までの鉄道の権利を譲り受けることでした。できれば賠償金も得たいと考えていました。
一方、ロシアの皇帝側はウィッテに、領土の割譲、賠償金の支払い、鉄道の割譲、太平洋に艦隊を置く権利の剥奪の4点は絶対に受け入れるなと命じていました。
韓国を自由にする権利、満州からの両軍撤退、遼東半島の租借権とハルビン〜旅順の鉄道の譲渡、できれば賠償金
領土の割譲、賠償金の支払い、鉄道の割譲、太平洋に艦隊を置く権利の剥奪は受け入れない
むずいよね。でも負けてんだからさ。一応戦争に負けてるっていうか、劣勢だからさ。
賠償金ゼロで決着したポーツマス条約
紆余曲折を経た交渉の結果、ロシアは日本が韓国を指導・保護する権利を認めました。両国は同時に満州から撤兵して清に返すこと、日本軍が実効支配していた長春から旅順までの鉄道を日本に譲ることでも合意します。
もめたのは樺太の割譲と賠償金でした。ウィッテは、樺太はロシア帝国の一部なので割譲はありえず、首都を占領されてもいないのに軍事費の賠償などありえないと主張します。
交渉決裂の気配を見たルーズベルト大統領は、日本側に賠償金の要求を諦めるよう求めます。その圧力を受けた小村寿太郎は、樺太を2つに分けて北半分を返す代わりに南半分と12億円の賠償金を求めました。
最終的に日本は南樺太を得たものの、賠償金は一切得られないという形で交渉は決着します。深井さんは、ここで決裂して戦争が続けば日本は絶対に負けるので、強気には出られなかったと説明します。
ウィッテの主張
樺太はロシア領なので割譲できず、首都も占領されていないので賠償金も払えない
ルーズベルトの圧力
決裂を避けるため、日本に賠償金要求を諦めるよう求める
小村の妥協案
樺太の北半分を返す代わりに、南半分と12億円の賠償金を求める
最終合意
南樺太は日本へ、賠償金はゼロ
日本もロシアも納得できなかった講和
楊さんは、ポーツマス条約の内容は日露双方にとって望ましくなかったと指摘します。日本の立場から見た条約の中身について、楊さんは次のように話しています。
日本からしてみたら、韓国への影響力っていうのは戦前からそうだったわけじゃないですか。で、得たものといえば鉄道とサハリンだけ。
けど、この賠償金を見込んで戦争をやってるんで、(国債を)大量発行しちゃってるんで、借金抱えちゃってるわけですよね。
ロシアにとっても、今後勝てたかもしれない戦争なのにサハリンの南半分を取られたことになり、実利がありませんでした。楊さんは、特に両国の国民にとって納得できない終わり方だったとまとめます。
日本国民の怒りについて深井さんは、日本海海戦の鮮やかな大勝利で戦争に勝った感覚があり、重税に耐えてきた分、どれだけ賠償金をもらえるのかと期待していたと説明します。その期待を背負った小村寿太郎が賠償金なしで帰国したため、世論は小村に激しく怒りました。
もうでもしょうがないじゃん。けど、わかんないじゃん、そういうのも。
講和条約を屈辱的だとする政治家、新聞記者、社会運動家らの反対集会から、日比谷焼き打ち事件 ── 1905年9月、ポーツマス条約に反対する東京・日比谷公園での集会をきっかけに起きた暴動。内務大臣官邸や交番、新聞社などが襲撃されましたが起こります。警察が集会を禁止したものの、群衆が警察官に襲いかかったといいます。
ロシアでもポーツマス会議の直前にポチョムキン号 ── 黒海艦隊の戦艦。1905年に水兵たちが反乱を起こし、ロシア第一革命を象徴する出来事の一つとして知られますの反乱が起き、革命を目指す内乱のような事態になりました。反乱は鎮圧されますが、国内情勢はひどく不穏になり、そこへ講和を終えたウィッテが戻ってきたと楊さんは説明します。
その後のロシアと日本、そして韓国併合
講和後のロシアについて深井さんは、ほぼ間を置かずに第一次世界大戦へ突入し、その最中にレーニンがロシア革命を起こしたと話します。ニコライ2世と皇后アレクサンドラ、娘たちと息子は処刑され、ソビエト連邦が誕生していきます。
日本は戦争に勝って大きな自信を得た一方で、実態としては莫大な借金を背負っていました。深井さんは、この戦争を通じて日本がより「列強的な振る舞い」をするようになったと指摘します。
その最も大きな例が韓国です。日本は大韓帝国を保護国にしたあと、韓国側が進めようとする内政改革が日本の利害と一致しなかったこともあり、併合へと進み、講和から5年後の1910年に韓国を併合します。
自分の国を武力で脅されて消滅させられるみたいな、本当に列強的振る舞いをされている状態なので。
韓国併合の前年、1909年10月には、伊藤博文がハルビン駅で安重根 ── 朝鮮の独立運動家。1909年にハルビン駅で伊藤博文を射殺し、翌年に旅順で処刑されました。韓国では義士として評価されていますに射殺されます。深井さんと楊さんは、伊藤博文は韓国併合や日露戦争に反対した穏健派だったものの、韓国統監の立場にあったために狙われたと話します。
深井さんは、かつて朝鮮の「親分」だった清の皇帝の代わりに、日本が明治天皇を立てた状態を作ったと説明します。ウェストファリア体制を掲げても、結局は力がものを言う上下関係の世界だったというのが深井さんの見方です。
日露戦争の勝利が太平洋戦争へつながるまで
韓国併合のあと、日本は太平洋戦争にかけて中国にもより苛烈な要求をしていきます。深井さんによれば、中国・韓国・台湾を押さえた日本の帝国主義は、他に残っていないため西南の海、東南アジアへと伸びていきました。
その方面に力を伸ばそうとしていたのがアメリカでした。深井さんは、ここで日本とアメリカの利害がぶつかり、やがて戦争に至ったと説明します。
イギリスとの関係もしだいに悪化していきます。深井さんは、ロシアと敵対していたイギリスには「日本よくやった」という感情もあった一方、アジア人がのさばることへの反発も強かったのではないかと推測しています。
日本の戦勝によってだいぶ刺激されていて、これがやっぱり第二次世界大戦につながっていくんだよね。
日露戦争の戦勝
日本が自信をつけ、列強的な振る舞いを強める
韓国併合と中国への要求
東アジアで勢力を広げ、さらに東南アジアへ伸びる
アメリカとの衝突
同じ方面に進出していたアメリカと利害がぶつかる
第二次世界大戦へ
欧米の警戒も強まり、戦争へとつながっていく
樋口さんが「無限地獄みたいな感じ」「すげえ頑張ったのにね」と応じると、深井さんも同じ言葉を繰り返してうなずき、日露戦争編の本編はここで締めくくられます。深井さんは、台本にはもっと細かく書いてあったものの、最後はポイントだけ押さえれば十分だと考えたと話しています。
全16回、台本240ページの舞台裏
エンディングでは、全16回に及んだ日露戦争編の振り返りが始まります。樋口さんによれば、シリーズ史上最長の回数だったうえ、諸々の理由で収録が2回リスケジュールされ、そのたびに台本の読み合わせをやり直したといいます。
樋口さんはこの苦労を、ボロボロになって「抽象的人間労働」が投入されたと表現し、深井さんも台本の読み合わせを日露戦争の旅順での「総攻撃」になぞらえて笑いを誘います。
台本の読み合わせが我々にとっての総攻撃ですよ。何回総攻撃したか。
深井さんは準備の大変さを率直に語ります。台本は240ページに達し、語らなかった内容も含めて大量に調べたうえで、ポイントでない部分は情報過多にならないよう削ったそうです。
今回、ほら、全部の立場を見たじゃん。ロシアと日本と朝鮮と清の全部の立場を見るという、これも大事だったと思うんだけど、コストは高えなと思った。
樋口さんは、戦争はどこかの立場からしか記録されないため、必ず誰かのフィルターが入っていることを想像しながら解釈する必要があり、それが大きなコストなのだろうと応じます。深井さんも、日露戦争という1つの戦争を理解するのに、開戦の背景から調べる必要があったと振り返ります。
国の決断の裏には、いつも葛藤がある
樋口さんがシリーズを通じて印象に残ったのは、国の中にも必ず2つ以上の派閥があり、葛藤の末に結論が出ているという点でした。結果だけを知っていると見えない部分です。
なんかパーンってこういう結論を言われたとしても、その中でいろんな葛藤がその人の中にあって、で、それを言ってるかもしれないみたいな。
樋口さんは、この見方は人と接するときにも当てはまると話し、国レベルでも人レベルでも同じ構造があるところが味わい深かったと語っています。
美談として語られた日露戦争と「物語」の力
日露戦争は、司馬遼太郎の本をはじめ何度も繰り返し語られてきた戦争です。深井さんは、特に戦前には国民国家の形成と深く結びつき、戦死した将兵の話がすべて美談となって「強い日本」のイメージを作ったと指摘します。
しかしシリーズで見てきたのは、ロシア側のミスの多さでした。巨大なバルチック艦隊を日本艦隊が倒したのは事実でも、艦隊が到着したときにはすでにボロボロだったことも事実です。
深井さんは、そうした事実が覆い隠された1つの物語を受け入れることで、人々の現実認識能力が落ちていくと話します。その歪んだ認識のまま第二次世界大戦に突入していったと考えると、受け取る物語が自分にどう影響しているかを常に考えるべきだというのが深井さんの問題提起です。
今まさに当事者国であるロシアは、まあまたウクライナと戦争してますけれども、そのニュースを一つ、それについての言説を一つ聞く時に、それが自分にどのような影響を与えているかっていうことをよくよく考える
樋口さんは、日露戦争で「アジア諸国が勇気づけられた」という話も、日本からすれば自国の防衛や利益のために戦っただけで、アジアの人々が後からストーリーとしてつなげたものではないかと話します。事実はただそこにあり、どの方向からでもストーリーは付けられるので、現実の出来事もどのようにも解釈できてしまうという怖さを語りました。
ホモ・サピエンスはストーリーでしか理解できない?
樋口さんの話を受けて、深井さんは人間はファクトをそのまま認識できず、ストーリーでしか理解できないのではないかという考えを示します。
だからこそ深井さんは、事実に近づくには複数のストーリーを同時に理解する方法が一番いいと話します。韓国から、日本から、ロシアから、清から、さらに清の中の複数の立場から見る、日露戦争編で試みたやり方がまさにそれでした。
現実認識が歪む可能性を常に抱える
人間がしうるファクト認識の中で、比較的やりやすい方法になる
樋口さんは、番外編に出演した佐渡島 ── 編集者の佐渡島庸平さん。漫画編集者として知られ、クリエイターエージェンシー「コルク」の代表を務めていますさんの「人間はものをそのまま見られず、必ず眼鏡越しに見ている。よりメタ認知するには、いろいろな色眼鏡で見るしかない」という話を思い出したと言い、深井さんも同じことだと応じます。
深井さんは、ストーリーに倫理観を込めて文脈として理解するのは人間のよい面でもあると認めます。一方で、歴史の中で二度と繰り返したくない挙動もまた、この理解の仕方から生まれていると指摘します。
でもこの戦争領域なんていうのは、もうチャンスがない可能性もある領域じゃないですか。繰り返すチャンスを。次で終わりかもしれないですよね、世界が。
そのため深井さんは、実用的なスキルや知識も大事だと断りつつ、こうした歴史の学びをもっとちゃんと勉強したほうがいいという感覚を個人的に持っていると語ります。本もバイアスがかかっているので、参考文献もぜひ見てほしいと呼びかけました。
次回は鎌倉幕府、そして冒頭の問いの答え合わせ
日露戦争編の次のシリーズは鎌倉幕府です。深井さんは大河ドラマに呼応した企画で、放送はちょうど大河の終盤ごろになりそうだと話し、鎌倉時代は最初の武家政権として日本史を理解するうえで多くの特徴を含んでいると説明します。
続いて深井さんは、シリーズ初回に掲げた問いを覚えているか樋口さんに尋ねます。最初の問いは、なぜロシアと日本がこのタイミングで戦争する必要があったか、でした。
ちょっと待って、マジで忘れた。
答えを忘れた樋口さんに代わり、深井さんが解説します。清を中心とする冊封体制 ── 中国皇帝が周辺国の君主に称号を与え、君臣関係を結ぶことで成り立った東アジアの国際秩序とウェストファリア体制 ── 主権を持つ国家同士が対等に並ぶことを原則とする、ヨーロッパ発の近代国際秩序が、日本の近代化によって東アジアでぶつかったというのが答えです。
ウェストファリア体制に移った日本と清が朝鮮の扱いをめぐって争ったのが日清戦争で、朝鮮を押さえた後に今度はロシアと日本がもめたのが日露戦争でした。深井さんは、日清戦争とほぼ同じ構図だと説明しています。
2つの秩序の衝突
日本の近代化で、冊封体制とウェストファリア体制が東アジアでぶつかる
日清戦争
朝鮮をどう扱うかをめぐり、日本と清が戦う
日露戦争
朝鮮を押さえた後、今度は日本とロシアが対立して戦う
日露戦争で「勝つ」とはどういうことだったのか
なぜ日本が勝てたのかという問いに、樋口さんは国民国家だったこと、国として一本化していたことを挙げます。深井さんは、ロシアが内乱を抱えすぎていたことも理由の一つだと補い、理由はいろいろ並べられると話します。
さらに深井さんは、そもそも「勝つ」とは何だったのかと問いかけます。答えは、この回で見たポーツマス条約の中にありました。
ロシア側も日本側も(禍根を)残す形で、その戦争をこれ以上継戦能力が両者ともないので終了させるという終わり方をしたんだっていうことですよね。
勝った結果として、ロシアではロシア革命が起こり、日本は太平洋戦争へ突入していく端緒を開きます。世界史の中では、アジアの国がウェストファリア的な立場を取り、戦勝によって列強から「アジアの脅威」と見られ始めたと位置づけられます。
日本とロシアの国民が戦争をどう受け止めたかも、この回で語られました。深井さんは、これで初回の問いにすべて答えられたと締めくくり、樋口さんは「結構難しいですね、戦争って」とつぶやいて、全16回の日露戦争編は幕を閉じます。
まとめ
日露戦争編の最終回は、ポーツマス条約という苦い講和から、日本が韓国併合や太平洋戦争へ進み、ロシアが革命へ向かう流れを追いました。振り返りでは、美談として語られてきた戦争を複数の視点から見直すことが、現実を正しく捉えるための方法として語られています。
- ポーツマス条約で日本は南樺太と長春〜旅順の鉄道を得たが、賠償金はゼロで、日露両国民とも納得できない結末になった
- 日露戦争の「勝利」は、両国とも戦争を続けられない中で賠償金も得られないという、限定的な勝ち方だった
- 戦後の日本は列強的な振る舞いを強め、1910年の韓国併合や、アメリカとの衝突へと進んでいった
- 深井さんは、人間はストーリーでしか理解できない可能性があるからこそ、複数のストーリーを同時に理解することが大切だと語った
- 次回シリーズは鎌倉幕府で、最初の武家政権から日本史を読み解く





