東部は一進一退、西部は北軍圧勝〜開戦1年の戦況
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リンカーン編は第13回に入っても、南北戦争はまだ開戦後1年ほどの段階までしか進んでいません。戦争が長期化していることが、この回の話の土台になっています。
東部戦線は、初戦のブルランの戦いに敗れた後、一進一退の攻防が続きます。北軍のジョージマクレラン総司令官は、チェサピーク湾から南部連合の首都リッチモンド攻略を狙い、海から相手の首都を落とそうとしました。
その後、第2次ブルランの戦いでリー将軍率いる南軍に北軍は大敗し、勢いに乗ったリー将軍はワシントンDCのすぐ近く、メリーランドまで侵攻してきます。しかしアンティータムの戦いで、リー将軍は退却を余儀なくされました。
大きい戦いでは南軍が勝ってるんですけど、結構その後一進一退になっちゃう。
戦争初期は北軍の敗戦が続いていたため、アンティータムでの勝利は世論を明るくし、リンカーンも一息つけたと語られます。戦闘の一つ一つで世論が一喜一憂する状況でした。
リンカーンは常に世論の動向を気にしながら戦争の指揮をしないといけなかったんですよね。
世論の対象は国内だけではありません。北部が負けそうになると、ヨーロッパ諸国から南部が国家として承認される可能性があったからです。アンティータムで負けていたら、かなり危なかったと語られています。
(アンティータムで)負けてたら結構やばかったらしいから。本当にギリ。
一方でマクレラン総司令官は、退却するリー将軍を追撃して壊滅させられたはずなのに、慎重すぎて動かなかったといいます。リンカーンはこれにキレて解任しました。
西部戦線では、名将ユリシーズグラント将軍が、ヘンリー要塞とドネルソン要塞を攻略し、テネシー州全域へ侵攻します。シャイローの戦いでも勝ち、ミシシッピ川の要衝メンフィスを占領しました。
さらにグラント将軍は、メキシコ湾に侵入した海軍と連携して、南部最大の都市ニューオーリンズを陥落させます。東部が一進一退なのに対し、西部戦線では北軍がめちゃくちゃ圧勝している状況でした。
サムナーの演説で「戦争の大義」が塗り替わる
この頃、以前ステッキで殴打されたエピソードで登場したチャールズサムナーが、重要な演説をします。サムナーは連邦側、つまり北軍側にいる人物です。
当時、北軍はまだ奴隷制を戦争の正式なトピックにしていませんでした。連邦がまとまることが、リンカーンが掲げた公向けの大義だったからです。
そのなかでサムナーは、1時間半にわたって奴隷制廃止論を熱烈に論じます。この内戦は奴隷制の維持と拡大のために奴隷主権力が起こした反乱だと位置づけました。
戦争が結局は奴隷制の廃止を自然にもたらすという人がいる。そうかもしれない。
しかし、実は明確な意志で奴隷制を廃止することが先にあるべきなのであり、その目的を掲げることが戦争の終結につながる最も確かな道である。
現象としては、なし崩し的に奴隷が解放される方向に向かっていました。サムナーはそれを捉えて、無視できない流れなら、明確な意志として大義を再設定しろと迫ったわけです。
これは楊睿之さんいわく、みんなが怖くて言えなかったことを言った演説でした。会場の人たちはこの演説に沸き立ち、風向き、つまり世論が変わってきていることがはっきりします。
樋口聖典さんは、この世論の変化を戦争の悲惨さと結びつけて整理します。長期化し、北軍が勝ち続けているわけでもないなかで、何のために息子が死ななければならないのかという疑義が湧くのは当然だからです。
何のために自分の息子が戦争に取られて死ななきゃいけないのかっていう風に疑義が湧くのは当然の状態ですよね。
それまでは「黒人のために死にたくない」という感覚だったものが、「奴隷制廃止という人間として正しいことのために死ぬのは、いいことだ」という感覚へと、一部の人の間で変わっていったと語られます。
サムナーはぶれずに最初からこれを言い続け、議会でも他の議員やリンカーンのケツを叩き続けたといいます。ただし、ぶれる人も必要だと楊睿之さんは補足します。
全員サムナーだと多分本当にもっと早い段階で戦争が起こってるんですけど、彼はそのタイプですよね。
リンカーンが奴隷解放へ傾いた複数の理由
サムナーの影響もあって、リンカーン自身もついに奴隷制廃止の方向へ決意を固めていきます。ここには複数の理由が重なっていたと整理されます。
一つは、変わってきた世論にサムナーから背中を押されたこと。もう一つは、戦場でも解放された奴隷や逃げてきた奴隷を押し返すわけにいかず、奴隷制が実務上も問題になっていたことです。
さらに、南部に侵攻した北軍の前線兵士が、生の奴隷制を初めて目撃したことも大きな要因でした。傷だらけの奴隷を見て、これは人としてダメだと感じていったといいます。
前線の兵士たちが、初めて生の奴隷制を目撃して、これ良くないよねって。
そしてリンカーンにとって特に重要だったのが、国際世論を味方につける戦略でした。奴隷解放宣言を出せば、人道をブランドに掲げるイギリスが南部を支援しづらくなるからです。
ただ、最初からやればいいという単純な話ではありませんでした。北軍のなかにも奴隷州(境界州)があり、いきなり奴隷解放を打ち出せば、彼らが離脱してしまう恐れがあったからです。
連邦にはとどまるよ。でも俺らの奴隷制にちょっとちょっかい出してくんなっていうスタンスです。
そこでリンカーンは、まず味方の境界州の説得に動きます。補償金を払うので奴隷制をやめようと、世論が熱狂的になっているタイミングなら通せるかもしれないと自信を持って持ちかけました。
しかし境界州(の教会衆)は、この提案を無視します。リンカーンは苦情の手紙のなかで、連邦と憲法を放棄するか、有色人種の要素に強い手を置くかの選択を迫られ、後者を選んだと書き残しています。
私は最善の判断により連邦を放棄し、それと共に憲法を放棄するか、それとも有色人種の要素に強い手を置くかの選択を迫られた。私は後者を選んだ。
このバランスを取る立ち回りゆえに、リンカーンはアボリショニスト(奴隷制廃止論者)側からは「手緩い」「ぬるい」と痛烈に批判されていました。結果としてほぼ全員から批判される立ち位置にいたわけです。
同時に忘れてはならないのは、リンカーンがこの間も戦争そのものを指揮していたことです。南部を離脱させたくないため、粉々にもできないという難しい立場でした。
その激務ぶりは、ホワイトハウス横の戦争省に電信室を作り、各前線からの報告を深夜まで読み議論する日々に表れています。ホワイトハウスで過ごすより長い時間を電信室で過ごしたと語られます。
奴隷解放宣言は「戦略」であり「軍事作戦」だった
ここでリンカーンは、奴隷解放宣言を出す決意を固めていきます。かつてはリベリアへ黒人を送るという構想を語っていましたが、戦争を経てそれは無理だと分かっていったと語られます。
戦争がここまで来て多くの人が死んでいるなか、リンカーンの意見は具体的な政策へと固まっていきます。奴隷解放宣言を出せば国際世論を味方につけられ、南部も混乱すると判断したからです。
樋口聖典さんは、ここでの判断基準の核心を、あくまで反乱鎮圧のメリット・デメリットにあったと整理します。
リンカーンはその奴隷制に対する判断では、この反乱を鎮圧するためにどのようなメリデメがあるのかっていう判断基準が最優先だったということですね。
つまり感情ではなく、損得を比べた結果として、この段階では奴隷解放宣言を出した方がメリットが大きいという戦略論でした。楊睿之さんはこれを、軍司令官としての軍事的措置だと強調します。
もちろん個人としての倫理的な判断もあったと補足されますが、この動きの一番の重心は戦略的判断にあったというのがこの回の見立てです。
プラス面は大きく3つに整理されます。1つ目は国内外の世論を味方につけられること。特にイギリスに対して有効で、人道を掲げるイギリスが南部を応援できなくなる状況を確定させられます。
2つ目は、奴隷たちがプランテーションを脱出して北軍のもとに押し寄せることで、南部の社会経済に打撃を与え、南軍の戦争遂行能力を削げること。3つ目は、その脱走奴隷を兵士や労働者として使えば、北軍の戦力が高まることでした。
戦争初期は黒人の逃亡がまだ起きておらず、逃げてきても兵士として使う発想がありませんでした。それがなし崩し的に起きていたからこそ、この宣言が超打算的な軍事作戦として成立したわけです。
ジェンガでいうと一番下のブロックをすっと取るっていう作戦です。
だからこそ、宣言を出すタイミングが重要でした。北軍が勝てそうだと思われている時でなければ、奴隷は逃亡してこないからです。楊睿之さんは、勝っている優勢な時にこそ言わなければならないと説明します。
弱い時に言っても、なんか負け犬の遠吠えみたいな感じになっちゃう。
そこでリンカーンは、アンティータムの戦いで勝った瞬間に、奴隷解放予備宣言を出します。3か月後の1863年の元旦を過ぎても抵抗を続けている地域や州の奴隷は、永遠に解放されると宣言したものです。
「軍最高司令官の名において」という抜け道
この予備宣言でキーポイントになるのが、「軍最高司令官リンカーンの名において」という文言です。合衆国大統領として奴隷を解放する権限を、連邦が持っているわけではなかったからです。
州権が強いためそんなことはできませんが、戦争なら敵国の反乱者の財産を徴収できます。そのロジックを使い、敵国となるなら奴隷を財産としてカウントできないよう宣言する、という建て付けでした。
集権が強いからそんなことできないんです。
つまり、この予備宣言は味方の境界州の奴隷州には効かない宣言として出されています。とはいえ境界州の側も、いずれ自分たちの奴隷制も終わると自明に感じ、危機感を覚えていました。
樋口聖典さんは、この予備宣言の原稿執筆の様子が、電信室で働いていた人の回想録に残っていることを紹介します。リンカーンは邪魔の入るホワイトハウスを避け、静かな電信室で少しずつ書いていました。
何か心に決めると一行か二行を書き留め、しばらく静かに座っていましたと。
大統領は窓にかかっている蜘蛛の巣に目を奪われて、蜘蛛の動きを興味深そうに眺めていることもありましたと。
数週間、毎日のように書き直し、一文一文を吟味していたといいます。この慎重な執筆の様子から、リンカーンが相当に悩みながら書いていたことがうかがえます。
予備宣言では、境界州の奴隷主を刺激しないよう、境界州の奴隷は解放対象外に置かれていました。ところが数か月後の本宣言では、そこも対象に含められ、しかも無償解放になっていたと語られます。
いろいろ慎重にしてたけど、ここまでやったれってなってますね。
閣僚の反対と「今、決着をつける」という覚悟
予備宣言の段階で、閣僚の反応はかなり消極的でした。明確に賛成したのは陸軍長官のエドウィンスタントンだけで、他は反対だったと語られます。大統領令が違憲判決を受ける危険も指摘されていました。
なかでも郵政長官のモンゴメリーブレアが、はっきりと反対します。この宣言は連邦に残る境界州の奴隷主の忠誠を危機に陥れ、彼らを南部離脱勢力の側に押しやりかねない、というものです。
それは当初からある懸念だよね。
これに対してリンカーンは、年初から境界諸州に奴隷制廃止が利益になると説得を続けてきたが耳を貸さなかった、と反論します。少し怒りをにじませながらでした。
我々は今前進を始めなければならない。境界諸州もやがて事態の真の意味を理解するであろう。
奴隷制は反乱を越えて生き残ることはありえないっていう真の事実が重要なのである。
楊睿之さんは、他の閣僚が奴隷制との激突を避けたがっているのは、この期に及んでも奴隷制が将来にわたり存在し続けるというビジョンに立脚しているからだと分析します。多くは習慣と慣習でそう思っていたわけです。
一方でリンカーンは、放っておけば絶対にまた戦争になると考えていました。これだけ人が死にながら戦っている今こそ、決着をつけるべきだという判断です。
これは、多くの人が死ぬがここで決着をつけるか、なあなあにして後々また死ぬことになるか、というきわめて難しい判断でした。楊睿之さんは、リンカーンが自分の代で終わらせる感覚でこれを言ったと指摘します。
けど彼はね、自分の代で終わらす感覚で言うんだよね、これを。
深井龍之介さんは、これを会社や家庭など、あらゆる場面に通じる局面だと受け止めます。多くの人は自分の責任になるのを嫌ってなあなあにしがちだからです。
本宣言と、連邦軍に加わった黒人たち
ついに本宣言、奴隷解放宣言が発せられます。予備宣言では対象外だった境界州も、本宣言では普通に解放せよと書かれ、黒人を連邦軍に迎え入れることも明記されました。
樋口聖典さんは、兵役という義務への参加が、市民であることを認められる条件になると整理します。黒人にこの道を開いたことは、事実上、彼らを市民として認める事実を作り上げたことになるからです。
もう事実上さ、市民としてこう認めてるっていう事実がもう出来上がっていったっていうことですよね。
この宣言を聞いた黒人たちは沸き立ち、連邦軍に多く馳せ参じます。陸軍・海軍・軍役労務に相当な人数が加わり、訓練を受けて実際に戦争へ向かうことになりました。
ゲティスバーグの戦いとアナコンダ計画で追い込まれる南部
同じ年に、奴隷解放宣言とは別に、ゲティスバーグの戦いとゲティスバーグの演説が起こります。楊睿之さんは、いまだ田舎町であるペンシルベニアのゲティスバーグの現地を訪れたことを語ります。
この戦いは、南軍のロバートリー将軍が北部へ侵攻を試みたものでした。東部戦線では基本的に北軍が南軍に攻め込んでいましたが、リー将軍が強く、逆に北部まで攻め込まれていた状況でした。
戦いは3日間続き、初日は南軍が優勢でした。北軍は町の南側へ後退し、地形的に有利な高地に防衛線を築きます。翌日、リー将軍の複数の攻撃を、北軍は辛くも持ちこたえました。
最終日、リー将軍は中央突破を狙って突撃を命じますが、これが判断ミスとなります。約1キロの開けた野原を横切って北軍の中央陣地に攻め込む大胆な戦術は、砲撃と銃撃で壊滅的な損害を受けました。
この激戦で南軍は大きな損害を出し、リー将軍は北部への侵攻を断念します。これ以降、南軍は終戦までずっと南部に閉じこもることになり、二度と攻めてこられなくなりました。
同時期に、北軍の南部物流破壊作戦であるアナコンダ計画が効いてきます。1863年7月にミシシッピ州のヴィックスバーグ要塞が陥落し、南部を海上封鎖で締め上げる計画が完了しました。
綿花以外に売るものがほとんどないモノカルチャー経済の南部にとって、これは深刻でした。海上封鎖網は年を追って強まり、イギリス方面への綿花の出荷は4割しか届かなくなります。
戦争中で貿易の絶対数も減っており、南部の綿花輸出量は開戦前の9割減になったといいます。経済的生命線がほぼ断たれた状態でした。
食糧難とインフレ、そして北部の好景気
南部は綿花畑ばかりで食料生産性も低く、麦畑への転換政策も進みませんでした。憲法に州権論を掲げていたため、州が中央政府の言うことを聞かなかったからです。
州の独立性って言ってるじゃん。言うこと聞かねえのよ誰も。
深井龍之介さんは、州の独立性を重んじるセクト型の体制が、ここで裏目に出たと指摘します。食料自給率を上げる政策が失敗し、南部は食糧難とインフレに陥っていきました。
インフレの激しさは、具体的な物価で語られます。当時の1ドルを現在の日本の約1万円として、現地で1ドルだったトウモロコシ約25キロが、首都リッチモンドへ運ばれる間に15ドルになったといいます。
卵は1個1ドル、つまり1万円ほど、コーヒーは100グラムで1万円ほどになったと語られます。南部は封鎖突破船で密輸を試みますが、持ち込まれた物資もインフレして、経済はぐちゃぐちゃになっていきました。
北部と南部を比べると、継戦能力が低かったのは南部でした。南軍は制服も統一できず、靴も履いていない、まるで浮浪者のようだという日記が残っているほど、限界に近づいていたと語られます。
一方で北部は、戦争需要で好景気になっていきます。アナコンダ計画で船を大量に作るため、国からお金をもらった民間の需要が生まれたからです。フィラデルフィアだけでも工場が180個増えたといいます。
楊睿之さんは、この時に形成された内需主導型の経済構造を、アメリカが後々まで引きずり、20世紀の自動車産業などにつながっていったと補足します。人は死んでいるが好景気だという、なんとも言えない現実がありました。
なぜゲティスバーグ演説は「奴隷制」に触れなかったのか
ゲティスバーグで勝った数か月後、戦没者の墓地となった新設の霊園で、追悼式典が開かれます。ここで行われたのが、有名なゲティスバーグの演説です。戦闘から4か月しか経っていませんでした。
演説はわずか3分、272ワードの短いものでした。後にサムナーが最高傑作と称し、その後の世論や共和党の動静にも重要な影響を与えたと言われています。楊睿之さんは、その全文を紹介します。
冒頭は独立戦争に触れます。87年前に祖先がこの大陸に新しい国を作り、すべての人は平等に創られているという理念のもとに生まれ、自由を大切にしてきた、という内容です。
この国がその理念のもとに本当に生き延びていけるのかが試されているのです。
続けてリンカーンは、この地を神聖にできるのは自分たちではなく、ここで戦い命をかけた兵士たち自身だと語ります。人々は言葉を忘れても、彼らが成し遂げたことは決して忘れないだろう、と述べました。
彼らの犠牲を無駄にしないこと、彼らが進めてきた尊い仕事を私たちが引き継ぐべきなのです。
そして結びで、この国が神の下で新たな自由を得ること、人民の手による人民のための政治が地上から消えないよう誓おうと呼びかけます。
この演説の大きな特徴は、奴隷制にまったく触れていないことだと楊睿之さんは解説します。代わりに、独立宣言に謳われた自由の理念にひたすら言及していました。
その理由は、リンカーンがすでに終戦後のことを考えていたからです。戦争はまだ終わっていませんが、終わった後に南部と分裂していては困るため、包摂したかったのです。
奴隷制云々とかじゃなくて、俺たち同じアメリカ人だよねってずっと言ってんだよ。
死んだ人たちは建国理念のために死んだのだと位置づけ、その理念に戻ってみなでまた一緒にまとまろう、という構図でした。そして楊睿之さんは、この演説の核心を一点に絞って示します。
人民の手による人民のための政治――その「人民」に黒人が入っていることこそ、この演説が有名で革新的な理由だというのです。奴隷解放宣言を出した後だからこそ、この言葉の意味が変わっていました。
神話になった演説と、次回の南北戦争終結
演説を読み上げた楊睿之さん自身は、あまり響かなかったと率直に語ります。アメリカ人ではないからかもしれない、当時のシチュエーションの違いもあるだろう、と話されます。
なんかあんまり僕響かなかったですね。おおって。アメリカ人じゃないからかなと思って。
話者の一人は、この演説を、奴隷制という各論ではなく、建国の理念という共有可能な上位のビジョンを出したものだと整理します。楊睿之さんは、そこで使われた言葉にも注目します。
演説では「連邦(フェデラルユニオン)」ではなく「国家(ネーション)」という言葉が繰り返し使われていました。ナショナリズムの強い言葉、つまりよりチャーチ側に寄った表現だと解説されます。
よりチャーチ側に寄ってるっていうふうに言えますよね。
すべての人間が平等なネーションを作ることが、死んだ人たちに報いることであり、その平等の言葉に黒人の解放が含まれている。これがこの演説のポイントであり、革新的なところだと締めくくられます。
楊睿之さんは、この演説が今のアメリカそのものだと語ります。自由と平等のために戦うと語る今のアメリカ軍の兵士たちも、ゲティスバーグで死んでいった人たちと同じメンタリティで戦っているというのです。
この時のゲティスバーグの演説の戦争で死んでいった人たちと同じメンタリティで、今のアメリカ軍の人たちも戦ってます。
自由の理念のもとに生まれ集まった国、というストーリーが、アメリカ建国以来ずっと使われ続け、国の神話になっている。それこそがアメリカの正体の一つだと整理されます。
最後に楊睿之さんは、次回ついに南北戦争が終結すると予告します。そして終結したほぼその瞬間に、リンカーンが暗殺されることにも触れました。まだ物語の途中ですが、その激烈な人生の輪郭が示されて回は終わります。
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まとめ
この回は、奴隷解放宣言とゲティスバーグ演説を、リンカーンの倫理観だけでなく、戦局と世論を見据えた戦略的判断として読み解く内容でした。宣言のタイミングや文言、演説が奴隷制に触れなかった理由まで、すべてが終戦後の統合を見据えた計算とつながっています。
- 開戦1年時点で東部戦線は一進一退、西部戦線は北軍が圧勝し、戦況ごとに国内外の世論が揺れていた
- サムナーの演説を機に「戦争の大義は奴隷制だ」という世論が一部で強まり、リンカーンの決意を後押しした
- 奴隷解放宣言はリンカーンにとって、世論・国際関係・南部経済への打撃・黒人兵の活用を狙った軍事作戦だった
- ゲティスバーグの戦いとアナコンダ計画により、モノカルチャー経済の南部は食糧難とインフレで継戦能力を失っていった
- ゲティスバーグ演説は奴隷制に触れず建国理念を語ることで、黒人を含む「人民」による統合を示し、アメリカの神話となった








