技術は「楽しいけどむずい」テスラ編収録の途中で
番外編は、深井さんの一言から始まります。テスラ編を収録している最中に、久しぶりに科学や技術の専門分野に触れた実感を語りました。
技術ってむずいっすけど、楽しいですね。今そのテスラ編の収録の途中なんですけど。
深井さんは子供の頃、科学全般を扱った本や漫画をよく読んでいたと振り返ります。惑星の寿命、銀河、ロケットといった話題に触れていたそうです。
今回のテスラの勉強で、久しぶりにそういう科学とか技術の専門的な分野について触れたなっていう体験を得ましたね。
この体験をきっかけに、樋口さんが「人生の中で技術を高めたと感じた時期はあるか」と問いかけ、ふたりの技術観の違いが見えてきます。
「自分が成長できた感覚がない」深井の自己肯定感の話
樋口さんの「技術を高めたと感じた時期は」という問いに、深井さんは即座に「ないっすね」と答えます。そして自身の自己肯定感の低さについて語り始めました。
いや、ないっすね。基本的に自己肯定感が低いんです。
深井さんは、これは卑下ではなく、自分を構成する価値観の一部だと説明します。自己肯定感の低さを個性として受け入れ、一緒に生きている状態だと話しました。
自己肯定感の低さっていうのを、僕はもうすでに自分の個性として受け入れて、一緒に生きてるっていう状態です。
だからこそ、何かを高められた、達成してレベルアップできたという感覚が常にないのだと深井さんは言います。
樋口さんは、これを面白い現象だと受け止めます。技術的に成長しようという感覚で取り組んでいないだけで、事実として技術は高まっているのではないか、という指摘です。
膨大な本をいっぱい読んで、それをまとめて喋る技術。多分初期から聞いてるリスナーさんから見たら、ものすごい向上してるはずじゃないですか。
深井さん自身も向上心はあると認めます。テスラ編の回転磁界や誘導モーターの原理を、音声だけでどう説明すればいいか、専門家の説明を聞きたいと語るほどです。
ただし、その向上心が満たされることはないと深井さんは続けます。理屈では成長できているとわかっていても、自分で自分を認める状態にはならないのだそうです。
何かできてない、レベルが足りてないという感覚が常に小さい時からずっとあって、もう諦めてます。自分の個性だと、これは。
技術習得は「パズルゲーム」樋口の真逆な世界観
深井さんの話を受けて、樋口さんは自分は真逆だと語ります。そもそも技術を「肯定感」という世界観で見ていないというのです。
僕まず肯定感っていう世界観で見てないですよ、技術に対して。僕、技術高めるフェチですね、自分の。
樋口さんにとって、技術を覚えることはパズルゲームを解くような感覚だといいます。肯定感や喜びよりも、パズルを解く欲求のほうが強いのだそうです。
樋口さんは、これまで生活で使う多くの技術を趣味で身につけてきたと振り返ります。コテンラジオを始めたときも、編集、録音、台本、喋り、決済機能の組み込み、サムネ作成と、技術が次々に必要になりました。
これほとんどの技術、僕あの趣味で覚えたやつなんですよ。パズルゲーム解いてたら技術がついてたみたいな感じなんですよ。
深井さんが「技術が身についたと認知したとき嬉しいか」と尋ねると、樋口さんは意外な答えを返します。同じ技術を何度も身につけては忘れているというのです。
3DCGだったら、大学の時にLightWaveっていうソフトを覚えたんですよ。一旦バンって忘れて、またマヤっていうソフトを覚えようってなって。
今はBlenderとFusionを勉強しているそうですが、Blenderは人生で3回目の勉強だと樋口さんは言います。向上そのものが楽しいのではなく、その瞬間の課題を解くことが目的なのだと語りました。
向上してるのが楽しいわけじゃなくて、その瞬間、この立体物をBlenderで作りたいが解けるかどうかみたいなことをやってるから。
自己肯定感の枠で見る。成長を認知しにくく、達成しても不安が残る
パズルゲームの枠で見る。目的は向上でなく、その瞬間の課題を解くこと
テストの点で不安になる深井、快感を得る樋口
樋口さんはテストで点を取れば嬉しいと言います。パズルやクイズを解いたときの快感と同じ感覚です。一方、深井さんは点を取っても不安になると打ち明けます。
なんか僕点取っても不安なんです。また次は(満点)になるとは限らない。ならなかったらまた怒られるみたいな。
樋口さんは、その違いの理由を、テストの点数が人生に影響しているからだと分析します。自分にとってのクロスワードパズルは、解いても解かなくても人生に影響しないと語りました。
クロスワードパズルを解こうが解くまいが、僕の人生に影響しないじゃないですか。でも解きたいみたいな感じなんです。
ここで話題は、樋口さんがハマっている3Dプリンターに移ります。技術は高まりモデリングもできるようになったのに、作りたいものがないのが目下の困りごとだといいます。
3Dプリンターの技術、めっちゃ今高くなってきてるんですよ。問題は作りたいものがないんですよ。要は練習問題解くのが好きなんですけど。
深井さんは、これを音楽の話と同じで、お題を与えられたほうがやる気が出る現象だと受け止めます。
「ヤンヤン仏像」の禁忌デザイン談義で盛り上がる
深井さんが「ヤンヤン仏像はできるか」と尋ねると、樋口さんは今ならできるかもと応じます。深井さんはにわかにやる気を見せ、どんなデザインにしたいかを語り始めました。
なんか誰かにデザインしてほしいな。誰もつけたくないようなものにしてほしい。
深井さんが求めるのは、直視できないデザインです。目に入る空間に置きたくない、公園に埋めたいくらいのものがいいと語ります。
もし次にヤンヤン仏像を作るとしたら、直視できないようなデザインにしてほしいです。公園に埋めたいぐらいのデザインにしてほしい。
話はどんどんエスカレートし、深井さんは「禁忌」「タブー」になりたいと言い出します。家に置けず、遠い山に埋めたいくらいの特級呪物的なデザインを望みました。
社会的な素養があんまりない子供とかでも、見た瞬間にこれなんかお母さんにバレちゃいけないって直感的な思いを抱くようなやつですよ。
そして深井さんは、ある時本物のヤンヤン(樋口さん)が目の前に現れてビビる、という展開まで想像します。樋口さんは「マジでそんなの作れますよ」と乗り気になりました。
樋口さんは、このヤンヤン仏像を深井さんの世界観を試す機会にしようと提案します。アウトプット先による評価や自己評価ではなく、パズルゲームの一問として作ってみようという誘いです。
一個世界観ずらすのも試しにやってみましょうよ。パズルゲームの第62問目ぐらいだと思って、この立体物作ってみる感じで一回やりましょうよ。
3Dプリンターで「神になった」と思った樋口
話は3Dプリンターそのものの体験へと進みます。樋口さんは、3Dプリンターを買ったとき、一瞬自分が神になったと思ったと明かします。
あれマジで一瞬僕神になったと思ったんですよ。両手に何も持ってないところから数時間後に存在していることになるんですよ、物質が。
樋口さんは、クリエイター、クリーチャー、クリエイトはすべて同じ語源だと考えていると語り、無から有を生む感覚に「これ俺全てのものが作れるやん」と感じたそうです。
深井さんも、造形物には物理的な存在だけでなく、見る人の心や感情を引っ張ってくる現象が生まれると応じ、創造主という感覚に共感します。
「あれ、違うな」万能感が崩れた瞬間
神になった感覚は、しかし長くは続きませんでした。樋口さんは日常生活で3Dプリンターを使おうとするたびに、その限界にぶつかります。
最初の壁は、玄関ドアをスマホで開閉するための固定具でした。フィラメントの素材ではガチッと固定できず、しなってしまうため、結局は金属のプレートとボルト・ナットを買ったといいます。
3Dプリンター買った時に創造主になった感覚だったんですけど、いやいや、金属の方がいいところあるぞって。
茶碗、歯ブラシ立て、妻のピアスと、樋口さんは次々に3Dプリンターで作ろうとしては、素材の問題で断念します。茶碗は陶器、歯ブラシ立ては水を染み込まない素材、ピアスはレジンや金属のほうがよかったのです。
神になった気になっていたけど、現実世界すでにあるものの方がいいやんってなった時に、万能じゃなかったってなったんですよ。
「先人たちありがとう」ネジ一個に宿る技術の歴史
万能感が崩れた先で、樋口さんはひとつの気づきに至ります。身の回りにあるものは、人類の歴史の中で最適化されて今ここにある、という実感です。
ペットボトルの素材、ネジだったらネジ、パソコンの金属って、ものすごい人類の歴史の中で最適化されて、今ここにあるんやってなった時に、技術すげえってなったんですよ。
樋口さんは、ボルト一個、ナット一個に対しても「先人たちありがとう」という感覚になったと語ります。3Dプリンターで一からモデリングすれば大変なものが、100均に行けば100円で手に入るのです。
樋口さんはさらに、ISOという規格やネジのM4・M5といった規格化にも感嘆します。規格化・製造・検品を経て、信頼度の高いネジが確実に手に入る状況のすごさに気づいたのです。
深井さんは、これを「悟りだ」「材料工学ってやつですね」と受け止めます。万能感の後に訪れた、技術の歴史への感謝でした。
技術は「空気」になる、感知できなくなる前提の話
ふたりは、技術が社会の前提になった瞬間の話へと進みます。深井さんは、技術が前提になると人間はそれを感知できなくなると指摘します。
技術ってやっぱ社会の前提になった瞬間、我々は感知できなくなるんです。自然に溶け込んでいって、自然の一部になっちゃう。
深井さんは、自分にとって3DプリンターやChatGPTはまだ「かっこいい新技術」の枠に入っていると言います。一方でパソコンやカメラは、その枠から外れ、自然の一部と化しているのだそうです。
樋口さんは、この感覚を別の想像で確かめます。もしタイムスリップして原始時代に戻ったら、膨大な知識があっても何もできないだろうというのです。
原始時代に戻って俺一人で物もないってなった時になんもできないぞってなったんですよ。マッチ1本作れないぞ、ナイフ1個作れないぞって。
深井さんは、かといって狩りの技術があるわけでもなく、その時代に適合したスキルセットがないと補います。ふたりは、自分たちの能力も知力も、この社会があるから使えているのだと確認し合います。
能力も知力も、実はこの瞬間構築されたものに過ぎないんでしょうね。外部的なものによって。
話題は最後にAIの未来にも及びます。AIがさらに進めば、人間が想像できるレベルではしょぼすぎて全く想像できない世界になるのではないか、と樋口さんは語ります。
深井さんは、脳を電脳化するような、人間の脳の力を補強する技術が出てくるかもしれないと応じます。そして、これがテスラ編収録の合間に挟んだ雑談だったと締めくくりました。
まとめ
自己肯定感の低さを個性と語る深井さんと、技術習得をパズルゲームのように楽しむ樋口さん。対照的なふたりの雑談は、3Dプリンターの万能感とその限界を経て、身の回りの技術と先人への感謝に着地しました。
- 深井さんは自己肯定感の低さを個性として受け入れ、成長を認知しにくいと語った
- 樋口さんは技術習得をパズルゲームと捉え、向上そのものより課題を解くことが目的だと話した
- 3Dプリンターで「神になった」感覚は、素材や規格の限界にぶつかって崩れた
- ネジ一個やISO規格に、人類の歴史の中で最適化された技術のすごさを再発見した
- 技術は社会の前提になると空気のように感知できなくなる、という視点が示された




