研究途中の仮説を、あえて今のうちに場に出す理由
深井さんがこの回で話したかったのは、ポスト資本主義経営の実践とは何かという、最近ずっと考えているテーマです。会社で調査チームを立ち上げ、哲学や経済学、資本主義を徹底的に研究した上で、その対比として新しい理論を批判に耐えうる形で出そうとしていると話します。
ただし研究の完成にはまだ何年かかるかわからず、深井さんはもったいぶらずに少しずつ仮説を出すことにしたと言います。すでに現時点でいくつかの仮説があり、今後大きく変わる可能性も含めて、一度場に出してみたいという趣旨です。
最近ね、そのポスト資本主義経営の実践って何なんだろうっていうのをちょうど今考えてるんですよね。
(研究が完成するまで)あんまりもったいぶってめちゃくちゃ時間かけるのもなんかなと思ってて。ちょっとずつちょいちょい出すのが大事かなと思ってる。
林間編15本の収録直後にもかかわらず、樋口さんは深井さんの元気ぶりに驚きつつ、この仮説の話に興味を示しました。
「意味価値」と「財務価値」——価値を2つに分ける発想
深井さんが提示した最大の特徴は、意味価値と財務価値という2つの概念です。これはソーシャルインパクトの文脈でよく言われる「社会資本」のようなリソースの話ではなく、価値そのものを2つに分ける考え方だと説明します。
ここで言う価値は、社会にとってやお客さんにとって、という抽象的なものではなく、個々人の認知が「価値だと認める」という意味での価値だと深井さんは定義します。財務価値は個々人が感じる価値でありつつ、お金として定量化できる点がわかりやすいと話します。
今の段階で考えているのは、「意味価値と財務価値」っていうものを今概念として作ろうとしてます。
一方の意味価値は、誰かが何かの行為をしたり存在したりすることで、人が認知としてプラスやマイナスの意味を感じることを指します。深井さんが最も強調したのは、財務価値だけでなく意味価値にもレバレッジが効くという点です。
財務価値ってレバレッジ効くじゃん。(中略)実は意味が与える影響っていうのも掛け算が効くんだっていうことをすごいまず認識すべきだなと思ってて。
お金として定量化できる価値。少額の元手が何百倍にもなって返ってくるようにレバレッジが効く
個々人がプラスやマイナスの意味として認知する価値。定量化できないが、同じようにレバレッジが効く
コテンラジオを無料で続ける理由に込めた「意味価値」
深井さんは自社の事例として、コテンラジオで交換行為としてのお金を取らない選択に触れます。歴史のシリーズものは「この先が気になる」ところで止めて有料化するのが、最もわかりやすく簡単な財務価値への転換だと認めます。
お金だけ儲けようとすれば、途中から有料にするのが一番簡単なんですよ。
それでも有料化しないのは、そこに2つの意味価値を込めているからだと深井さんは言います。1つ目は、人文知は社会を変えうるということを認知してもらうこと。それが伝わった人のその後の判断すべてが変わっていくため、レバレッジが効くと話します。
2つ目は、贈与的経済でも事業が成り立つという実績を示すことです。始める前に「交換ではなく贈与で成り立たせる」と言えば無理だと言われて終わるはずだったが、実際に成り立っていることそのものが意味価値だと深井さんは述べます。
この贈与的経済みたいなのが一部でもちっちゃくても回るんだっていう実績を出してるっていうのは、僕意味価値だと思うんですよ。
コテンは単独で見れば十分に儲けられている状態だが、データベース構築や新しい研究に投資しているためリソースが足りない状態を自ら作り続けていると説明します。クルーが1万人を超えていること自体が、意味のレバレッジが効いている証だと深井さんは話します。
ヘラルボニーやコミュニティナースに見る「意味のレバレッジ」
深井さんは、コテンクルーの仕組みそのものが、そこで完結せず意味が連鎖していくことを狙ったものだと述べます。同じ発想の例として、ヘラルボニーやコミュニティナースを挙げました。
いずれの事例も、目の前の成果だけを狙うのではなく、希望が連鎖していくことを意図している点で共通していると深井さんは整理します。逆に絶望も連鎖するため、意味価値はプラスにもマイナスにもなると指摘します。
希望が連鎖していくことができる。これが意味価値です。逆に絶望も連鎖するんで、意味価値はプラスでもマイナスでも財務価値と同じようになれるんですよ。
ここから深井さんは、次の時代の経営を端的に定義します。それは、意味価値と財務価値のどちらかに偏るのではなく、両方が最大化されるように経営するというものです。
たとえば財務価値が非常に高くても、詐欺広告のように意味価値が著しくマイナスな事業は、掛け算するとマイナスになってしまうと深井さんは説明します。だからこそ、掛け算した結果がマイナスにならないようにするのがポイントだと話します。
駅前の募金は「損」なのか——短期の財務価値だけで測る危うさ
樋口さんは深井さんの整理を受けて、財務価値を最大化しつつ意味価値のレバレッジを捨てる行為の例として、コテンの音源を売り切ってしまうようなやり方を挙げました。深井さんは、それは意味価値をもっと効かせられるのに止めてしまい、たかだか数十億の財務価値を取りに行っている状態だと応じます。
たかだかプラス数億とか、どんだけ儲かったって数十億でしょ?数十億って意味価値に比べて低いよねって思ってる。
樋口さんは、絶対にやってはいけないのは、意味価値のあるものを全部捨てて、生き残るためだけに財務価値を出す状態だと指摘します。それは意味価値がゼロになり、掛け算の結果も意味がなくなるからです。
樋口さんが一番腑に落ちた例として挙げたのが、駅前で募金を募る人の話です。高校か大学の頃、その時間にバイトをして寄付したほうが多く稼げるのではと考えたことがあったと言います。
(駅前で立ってる時間)全員なんかマックとかでバイトして、そのお金を寄付した方が絶対金稼げるやんって思ってた時期があった。
しかしそれは財務価値しか見ていない見方だったと樋口さんは振り返ります。1時間叫んで500円しか集まらなくても、その姿が通り過ぎた人の頭に残ったり、募金した人の行動を生んだりすること自体が、何かしらのレバレッジを生んでいるからです。
深井さんは、店舗数を増やすようなスケーラビリティばかりを見るのではなく、たとえば1店舗のクオリティを極端に高めて、これまで存在しなかったものを存在させること自体が高い意味価値を持つと述べます。それが儲けの多寡だけで「意味がない」とされてしまう現状を問題視します。
財務価値だけで動く世界は存在しない
深井さんは、歴史を見れば財務価値だけで進んでいる世界など存在しないと断言します。財務価値は血液のようなもので、それ以外のほとんどは意味価値で動いていると話します。
財務価値っていうのはもうほんと血液ぐらいの話で、それ以外血液以外全部意味価値で動いてますよ。
だからこそ、意味価値をないがしろにしすぎていないかを世界に問いたいと深井さんは言います。そして、その問うこと自体、これまで問いきった人がいないという意味で、それ自体が意味価値になると指摘します。
意味価値が定量化できず、コンセンサスのルールが単純すぎるために評価されていないだけで、本当は意味は世界に連鎖して影響を与えている、というのが深井さんの立場です。そうした価値を、説明責任の中にちゃんと入れられる世界にしたいと語ります。
リターンが自分に返ってこないと意味がない、という思い込み
樋口さんは、意味価値のレバレッジが効いて大きくなった成果を、会社が全部受け取れないなら意味がない、という感覚を持つ人もいると指摘します。深井さんは、それはリターンが自分に返ってこないと意味がないと思っている状態だと言い換えます。
社会が良くなったところで、会社には銭も一円も入らやねえかつって。
しかし、社会に対して何かしら貢献すれば、長期スパンやさまざまな連鎖の中で巡り巡って自分のところに戻ってくることがある、と樋口さんは述べます。ここまで考えられるかがポイントだと言います。
深井さんは、この発想は個人の人生に置き換えるとわかりやすいと説明します。すぐ返ってこないと思った人間関係を全部切っていくような生き方をすると、短期的には得でも人間関係が続くほど損をし、不幸になっていくと話します。
(自分に返ってくるかどうかだけで人間関係を判断する)その生き方しちゃうと不幸になっていくのわかるじゃないですか。
受け取ったものを、しょぼくして次の世代に渡すのはダサい
深井さんはもう1つの観点として、人は生きていく中で本当は多くのことを他者からしてもらっている、という点を挙げます。新生児や幼児の頃は何もできず、愛情を注がれて育ってきたのであり、自分の力だけでこの場所に来た人など一人もいないと述べます。
さらに深井さんは、自分が育った時代には戦争がなかったが、これからどうなるかはわからないと言います。そのうえで、受け取ったものをしょぼくして次の世代に渡すことを、信じられないほどダサいと表現しました。
自分が受け取ったものをなんかしょぼくして次の世代に渡すって信じられないほどダサいなと思ってる。
社会に還元することは喜びであり、脳内ホルモンとしても喜び系が出るものだと深井さんは話します。個人ではそういう生き方をする人が大勢いるのに、組織になった瞬間にできなくなるのは、コンセンサスが得られないからだと指摘します。
コンセンサスは時代で変わる——古い常識に固執するリスク
深井さんは、コンセンサスは前提条件を何としてどう共有しているかで決まり、その前提は時代によって100%変わると述べます。そして、その変化は技術革新によって起こると、技術の歴史から学んできたと話します。
これほど技術革新が進み、今の常識が変わることが確定している時代に、意味が生じないやり方に固執することは、深井さんに言わせればリスクが非常に高い行為です。四半期決算だけを考えるようなやり方は、直ちにやめたほうがいいと強く述べます。
(今の常識に固執するのは)いわゆる中長期合理性がなさすぎて頭が悪いんですよ。短期合理性はあるけど。
人間関係でも、自分は助けてもらうが恩返ししてくれる人しか助けない態度は、短期的には得でも長く続くほど損をする、と深井さんは説明します。組織はいわば全員でその中長期合理性のないやり方をしている状態だと指摘しました。
樋口さんはこれをゲーム理論のようだと表現し、人生がすぐ終わるなら奪ったほうが得だと応じます。深井さんは、会社は20〜30年単位で生き死にするからこそ、自社の利益だけを追求するリスクを考えてほしいと述べ、これを打破するには今までの慣習をやめて新しい方法を作ればいいと話します。
仏教から援用した「余剰=他者に分かち得るリソース」
深井さんは、もう1つの概念を仏教思想から援用したと紹介します。西洋発のウェルビーイング論よりも、仏教哲学から持ってきたウェルビーイングの発想がほぼ最強だと考えていると話します。
その核にあるのが、豊かであるとは余剰があることという考え方です。そして余剰とは、自分のために使うことが決まっていないリソースだと深井さんは定義します。
余剰って何かっていうと、自分のために使うことが決まってないリソースなんだよね。
たとえば10億円持っていても、将来の自分のために必要かもと思って貯め込んでいる人は、余剰を持っていないため豊かではないと深井さんは説明します。逆に、それを人に渡したり意味のレバレッジが効く形で使えると思っている人が豊かだ、というのが仏教から考えた豊かさの定義です。
これを経営に使える言い方に変えると、他者に分かち得るリソースをどれぐらい持っているかになると深井さんは言います。個人も会社も、まずこれを定義すべきだと述べ、株式会社はそれを定義していないと指摘します。
余剰があること。余剰がまったくなければ豊かではない
自分のために使うことが決まっていないリソース
余剰を経営向けに言い換えた概念。個人も会社もまず定義すべきもの
利益に「ボーダーライン」を決めていないという問題
深井さんは、株式会社は利益が出れば出るほど豊かだと思いがちだが、それは違うと述べます。ウェルビーイングの観点から見れば、利益のうちどれぐらいを余剰と見なせるかこそが、その株式会社のウェルビーイングだと説明します。
利益が出れば出るほど豊かだと思ってるでしょ?なことないじゃん。
だからこそ、利益のうちのボーダーラインを決めることが本当は大切なのに、多くの会社は1円でも多く利益を上げること自体を目標にしてしまっていると深井さんは指摘します。個人であれば気まぐれの寄付が許されるが、組織ではそれが難しくなると樋口さんは補足します。
深井さんが強調したのは、他者に分かち得るリソースの水準は年度や状況で変わってよく、大事なのはそれを決めていることだという点です。利益が4000億円あっても他者に分かち得るリソースが1億円でもよく、決めていないことが一番まずいと述べます。
樋口さんは、決めていなければ余剰が永遠にゼロパーセントになると理論上の帰結を確認します。深井さんは、この余剰を判断する領域では、定量的な財務価値に特化したやり方とは違う意思決定を取る、いわばデュアルスタンダードにすべきだと述べます。
意味価値を追求する会社に、人が集まる時代へ
深井さんは、利益に余剰の概念を導入する考え方をマルクスは否定していたが、今の時代はそうではないと述べます。意味価値を追求した会社にこそ労働者が集まると考えているからです。
その背景として、AIによって専門性が高い分業の仕事は代替されていき、横断性が高く人を引っ張る必要のある領域が人間に残る、と深井さんは見立てます。その人材を集める段階で、意味価値を出している会社は大きなアドバンテージを持つと話します。
意味価値を結構出してる会社ってアドバンテージかなりあると思ってるんですよね。だからだいぶステージ変わっていくと思ってる。
実例として深井さんは、番外編に出演した岡野バルブが、上場企業でありながら他者に分かち得るリソースを明確に決めている点を挙げます。後継ぎ経営者はやりやすい面もあるとしつつ、後継ぎに限らず取り組んでほしいと述べます。
深井さんは、経営者全員がやる必要はなく、3%ぐらいの経営者が踏襲するだけで世界は変わると話します。まずはやりやすいところから変わっていくだけでも社会は動くという見立てです。
余剰があるかを考えるだけでも、一歩前進
話は、では具体的に何から始めるかへ移ります。楊さんが、会社の中でそういう機運が出てきたときの次のアクションを問うと、深井さんは、自分たちが健全にどれぐらいお金を使えるのかを考えることだと答えます。
深井さんは、本物のお金持ちの定義はお金をどれだけ持っているかではなく、どれだけうまく使えるかだと述べます。会社にも使える限界があり、たとえばコテンに400億円あっても使いきれず、その分は他者に分かち得るリソースになると具体的に語ります。
今コテンに四百億円ぐらいあっても使えないのよ。でもなんか十五億円ぐらいまではもうかなりうまく使える自信がある。
楊さんと樋口さんは、まず「うちの会社に余剰はあるのか、ないのか」「社内でコンセンサスは取れるのか」を考えるだけでも一歩前進だと確認します。深井さんは、何のあてもなく「あればいい」という発想を捨てれば、余剰は意外とすぐ出てくると話します。
月1万円からでいい——贈与を実験的に回してみる
樋口さんは、月1万円を何かに使う実験を軽く始めるだけでも面白いと提案します。深井さんも、会社であれば本当に月1万円でよく、法人コテンクラブの5万円でも十分に他者に分かち得るリソースになると応じます。
深井さんは、消費で終わらせず、贈与先がお金をちゃんと使えることが前提だとしつつ、NPOなど自分と親和性や関心のある領域に分けるのがよいと話します。それが会社にとって豊かなことだ、という認知を取ったほうがいいと述べます。
一方で深井さんは、コテン自身は今、人文知と社会の架け橋への投資がまったく足りない状態で、他社にお金を渡している場合ではないとも語ります。すべての会社がやる必要はなく、余剰だと定義しうる会社が、そのように振る舞ってほしいという立場です。
その生きるか死ぬかの時はやらなくていいでしょ。だけどそうじゃない時もあるじゃん。その時まで利益を追求しなくていいじゃん、株式会社。
株式会社の目的は、誰が決めたのか
樋口さんは、株式会社は利益を追求するものだという常識のもとで、迷ったときは利益を優先する会話を長くしてきたと振り返ります。東京で会社をやっていた頃も同じだったと言います。
いや、迷う時、もう会社はもうやっぱ利益出すのが会社なんやから、ここは利益をやっぱ優先してみたいな会話ってすごくしてきた。
しかし樋口さんは、そもそも自社の株式会社の目的を自分で決めていなかったことに今気づいたと語ります。株式会社が利益を追求するというのは、誰かが言っていたことをただ言っていただけだったと振り返ります。
深井さんは、目的は自分で決めればよく、その目的に賛同する人をステークホルダーにすればいい、それは上場企業であっても究極は同じだと述べます。言うは易しだが、意志の問題であることは間違いないと話します。
意味価値の全振りも危険——財務価値とのバランス
樋口さんは、意味価値ばかりを追求すると財務価値がゼロになり社員が全員いなくなると、自らの経験を交えて注意を促します。実際に社員がいなくなったことがあり、意味価値全振りはよくなかったと率直に語ります。
社員いなくなったことあるんで、気をつけてください。意味価値全振りでもあんまりよくなかったなっていうのは思います。
深井さんも、財務価値がなければサステナブルではないと同意します。1年だけキラッと光って意味を持つこともあるが、1年で終わったこと自体がマイナスの意味価値、つまり絶望として世界に働いてしまうこともあると指摘します。
だからこそ深井さんは、自分の事業で意味のレバレッジがプラス方向・マイナス方向のどちらにどう効くのかを考え始めると、経営は大きく変わると述べます。市場を席巻したり掌握したりする「うまくやる」感覚とは、まったく違うものだと話します。
定量化できないものにも、お金と労力を回す仕組み
樋口さんは、意味価値が何なのかは、それぞれが考えなければならないことだと述べます。深井さんも、CNC、コテン、イイカネパレット、バリューブックスの意味価値はそれぞれ違い、違うからこそ定量化できないと整理します。
そのうえで深井さんは、この世界には100%定量化できないことが存在し、それを「できない」という前提で受け入れるべきだと述べます。すべてを定量化できる前提で組み、定量化できるものだけにお金を回すやり方には強く反対だと話します。
深井さんは、欧米の定量化への信仰に引っ張られすぎだと指摘します。意思決定のスタイルを変え、定量的なコンセンサスは取れていなくても「この人がOKと言えばOK」という座組を作り、その人が決めた領域に投資できる仕組みにすべきだと提案します。
深井さんはこの仕組みを、他者に分かち得るリソースの部分だけ民主制ではなく封建制にすることだと表現します。その部分には説明責任をつけず、担当者が「これは素晴らしい」と思ったら投資してよいと合意を取る、という座組です。
定量的な財務価値でコンセンサスを取り、説明責任を伴って意思決定する
説明責任をつけず、任された担当者がよいと判断したら投資してよいと合意する
社会や質的な情報は定量化できず、取ってつけた論理的説明でその場を濁すのとはまったく違うやり方だと深井さんは述べます。金額は小さくてよいので、この仕組みを実際に稼働させることが大事だと語りました。
まとめ
この回で深井さんが示したのは、意味価値と財務価値のどちらもレバレッジが効き、両方を掛け算で最大化するというポスト資本主義経営の仮説でした。あわせて、豊かさを「他者に分かち得るリソースをどれぐらい持っているか」でとらえ直す仏教由来の発想が語られました。まだ研究途中の仮説として、まずは小さくても実験的に回してみることが提案されています。
- 価値は「意味価値」と「財務価値」に分けられ、どちらにもレバレッジ(掛け算)が効く。片方に偏らず、掛け算した結果を最大化するのが次の時代の経営
- 豊かさとは余剰があること。余剰とは自分のために使うことが決まっていないリソースであり、会社もそれを「決めている」ことが重要
- 自分に返ってくるかだけで判断する行動は短期合理的でも中長期では損をする。技術革新で常識が変わる時代、古い慣習に固執することのほうがリスクが高い
- 意味価値も財務価値も欠かせない。意味価値の全振りは財務破綻を招き、財務偏重は絶望というマイナスの意味価値を生む
- 定量化できないものにもお金と労力を回すべき。他者に分かち得るリソースの領域は、説明責任を外し「この人がよいと思えば投資する」座組で小さく回すことから始められる





