同じ声の双子と、ICCでの偶然の出会い
今回のゲストは、ヘラルボニー代表取締役社長の松田崇弥さんと、代表取締役副社長の松田文登さんです。二人は一卵性の双子で、声もよく似ているため、音声だけではどちらが話しているかを聞き分けるのは難しいと本人たちも笑います。
樋口さんの紹介によると、崇弥さんは小山薫堂さんが率いる企画会社のプランナーを経て独立し、ヘラルボニーのクリエイティブを統括しています。4歳上の兄・翔太さんが小学校時代に書き残した謎の言葉「ヘラルボニー」を社名にし、「異彩を放て」をミッションに掲げて会社を設立しました。
文登さんはゼネコンで被災地の再建に携わったのち、崇弥さんとともにヘラルボニーを設立し、営業を統括しています。東京在住の崇弥さんに対して、文登さんは岩手を拠点にしており、二人ともForbes JAPANの「30 UNDER 30」に選ばれています。
深井さんと二人の出会いは、ICC ── 経営者や起業家が集まる日本のビジネスカンファレンス。登壇者同士の議論を中心にしたセッション形式で知られますというビジネスカンファレンスでした。若手経営者が質問し、経験豊富な経営者が答えるという変わった形式のセッションで一緒になり、控室での名刺交換で社名を見て「めっちゃいい名前ですね」と声をかけたそうです。
当時は深井さんもヘラルボニーを知らず、双子側もコテンラジオを知りませんでした。半年後の同じカンファレンスでは、崇弥さんたちはすっかりコテンラジオのリスナーになっていたといいます。
双子ならではのエピソードも語られました。会ったことのない人からFacebookで「大変お世話になりました」と申請が来ることがよくあり、最近の見分け方は「髭がある方が崇弥さん」だそうです。
いきなりどちらかがアフロとかにしたら、え?どっちでもない誰?三人目?みたいな感じになるんじゃないですか?
ヘラルボニーは何をしている会社なのか
ヘラルボニーを立ち上げた背景には、松田兄弟の4歳上の兄の存在があります。兄は重度の知的障害を伴う自閉症で、崇弥さんたちは知的障害のイメージを変えることに強い関心を持ち、4年前、27歳のときに会社を創業しました。
ヘラルボニーの事業の軸は、全国の福祉施設で生まれるアート作品の著作権管理です。約2500点の作品のデータ著作権をもとに、自社ブランドの展開や百貨店での出店、ホテルのプロデュースや空港でのアート活用などの街づくりに取り組んでいます。
崇弥さんによると、障害のある作家の作品には、点を打ち続ける、円を描き続けるといった特徴がよく表れます。兄にも「この時間にこれをする」というルーティンがあり、そうした繰り返しの傾向が画面上の表現になっていることが多いといいます。
樋口さんは、その柄がネクタイやスマホケース、カードケース、ウォレットなどのプロダクトになっていると紹介します。作家の岸田奈美さんと仕事をした際、岸田さんが着ていたブラウスがヘラルボニーのものだったそうです。
崇弥さんによると、ブラウスは岸田奈美さん自身が作品の選定やキュレーションを担当し、岸田さんの「制服」を作るプロジェクトとして始まったものでした。
障害の歴史編の直後に、樋口さんが明かした報告
今回の収録は、コテンラジオが障害の歴史編を放送した直後に行われました。障害を歴史として学んだうえで、実際に社会の中でどんな活動をしている人がいるのかを聞くために、ヘラルボニーの二人を招いたという流れです。
樋口さんはここで、個人的な報告をします。去年の10月20日に第二子の結太くんが生まれ、検査の結果、ダウン症であることがわかったといいます。
(障害の歴史編のときは)まだお腹の中に赤ちゃんいる状態だったんで、一切知らなかったんですけど、なんかこのタイミングで障害の歴史っていうのがたまたまあって。
たまたまここで自分が当事者になったっていうところで、なんか変なこう、運命じみたものを感じていて。
樋口さんは、障害児を持つ親として今日の話を聞いていきたいと語り、ここからの対話にはその当事者としての視点が重なっていきます。
兄の口ぐせ「さんね」と、かわいそうバイアスへの違和感
崇弥さんは、兄のように知能指数で測ると「3歳」と出るほどの重度の知的障害がある人でも、独自の言葉をたくさん発すると話します。社名の「ヘラルボニー」も、兄が小学校時代に日記帳や自由帳に書いた謎の言葉をそのまま使ったものです。
兄が特に好きなのが「さんね」という言葉で、10分に1回ほど口にするそうです。意味は崇弥さんにもいまだにわかりませんが、耳心地がいいのかもしれないといいます。
家の中では、兄の言葉はBGMのように自然に聞こえていました。けれど一歩外に出ると、兄は「障害者」という枠組みの中で生きていて、登下校中には同い年の子どもたちが「さんね」と真似してバカにしていたそうです。
親戚のおじさんからは「お前たち双子、兄貴の分まで生きろ」と言われたこともありました。崇弥さんは、かわいそうというバイアスがかかっていることや、バカにしてもいい人のように思われていることが、ずっと気持ち悪かったと振り返ります。
アートに着目したのは、兄が「さんね」を繰り返すように、一つの柄を繰り返し描き続けることで作品が生まれる点に面白さを感じたからです。崇弥さんはそれを、重度の知的障害があるから描けていると言い切れる表現だと捉えました。
るんびにい美術館での感動と、「支援」の文脈への違和感
ヘラルボニーの原点として著書にも描かれているのが、岩手県花巻市のるんびにい美術館 ── 社会福祉法人が運営する、障害のある人の作品を中心に展示する美術館。アトリエも併設されていますとの出会いです。24歳の頃、お盆に帰省した二人は、母親から障害のある人のアートの美術館があると教えられ、実際に訪れて心から感動したといいます。
一方で、ネットで「障害アート」と検索すると、支援や貢献、CSR、SDGsといった文脈でしか語られていないことに、崇弥さんは違和感を覚えました。作品そのものが社会のど真ん中で勝負できると考え、福祉領域を拡張する存在になりたいと語ります。
深井さんは、障害が救済対象として固定化されていると指摘し、ヘラルボニーの取り組みを次のように受け止めます。
これは障害者の作品だから買ってくださいとかじゃなくて、普通にアートとして素晴らしいじゃんっていう見せ方で、それが使われたり、着られたり、見られるみたいなことが起こる。
崇弥さんが届けたいと考えていたのは、人口1万人ほどの岩手の地元の中学校の同級生たちでした。その中学校では、障害のある人を揶揄する言葉が流行っていたといいます。
同級生たちに「福祉とアートを見ろ」と言っても、福祉は関係なく、アートを買う人も地元にはほとんどいません。けれどレクサスに乗りたい、Supremeを着たいという感覚はあるので、ブランドとして見せれば「かっけーじゃん」と言ってもらえるのではないか、と崇弥さんは考えました。
支援・貢献・CSR・SDGsの文脈で語られ、「障害者の作品だから買ってあげる」ものとされがち
ブランドとして打ち出し、「おしゃれ」「かっこいい」と普通に受け取られることを目指す
樋口さんは、障害のある人の作品が一般にはアウトサイダーアート ── 正規の美術教育を受けていない人による作品を指す言葉。既存の美術界の外側にあるものとして扱われてきましたとされてきたことに触れ、それを「ど真ん中のブランド」として成立させることが明確な目標なのだと確認します。
なぜミッションにあえて「障害者」と書くのか
樋口さんは、ヘラルボニーが障害に関係なく一人ひとりの価値を認める事業をしながら、ミッションやバリューには「障害者」という言葉をあえて明示していることに注目します。作家が「障害者の◯◯さん」ではなく「芸術家の◯◯さん」として評価されるようになったにもかかわらず、なぜその言葉を残すのかという問いです。
崇弥さんはまず、言葉が時代とともにマイルドになってきた歴史を挙げます。かつての「白痴」という言葉は、当時の有識者が失礼ではないかと考えて「精神薄弱」に変わり、そこから「知的障害」へと変わってきました。
もう一つの理由として崇弥さんが挙げたのが「オタク」という言葉です。『電車男』が話題になった頃は「キモい」という空気がありましたが、今では「深井さんは古典についてオタクですよね」のように褒め言葉としても使われています。
同じように、今は欠落を連想させる「障害者」という言葉も、ヘラルボニーが存在したことで20年後には意味が変わっているかもしれない。そう考えて、文登さんと話し合い、あえて使うことにしたといいます。
単なるその障害を持ってる方のアート活動を支援する仕事をやってるわけではないということですよね。
崇弥さんは、ヘラルボニーを「株式会社という形の運動体」と捉えていると答えます。差別や偏見をするなと声を上げる当事者運動も大切にしつつ、アートという「美しい啓発機能」を通じて出会いを作り、人々の意識をグラデーションのように変えていきたいと語ります。
深井さんは、SDGs的に良さそうだから買ってあげる活動だと誤解されることはないかと尋ねました。崇弥さんによると初期にはそうした見方もあり、記事で「障害者支援団体」と書かれるたびに赤字を入れ、支援団体ではなくビジネスパートナーだという立場を示し続けてきたそうです。
そのなくすためには障害者っていう言葉をあえて使うみたいなことが一個のステップとして必要な社会だっていうことだと思うんですよね。
シュレッダーの意見広告と、「障害者」という言葉が革命だった時代
言葉をめぐる象徴的な取り組みとして、樋口さんはシュレッダーを使った意見広告に触れます。崇弥さんによると、きっかけは桜を見る会の名簿のシュレッダー処理が遅れたことについて、当時の安倍首相が「障害者雇用の職員だったので遅れた」と答弁したことでした。
その数週間後、ヘラルボニーは国会議事堂近くの弁護士会館の掲示板に、「この国の一番の障害は障害者という言葉だ」というコピーとともに意見広告を出しました。バンクシー ── 正体を明かさずに活動するイギリスのストリートアーティスト。落札直後に作品が額縁内のシュレッダーで裁断された出来事が有名ですの作品が落札の瞬間にシュレッダーにかけられたように、「障害者」という言葉がシュレッダーにかけられるという表現です。
ところが崇弥さんは、その後に70歳ほどの福祉ジャーナリストと話して、別の視点を得たといいます。そのジャーナリストによると、「障害者」という言葉が世の中に浸透し始めたことは、当時にとっては「革命」だったそうです。
それ以前は、白痴やデクノボーのように、バカにする言葉しかありませんでした。「障害者」という言葉が広まったことで、障害のある人は「支援しなきゃいけない人」へと見方が変わったのです。
バカにする言葉しかなく、レッテルとしてバカにすることしかできなかった
「支援しなきゃいけない人」という見方に変わった
今だとまだね、その障害者の害をひらがなにするか漢字にするかって、結構ね、そこで議論が分かれたりするから、昔はもうそれどころのレベルじゃないっていうことですよね。
このやりとりを受けて、樋口さんは言葉が認識を変え、概念を作るのだと実感を込めて語ります。
「障害者」の次に来る言葉は何か
話題は、「障害者」の次に来る概念へ移ります。崇弥さんは、ヘラルボニーでは「障害者アート」という言葉も使わないと話します。外国人アートや女性アートとは言わないのに、なぜ障害者アートだけが括られるのかという問題意識からです。
崇弥さんがいいと思っている案の一つが、障害者手帳にちなんだ「手帳保持者」という言い方です。これなら「あなたは障害者です」と揶揄するような響きがなく、手帳を持っているという事実だけを表せます。
客観的に手帳を保持しているっていうことしか入ってないですからね、その言葉の中に。
崇弥さんが大学の講義で学生にアイデアを募ると、「カラーズ」や「異彩者」などの案が出てくるそうです。けれど崇弥さんは、誰もが希望を託してしまう名前にするのも違うと考えています。
それはなぜですか?希望を持ってしまうのも良くないっていうのは。
崇弥さんの答えは、自身の兄の姿に根ざしています。兄は絵を丹念に描くわけでも、並外れた集中力や記憶力があるわけでもありません。才能にばかり光が当たると、期待する親御さんも含めて苦しむ人が増えるのではないか、とヘラルボニーの活動がそれを助長している面への葛藤も口にします。
社会からの、まあその期待がプラスに働くこともあれば、でも逆にその一つの縛りとなって苦しみを与えてしまうっていうことだってあるわけですよね。
樋口さんも、今の時代に価値とされるものを持っていない人が、逆に価値がないと見なされる構図を作ってしまうのではないかと応じます。才能のある障害者と才能のない障害者という新しい分類が生まれるだけであり、本来は才能があってもなくても生きていていい、というのが究極の目標だという意見も出されました。
それでも崇弥さんは、その最終地点を目指すうえで、特筆すべき才能にスポットを当てることは非常に重要だと考えています。その考えが、あえて株式会社という形を選んだ理由につながっていきます。
なぜNPOではなく株式会社なのか
樋口さんは、NPOでもよかったはずなのに、なぜ資本主義のルールに沿った株式会社を選んだのかを尋ねます。崇弥さんは、「障害者」という人物はこの世に一人も存在せず、一人の作家として名前で呼ばれる形を作ることが社会の認知にとって重要だと答えます。
ヘラルボニーは、作家のアートがなければ収入を得られない立場にあります。崇弥さんはこれを「支援構造が逆転している状態」と表現し、作品にファンがつき、実際に福祉施設を訪れる人も多いと話します。
障害のある人が支援団体に依存している、というイメージで捉えられがち
ヘラルボニーが作家のアートに依存し、作品があるからこそ会社が成り立っている
崇弥さんは、まず実例を作るために「出る杭が打たれないぐらい突き抜けたい」と語ります。樋口さんは、稼ぎで人の価値を測る今の資本主義の中で、一旦そのルールで価値を出さないと誰も振り向かない現状に、真っ向から勝負していると受け止めます。
多分価値判断基準っていうのが本当はいっぱいあって、別にお金を稼ぐ稼がない、生産性が高い、効率がいいみたいなものでは全く関係ないところに本当は価値があるのだけれど。
ただし崇弥さんは、知的障害のある人がみんな発信し、評価され、お金を得るべきだとは考えていないと強調します。それだけが正しいとする資本主義の形は、危険な面もあると捉えているからです。
崇弥さんが問題にしているのはフェアさです。同じ実力のイラストを描けても、自分ならSNSやサイトを立ち上げて売り込めますが、作家たちはそれが難しい。本人が望んだときにフェアな形で社会に出られる選択肢として、ヘラルボニーのような会社があればいいと語ります。
樋口さんは、資本主義の中で結果を出す選択肢も、出さずに普通に生きる選択肢もあっていいと整理します。協力する人やシステム、科学技術が隙間を埋めれば、価値を出すという選択肢が与えられる時代をヘラルボニーは作っているのではないか、と受け止めました。
親の認識が変わると、地域が変わる
崇弥さんは、作品が社会に出ることで最も大きく変わるのは、本人以上に親御さんの認識だと話します。親の見方が変われば、息子や娘を社会へ送り出すきっかけにもなっていきます。
田舎であるほど、障害のある子どもは「子育ての失敗」と見られてきた面があるそうです。ヘラルボニーは作家を主役に据えるため、作家がローカルメディアに取り上げられることで、地域の意識が少しずつ変わってきたと、この4年を振り返ります。
樋口さんは著書のエピソードとして、ある作家の家族から届いたメッセージを紹介します。今年は400万円ほどの収入があり、家族が障害のある本人に扶養されるという冗談のような話が現実になる日が来るかもしれない、という内容です。
そういうことが起こってるし、でもやっぱりまだ冗談のような話って思われてるっていうのも事実だなって、僕はちょっと受け取っちゃったんですけど。
崇弥さんは、作家たちの良さをよりよい形で社会に伝える「インターフェイス」でありたいと語ります。樋口さんが「400万円は僕よりだいぶ高い」と笑いを添えて、前編は締めくくられました。
まとめ
前編では、重度の知的障害のある兄を持つ松田兄弟が、アートをブランドとして社会のど真ん中に出すことで、障害へのかわいそうバイアスや「障害者」という言葉の意味そのものを変えようとしていることが語られました。株式会社という形を選んだのも、作家が名前で呼ばれ、フェアに社会へ出られる選択肢を作るためです。
- ヘラルボニーは約2500点の作品の著作権を軸に、ブランドや街づくりで知的障害のイメージを変えようとしている
- 支援やCSRの文脈ではなく「かっこいいブランド」として見せ、地元の同級生にも届くことを目指している
- 「障害者」という言葉は、かつては「革命」だったが、今の時代に合うかは問い直されている
- 次の言葉には、価値判断も過剰な希望も込めないことが大切だと語られた
- 株式会社として作家のアートに依存する構造が、支援の関係を逆転させ、親や地域の認識も変えつつある




