欲しいのは休暇ではなく「回復」
この回のきっかけは、木原さんの声がガラガラだったこと。せっかくなので健康について話そうという流れから、話題は自然とワークライフバランスへ向かいます。背景にあったのは、高市早苗2025年当時話題となった政治家。「全員に馬車馬のように働いてもらう」「私自身ワークライフバランスという言葉を捨てる」といった趣旨の発言が報じられた。さんの「ワークライフバランスという言葉を捨てる」という発言でした。
小笠原さんが以前Xで発信していたのは、印象的な視点です。休暇や休日が欲しいのではなく、本当に欲しいのは「回復」なのだ、という考え方でした。
休暇とか休憩の話をしてるんではない。その結果欲しいのは、俺は回復なんだと。
この視点は、週末の過ごし方をめぐる二人のやりとりにもつながります。月曜の打ち合わせでお互い一番疲れている、という話です。週末に仕事をしていないからといって、それが回復になっているとは限りません。普段やらないことをすれば、それはそれで疲れる。「休んでいる=回復している」ではない、という気づきがここにあります。
仕事をしていない状態。ただし「違うこと」をしていれば、それはそれで疲れる。
心身が本当に整うこと。身体だけでなく、気持ちの回復も含まれる。
労働強度を上げることは酷使なのか
小笠原さんは、ワークライフバランスが「誰視点か」で意味が変わると指摘します。たとえば自分の成長のためにもっと働きたい人なら、短い時間に労働強度を上げて余白時間を作り、その余白を次の成長につながるインプットに使う、というバランスの取り方もあります。ただ、これは結局長時間働くのとあまり変わらない、とも言います。
木原さんは、DX推進の担当者としてこの点に強く反応します。新しいツールへの挑戦やIT基盤の刷新といったDXデジタルトランスフォーメーション。ITツールや業務プロセスを刷新し、働き方そのものを変革すること。木原さんは大学のDX推進を担当している。は、まさに労働強度を上げる取り組みとほぼ同義だといいます。慣れないことに挑戦して業務を効率化し、時間を短縮して早く帰れるはずなのに、多くの人はそこに抵抗を感じる──ここに木原さんの疑問がありました。
特に不思議なのは、ツールに慣れるコストを加味しても、大半の人は残業せず定時に帰っているという点です。労働時間そのものは変わらないのに、なぜ変化がストレスになるのか。
慣れるコストがストレスに感じるのが、僕あまり理解できなくて。
慣れるコストより先に、帰るリスクの方が嫌なんじゃないですか。
小笠原さんの答えは示唆的です。労働時間が変わらないからこそ、中身を変えるのが嫌なのではないか、と。たとえ「このツールを覚えれば標準労働時間が30分減り、その分残業代も得になる」と条件を提示しても、ツールを変えたくない人は一定数いる、という見立てです。
ここから話は、残業をめぐる不思議へも広がります。60時間労働が40時間に短縮された時、会社は40時間で収めてほしいし、労働者も短い時間で終わらせたいなら利害は一致するはず。それでも「残業させられた」という受け止めが生まれるのはなぜか。仕事は目標設定こそすれ、日々の細かいやり方まで監視されるわけではなく、いわば信じて任されている。それでも文句が出る構造に、二人は首をかしげます。
「ワークライフバランス」を知らない人にどう説明する?
話は一度、小笠原さんが授業で行った演習に脱線します。「相手がその言葉を知らない前提で説明する」というもの。たとえばコンタクトレンズを知らない人に「目に入れるレンズ」と説明しても、なかなか伝わりません。同じ要領で、「ワークライフバランスを知らない私に説明してください」と小笠原さんが木原さんに問いかけます。
この問答から、二人の言葉のとらえ方の違いが浮かび上がります。木原さんは当初、ワークライフバランスを「プライベートを充実させようぜ」というメッセージとして受け取っていました。ワークが優先されがちな世の中に対し、プライベート(ライフ)を優先しよう、という天秤のイメージです。
ところが小笠原さんが投げかけたのは、言葉の構造そのものへの問いでした。ワークの対義語はプライベートではなくパブリックではないか。そしてライフとは「生きること」そのものであり、その中にワークもラーンも含まれているのではないか、と。
ライフっていう人生とか生きるとかっていうのがあって、この中にワークとか何かいろいろあるんですよね。
ライフの中にワークがある。僕、全然違うと思ってました、完全に。
「バランス」と聞くと天秤を思い浮かべる人が多い。しかし小笠原さんは、ある領域(ライフ)の中で、ワークをどこに配置しどれくらいの大きさにするか、というグラフィックデザイン的な配置のバランスとして捉えると分かりやすい、と説明します。
ワークとライフを左右の皿に乗せ、どちらを重くするかで釣り合いを取る。多くの人がこちらを連想しがち。
大きなライフの中に、ワークをどこにどれだけの大きさで置くか。ワークもライフの一部として捉える。
この配置モデルに立つと、木原さんが指摘したように、高市さんの「ワークライフバランスを捨てる」という発言は少し破綻して見えます。ワークもライフの一部なら、それを捨てるとはどういうことか。小笠原さんは、あれは「使命として一色に染めてやります」という意味的な宣言だろうと解釈します。総理という公職で日本を変えるという使命のストーリーであり、揚げ足取りではなく真意や意図を汲み取るべきだ、という立場です。
時間ではなく、何を軸にバランスを取るか
二人の会社であるクロステック・マネジメント小笠原さんと木原さんが関わる会社。労働時間を細かく管理せず、各自がどのくらい動くかを自分で決める組織づくりを行っている。では、労働時間を細かく管理せず、自分でどれくらいの時間を動くかを決めてもらう組織づくりをしています。ただし自己責任として突き放すのではなく、相談相手として「メンバーエージェント」というバディ役をつける。事前の合意にきちんと時間を割き、成果までにかかる時間は人によって違うから管理しない、という考え方です。
ここで話の核心が見えてきます。ワークライフバランスの議論が空回りしがちなのは、多くの人が「時間」でしか考えないからだ、という点です。時間で拘束し、時間で契約を結ぶこと自体が、ある種の幻想だと木原さんは言います。オフィスで9時から17時半まで拘束していても、その間ずっと働いているかは実際には分からない。働いているであろうという前提で管理しているに過ぎない、というのです。
拘束して働いてるであろう幻想で、管理してるんですよ。
そこで小笠原さんが提示したのが、この回の一つの結論です。それぞれの人が「一番大事な軸」でバランスを取ればいい、と。小笠原さん自身は「心のバランス」として受け取りたいと言います。仕事をしていない時間に大事なのは回復であり、それは身体的な回復だけでなく気持ちの回復も含む。やりたいことをやろうとすれば、すべてが順調に進むはずもなく、だからこそ心を整えたい、というわけです。
では木原さんは何を軸にするのか。木原さんもまた、心の回復を軸に考えてしまうと言います。ただし方向は逆で、働くことでタスクが処理され、プレッシャーから解放され、やりがいや達成感で回復する。それが分かっているから、仕事に向き合う時間が長くなってしまう、というのです。「仕事の失敗は仕事の成功でしか癒されない」という言葉に、少し共感する部分もあると語ります。
仕事から離れた時間で心を整えたい。回復を「仕事の外」に求めるタイプ。
働くことで達成感を得て回復する。回復を「仕事の中」に見出すタイプ。
この違いを踏まえ、小笠原さんは家族との関係にも触れます。土日だけ家族と向き合って「ちゃんと向き合っている」と言う人がいるが、家族からすれば「土日だけやんけ」と思われているかもしれない。それは時間の切り方を間違えているのではないか、と。時間だけで測るのではなく、それぞれのライフ同士の関係やバランスをどう取るかが問われる、という指摘です。
小笠原さんは「この言葉は好きじゃないし嫌いだけど、今日しゃべりながら少し好きになれるかもと思った」と語ります。木原さんも、これまであまり意味を考えずに使ってきた言葉だと振り返りました。何のためにバランスを取るのか──その問いを共有できれば、この言葉ももう少し扱いやすくなるのかもしれません。
まとめ
今回のエピソードは、声枯れの雑談から始まり、ワークライフバランスという言葉を一から問い直す対話になりました。ポイントは、「休暇より回復」という視点と、「時間ではなく軸」という視点の二つです。
ワークライフバランスは天秤のように「仕事か生活か」を計るものではなく、大きなライフの中にワークをどう配置するかという問題として捉え直せます。そして本当に大切なのは、休むことそのものではなく、心身が回復すること。何を軸にバランスを取るかは人それぞれで、仕事の外に回復を求める人もいれば、仕事の中に達成感と回復を見出す人もいます。番組名の通り、それはまさに「個人の美学」なのかもしれません。
- 欲しいのは休暇や休日ではなく「回復」。仕事をしていない時間が、必ずしも回復の時間とは限らない。
- ワークライフバランスは「誰視点か」で意味が変わる。天秤モデルより、ライフの中にワークを配置するモデルで捉えると分かりやすい。
- 労働時間を短縮しても変化が抵抗を生むのは、時間が変わらないからこそ「中身を変える」ことが嫌われるため。
- 時間だけでバランスを測るのは幻想に近い。それぞれが「一番大事な軸」(心・時間・家族など)でバランスを取ることが本質。
- 仕事の外で回復する人もいれば、仕事の中で達成感によって回復する人もいる。正解は一つではない。
