健康オタクの極致「Don't Die」への違和感
話の出発点は、木原さんが観たDon't DieNetflixで配信されているノンフィクション作品。起業家ブライアン・ジョンソンの、老化を徹底的に抑えようとする生活を追ったドキュメンタリー。というNetflixのノンフィクション作品でした。起業家のブライアン・ジョンソンアメリカの起業家。膨大な費用と時間をかけて老化を測定・抑制しようとする「健康オタクの極致」として知られる人物。が、不老不死を本気で目指す姿を描いた作品です。
木原さんによれば、彼は食事・睡眠・運動など、一日のすべての行為を「生存確率を上げる」観点で最適化しているといいます。この時間に起きれば健康寿命が延びる、この食事が老化に良い——そうした最高の選択ばかりを積み重ねる生活です。
健康なんだろうし、老化は防げているんだろうけれども、はたから見ると明らかに幸せそうには見えないんですよ。
その一方で木原さんは、健康寿命が延びれば高いパフォーマンスで仕事に取り組めるのも事実だと感じます。ここから「長く生きるとは何か」「健康寿命を延ばすとは何か」「今やっておくべきことは何か」という問いが立ち上がりました。
寿命と健康寿命のギャップ
ここで小笠原さんが「不死」と「不老」を切り分けます。まず不死、つまり死に抗う話として、日本人の死因の上位を整理しました。上位5つで全死亡の約7割を占めるといいます。
逆に言えば、これら以外の病気では死ににくくなっているのが現代だと小笠原さんは指摘します。そのうえで注目したのが、寿命と健康寿命のギャップです。
つまり、健康ではない状態のまま寿命だけが延びている期間が、女性で約12年、男性で約9年あるということです。二人とも「そのギャップはいらない」「健康寿命と寿命はイコールにしたい」と口を揃えました。
不老を目指すのはいいと思うんですよ。不死はもうちょっと一回忘れようよと。
寿命がめちゃくちゃ延びたら、むしろ死ぬ方が幸せかもしれない——小笠原さんはそう語り、生命体として死には抗わない方がよいのではという考えを示しました。
老化は「治せる病」なのか
不老の話をさらに掘り下げると、小笠原さんはWHOの分類の話を持ち出しました(受け売りだと前置きしつつ)。老化を、避けられない自然摂理としてではなく、治すことができる「病」として捉える見方があるといいます。
その背景にあるのが、「人間の老化はエピゲノムの損失である」という説です。エピゲノムの情報が徐々に失われていくことが老化の原因であり、ならば情報が失われない生活をしたり、情報を再び書き込めたりすれば、老化は抑えられるはずだ、という理屈です。
小笠原さんは、身体的な寿命(ハード)と老化(ソフト)を分けて考えた方がよいと整理します。機械とソフトのようなイメージだといいます。エピゲノム情報の欠損が緩やかな人は、肌が若く見えるなど、生物的に優れているのかもしれない、という話にも展開しました。
生命体としての身体そのものの寿命。機械にあたる部分。
情報が徐々に失われていく現象。書き込み直せれば抑えられる可能性がある部分。
AIの進展と組み合わせれば、こうした情報解析も進み、「2000年以降に生まれた人たちの健康寿命は120歳くらいになるのではないか」と小笠原さんは予想します。実際に大学の受験生に「卒業してもあと100年生きますが、何をしますか?」と問いかけているそうです。
100年生きるなら何をする?
木原さんは、22歳で卒業して100年生きれば122歳まで、65歳まで働くとしてもその後60年も残ることになると計算します。多くの人は「何をして過ごすのか」というイメージを持ちにくいのが現実です。
100歳で働いてるなんて想像する人はいないので、その価値観の中でいろんな意思決定をしてしまっています。
就職、住まい、結婚、お金、転職——人生の大きな意思決定は、無意識のうちに「何歳まで」という前提に縛られています。「何歳を過ぎたら転職しづらい」「タイムリミットが迫っている」といった感覚も、その一つです。
65歳まで働く前提。転職や住まいなどにタイムリミットを感じて意思決定する。
健康寿命120歳の可能性。働く期間も学ぶ期間も長くなる前提で人生を設計する。
小笠原さんは、就職・住まい・転職・結婚といったテーマを「これ全部リクルートがやっている」と冗談交じりに指摘しつつ(ただし学士は出せない、と大学の立場も付け加えつつ)、寿命がそれだけ延びれば、みんな暇すぎて学び続けるのではないかと話します。
木原さんは、クリエイティブへの興味や、物作りを自分で体験することへの関心を持つ人が増えるのではと予想します。一方で小笠原さんは、作ることが特別でなくなる可能性を踏まえ、「考えるために考える」こと——哲学や倫理、日本語でいう思想——を学び続ける方向を挙げました。
今考えついたものは大体作れるようになってきたから。思想するためにいろいろ学ぶでもいいわけですよ。
ただし、みんながやるようになれば体験の価値は上がるのか、それともコモディティ化ありふれた一般的なものになり、特別さや差別化の価値が薄れていくこと。するのか、という論点も残ります。健康寿命ですら、全員が延びれば当たり前になり特別ではなくなります。その次に人間に許された特別なことは「思想や思考」であり、それを深めるには学びが必要だ、と小笠原さんは見ています。
定量から定性へ、評価の振り子
話は「評価のあり方」へと広がります。小笠原さんは、AIを理解するには過去を知ることが大事だと言い、次のような振り返りと予測を示しました。数の計算機(コンピュータ)が普及したことで定量的な目標がもてはやされてきたが、いま「言葉の計算機」が登場したことで、定性的なことが重視されるようになるのではないか、という見立てです。
たとえば「この目標に向けて頑張ります」という定性的な言葉と、それまでの行動とを計算で結びつけられれば、その人を評価できるかもしれない——そう小笠原さんは語ります。木原さんも「むしろその方が本来は健全」と応じつつ、それができなかったから無理やり数字で計算してきたのではないか、と補足しました。
小笠原さんは、定量も定性も本質的には「振り子」だと捉えています。数字で計算できない時代には数字で測れたらと願い、数字に偏りすぎるとアナログや定性の良さが叫ばれる。次のターンは、定性的なことをいかに多様性を持って評価できるかが焦点になるだろう、というわけです。
その文脈で、別番組で聞いたというメリトクラシー能力主義のこと。生まれや身分ではなく本人の能力・業績で評価する考え方。番組では、身分制度に比べれば処方箋だが、単一指標での評価が行き過ぎている点が問題として語られた。の議論も紹介されました。能力主義そのものが悪いのではなく、単一指標で評価しすぎている点が問題であり、もっと多様性を持てばよい——そのきっかけの一つが、言葉の計算や定性的な評価だといいます。
とはいえ、定量も分かりやすいだけで実は曖昧、定性も曖昧、というのが二人の共通認識でした。小笠原さんは「本当の定量で見ているわけでもない」とし、木原さんも定量の数字が分かりやすさゆえに曖昧さを覆い隠していると認めます。
健康とか不老不死みたいな話も、結局その生きてることが楽しくないって意味ないじゃないですか。嫌な評価されてるなら、なんか健康を害するだけな気もするしね。
話題は財閥やアメリカの反トラスト法アメリカで独占・企業結合を規制する法律の総称。番組では、日本の財閥解体になぞらえて説明された。ロックフェラーなどの巨大トラスト(企業連合)が対象になった歴史がある。にも及びました。経済が伸びる局面では、定量的な決まりというより「集める」という定性的なことに意味がある、という例です。最終的に木原さんは、定量と定性のどちらが自分や組織にとって幸せなのかは「全然わからない」と正直に語りました。
最後は住宅ローンを組んだ木原さんが「縛られたくなかったのにな、人生」とこぼす場面も。小笠原さんはバブル崩壊後に家を買った人たちの状況を描いたWOWOWのドラマ『トッカイ』を勧め、「それを見てから続きを話そう」と締めくくりました。
まとめ
今回は、Netflixの作品「Don't Die」を入り口に、長寿社会での人生設計をめぐる対話が展開されました。健康寿命が大きく延びる可能性がある一方で、私たちは無意識に「65歳まで働く」「何歳までに転職」といった古い前提で意思決定をしてしまっています。
不死に抗うより、健康寿命と寿命のギャップをなくす「不老」を目指す。作ることが特別でなくなる時代には、思想や思考を深めるために学び続ける。そして、定量一辺倒だった評価が、AIの進展によって定性へと振り子を戻すかもしれない——結論を急がず、問いを開いたまま終えるのが、この回の味わいでした。
- 日本人の死因は上位5つ(がん・心疾患・老衰・脳血管疾患・肺炎)で約7割を占める。
- 寿命と健康寿命のギャップは女性で約12年、男性で約9年あり、この差を縮めたいという問題意識が語られた。
- 老化を「治せる病」と捉える見方や、老化をエピゲノムの損失とする説が紹介された。
- 健康寿命が延びれば「65歳まで働く」前提が崩れ、人生の意思決定を見直す必要が出てくる。
- 「言葉の計算機」の登場で、評価軸が定量から定性へ振り子のように戻る可能性が示された。
- ただし定量も定性も本質的には曖昧で、大事なのは「生きていて楽しいか」という視点。
