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AIで作ったものの「AIっぽさ」が気になって、どこまで詰めればいいか分からない方へ。日曜日に地元のお祭りのようなイベントへ行ったら、キッチンカーや施設のテントの看板とメニューがほぼChatGPTの画像だった、という話から始まる回です。遠目でも分かってしまうのに誰もそれを口にせず、行列までできていたこと。その日1日しか使わないものなら何十万円もかけて人に頼む理由がないこと。一方で、地域の広報のように印刷されて残るものには、ほんのひと手間かけてほしいと思ったこと。後半は、手描きは伝統工芸品のほうへ、AI生成は工業製品のほうへ行くのではないかという見立てと、これだけAIを触っていても「AIで書く」とは言えない自分の話に流れていきました。
重要なポイント
1. 地元のイベントの看板とメニューが、ほぼChatGPTの画像だった
日曜日、義母が関わる健康福祉関係のお祭りのようなイベントに行ってきた。キッチンカーや地域の施設のテントが出ていて、その看板とメニューがほぼChatGPTの画像だった。質感もそうだし、画質も悪く、解像度が低くてぼやっとしている。おそらく何度か往復したであろう劣化の仕方だったので、それなりにこだわって作ってはいるのだろうとは思った。
2. 遠目で分かるのは、ごく少数派だった
これはChatGPTだな、Nano Bananaだな、Midjourneyだな、Stable Diffusionだなとすぐ分かるユーザーは、ごく少数派。誰もそれを口にしていないし、気色悪い食品画像をメニューに出しているキッチンカーにはめっちゃ行列ができていた。旦那はイベントの間、AIの話を一つもしなかった。毎日ゴリゴリAIを触っている人がお客さんなわけではなく、そちらのほうが今はレアなので、そこに基準を合わせる費用対効果もない。反AIの人たちも自分たちの界隈という小さなフィルターバブルの中にいるのではないか、という推測も話している(本人も「分からんけど」と断っている)。
3. その日1日だけ使うものなら、AIで十分だと思った
施設のテントの看板は、その日1日使えればいいもので、毎日使うものではない。だとしたら多少破綻していようが、いかにもAIで生成した雰囲気だろうが、気にしない人がほとんどなのでAIで十分。そこに何十万円もかけて人に頼む理由がない。人に頼むと時間もお金もかかるし、思っていたものが出来上がってこない、納期に間に合わないというリスクもついてくる。その穴を埋めていたいらすとやも、みんな使っているうえに枠の中で20点以上は有料だったはず(本人はうろ覚えだと断っている)。
4. 広報や印刷物には、もうひと手間ほしい
住んでいる地域の広報もChatGPTになりつつある。使っていいし自分も使っているが、もう少しだけお金を出して、せめてChatGPTと分からない画像にしてほしいと思った。ほんのひと手間加えるだけで、もろChatGPTではない画像にできる。見るからにChatGPTの画像が印刷物になるのかと思うとソワソワするが、このソワソワも今だけで、そのうちAI側が本当に分からなくなり、当たり前に生活のそばにあるものになっていくとも思っている。
5. 手描きは伝統工芸品、AI生成は工業製品のほうへ
その日しか使わない看板のように、誰が作ったかが重要ではない仕事は多い。そこで書いたり制作を請け負ったりしてお金をいただいていた人もいたと思うが、そういうところから淘汰されていくのかなと思った。手描きのイラストは伝統工芸品のように、一部の高級路線や作家性のほうへ行くのではないか。AI生成のイラストやクリエイティブは、工業製品のような大量生産のほうへ行く。なくなりは絶対しないが、先細っていくのは確実で、その先でより高級により高価になっていくという見立て。
6. これだけ触っていても、「AIで書く」とは言わない
自分は「AIで書く」とは一言も言ったことがなく、ずっと一貫して「AIで生成する」「AIで作った」と言っている。書くとなると、自分で描くもののイメージが強いから。めんどくさいオタクがまだ心の底にいて、これだけAIを触っていてもまだこんな気持ちになるのかというくらいには、根強い反AIの思想が残っている。AIで作られた画像たちに罪はないのだけれど、思うところがなきにしもあらず。
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