ポッドキャスト読書会と今月のテーマ「話すことについて考える」
この回はポッドキャスト読書会とのコラボ。先月から始まった、ポッドキャストを通じてリアルな読書体験を共有していく企画です。
今月のテーマは「話すことについて考える」。対話やコミュニケーションについての本なら、小説でもエッセイでも何でもOKというお題でした。
前回の本屋大賞回は候補が決まっていて読む本を選びやすかったけれど、今回は何を読むか探すところからのスタート。今回は2人がそれぞれ別の本を読んで紹介する形で進みます。
がみおちゃんの1冊『なぜあなたの感想はふつうなのか』
がみおちゃんが選んだのは、大島育宙さんの『なぜあなたの感想はふつうなのか 独自の視点で語る技術』。ちなみに当初買っていたワンピースのリーダーシップ本は、読まずにこちらを紹介することになったそうです。
これはまだ読んでないし、なんかもう読まない可能性もありますね、もう収録しちゃうってなると
全部読んだ感想は、タイトルは攻撃的だけど、むしろ優しい本だったということ。「もっとこう考えたら自由に楽しく喋れるんじゃない?」と寄り添ってくれる、愛にあふれた本だと話します。
簡単という意味ではなくって、本当に愛溢れる本ですね
第1章のタイトルは「感想検索病の時代」。映画を見た後、自分の感想を言う前に他の人の感想を検索してしまう、という話です。
なんか失敗したくないみたいな
がみおちゃんは、自分がまさにこのターゲットだと感じたそう。他人の感想に「そうそう」と納得して終わってしまうと、自分が本当は持っていた感想がすっ飛んでしまうと言います。
自分の思考の中で言語化する前に、誰かの感想を文字情報として拾っちゃうと、そっちに引っ張られちゃう
大事なのは、何が面白かったのか、逆にどこがなぜ引っかかったのかを自分で考えること。それだけで、もうかなり自分ならではの感想になっているという主張です。
自分の中の「○○警察」を育てる
本の中で印象的だったのが「○○警察」の話。着物にうるさい人のように、「君も何かの警察だろう」と問いかけてくる部分です。
自分の中の警察をいくつか育てると、それだけで独自の観点で語れるようになる、という考え方です。
この自分の中の警察をいくつか育てると、それだけでかなり独自の観点で語れるようになるっぽい
たとえば絶賛される映画でも「あそこの帯は違うんじゃない?」と引っかかる。そこで終わらず、「わざわざこの帯にしたのは、こういう意味があったのかも」と考えを広げれば、自分ならではのフックになります。
著者の大島さんが映画のランキングを作る時に大事にしているのは、面白さだけでなく「社会的な価値」。あまり光が当たっていない重要な問題を扱って表現したこと自体に意義がある、という自分なりの評価軸です。
ぎっさんは、無意識にある「好きなものの基準」を言語化していく作業だと整理します。ただ面白いで終わらせず、なぜ自分はこれを面白いと思うのかに向き合っていく感覚です。
「話す」こととどうつながるのか
このテーマである「話す」こととどうつながるのか。ポッドキャストで発信している自分たちの活動も、まさにコミュニケーションだと感じてこの本を選んだそうです。
独自の感想が喋れるようになると、返ってくる意見も実になるといいます。考え抜いたアウトプットに「この観点が抜けてるよ」と返されると、逆に嬉しくなるという話です。
自分が考え抜いた感想だからこそ、それに対する返しもまた実になるというか、勉強になる
好きな批評家と感想が近いと嬉しいし、逆に評価が食い違うと「え?」となる。でもそれは自分の独自性が出ている証拠でもあり、取り組むほど色々な意見を受け入れやすくなる、と話します。
本の中では、インプットとアウトプットの習慣を続ける方法として、読書会や収録が挙げられていたそう。まさに2人が今やっていることでした。
本当にこの本に書いてあること一つを、たまたまなんだけど、実践できたのはちょっと嬉しいですね
ぎっさんの1冊『会話を哲学する』
続いてぎっさんが選んだのは、三木那由他さんの『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』。言語やコミュニケーションを専門に研究している哲学者の本です。
選んだきっかけは副題の「マニピュレーション」という言葉。がみおちゃんは番組名の「まにまに」とかけたのかと聞きますが、ぎっさんいわく偶然だそうです。
偶然、偶然マニですね
この本でいうマニピュレーションとは、相手を心理的に誘導し、会話によって自分がしてほしいことをするよう促すこと。ぎっさんは心理学の「マニピュレーター」という用語が頭にあり、興味を持ったといいます。
この本の肝は、コミュニケーションとマニピュレーションを、著者が好きな漫画・小説・映画のセリフを引用しながら解説していく点にあります。
コミュニケーションは「約束事の形成」
この本では、コミュニケーションを単なる情報の伝達ではなく、話し手と聞き手の間に約束事を形成する行為だと捉えます。
たとえば「明日は雨が降るらしいよ」と言うと、話し手が「明日は雨が降ると思っている」ことが2人の間の約束事になる。だから直後に「明日は出かけた方がいいよ」と言うとちぐはぐになります。
話し手と聞き手の間に約束事を形成する行為
会話によって相手を心理的に誘導し、してほしいことをさせること
なぜ単なる情報伝達をコミュニケーションと呼ばないのか。それだけでは説明できない会話があるからです。
たとえば両思いだとお互いわかっている2人が、それでも「好きです」と言葉にするのはなぜか。それは「この人は私を好き」という約束事をより明確にする行為だと説明されます。
一方、ダチョウ倶楽部の「絶対押すなよ」は、コミュニケーションとマニピュレーションがずれた例。約束事としては「押すな」ですが、マニピュレーションとしては「押せ」になっています。
がみおちゃんも、ワンピースでチョッパーが仲間になるシーンを例に挙げます。文字面だけ追うと成り立っていないのに感動する、ロジックではないやり取りです。
全然、文字面だけだったら感動する要素ないんだよね
ぎっさんは、行間や文脈を細かく見ると2人の間で何が起きているのかが見えてくると言います。チョッパーも本心では海に出たいはず、という背景が読み取れると、感想が豊かになっていきます。
会話を分解すると世界が豊かになる
この本の締めくくりで、ぎっさんが引用した一節があります。会話の仕組みを理論的に捉えることが何の役に立つのか、その答えが示された部分です。
会話というものを細かく理解したならば、それはフィクションでの会話をより細部まで楽しむための素敵なオペラグラスにもなりますし、また日常で出会う危険性への盾にもなります
がみおちゃんも、この文を聞くまで「分解してどうするんだろう」と思っていたそう。会話を細かく理解することで、日常やフィクションが豊かになるという着地に納得します。
ぎっさんが一番驚いたのは、何千年も会話してきたのに「会話とはこういうものだ」という統一された答えがまだないこと。会話は思った以上に奥深い営みでした。
がみおちゃんは、昔付き合っていた友人から電話が来た瞬間、声のトーンだけで「これは結婚の報告だ」と直感し、実際にその通りだった体験を語ります。何を察知したのか自分でもわからない、だからこそ研究しがいがある、というわけです。
一方で、その直感が思い込みだったり、文字面通りに受け取った方が正解だったりすることもある。そういう不確かさも含めて、会話は面白いと2人は話します。
まとめ
「話す」ことをテーマに、感想の独自性を説く本と、会話そのものを哲学する本を紹介しあった読書会コラボ回。他人の感想に流されず自分の視点を育てること、そして何気ない会話の奥にある約束事に目を向けることが、日常を少し豊かにしてくれそうです。
- 感想は検索する前に、自分が何に引っかかったかを言葉にすると独自性が出る
- 自分の中の「○○警察」を育てると、独自の観点で語れるようになる
- コミュニケーションは情報伝達ではなく、話し手と聞き手の約束事の形成と捉えられる
- コミュニケーションとマニピュレーションがずれる例が、ダチョウ倶楽部やワンピースの名場面
- 会話にはまだ統一された答えがなく、分解して考えるほど豊かな営みだと気づける
