30代で書いた小説を振り返る
今回は「30代でやってよかったこと」の後編です。前回は出産の話が中心でしたが、今回は仕事や価値観の変化にも触れていきます。
最初のテーマは小説。理沙さんは、30代で小説を書いてよかったと言う女性は意外と多くないと話します。
いや、これ本当、そんなにたくさんいないよね。30代で小説書いてよかったって言ってる女。意外と。
はあちゅうさんが30代で出した小説は4作品。角川の『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』、紀伊國屋Booksの『婚活っていうこの無理ゲーよ』、初の純文学『通りすがりのあなた』、そして幻冬舎の『仮想人生』です。
『仮想人生』は文庫版で『特別な人生を、私にだけ下さい。』と改題されたそうです。文庫化のタイミングでタイトルや表紙を変えると、違う読者に届いたり、一作品で二度勝負できたりすると説明されました。
理沙さんは『東京カレンダー』を中心に無数の小説を書いてきました。書籍化されたのは『不機嫌な婚活』とドラマ化された『恋と友情のあいだで』の2作品。一番多い時期には週4連載を抱えていたと話します。
なぜ「小説を書こう」と思ったのか
二人の入り口はまったく違いました。はあちゅうさんは、子どもの頃からの夢として小説を書きました。
デビューは個人ブログ。恋愛サイトの編集長に声をかけられ、恋愛コラムの連載を持つようになったのが書くキャリアの出発点だったと言います。
結構その恋愛コラムが私の書くキャリアを作っていってくれたんだよね。でもエッセイでデビューすると、なかなか小説とかが書けなくて。
エッセイや自己啓発本を出した後、はあちゅうさんは「実は小説を書きたい」と自分で売り込みました。純文学に憧れがあり、講談社の編集者に頼んで群像編集部の担当を紹介してもらったそうです。
そうして1か月で書いて送ったのが『通りすがりのあなた』。文芸雑誌『群像』に掲載され、文芸デビューを果たしました。
はあちゅうさんは、この文芸デビューを人生でやり遂げたかったことの一つと振り返ります。それを経て、妊娠や結婚に進めた感覚があったそうです。
一方の理沙さんは、そもそも自分で書きたいという発想がなかったと言います。本や漫画は大好きでしたが、あくまで趣味の読者でした。
転機は20代の終わり。ヨガウェアを売るためのブログが目に留まり、『東京カレンダー』から「小説を書いてほしい」と声をかけられたそうです。
初めて書いた「東京婚活事情」がバズり、Yahooに転載されて大量のコメントがつきました。PVという形で読者の反応が直に見えて、楽しくなっていったと話します。
読者の反応が仕事の自信になった
理沙さんには忘れられない場面があります。電車で隣に座った女の子たちが、自分の連載を話題にしていたのです。
隣に座ってた女の子が私の連載の話してて、「あの子どうなると思う?」って主人公の名前出して、「あの男がいいよね」とか言ってて。私、降りれなくなっちゃって、電車。ずっと聞いてて。
それまで長く続いた仕事がなかった理沙さんにとって、この経験は大きなスイッチになりました。気づけば10年ほど書き続けているそうです。
はあちゅうさんは、最初に理沙さんへ小説を依頼した編集者の見抜く目を評価します。理沙さんは、その編集者からコンテンツ作りも小説作りも編集ノウハウも教わったと感謝を口にしました。
はあちゅうさんにとって小説はキャリアの節目、理沙さんにとっては自分の自信につながった経験だと整理されます。
創作は精神修行であり自己セラピー
書ける時と書けない時の落差についても語られました。理沙さんは今まさに一つの仕事で行き詰まっていると打ち明けます。
なんかいろんなものが一致しなくて、まだパーンって開けてなくて、グズグズグズグズしてんの、ずっと。すごい抽象的なこと言ってるけど、はあちゅうならわかってくれると思うんだけど。
はあちゅうさんも、スラスラ書けるゾーンと全く書けない時期が交互に来ると共感します。書き物をする先輩の言葉も紹介されました。
小説を書くっていうことは、自分はバカだっていう気持ちと、自分は天才だっていう気持ちをずっと反復し続けること。まさにそれだと思う。
理沙さんは、本気で小説を書く時は自分にとことん向き合っている時だと話します。ただし自分視点で書くだけでは面白くなく、客観視して突き放す作業が必要だと言います。
その作業を、理沙さんは自分の中で「修行」と呼びます。一人黙々と潜っていく修行を30代前半に積んでおいてよかったと振り返りました。
向き合って「これだ」って書き出せた時って自己セラピーみたいになってんの、同時に。
はあちゅうさんは、書くことを「潜ること」、話すことを「泳ぐこと」と表現します。小説やエッセイの方がより深く潜っている感覚があるそうです。
「地下室」を覗きに行くという表現
はあちゅうさんは、その感覚を的確に言い表す言葉に今朝出会ったと話します。NetflixのポッドキャストPodflixで、朝井リョウさんが村田沙耶香さんの言葉を紹介していたそうです。
「村田沙耶香さんの言葉なんですけど」って言って朝井さんが紹介してたのが、「人は誰でも地下室を持っている」っていうことを言ってて。そうかもって思って。
理沙さんはこの言葉に強く反応します。誰もが地下室を持っているけれど、それは自分で覗きに行かないと見えないものだと語り合われました。
さらに、村山由佳さんの言葉として、校長先生の話がつまらないのは「みんなに聞かせたい話」だからで、本当に面白いのは「見られたくない本音」だという話も紹介されます。
はあちゅうさんは、林真理子さんが言う「ものを書くのは自分の内臓を相手に見せること」という表現にも触れ、小説の登場人物に本音を託すことが自己セラピーになると話しました。
小説の体を持って世の中に出すことが、自己セラピーにもなってんのかなって思う。自分の中でずっと抱えてたけど、友達にも言えないみたいなことを、登場人物の口を借りて世の中に行ってるみたいなことがちょっとある。
理沙さんは、Netflixの映画『人間失格 太宰治と三人の女たち』のセリフを紹介します。
メスで自分の肉を切り裂いて、腸を全部引きずり出して見せていく。まるで他人を切り刻むように自分を解剖する。そんな悪魔みたいな仕事ができたら死んだっていいね。それこそ傑作だ。違うか?
自分の嫌な部分を日の当たる場所に引きずり出して見せること。それをやったかどうかで、パーソナリティも精神状態も変わると理沙さんは断言します。
自分視点の状態を並べるだけでは自慢や独り言になり、掲示板やSNSと変わらない
自分自身や経験を突き放して解剖し、客観視して差し出すことでお金をいただける文章になる
どれだけ切り刻んで自分がズタボロになったかで、作品の出来も決まるような気がすると、はあちゅうさんは話しました。
書けなくなった時、どうしているか
書けなくなった時の対処法も語り合われました。はあちゅうさんは、自分の過去作品や日記を読み返すと言います。文章に触れる時間が長いほど書けるようになる感覚があるそうです。
理沙さんは、自分の作品も面白い小説も読みつつ、一旦離れて遊んだり人に会ったりすると話します。うつうつした自分を受け入れることも必要だと言います。
書けなくなった時の対処法
はあちゅうさんは過去の自分の文章や日記を読み返して「文章貯蔵庫」を満たすといいます。理沙さんは離れて遊ぶ、人に会う、うつうつした自分を受け入れるなど、複数の方法を試すそうです。
理沙さんは、書いている間はずっと頭の片隅に登場人物がいて、一緒に生活しているような気持ちになると話します。外で人に会うと「あの登場人物ならこうする」と突破口が見つかることもあるそうです。
今の理沙さんは、地下室に潜ろうとする自分と、門番のようになかなか開けてくれない自分がいる状態だと言います。登場人物の名前を変えるなど、開けてもらう方法を試行錯誤中だと明かしました。
表現者とは何か、そして読書傾向と自己理解
理沙さんは、AIに「表現者とは何か」を問いかけたエピソードを紹介します。返ってきたのは「世界を観察し、問いを持ち、それを誰かと分かち合う人」という答えでした。
大きな問いがある時ほど作品が進んでいたと理沙さんは振り返ります。「幸せになったら作品が面白くなくなる」という表現者への呪いのような言葉にも触れました。
理沙さんは、価値観の違う人に会うと問いがたくさん生まれると言います。行き詰まると違う価値観の人に会いに行き、問いを持ち帰って書きながら回収していたのかもしれないと話しました。
ある恋愛小説家が「いつも一人の男性を思い浮かべて書いている」と語っていた話や、「誰か一人に宛ててラブレターを書く気で書け」というアドバイスも紹介され、創作にはいろんな切り口があると整理されます。
はあちゅうさんは、作品とは自分が抱えるテーマやトラウマの解消であり、どんな表現者もそうなのではないかと話します。
話題は読書傾向へ移ります。はあちゅうさんは深く影響を受けた作家が全員女性で、村上春樹や太宰治は読んでも深く刺さらないと言います。理沙さんは反対に、太宰や三島に思春期を救われたと話しました。
人間失格とかあの辺のものを読んで、「あ、いいのね、人間ってこんなんで」みたいな。「こんなドロドロしていいのね」って思ったことで、逆に落ち着いてられたかも。
理沙さんは、男性作家の文章を「心営を覗く」「お化け屋敷みたいな感じ」と表現します。知らないものを知りたいのかもしれないと語り合われました。
一方のはあちゅうさんは、自分が抱いた感情を言語化してもらうと一番気持ちいいと言います。
私は知ってるものに名前をつけたくて読んでる気がする。自分の体験の再確認と言語化を小説に求めているから、女性作家ばかりなのかも。
絵本の主人公は男性が多く、女性が活躍する作品はごく最近まで少なかったという話も出て、作品が無意識に価値観を形づくることが語られました。読書傾向は自己理解につながりそうだと、二人は次回への宿題にしています。
まとめ
30代で小説を書いた経験を、はあちゅうさんと理沙さんが振り返りました。創作は自分の「地下室」を覗きに行く精神修行であり、同時に自己セラピーでもある。読書傾向にも自分自身が表れると語り合った回でした。
- はあちゅうさんは持ち込みで文芸デビューし、理沙さんは依頼から創作を始めるなど、入り口は人それぞれだった。
- 読者の直接の反応が、書き続ける自信とモチベーションになった。
- 本気で小説を書くことは、嫌な部分も含めた自分を解剖して差し出す「修行」であり、書き終えた後は別人のように感じられる。
- 行き詰まった時は、過去作を読み返す、離れて遊ぶ、違う価値観の人に会うなど、それぞれの突破口がある。
- どんな作品を読み、影響を受けるかには自分の性格や求めているものが表れ、自己理解につながる。
