三方向に強敵を抱えた徐州の情勢
今回のテーマは、曹操・劉備連合軍との対立です。前回徐州を手にして独自勢力を確立した呂布が、今度はその勢力を維持できなくなっていく過程が語られます。
ただし、単純に強い敵が来て負けたという話ではないと安藤さんは言います。まず当時の周辺情勢を整理する必要があります。
徐州の周囲には三つの大きな力がありました。北に曹操、南に袁術、そして徐州の一角に住まわせている劉備です。
三方向にね、強敵すぎる強敵がいると。
当初、呂布はこの三者のバランスの上に立とうとしていました。誰とも全面的には戦わず、各者の間を立ち回るという外交的な動きを見せていた時期もあったそうです。
しかし、それは長続きしませんでした。バランスが崩れるきっかけは、袁術との接近だったと伝えられています。
袁術との縁談が招いた警戒
袁術は自らを皇帝と宣言した人物で、当時すでに各地から猛反発を受けていました。袁術後漢末期の武将。伝国の玉璽を手に入れたとして皇帝を自称したが、正統性を欠くとして諸勢力から強く反発された。
呂布はその袁術と縁談を結ぼうとしたと伝えられています。呂布にとっては自分の勢力の安定を図るための選択だったと考えられます。
ただ周囲から見ると、正統な皇帝の家系があるのに反旗を翻して自称する袁術と手を結ぼうとする呂布、という風に映りました。曹操も劉備も皇帝を尊敬していたためです。
今回に関しては、信頼云々というよりかは、シンプルに外交センスがなかったっていう話ですね。
しかも呂布は、その後に袁術との縁談を破棄して使者を拘束するという行動をとります。これは曹操の圧力に屈した形でした。
これで袁術との関係も壊れ、ほぼ全方向が敵という状況になっていきます。ここにも呂布の一貫性のなさという人間性が垣間見えると話されています。
曹操と劉備が手を組んだ理由
そして西暦198年、曹操が自ら大軍を率いて徐州に向かってきます。同時期に劉備も動き、呂布を挟み撃ちにする形になりました。
後から敵対するイメージのある曹操と劉備が、ここで組んでいるのですか。
この時点では、二人にとって共通の脅威が呂布でした。呂布の武力があまりに突出していたため、それを消すことで一致したのです。両者が敵対するのは後の話だと説明されています。
すごいなんか強すぎてみんなで消しにかかって。要は曹操と劉備が仲間になるんでしょ。かっこいいな、なんかな。
一人では勝てないから、まとめてかかってなんとかしようという話になったわけです。人間性の拙さが前面に出ている呂布ですが、武力だけは別格でした。
野戦を封じられた下邳籠城戦
これだけの人数を相手に野戦で戦っても無理だと判断した呂布は、本拠地の下邳城に籠城する決断をします。下邳は水に守られた防御力の高い城で、籠城に向いていました。
籠城とは、城の中に閉じこもって守り続け、相手が兵站切れや内部分裂で撤退するのを待つ戦い方です。長期戦になるほど攻める側にも兵站や士気維持の負担がかかるため、条件が整えば有効な手段です。
飛将と呼ばれた呂布に、籠城は合っていないのでは。
鋭い指摘だと安藤さんは応じます。呂布は野戦で馬を駆け回らせて戦うのが強い人物であり、籠城はその最大の強みである機動力と武力による野戦を封じてしまう戦い方でした。
城の外に出なければ、飛将の名も意味がなくなってしまいます。
野戦で馬を駆け回らせる機動力と武力。飛将と呼ばれた戦い方。
城内に閉じこもって守る戦い方。呂布の機動力と武力を封じてしまう。
水攻めと内側からの崩壊
曹操軍は立て続けに下邳城の周囲に堤防を築き、城を水攻めにします。城内は浸水し、水に浸かってダメになる食料も出てきました。
外に出られず、中でも食料を突かれて追い詰められていきます。城内の士気は日に日に下がっていきました。
この時期の呂布について、安藤さんの記憶に残っている話があります。籠城中の呂布が、士気を保つために自身も配下も酒を禁じたというものです。
え、でも酒禁じたぐらいでしょ。
ところが、これに配下は猛反発しました。敵に囲まれ、水浸しで外に出られず鬱々とする状況では、酒が唯一の気晴らしだったからです。
その気晴らしまで奪われたと映り、配下の心が離れ始めていたことの表れでもあったのではないかと話されています。外の曹操の大軍と、内側からの分裂の両面で追い詰められていきました。
確かに内側からなんか崩壊してる感じは出てるね。
大局を読めなかった呂布という人物
呂布の生き方からは、野戦で華々しく散るイメージがあったため、籠城を選んだことに意外性を感じたと那須さんは語ります。
やっぱね、大局が読めないからだと思うんだよね。
天下を取ってやるといった執念のようなものを呂布から感じることはあまりない、と安藤さんは言います。来たものに対して考えを巡らせず反応してしまう、極端なほど短絡的な人物だと評されています。
その欲のなさや短絡さは人に理解されにくく、呂布自身も人を理解できなかった部分だろうと話されています。
呂布がここまで強くなければ、いろいろ考えていたか、そもそもこの舞台に乗っていなかっただろう、という見方が示されました。次回はとうとう呂布が最期を迎えるとのことです。
まとめ
徐州で三勢力に囲まれた呂布は、袁術との縁談を強行しては破棄する一貫性のない外交で警戒を招き、曹操と劉備が手を組む決定打を与えてしまいました。野戦を封じられた下邳籠城戦では水攻めと酒禁への反発で内側からも崩れ、その根には大局を読まず反応してしまう人物像があったと語られています。
- 徐州の呂布は北の曹操、南の袁術、一角の劉備という三方向の強敵に囲まれていた。
- 袁術との縁談を強行し即破棄したことで、外交の一貫性を欠き周囲の警戒を強めた。
- 突出した武力ゆえに、曹操と劉備が共通の脅威として手を組み包囲網を形成した。
- 野戦を得意とする呂布は下邳城の籠城で強みを封じられ、水攻めで追い詰められた。
- 士気維持のための酒禁が配下の反発を招き、城は外圧と内部分裂の両面で崩れていった。
