自己イメージが鏡に寄っていく感覚
この回はオカジュンさんが、最近感じている自己イメージの変化から話を始めます。要は太ったという話ですが、問題はそこだけではないと言います。
鏡でふと見た自分の体型に、自分の持っている自己イメージのほうが寄っていってしまう。それがまずいと感じているそうです。
自分で自分のことをもっとキラキラしたイメージを持ってた方が、そっちに寄っていけると思ってるから。
ルッキズムの問題もあるので体型の話はしにくいとしつつ、自分への戒めとして話すことにしたと前置きします。
そのうえで、12年ほど住んだ倉敷市に久しぶりに行ったときのエピソードが語られます。街が小さく、いつも同じ人が夜に出歩いているといいます。倉敷への愛を込めた話だと念を押します。
数か月ぶりに訪れると、別々の場所で立て続けに、久しぶりに会った人から某アナウンサーを思い出すと言われたそうです。顔は全く似ておらず、唯一似ているのは体型だったと自ら明かします。
自信がある風にふるまうことの難しさ
番組の自己紹介をはさんだあと、話は自己認識のテーマへ移ります。仕事などでは、自信がある感じにしていたほうが信頼されるという通念があります。
オカジュンさんは、それをかなり難しいと感じてきたと言います。資格を取り、肩書きは仰々しくなってきたものの、むしろ自信ありげにふるまうのが難しくなったそうです。
知れば知るほど自信なくなってくっていうか。
転機になったのは、若くてもすごいと思える人を観察したことでした。彼らに共通していたのは、その場に自分より詳しい人がいるかもしれないと、まるで考えていなさそうに話す点だったといいます。
ただしそれは、自分のほうが知っているという態度ではないとオカジュンさんは見ます。話を聞いてみると、彼らはそこに至るまでにいっぱい失敗していた、というのが共通点でした。
失敗しても「その程度」と思える尺度
たくさん失敗してきたからこそ、多少「偉そうだ」と言われても平気なのではないか。オカジュンさんはそう解釈します。
別にそれを恥ずかしいとか、まあ失敗とは思わない。そう思われたからって死ぬわけじゃないし。
どうせ短い人生、その場にいる全員に「なんだこいつ偉そうだな」と思われても、まあその程度だ。そう思えていることが強さにつながっているのではないかと考えます。
だからこそ、自己認識でキラキラしている風に思っていなくても、むしろすごくダメだったとしても、だから何だ、という感じならできそうだと話します。うまく言えていないかもしれないと自分でも認めつつ、その感覚をたどっていきます。
けいじくんの番組に出てわかったこと
話は、スペースボールKのけいじくんの番組にゲスト出演した体験へと移ります。まだ聴いていない人には、先にそちらを聴いてから戻ってきてほしいと呼びかけます。
なんか他の回より私がゲストで出た回の再生回数が多くなってほしいんですよね。何だろう、この気持ち。勝負じゃないのに。
収録では宿題として「友達」に関するテーマをもらい、あえて深掘りせずに思いついたままの状態で臨んだそうです。けいじくんなら自分が行き着いていないところまで導いてくれると期待し、胸を借りるつもりだったといいます。
一方で、考えすぎた末に、他の人と違うことを言おうという思考もあったかもしれないと白状します。その入り口として、オフの自分で下の名前を呼び合ったら友達、という基準を最初に挙げていたと振り返ります。
出演を通してもう一つ気づいたのは、自分が話した話を忘れてしまうことでした。一方でけいじくんは家族のことなどをよく覚えていて、自分が同じ話を何度も繰り返していたと気づかされたそうです。
私そこをみんなに知ってほしいと思ってるんだなっていうくらい、同じようなこと言ってる。なんか恥ずい。
面白くない部分はけいじくんがコントロールしてくれていたとわかり、何を聞かれても恥ずかしいことが減ったかもしれないと話します。2時間半しゃべったあと、すっきりして元気になったと振り返ります。
自分の番組を聴けばネガティブケイパビリティが鍛えられそうだ、答えがないから、とオカジュンさんは言います。
自分語りを「僕が興味あるから」と言われて
けいじくんの番組は、オカジュンさんの人生をテーマに2人でトークしていく内容で、次回も彼女がゲストの回になるといいます。
準備して臨みつつも、自分の自分語りが本当にいいのか、という迷いがあったそうです。興味のない人は聴かないし、聴く人は興味があるから聴くのだ、と自分に言い聞かせていました。
そのとき、けいじくんから力強くかけられた言葉が印象に残ったといいます。
いいんだよ、僕が興味あるから。
その一言にドキドキして、嬉しかったとオカジュンさんは話します。
友達の定義を言い直してみる
後半では、番組でうまく話せなかったところを補足していきます。友達の入り口は名前と言ったものの、ファーストネームか名字かは関係ないと言い直します。
言いたかったのは、肩書きとか役割から降りて、私とあなたになった瞬間みたいな。
これは勝手な自分の感情の発信だとしたうえで、だから自分の友達の定義はかなり広くなると話します。
さらに、会う頻度と好きさは全く比例しないと感じるといいます。何年も会っていなくても大好きな人はいるし、頻繁に会うからといって関係が一番深いとは限らない、という具体例を挙げます。
何年も会わなくても説明不要度が下がらない人がいる。
人生年表を作って気づいたのは、自分に「ふらっといなくなる病」があることでした。関係がある程度深まると、嫌いになったわけでも終わらせたいわけでもないのに、別のところへ行きたくなるといいます。
そんなふうに野良猫のように去っても、「もう嫌いなんだ」と思わない人とは、すごく長く付き合っていると気づいたそうです。
失敗を許せない社会と、信じてくれる人
話は、以前ラジオで聴いた安住紳一郎さんの尺度へと及びます。強い言葉を使っていたため、後で謝罪のようなものも発表されていたと補足しつつ、その内容を振り返ります。
自分が生まれた年に生まれた人が一番好きで、その人ならたとえ罪を犯しても許せる、という趣旨の尺度だったといいます。オカジュンさんは、その考え方を面白いと感じ共感したそうです。
そこから、自分もこの人ならどうかと人を測るようになったと話します。何をしても許してほしいのではなく、事情を聞く前に一度自分という人間を信じてくれるかどうか、という尺度です。
その背景には、失敗を許せない世の中になることへの怖さがあると言います。人は何かのタイミングでミスをすることがある。だからこそそういう尺度を持ってしまうと語ります。
だからこそ、直接会ったことがなくても信じてくれる人はいるのではないか、という思いを、このポッドキャストで人となりを伝えることで確かめたいのだと話します。
最後に、番組で不意に使った「友情」という言葉を、けいじくんが「友達」と切り離して整理してくれたことに触れ、自分なりに言い直します。
肩書きや役割
仕事上の関係など、役割で結ばれた状態
私とあなた
役割から降りて、個人と個人になった瞬間
友達
人と親密になるときに必ず経由する状態
恋人など
恋人になる人であっても、一瞬は友達を経由する
恋人になる人であっても一瞬は友達を経由している。だから、人と親密になるときに必ず経由する状態を友達と定義しようと思う、というのが今回たどり着いた答えです。
まとめ
太ったという身近な話から始まり、自信や失敗との向き合い方、そして友達の定義まで、答えを急がずに考え続けるひとり語りの回でした。うまく言えなくても言葉にしてみることそのものが、この番組のテーマになっています。
- 自己イメージは鏡の自分に引っ張られる。だからこそキラキラしたイメージを持ちたいと語られました。
- すごいと思える人は失敗を重ねており、「そう思われても死ぬわけじゃない」と思えることが自信に見えると考察します。
- 答えのない話を聴くことは、ネガティブケイパビリティを鍛えることにつながると冗談めかして語られました。
- 会う頻度と関係の深さは比例せず、「説明不要度が下がらない人」との関係が深いと話します。
- 友達とは、肩書きから降りて「私とあなた」になり、人と親密になるときに必ず経由する状態だと定義されました。
