AIの進化と、甘やかさないGPTの話
冒頭は、AIの進化をめぐる雑談から始まります。岡島さんは動画や画像の進化以上に、テキスト生成の進化に驚いていると話します。
ポッドキャストの書き起こしをもとに、ツイートや記事を作ってくれる性能がかなり上がったといいます。
玉置さんは、自分のGPTを甘さゼロで育てていると明かします。Geminiへの乗り換えを相談したら「蓄積があるから乗り換えない方がいい」と言われ、冗談を返したら本気で怒られたそうです。
「私のこと好きなの?」って聞いたら、すごい本気で怒られたんですよ。
「冗談は面白くない」って言われたんで。
自分が書こうとする内容にも「まだ甘い」「それじゃバズらない」と口を出してくるといい、玉置さんはその反対を若干押し切って投稿しているそうです。
話は、そもそも人は変化を嫌う性質を持っている、という方向へ進みます。
そもそも人間って変化することを嫌う性質ってデフォルトであるので。
玉置さんは、それがないと生きながらえることができないとしつつ、変化はやること増えるし、慣れたものがなくなるのでストレスは感じると話します。だからこそ、そこに乗っかっていこうというのがこの番組の姿勢だと整理されます。
自分の「消化吸収のいいパターン」を見極める
ここから本題のインプットに入ります。テーマは「自分に合った情報の吸収パターンを把握しよう」です。
前回は「誰が書いたか」でインプット元を選ぶ話をしました。今回はそこから一歩進んで、自分が消化吸収しやすいタイプを見極める話になります。
インプットの効率って、まあ内容以前に、その形式との相性で決まる部分があると思ってるんですね。
その相性を左右する大きなポイントとして、玉置さんは「情報の密度」を挙げます。密度が高いものが吸収しやすいのか、薄めが吸収しやすいのかは、人によって大きく分かれるといいます。
もう一つが情報量です。知りたいことに対して、本当に分厚い本が必要なのか。少し知れればいいだけなのに、鈍器のような本を選ぶと、読み始めるハードルが上がってしまいます。
分厚い本が生む罪悪感と、「ワナビー」で選ぶ落とし穴
岡島さんは、本には「最後まで読まないとサボっているような気持ちになる」特性があると指摘します。分厚い本は、存在するだけで罪悪感を生むという話に発展します。
やっぱ分厚い本って存在するだけで罪悪感を生むじゃないですか。
岡島さんは、これを料理にたとえます。この一皿が食べたかったのに、コースで提供されるような感覚だといいます。
玉置さんは、本を「こういう本を読めるといいな」という憧れ、つまりワナビーの意識で選んでしまうケースがあると指摘します。
おしゃれな本屋の入り口に山積みされた「今みんなが読んでいる」小難しい本を見ると、「読めたらいいな」という気持ちが湧く。しかしそれは、多くの場合、積読予備軍だといいます。
「密度の高い文章」と「低い文章」を読み比べる
抽象論では伝わりにくいため、玉置さんは同じ内容を密度の高い文章と低い文章で読み上げ、聞き比べる実演を行います。
まず密度の高い文章は、こう始まります。「学習効率は認知資源の最適配置によって決まる。課題が曖昧な状態で情報に触れると、脳は選択的注意を働かせられず、記憶の定着も判断基準の更新も起きない」。
岡島さんは、一語一語に情報がぎゅっと詰まっていると反応します。
一語一語に情報が結構詰まってるみたいな。一語の意味がぎゅっと詰まってる。
続いて、同じ内容を密度の低い言い方に置き換えます。「勉強しても覚えられないのは、頭が情報整理できていないからです。何を目的に学ぶのかが決まっていないと、脳は『これは覚えなくてもいい』と判断してしまいます」。
岡島さんは、こちらは脳に優しいと感じたと話します。
僕の脳に優しいかも。ありがたいなって思いました。
玉置さんは、意味は同じでも、密度の高い文章は「認知資源」のような専門用語を前提にしており、一つの文に複数の概念が詰まっていると解説します。
専門用語や抽象度の高い表現が多く、一文に複数の概念が詰まる。読み手に前提知識を求める
日常語や身近な言葉を使い、因果関係を丁寧に説明する。前提知識がなくてもすんなり入る
同じ文章でも、得意分野かどうかで最適が逆転する
重要なのは、どちらが優れているかではなく、読み手の状況で最適が変わる点です。
自分の専門分野や、よく知っている分野であれば、密度の高い文章の方がかったるくなく、短い分量で多くの情報を得られます。
一方で、初めて学ぶ分野では、脳が処理すべきことが多すぎて負荷が重くなります。密度の低い文章の方が、知識がなくてもすんなり入ってきます。
岡島さんは、動詞の主語が自分になっていると理解しやすく、覚えやすいと実感を語ります。
主語が自分だったりすると、あの理解しやすいですよね。覚えやすいとか。
そして、学生時代に頭に入らず離れてしまった授業や本は、当時の自分にとって密度が高すぎたのかもしれない、と振り返ります。
難しい本を読むための「下調べ」という戦略
密度の高い本をどうしても読みたい場合、玉置さんは、まず同じ内容の密度の低い本を下調べ的に読むことをすすめます。
背景や文脈を先に知っておくと、そのあとに密度の高い本を読んだとき、なんとなく分かりやすくなるといいます。
文学作品も密度の高い文章が多く、苦手な人が多い領域です。そこで役立つのが、漫画版です。
今割とその漫画で読めるシェイクスピアとか、漫画で読める罪と罰みたいなのがあるんですよね。
漫画で先に全体像を把握してから実際の文学書を手に取ると、また吸収できるようになるといいます。
もう一つのポイントは、読み方そのものです。密度の高い本は、一文読んで「これどういうことだっけ」と考えながら読む本だと分かっているだけで、読みづらさが減ると玉置さんは話します。
言葉は「世界の切り取り方」という視点
話は、言葉そのものの性質へと広がります。玉置さんは、言葉を「人間が世界をどう区切って扱うかの装置」と捉える見方を紹介します。
三次元、四次元の世界で起きている現象を共有したいから言葉が生まれた。しかし、それを100%言葉に収めることはできず、ある部分を切り取って「この言葉とする」という決め事だといいます。
岡島さんは、これを密度の話とつなげます。意味の区切りが広く抽象的だと、その言葉には多くの意味がのり、密度が高くなるという整理です。
玉置さんは、言葉は認知のフレームワークそのものであり、思考も頭の中にある言葉でしかできないと話します。
岡島さんは、保守主義や自由主義といった言葉がないと、その軸自体が見えなくなると応じます。同時に、言葉が二項対立を生む危うさにも触れます。
言葉って、その自由にもなり得るし、制約にもなり得るんですよね。
作者独特の世界の切り取り方を楽しむのか、みんなが共有する意味で読むのか。それによっても、本や文章の選び方は変わってくると玉置さんは話します。
インプットと教養は別もの
情報を「言葉という器」に入れて仕入れる、という構造で自分のインプットを見直すと、読むことが少し楽しくなるかもしれない、と玉置さんは話します。
ここで岡島さんが、SNSとの関係に注意を向けます。バズるツイートは、わかりやすくするために密度を下げている。しかし、わかりやすいことといい情報であることは別だと指摘します。
わかりやすいからといって、そのいい情報であるとは限らないから、なんかそこの見極めって最初むずそうだなって思いました。
だからこそ、自分に合っていない密度の高いものに挑戦することも大事だと岡島さんは言い添えます。今持っていない言葉や概念は、そういう場所からしか仕入れられないからです。
玉置さんは、空腹を満たすためにガツガツ食べる食事と、芸術品のようなコース料理を少量ずつ味わう食事の違いにたとえます。後者のような読み方は、インプットというより教養に近いといいます。
話は教養そのものへ移ります。玉置さんは、教養も情報と同じように仕入れようとした時点で、すでに教養ではなくなっているかもしれないと指摘します。
教養も情報と同じように仕入れようとしてしまった時点で、すでにもう教養じゃなくなってるかもしれないですよね。
玉置さんは、教養は「必要かどうかはわからないが、あった方が今いる世界を楽しめるもの」だと説明します。旅行先で歴史や建築、アートを知っていると楽しめることが増えるように、文脈がわかると自分と世界がつながる感覚を得やすくなるといいます。
山積みの難しい本はパスしてもいい
岡島さんはまとめとして、情報は密度がものによって全く違うため、自分の脳に合っているかをメタ認知しながら吸収するのがいい、と整理します。
玉置さんは、山積みになっている分厚い難しい本はパスしても大丈夫だと言い切ります。
今は脳に合わないと感じる本も、その分野に知見ができてくれば読みやすくなることがあります。いきなり難しいところに初見で行かないことが大事だといいます。
だから、読めないからといって自分がダメなわけではない。合うものから始めればいい、というのがこの回の着地点です。
最後に、玉置さんが良かった本を紹介する回や、玉置さん自身の本の読み方を説明する回のアイデアも次回以降のネタとして挙げられました。
まとめ
インプットの効率は、内容以前に「文章の密度と自分の相性」で決まる部分があります。憧れで難しい本を選ぶのではなく、今の自分が無理なく飲み込める形を優先することが、挫折や積読を減らす近道になります。
- インプットの効率は、内容以前に文章の密度との相性で左右される
- 密度の高い文章は前提知識を求め、低い文章は知識がなくても入ってくる。得意分野かどうかで最適は逆転する
- 難しい本に挑むなら、密度の低い本や漫画版で下調べし、考えながら読む本だと割り切る
- 言葉は世界の切り取り方であり、認知のフレームワークそのもの。だから自由にも制約にもなる
- 山積みの難しい本はパスしてよい。合うものから始め、知見がついてから読み直せばいい




