採用面接で感じた「みんな本当に選んできた?」という違和感
玉置さんが伴走コンサルタントの採用を進める中で、職務経歴書や面接に触れて感じていた違和感が、この回の出発点です。
応募者の多くは、自分の経歴を主体的な選択の連続として語ります。ある学校を卒業し、ある思いでこの会社を選び、ある理由で辞めて、次に転職した、という語り方です。
「私は、このような学校を卒業して、このような思いでこの会社を選択して、このような理由でこの会社を辞めて、そしてこの会社に転職しました」みたいなお話をするんですよね、自分の経歴として。
でもね、そんなにみんな自分で選択して生きてきてますか?って話なんですよ。
現実には、第一志望にすべて合格してきた人などほとんどいません。エージェントに紹介された会社の中から選び、知ったばかりの会社に向けて志望動機を作る、というのが実際のところです。
玉置さんは、その語りに嘘や後付けが混じっていると指摘します。そしてその裏には、主体的に選んできたことが善で、そうでなかったことは悪だという価値観があると考えられると話します。
RPGの勇者は、実は何も選んでいない
玉置さん自身も、目標を持って主体的に選択してきた自覚は全くないと言います。走っていたらたまたまその場所にいた、という感覚の人生だそうです。
ここで登場するのが、RPGの勇者のたとえです。玉置さんは、勇者も実は何も選んでいないのではないかと問いかけます。
勇者は行く村を選んでいません。歩いていたら村があり、話しかけているうちに困りごとを聞かされ、退治や救出を頼まれます。
で、しょうがなく引き受けるじゃないですか。成り行き上なんかクエスト引き受けて、それをクリアしたら「ありがとう」って言われて、また村を出て、どこに行くかわからへんけど歩くわけじゃないですか。
つまり勇者は、ほとんど選択の余地がないまま成り行きでクエストを引き受けているだけです。それでも勇者は物語の主人公です。
これ何が違うの?って思いません?何も選んでない人生と勇者って。
だとすれば、履歴書を勇者のように正直に説明してもいいのではないか、と玉置さんは言います。たまたま入れた会社がここで、やってみたら少し違った、というのが正直なところだからです。
選択・我慢・引き受ける、3つの態度の違い
採用する側として、成り行きで生きてきたと語る人の中にも、採用したい人とそうでない人がいます。その違いは、起こる出来事を引き受けるかどうかにあると玉置さんは言います。
何かに出会ったときの態度は、大きく3つに分けられると整理されます。
自分が主語ではなく目的語になる。世界に置かれて反応するだけのNPCのような状態
能動的に選んではいないが、自分でそれを引き受け、主語が自分になる状態
選ぶ、我慢する・諦める、引き受ける。この3つのうち、我慢や諦めのうちは自分が目的語のままですが、引き受けると主語が自分になります。
「引き受ける」とは、選ばなかったことを言い切ることから始まる
ほとんどの出来事は自分の選択ではない、と玉置さんは言います。生まれる環境や国、通う学校、同じクラスになる人まで、選べないものばかりです。
選択はできなくても、引き受けるか引き受けないかを選ぶことだけはできる、というのがこの話の核です。
ここで玉置さんは、「引き受ける」を「選んだことにする」という捏造と区別します。
私が言ってるその偽物っていうのは「選んだことにする」っていう捏造なんですよ。でもそうじゃなくって、選んでないんだけれども、自分でそれを引き受けることにしたっていう編集なんですよね。
出自を書き換えるのではなく、意味付けを変える。面接なら「正しく選択してきた」と嘘をつくのではなく、「選択できることは少なかったが、それを引き受けてきた」と主張することだと説明されます。
そして引き受けるための最初のステップは、これは自分が選んだことじゃないと言い切ることだと玉置さんは言います。
自分が選んだっていうような自己暗示をベースでかけちゃうと、我慢か諦めっていう方に入っちゃうんですよね。
自分が選んだと思い込むと、選んだのだから我慢すべきだ、という方向に流れてしまう。だからまず「選んでいない」と認めることから始める、という順番です。
「責任者だったら」の視点が、ただの作業を勇者の仕事に変える
引き受けると決めたら、次はその出来事に対して責任者の視点で物事を考える段階です。自分は実際の責任者ではなくても、「自分が責任者だったら」という視点に立ちます。
責任者の視点に立つと、仕事の目的やゴール、背景、使えるリソース、制約を正しく理解する必要が出てきます。すると自然に情報を集めたくなります。
勇者は情報を集めますよね。
使えるリソースだと考えると、上司や同僚、他部署の人の仕事ぶりまで気になってきます。確認したいことが増え、時間つぶしだった会議が情報収集の貴重な場に変わります。
こうして自分の仕事を最適化したくなったり、提案したくなったりする。ただのお使いだった人が、勇者として仕事をしていくと、結果も出るようになると玉置さんは言います。
その結果、後付けで意味付けするのではなく、リアルタイムで自分が何をしているかに自覚が芽生えます。
履歴書を作る段になって、後付けで意味付けをするんじゃなくて、リアルタイムで自分は何をしているってことに自覚が芽生えるんです。
この積み重ねは、同じ仕事をしていても得られる経験値が全く違ってくる、と玉置さんは強調します。
ただし、全部の責任を引き受ける必要はありません。自分の責任範囲を明確にした上で、その範囲以上の視点で考えて推進する、というバランスです。
受けるクエストを選びましょうなんですよね。
受け身でも取り組み方は能動にできる
岡島さんは、この話を「始まりは受動だが、取り組み方は能動」と整理します。3つのクエストが来たら、その中でどれをやってみようかは選べる、というイメージです。
始まりは受動なんだけど、取り組み方、能動というか。
転職でも、第一候補の会社に入れる人はそう多くありません。だからこそ、入れる会社の中から選んで引き受け、実力をつけて次のステップで第一候補を目指す、という道が現実的だと語られます。
選べる範囲で選んだもの、成り行き上そこにハマってしまったら、そこで最大限に引き受けることをしていった方が、多分自分の自信とか満足度とか、確かに生きている実感みたいなものは得られると思うんですよね。
一方で、第一候補を待ち続けて宙ぶらりんでいるのはつらい、と玉置さんは言います。本来こんな仕事をする人間じゃないと思いながらこなすのは、我慢か諦めの状態です。
我慢か引き受けかは、職務経歴書に滲み出る
我慢や諦めで何も得ていない期間は、履歴書や職務経歴書に滲み出る、と玉置さんは言います。取り繕っても隠せないそうです。
具体的な話を聞けば、引き受けて仕事をした人か、やり過ごした人かは秒でわかる、と玉置さんは断言します。理由は臨場感の有無です。
だって本当にその洞窟に入ってモンスター倒した人にしかわかんない感覚ってあるんですよ。
同じ洞窟に入っていても、勇者として戦った人と、嫌々ながら後ろをついていった人とでは、語れる経験が全く違います。どうせ怖い洞窟に入るなら、勇者のほうが得だ、という結論です。
どうせ暗くて怖い洞窟に入るんだったら、勇者の方が得だよって話ですよね。
だから、選べなかったことを恥じる必要はない、と玉置さんは言います。みんな限られた選択肢の中で渋々引き受けている。問題はそこからどうするかだけです。
最近はAIが綺麗なストーリーを作ってしまうため、かえって嘘くさくなる、という指摘も出ます。迷いや葛藤のない一本道の経歴は、AIが書きがちだからです。
迷いとか葛藤とか、バカなことしたり、正反対のことをやってみたり、嫌になったりって、いろんな迷いとか葛藤とかがあって今に至るっていうのがほとんどの方だと思うんですよね。
自分が何者かは、積み重ねの結果でしかない
この回のテーマは「自分が何者かが見えてくるRPG的な生き方」でした。岡島さんは、選んだことにするのではなく、実際の自分を正直に見たほうが見えてくる話だと解釈します。
玉置さんは、こうありたい・こうなるべきに縛られるとしんどい、と応じます。積み重ねたものこそが自分だと考えるほうが、安定感があり強くなれると言います。
自分が何者かって、自分がやってきたことの積み重ねでしかないじゃないですか。
「何者かになりたい」という近年の欲求について、玉置さんはきっぱりと言います。何者かには誰もなれず、最高の自分になることしかできない、と。
世間で何者かになっている人たちは、桁外れの努力をした、普通ではない人たちだと玉置さんは言います。本当にそのプロセスも含めて目指すのか、と問いかけます。
むしろ、目の前のことを引き受けて最高の自分になろうとしているほうが、気づいたら周りから何者かと言われている可能性が高い、と語られます。
もう来たボールを精一杯打ち返すっていうのが、まあ誰にでもできる、何者かになれる可能性の高い道かもしれないですよね。
「選び続ける人生」は強者の戦略
では、明確な人生計画を立てて着実に達成していく人はどうか。玉置さんは、GMOの熊谷さんのような手帳で人生計画を立てるタイプを例に挙げます。
ただし、そうしたタイプは量産できず、なろうとしてなれるものではない、と玉置さんは言います。決定にはカロリーがかかり、認知コストが高いからです。
自分の納得のいく決定をするっていうのって、むちゃくちゃやっぱりすごい負荷なんですよね。
さらに、自分で選んでもうまくいかないことのほうが多く、選んで失敗したときのダメージは、選ばずに失敗したときより大きい、という難しさもあります。
選んだことでうまくいかなかった時って、選ばなくてうまくいかなかった時よりも精神的なダメージでかいんですよ。
屈強な精神と認知負荷に耐える頭脳があれば選び続ける人生も選べますが、難易度が高く、多くの人にとって再現性のある道ではない、と整理されます。
その弊害として、正しい選択にこだわって決断を長引かせたり、選んだと思わされているだけのことをしてしまったりする点も挙げられました。
玉置さんは、選び続ける人生を否定するわけではないとしつつ、それがベストではないと伝えたいと締めくくります。
別に受け身でいても引き受ければいいんだよっていうことをなんか伝えられればなと思って。
まとめ
多くの人は限られた選択肢の中で生きています。だからこそ、選べなかったことを恥じるより、目の前のことを引き受けて自分の主語で取り組むことが、実感と自信、そして「何者か」に近づく道になる、という回でした。
- 採用面接で語られる「主体的に選んできた」経歴の多くは後付けで、こちら側には嘘や我慢が滲み出て見えている
- 何かに出会ったときの態度には、選ぶ・我慢する(諦める)・引き受けるの3つがあり、引き受けると主語が自分に変わる
- 引き受けるとは、選んでいないと言い切った上で、責任者の視点で目的やリソースを理解し、自分事として動くこと
- どうせ同じ洞窟に入るなら、嫌々ついていくより勇者として戦ったほうが、語れる経験も経験値も得られる
- 何者かには誰もなれず、最高の自分になるしかない。来たボールを精一杯打ち返す積み重ねが、結果的に何者かに近づく道になりうる



