高野秀行という「禁断症状」と一番低い場所からの視点
番組は、内藤さんの「何かに禁断症状が出ることありますか?」という問いかけから始まります。内藤さんいわく、ある作家の本をしばらく読まないでいると「本気で手が震えてくる」とのこと。その作家こそ高野秀行辺境・探検ノンフィクションで知られる作家。誰も行かない場所へ赴き、記録されてこなかった文化や人々を描く作風で熱心なファンを持つ。さんです。
二人はこの数年、禁断症状が深刻だったと語ります。探検ものはノンフィクションの花形であるにもかかわらず、コロナ禍で世界中の人が動けなくなり、現地にどっぷり浸かったタイプの本がごっそり減ってしまった。そのタイムラグで、いま骨太な探検ものに飢えているというのです。
そんな飢えを止めたのが、今回紹介する高野さんの新刊です。首藤さんが「最初にわっとなった」と挙げたのが、本書を貫く一番低い場所からの視点でした。
「川旅は土地の一番低いところを行く旅である」っていう名言がね。この一言だけでこの本の世界に引きずり込まれる感じがしますよね。
道路は、実は大抵高いところを走っている。道路を走るのは国家であり権力であり軍隊であり、物理的にも心理的にも土地を見下ろす立場になる。一方、川は土地の一番低いところを流れ、橋からも岸辺からも常に見下ろされる宿命にある。だからこそ誰にも警戒されず、世間のしがらみから解放された無政府的な空間になる、と二人は整理します。
高いところを走る。国家・権力・軍隊の視点。土地をコントロールする側。地元の人に警戒される。
一番低いところを流れる。流れに身を委ねる側。警戒されず、しがらみから解放された無政府的な空間。
本書ではこの、車や電車では絶対に見えない世界を「パラレルワールド」と呼びます。この本は最初から最後まで、一番低い目線から世界を眺める探検記なのです。
ゴムボートで文明の源流を下る三人男「トリアーナ」
本書のタイトル『メソポタミアのボート三人男』は、ジェローム・K・ジェロームイギリスの作家。『ボートの三人男』は、さえない男三人がテムズ川をグダグダ下る古典的名作ユーモア小説。丸谷才一による翻訳がある。の『ボートの三人男』のオマージュ。ただし舞台はのどかなテムズ川ではなく、人類最初の文明が生まれたティグリス=ユーフラテス川メソポタミア文明を育んだ二本の大河。周辺の肥沃な三日月地帯は「文明のゆりかご」と呼ばれる。、しかもその源流部です。
「文明のゆりかごをおじさんたちがゴムボートで下る」――この時点で面白さが確定していると二人は笑います。
一番低い場所から世界を見つめる探検記の書き手。
レジェンド探検家。出発前は体調がイマイチだったが、川に入った途端「水を得た魚」のように復活し、ダジャレが止まらなくなる。
全身黒ずくめで極太の眉毛を持つ人物。1か月の仕事を引き受けたのに旅の中身をほとんど聞かされないまま来ており、若い女性に見とれて打ち合わせが上の空になる。
三人が自分たちにつけた呼び名が「トリアーナ」。アナログ、アナクロ、アナーキーという「三つの穴」を体現する者たち、という意味です。この三文字に旅の思想が詰まっている、と首藤さんは言います。
三人が乗る船は、折りたためばリュックに収まるわずか4kgほどのゴムボート、パックラフト。水に浮かべると「幼児用プールのおもちゃ」にしか見えません。膨らませ方も、45リットルのゴミ袋のような袋で風を集めて空気を押し込む「逆ゴミ出し」スタイル。人類最古の文明を幼児用プールのおもちゃでたどる――この時点で、単なる探検記とは一味違うと二人は語ります。
なぜ高野作品には中毒性があるのか
「高野さんの本はなぜあんなに中毒性があるのか」。首藤さんの問いに、内藤さんはユーモアだけではないと答えます。笑わせる書き手は他にもいる。中毒性の理由は、もう少し構造的な話だというのです。
一つ目は「計画された偶然性」。普通の探検家は資料を集め、仮説を立て、頭の中で構成を組んでから現地に行きます。しかし高野さんが行くのは、そもそも資料が存在しないような場所ばかり。だからまず行ってしまう。とはいえ、ただの運任せではありません。
本書の中でも川旅のコツで印象的な言葉があって。歓迎されるためには自分から行かないんだと。近くを通り過ぎて、向こうから「こっち来い」って言われるのを待つ。
川に面した場所は住民のプライベート空間でもあるから、呼ばれるまで待つ。川下りは一番低いところを流れに任せて進む受け身の旅だからこそ、向こうから「何やってんだこいつら」と人が寄ってくる。自分を低い場所に置き、偶然が向こうからやってくるのを待ち構える。だから出会いが予測不能で、目が離せない。もちろん歓迎ばかりではなく、石を投げられたり、船が忽然と消えて大騒ぎになったりもします。
二つ目は、いつもよそ者のまま、その土地の少数派へダイレクトに飛び込む目線です。
政府や大学など「正面玄関」から入り、多数派の目線を通して国を知る。ガイドブックやニュースも多数派側から書かれる。
多数派をすっ飛ばし、いきなり少数派の懐へ。多数派の色眼鏡がかからないフラットな状態で、そのままの姿を見る。
今回の旅で出会うのも、クルド人中東の広い地域に暮らす民族。独自の国家を持たず、トルコなど各国で少数派として複雑な立場に置かれてきた。やアレヴィイスラムの中の少数派とされる信仰。トルコでは多数派のスンニ派と異なり、独特の宗教文化を持つ。の人々といったマイノリティ。それをマジョリティのフィルターを通さずフラットに見るからこそ、反転するようなパラレルワールドが見えてくる、と内藤さんは分析します。
三つ目は、深遠なテーマへの跳躍です。ふざけて書いているように見えて、いつの間にか深いところにたどり着いている。アカデミックの世界では記録されてこなかった、消えかけた船の作り方や滅びかけた信仰を見つけ、後世に残る資料的価値のあるものに変えてしまう。研究の枠からこぼれ落ちるものを「探求」の目線で拾い上げ、価値化する作家なのです。
三つの川旅(1)灼熱の泥川ムラトと最高のもてなし
この旅は大きく三本の川に分かれます。まず全体図を整理しておきましょう。
一つ目のユーフラテス最上流ムラト川は、本書で「こやし汁」とも呼ばれる川。清流のイメージはいきなり裏切られます。気温は日陰でも46度、水は牛糞まじりの泥水。浅瀬で船がしょっちゅう座礁し、そのたびに4kgのゴムボートを降りて泥の中を引っ張っていく。本書ではこれを「田植えみたい」と表現しています。
しかもこの一帯は政治的な緊張地帯。クルド人の武装組織PKKクルディスタン労働者党。クルド人の権利を掲げる武装組織で、トルコ政府と長く対立してきた。の拠点があり、政府軍や村の自警団が睨み合う。村に1泊するだけでも神経をすり減らします。
しかし、ここからが本書の真骨頂。首藤さんが一番好きだと語るのが、羊飼いの一家のくだりです。体重150kgほどありそうな巨体のお父さん――高野さんが「トトロ父さん」と呼ぶ人物の懐に入った瞬間、温かさが爆発します。
川辺では女性たちが刈ったばかりの羊毛の塊や小麦を浅瀬で洗い、川が暮らしのバックヤードになっている。「こやし汁」のような泥川で、人生最高クラスのもてなしに出会う。緊張と優しさが同じ場所に同居しているのです。
三つの川旅(2)水着と酒の桃源郷デルスィム
山を一つ越えてムンズル川の領域に入った瞬間、高野さんはまるで異次元にワープしたかのように別世界へ出ます。舞台はデルスィムトルコ東部の地域。本書ではアレヴィのクルド人が多く暮らし、自由な空気を持つ土地として描かれる。です。
女性は全員ベール、お酒はご法度のイスラムの世界。
ノースリーブにホットパンツ、水着で川遊び。スーパーには酒が並び、店先では(イスラムで不浄とされる)犬がのんびり昼寝している。
極めつけは政治でした。本書で描かれる当時、デルスィムはトルコで珍しく共産党系の市長がいた土地で、チェ・ゲバラの肖像があちこちにあったといいます。中東のど真ん中になぜこんな桃源郷があるのか――その答えは土地の人々のアイデンティティにありました。
彼らは生き延びるために「すべての人間は平等だ」という理念を求め、社会主義や左派に惹かれていった。それが共産党の市長や自由な空気につながっている。つまりこの桃源郷はただのユートピアではなく、迫害の歴史の裏返しでもあるのです。
デルスィムを流れるムンズル川は、本書で「パタゴニア級」と評されるほどの透明度。「こやし汁」と同じ水系とは思えません。その透明度の謎を地質学で解き明かすくだりに、二人は知的興奮を覚えたと語ります。
3000m級ムンズル山脈の雪解け水
氷河が削ってできた天然の土砂のダム「モレーン」に染み込む
地下で完全にろ過
キーンと冷えた水が岩肌から湧き出す。自然が作った巨大な浄水器
その源流は、アレヴィの人々の聖地「ムンズルババ」の湧き水。ここで山田隊長が書きつける説が印象的です。自然が豊かだと一神教にはならず、水と木と火を敬う八百万の神になる、というもの。トルコの山奥の聖地が、日本のアニミズムと同じことを言っている――首藤さんは鳥肌が立ったと語ります。
彼らはモスクに行かず、ラマダンの断食もせず、巡礼もしない。その代わりに信仰を伝えるのがサズ中東・アナトリア地方の弦楽器。長いネックを持つリュートの一種。アレヴィの人々にとっては信仰を伝える神聖な楽器とされる。という弦楽器です。モスクを持たない彼らにとって、吟遊詩人がつまびくサズの音色こそが祈りそのもの。デデアレヴィの聖職者。信仰と演奏を父から子へと受け継いでいく。と呼ばれる聖職者が、演奏を父から子へ信仰ごと受け継いでいきます。「楽器がお経でもあり、お寺でもある」と首藤さんは表現します。
しかし、この聖なる楽器には重い歴史も刻まれています。
自由な桃源郷は、その記憶の真上にある。さっきまでの多幸感から一気に背筋が冷たくなるくだりです。内藤さんは、美しい川底には人の歴史が地層のように積み重なっている、と語ります。一番上には今の透き通った清流、その下には虐殺の記憶、さらに下には何百年もの迫害の歴史。川を下るとは、その地層を一枚ずつめくっていくようなものだというのです。
三つの川旅(3)沈んだ古代都市ハサンケイフと文明の問い
三つ目は、もう一本の大河ティグリス川。高さ70mの絶壁が延々と続く大峡谷をひたすら下り、その先に待つのが、崖に張り付くように築かれた古代都市ハサンケイフティグリス川沿いにあった古代都市。1万年以上の歴史を持つとも言われたが、ダム建設によりダム湖の底に沈んだ。です。
このハサンケイフを前に、内藤さんは一つの問いに突き当たります。四大文明は大きな川のほとりで生まれたと学校で習った。しかし本書を読むと、その常識を逆さまに問い直したくなる、というのです。
文明って川から生まれたんじゃなくて、川を管理したい、支配したいっていう欲望から生まれたんじゃないかな。
灌漑し、治水し、川をコントロールして都市を作る。それが文明の始まりだとすれば、文明は欲望から生まれたと言える。そして今、同じ欲望が勃興し暴走しているのではないか、と二人は指摘します。トルコは巨大なダムを次々に作り、1万年以上の歴史を持つとも言われる古代都市ハサンケイフは、大峡谷ごとダム湖の底に沈みました。
奇跡の清流ムンズルでさえ、上流の金鉱脈の採掘計画で微妙な状況になっているといいます。文明を生んだはずの欲望が、いまその文明の遺産を沈め、源流の世界そのものを脅かしている。ゴミ袋で船を膨らませて笑っていたのに、後半で急に重たい話になる。この落差こそ本書の凄み、と二人は語ります。
メソポタミアは関東にもあった? 荒川へ
首藤さんが「一番こう来たかと思った」と語るのが、後半の「エドポタミア」の章です。本書はいきなり東京の川へと話が飛びます。江戸とメソポタミアで「エドポタミア」。荒川と多摩川の二本の川が、ティグリスとユーフラテスの構造にそっくりだというのです。
特に荒川はすごく、SUPで下る場面では川幅も水の量も岸辺の眺めも植生もティグリス川そっくりで、本書は荒川を「埼玉のティグリス川」と呼びます。この見立てを、二人はさらに広げていきます。
埼玉のティグリスって荒川、荒川の上流って秩父の長瀞ですよ。行けちゃうんじゃないですか?もう。車で二時間ぐらい。
行きます。
そして二人は本当にスタジオを飛び出し、埼玉県長瀞町、荒川上流のほとりまで来てしまいます。ところが――川の増水により船が出ない。冷静に振り返れば東京で調べればわかったはずで、直近の台風で連日運休だったのです。それでも気を取り直し、川辺に椅子を並べて収録を続けます。
目の前には長瀞名物の岩畳。8000万年前の海底の隆起でできたというその上には大勢の観光客がいて、川辺にポツンといる二人を見下ろしています。
さっきスタジオで、道路は見下ろす、川は見下ろされるって偉そうに語ってましたけど、今まさに僕ら見下ろされてるわけですよね。喋っていた一番低いところに本当に降りてきた。
| メソポタミア | 関東(エドポタミア) |
|---|---|
| ティグリス川 | 荒川 |
| ユーフラテス川 | 多摩川 |
| 都市の中枢(ウルクなど) | 日本橋・江戸城あたり |
| 湿地帯アフワル | 葛西・行徳・浦安の水辺の低地 |
| 北方の聖なる源流 | 奥秩父の三峯神社 |
つまり東京も、二本の川に挟まれて生まれたれっきとした川の文明だ、というわけです。二人がいる長瀞は荒川の源流に近い上流部。地図で言えば「聖なる源流」のあたりに実際に来ていることになります。
さらにリアルなつながりが。本書には、クルド人の新年の祭りネウローズクルド人などが祝う春の新年の祭り。例年3月に行われる。本書では荒川の河川敷の公園でも開催されていることが紹介される。が毎年3月に荒川の河川敷公園で開かれていると出てきます。実際、埼玉の蕨や川口にはクルド人のコミュニティがあり、「ワラビスタン」とも呼ばれます。本に出てくるクルド人たちが荒川沿いの町で暮らし、しかも今その荒川の上に二人がいる。メソポタミアは地球の裏側だけの話ではなく、足元に着地した――遠い冒険記だと思っていた一冊が、完全に人ごとではなくなったのです。
『イラク水滸伝』と二つのメソポタミア
この流れで二人が挙げる関連書が、同じ高野さんの名著『イラク水滸伝』です。『ボート三人男』が下るのはティグリス=ユーフラテス水系の上流(主にトルコ側)、『イラク水滸伝』が下るのは同じ水系の下流(イラク側)。この二冊で「二つのメソポタミア」になる、と内藤さんは語ります。
この上下流の違いは、ただの場所の違いではありません。
文明が生まれる前の源流域。人類最古の神殿、世界最高級の麦栽培の痕跡。いわば「文明の種子」。相手は自然で、灼熱・泥・嵐という理屈抜きの不条理な苦労。
湿地帯アフワル。古代シュメールに通じる藁の家、マンダ教徒などの少数派、はみ出し者が最後にたどり着くアジール。「文明の記憶が沈殿した場所」。相手は人間で、氏族の顔役や秘密警察との理不尽な世界。
源流で生まれた水が最下流でゆっくり溜まり、そこに5000年分の記憶が地層のように積もる。今いる荒川でも、一番下の河原に石が溜まっていくのと同じ、と内藤さんは重ねます。『イラク水滸伝』ではこの下流域を「神聖喜劇残箔」と呼んでいるといいます。
そして苦労の質も反転する。上流は自然に翻弄される「不条理」、下流は人間関係に絡め取られる「理不尽」。その理不尽のど真ん中で、湿地帯の頭領が言うセリフが印象的です。
「将来は暗い。でも今日は楽しもう」というセリフがいいんですよね。
上流の不条理と下流の理
