究極の「起業家的」挑戦:ISAKとは何か
ISAKジャパンは、2014年に軽井沢に開校した全寮制の国際高校です。正式名称は「ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン」。2017年に世界で17校目となるユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)世界18カ国に展開する国際的な教育機関。多様な背景を持つ若者が共に学び、平和と持続可能な未来を築くリーダーを育成することを理念とする全寮制高校のネットワーク。に加盟し、現在の名称となりました。
この学校の最大の特徴は、90カ国から集まる生徒の7割に奨学金を給付している点です。小林さんは「教育は本来、どんな生い立ちの人でも格差を埋められる手段であるべき」と語ります。持てる人だけがアクセスできる教育ではなく、志と能力があればどんな子にもチャンスがある学校を目指しているのです。
どんな立場の人の価値観が分かるって、すごく重要だと思ってるんですよ。本当に国籍だけではなくて、宗教観、歴史観、文化、あるいは社会的経済的なバックグラウンド、あらゆるものが違う人たちといるっていうことが、世の中にとって大事なインパクトを出すにあたって極めて重要なんです。
ビジネスモデルの特殊性――フィランソロピーと教育の融合
一般的なインターナショナルスクールは、高額な学費で運営されています。しかし、ISAKは全く異なるモデルを採用しています。人数ベースでは3割が自費、7割が奨学金。ただし金額ベースでは、奨学金受給者の中にも半額や3分の1など部分的な支援を受けている生徒もいるため、収入の半分が学費、半分が奨学金という構成です。
この奨学金を支えているのは、個人版ふるさと納税が圧倒的に大きな割合を占め、企業版ふるさと納税、私学助成金も一部活用しています。小林さんは「奨学金は、かわいそうだから出しているわけではない」と強調します。ダイバーシティこそが学びの価値を高めるという考えから、多様な背景を持つ生徒が集まる環境を作るための投資なのです。
17歳の原体験が生んだ「機会の不均衡」への問い
小林さんが「学校を作りたい」と思ったわけではありません。きっかけは、高校時代にUWCの奨学金を得てカナダに留学したことでした。そこで仲良くなったメキシコの友人の家を訪れた時、会議室ほどの広さの家に住んでいる家族を見て衝撃を受けます。さらに、その家が「メキシコでは中流階級以上」と聞かされ、初めてスラムに連れて行かれたことが、小林さんの人生を決定づける原体験となりました。
東京の多摩ニュータウンで育った小林さんにとって、自分が恵まれているという実感はありませんでした。しかし、メキシコで目の当たりにした圧倒的な貧困が、「どこに生まれたかによって人生が変わってしまう不条理」を突きつけたのです。それ以来、外資系金融、スタートアップ、そしてユニセフ国連児童基金(UNICEF)。子どもの権利を守り、基本的なニーズを満たし、能力を最大限に発揮できる機会を広げることを使命とする国連機関。世界190以上の国と地域で活動している。と職場を変えながらも、「いつか機会の不平等に挑む」という問いを持ち続けました。
運命的な出会いと「学校づくり」への転換
転機は33歳の時に訪れました。ユニセフ職員としてフィリピンでストリートチルドレンの非公式教育に携わっていた小林さんは、2つの悩みを抱えていました。1つは「最も苦労している子たちだけを支援していて、根本的に何かが変わるのだろうか」という疑問。もう1つは、外資系金融やスタートアップで培ったスピード感との落差に対する違和感でした。
そんな時、大学時代の友人の紹介で、今のコーファウンダーである谷家衛(たにや・まもる)投資家として成功した後、社会的インパクトを重視する事業に関心を持ち、小林さんとISAKを共同創設。当初は20億円の資金提供を申し出たが、リーマンショックで200万円に減額。それでもプロジェクトを継続した。さんと出会います。谷さんから突然「学校作りたいんだけど」と持ちかけられた時、小林さんは「学校って、人が作れるものでしたっけ?」と戸惑いました。
しかし、谷さんの「20億あげるから、お金の心配しなくていい。理想の学校を作ろう」という言葉に、小林さんは運命を感じます。自分の生い立ち、メキシコでの原体験、ユニセフでの悩み――すべてが「学校づくり」という一点に収束する瞬間でした。スティーブ・ジョブズのスタンフォード卒業式スピーチ2005年6月、ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った伝説的なスピーチ。「Connecting the dots(点と点をつなぐ)」という言葉で、人生の様々な経験が後から振り返ると一つの線になることを語った。で語られた「点と点が線になる」瞬間を実感したのです。
考えれば考えるほど、このプロジェクトこそ全てが一緒になる瞬間だと。これこそ私の天命じゃないけど、これこそ私がやりたい、やるべきプロジェクトなんじゃないかって思い始めたんです。
リーマンショック、20億円が200万円に――それでも諦めなかった理由
1年間悩んだ末、小林さんは国連を辞めてプロジェクトに飛び込みます。ところが、帰国してわずか3週間後にリーマンショック2008年9月、米国の投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻をきっかけに世界的な金融危機が発生。株価暴落、企業倒産、失業率上昇など、戦後最悪レベルの経済危機となった。が発生。谷さんから電話がかかり、「りんちゃん、200万円しか出せなくなってしまいました」と告げられます。20億円が200万円に――通常なら諦める状況でした。
しかし、小林さんは「諦める」という選択肢が全く思い浮かばなかったと言います。なぜなら、このプロジェクトこそが自分の天職だと「思い込んでいた」からです。小林さんは振り返ります。「単なる思い込みだったんじゃないかという話もあるし、そこから始まった数々のハードシングスが待ち受けていることを知っていたら、やんなかった。でも、知らなかったから飛び込めた」と。
この「自分に都合のいい思い込み」について、ホストの安利さんも共感します。自身も27歳で起業した際、「自分は天才だと思っていた」と振り返ります。恥ずかしくて人には言えないけれど、そういう思い込みがなければ踏み出せなかった、と。小林さんは、若い時に挑戦できる背景には、小さな頃から少しずつ挑戦を重ねてきた経験があると指摘します。
「アーリー・スモール・サクセス」がすべてを変えた
資金難に苦しむ小林さんに、UWC留学時代の同期で起業家の佐藤輝英(さとう・てるひで)ネットプライス(現BEENOS)の創業メンバー。UWCイタリア校の出身で、小林さんとは留学同期。起業家として数々の困難を乗り越えた経験から、「アーリー・スモール・サクセス(初期の小さな成功)」の重要性を小林さんに説いた。さんが忠告します。「アーリー・スモール・サクセス――すごく初期段階に小さくてもいいから、何か成功体験を見せないと、誰もお金を出さないよ」。
最初は「寺子屋じゃないんです」と抵抗した小林さんでしたが、何度も説得され、2010年に軽井沢で2週間のサマースクールを開催します。5カ国から34人の生徒を集めた小さなプロジェクトでしたが、これが全ての転機となりました。
勢いに乗った小林さんたちは、2011年3月3日に決起大会を開催。10人の寄付者にそれぞれ10人の知人を紹介してもらい、100人のリストを作成します。「これで資金集め完了」と楽観的に考えていた矢先、3月11日に東日本大震災2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の巨大地震と津波。死者・行方不明者は2万人以上。福島第一原発事故も発生し、国内外に大きな衝撃を与えた。が発生します。
すべてのアポがキャンセルされ、理事会でも「軽井沢はホットスポットだ」「日本には誰も来ない」という声が上がり、プロジェクト中止の議論が起こります。しかし、小林さんと谷さんら数名の理事は「少なくともサマースクールはやろう」と決断。すべての放射線データなどのファクトをウェブサイトに公開し、「1週間前までキャンセル料をいただきません。このファクトを見てご自身でご判断ください」と伝えます。
結果、教員も生徒も誰一人キャンセルしませんでした。
さらに、震災後の3月から4月にかけて、日本政府の対応や国際的な発信を見た世論が「グローバルリーダーシップが大事だ」という方向に変化します。2011年7月の2回目のサマースクールには、4台のテレビカメラと8誌の新聞・雑誌が取材に訪れ、ISAKのプロジェクトが国内外に広く知られるようになります。そして、その後1年間で10億円の資金が集まったのです。
まとめ
小林りんさんのISAK設立の物語は、起業家精神の本質を体現しています。17歳のメキシコでの衝撃が、20年以上の時を経て「学校づくり」という形で結実しました。リーマンショック、東日本大震災という逆境を乗り越え、2014年に開校、そして2017年にUWCに加盟。現在では90カ国から200人の生徒が集まり、7割に奨学金を提供する学校として運営されています。
この挑戦を支えたのは、「機会の不均衡に楔を打ち込む」という強い使命感と、「これは自分の天職だ」という半ば思い込みのような確信、そして佐藤輝英さん、岩瀬大輔さん、鈴木英敬さんといった仲間の後押しでした。
次回は、「学校を作る」という前代未聞の挑戦における許認可の壁や、さらなるハードシングス、そして今後の野望について伺います。
- ISAKは90カ国から200人の生徒が集まり、7割に奨学金を給付する全寮制国際高校
- 17歳のメキシコでの原体験が「機会の不均衡に挑む」という使命の原点となった
- リーマンショックで20億円が200万円になっても諦めなかったのは「天職だ」という思い込みがあったから
- 佐藤輝英さんの助言「アーリー・スモール・サクセス」がサマースクールにつながり、すべての転機となった
- 東日本大震災という逆境を経て、グローバルリーダーシップの重要性が再認識され、1年で10億円の資金が集まった
