CANTEENが挑む音楽産業の構造改革
冒頭でアンリさんは、CANTEENが音楽レーベルや事務所的な活動以外にも取り組んでいることを尋ねます。
遠山さんはまず、経済産業省の「New Music Accelerator」というプロジェクトの事務局を、EYと一緒に担っていると話します。
遠山さんによれば、西洋世界ではiTunesからデジタル配信、そしてサブスクへと段階的に移行する過程で、制作やプロモーションが少しずつDXされてきたといいます。
かつては数千万円かけて大きなカメラで映像を撮り、スタジオでエンジニアがCDを作らないと流通できませんでした。それがラップトップ1台で完結する時代になったと話します。
要は誰でも音楽を作れて、誰でも配信できて、誰でもプロモーションできるようになったわけです。その状態になってから、実際には結構久しいんですけど。
ところが日本は、iTunesの参入をスムーズに受け入れませんでした。CCCDを作ったり、ソニーが参入しなかったりしたことで、段階を踏まずにサブスクへ一気に切り替わったといいます。
さらに、その移行の間に日本ではアイドルカルチャーが流行し、AKBなどが客単価を上げることで市場規模を保っていたと指摘します。ここに構造のねじれがあると話します。
遠山さんは、音楽のマネタイズを興行、権利からの印税、ファンエンゲージメント、メディア出演の4つに整理します。これらはほとんどマスメディアが寡占している領域だといいます。
西洋では、この領域が解体され、デジタル流通サービスやパブリシスト、ブッキングエージェントなど、役割ごとに多様な職種が生まれたと説明します。
一方、日本ではその変化が起ききらず、CD時代の商慣習のままサブスクになっていると指摘します。権利は会社が持ったまま、お金を多く出した人が多くリターンを得る構造だといいます。
実状はみんな自分たちで作れるようになっているわけです。プロモーションもできる。だから、アーティストの実状と今の業界の商慣習に、めっちゃ乖離があるんですよ。
アンリさんはこれを、AIで少人数・低コストでできるようになったのに、なぜかVCを挟まないと出られないスタートアップの構造論に似ていると重ねます。
日本が音楽で勝てる世界戦略
遠山さんは、ソニーミュージックのように垂直統合してレバレッジをかける売り方も必要だと認めます。YOASOBIのようなアーティストはそうした仕組みでしか出てこないといいます。
ただし、それ以外がすべて「日常音楽か、メジャーか」の0か100になっているのは危ういと語ります。
メジャーの道は最適化されており、Zeppツアーから武道館、アリーナへと進み、途中でMステやファーストテイクに出るという、決まった階段しかないと指摘します。
それしかないんですよね、J-POPって。
J-POPのゲームをやること自体は否定しません。ただ、遠山さんは別の道もあると話します。
例えば東京では1000人しか集められなくても、ロンドン、ニューヨーク、LA、パリなどでそれぞれ1000人を集められるアーティストが世界にはいるといいます。しかし日本にはほとんどいないと指摘します。
その理由も、国内需要でニーズを作れないアーティストはプロとして生きていけない、という0か100の構造にあると語ります。
遠山さんは、日本の音楽市場は世界2位で、K-POPより大きいと話します。それを担保しているのは「量」と「層の厚さ」だといいます。
だからK-POPのように数個のIPに巨額を投じるのではなく、日本らしい戦い方があると考えています。
1000人どこでも集められます、1万人どこでも集められます、5000人どこでも集められますというのが、各ジャンルに20人ずついるみたいな。それが、日本が多分音楽で勝てる世界戦略なんですよ。
数個のIPに巨額を投じ、集中してアメリカ市場に挑戦させる
各ジャンルに一定規模を集められる中堅を多数輩出し、量と層の厚さで戦う
アンリさんは、映画で同じコンセプトに取り組む「NOTHING NEW」という投資先を挙げ、産業構造のギャップは映画にも共通すると応じます。
さらに遠山さんは、音楽は無形商材で伝わるスピードが速く、最終的にライブという場所に行き着くため、変化が最も速く現れる産業だと話します。
目の前のゲームは変えられる
遠山さんは、正面から行ってもZeppは押さえられず、イベンターを入れなければならないと気づいた経験を振り返ります。
広義のメディアを押さえている人は、多くのIPを持つ相手とだけ仕事をすればよく、小さな個人や会社は門前払いされると語ります。
それは最適化の結果ですが、商慣習が更新されないことで、DX化された若手の現状とますます乖離していくと指摘します。
噛みついたほうがいいよ、っていう結構メッセージがあるというか。
あなたの目の前にあるゲームは全然変えられるものだから、変えなきゃいかん、ということを普通に思ってもらわないと、このまま普通にめっちゃ沈んでくんで、この国は。
遠山さんは、一緒に働く20代の若い世代のほうが、自分たちの世代よりも構造を変えることにリアリティを持っていると話します。
アンリさんは、CANTEENの思想に共鳴する人とやる面と、構造を俯瞰して「こうすべき」という価値観を共有する面があるのかと尋ねます。遠山さんは、構造の話をする人が業界内に少ないから面白がられている感覚があると答えます。
ここでアンリさんは、挑戦者を支援する人の多くはメディアに出たがらないと語ります。挑戦者を尊敬するがゆえに自分は表に出ない哲学が強いといいます。
至る所で起こる構造のギャップ
遠山さんは、同じ構造のギャップがアートの世界にもあると話します。
60〜70年代からバブル期のアートバブルで日本のアーティストが世界に出た時代、重要な役割を果たしたのが今60歳前後のギャラリーで、そこに属さないと世界に出られない構造があるといいます。
コロナ禍では、専属アーティストの山中雪乃さんの絵を買う人も増え、D2Cで売れる感触もあったと話します。しかし、有名になるには結局そうしたギャラリーに属する必要があると指摘します。
実際、D2Cで売れていたアーティストがアートバブル後に有名ギャラリーへ次々と所属し、「やっぱりそうなのか」という絶望感が漂ったといいます。
アンリさんは、これも音楽と似た「噛みつくべきポイント」ではないかと確認します。遠山さんはそうだと応じます。
ここで遠山さんは、SEALDsの前後で世代感覚が全く違うと語ります。
SEALDsの頃はアーティストに政治性が強く問われ、リベラルな左寄りのスタンスを持つべきという空気がありました。しかし今の若い世代にはその感覚が薄いといいます。
僕が大学生のとき、好きなレーベルが経産省とプロジェクトをやってたら「お? 右か? 自民党か?」みたいな感じだけど、でも多分今の子たちは全然思ってない。
遠山さんは、これを良い変化だと捉えます。今の若い世代はビジュアルコミュニケーションを軸に、DMで海外とつながりニューヨークでコラボするような普遍性を持っているといいます。
だからこそCANTEENは、自分たちでレバレッジをかけて日本の若手を海外フェアに送り込み、東京に面白い場所を持つギャラリーを始めたと話します。運営は、SEALDs世代でスタートアップ界隈にいた加藤さんが社長として仕切っているといいます。
音楽と同じスポーツマネジメントの構造
遠山さんは、八村塁さんが夏に名古屋で行う中高生向けキャンプの話に触れ、スポーツマネジメントも音楽と構造が完全に同じだといいます。
きっかけは、遠山さんが新卒時代から知る通訳出身の仲間や、旧知の加藤さんとのつながりでした。八村さんがキャンプをやりたいと言い出し、自分たちでやることになったといいます。
名古屋のIGアリーナなんだけど、1万7000だみたいな。1億円規模の興行を俺らでやるんだ、主催2人?みたいな。まあでもやる、と。頑張ってるっていう、今。
遠山さんは、日本のスポーツマネジメントは基本的に芸能事務所しかなく、旧マスメディアに芸能人として選手を送り込むビジネスモデルだと指摘します。
一方アメリカでは、VCをやるNBA選手、個人ブランドが巨大な選手、投資家やエージェントになる選手など多様な姿があると語ります。
個人の発信力が強まるほどマネタイズの幅が広がる世界と比べると、八村塁さんほどのIPでも、日本で支援に手を挙げる人はいないと話します。
アンリさんは、遠山さんが物事を「構造」で捉えるのが好きだと整理します。そのうえで、クリエイターへのリスペクトが根底にあると読み解きます。
クリエイターがこれでは才能が発揮しきれないじゃんとか、よく分かんない奴に利益が行くだけじゃんっていうのがムカつく。
遠山さんは、それは昔から思っていたと同意します。エミネムを初めて見たときの衝撃や、東京都現代美術館の立ち上げからいたキュレーターだった母の影響で、自己表現の多様なあり方に触れてきたと振り返ります。
そして、日本のマスメディアに最適化されたカルチャーは、そこに出る人のアイデンティティや個性を失わせ、地に足がついていない感覚があると語ります。
ロンドンにも問題は多いとしつつ、文化と生活と政治と経済がきれいにつながっている感じがすると話します。それに対し日本のカルチャーには「これはこう消費してください」と言われている感覚がずっとあったといいます。
攻略本化するスタートアップと積極的自由
遠山さんは、ここ2年ほどVCの人と話す機会が多く、なんとなくみんな飽きているように外から感じると語ります。
3文字の英語や成長率のパーセントで語られる話に、心が動くのだろうかという違和感があるといいます。
そのうえで、少しズレたVCの人ほど「起業はもっと違うものではないか」という感覚を持ち、CANTEENに興味を示してくれるのではないかと話します。
自分のテリトリー、自分のことをちゃんとわかってくれて、自分が自己表現できる、「積極的自由」って僕はいろんなところで言ってますけど、そういう環境を作れないんだったら、つまりゲームの攻略をやるんだったら、別に普通に大企業に行ったほうがインパクトあるくない?みたいな。
アンリさんは、スタートアップのゲームがわかりやすく攻略本化していると受けます。ある時期に一定の数字を達成すればいける、という型があるといいます。
そしてスタートアップを「型」だと表現します。アンリさんはそれをクラシックバレエに例えます。
クラシックっていうのはもう基本が99%の先に創造性があるから、本当にやるこれ?みたいな。このルールを守る限り、クラシックバレエ好きのスポンサーというのが、僕らVCなので。
アンリさんは、高校生や大学生と話すときに、やりたいのはもっとコンテンポラリーの世界かもしれないと伝えると話します。スタートアップという型で幸せになれる人は万人ではないという考えです。
遠山さんも同意しつつ、令和の虎のような発信をやりきる個性は尊敬すると話します。ただ、すべてのスタートアップが同じように面白いかは疑問だと率直に語ります。
野望は5000人規模のお葬式
話は遠山さんの「野望」に及びます。まず、日本のカルチャーが世界で正当に評価されてほしいという思いがあると語ります。
日本のアーティストはニューヨークでワンマンをやればバイオに書くのに、アメリカのアーティストは東京でワンマンをやっても書かないと指摘します。この非対称への悔しさが野望の一つだといいます。
そのうえで、遠山さんはもっと個人的な野望を明かします。
「葬式に死ぬほど人が来てほしい」っていうのが、僕ずっとあって。
遠山さんは、育った環境で存在意義を問われ続けるようなプレッシャーがあったと振り返ります。嫌だと思った時期も、演じた時期もあったといいます。
最終的に辿り着いた答えが、葬式に多くの人が来ることでした。経済的でも社会的でも文化的でも、内容は問わないといいます。
葬式にめっちゃ人が来るってことは、とりあえず「ああ、あいついたな」って思う奴がめっちゃいるってことじゃないですか。
遠山さんは、偉くなりたいというより、支援するアーティストや事業が積極的自由を得るための手段として、ロールモデルになる必要があると考えていると話します。Forbesなどのメディアもそのためだといいます。
理想は、刺青だらけのラッパーや中央省庁の人、幼稚園からの同級生や家業を継いだ友人まで、多様な人が集まる葬式だといいます。
いろんな人がこう多様で、なんか分かんないけど、5000人ぐらい来たら面白いじゃないですか、やっぱ。
遠山さんは、実際にそのくらいの規模の葬式をやった知人が何人かいると話します。その人たちは経済だけの人ではなかったと振り返ります。
最後にアンリさんは、これまでで最長の収録になったのは自分が面白がってしまったからだと明かします。有意義なお葬式の話で締めくくり、5000人、そして2デイズ・3デイズ開催も、と笑いながら会話を終えました。
まとめ
遠山さんは、音楽・アート・スポーツのいずれにも、実状とかけ離れた古い商慣習という構造のギャップがあると指摘します。そこに噛みつき、アーティストや事業が自ら表現できる「積極的自由」を作ることが一貫したテーマでした。最後は「葬式に5000人」という野望に、その思想が凝縮されていました。
- 日本の音楽産業は段階的なDXを経ず、CD時代の商慣習のままサブスク化し、アーティストの実状と乖離している
- 日本の勝ち筋は少数IPへの集中ではなく、各ジャンルに一定規模を集められる中堅を多数輩出する「量と層の厚さ」にある
- アート、スポーツマネジメント、スタートアップにも同じ構造のギャップがあり、遠山さんは「目の前のゲームは変えられる」と若い世代に伝えている
- スタートアップは攻略本化した「型」であり、それで幸せになれる人は万人ではないという見方が共有された
- 遠山さんの野望は「積極的自由」を作ることと、多様な人が集まる5000人規模の葬式に象徴される「記憶に残る生き方」
