漫画家・魚豊が語る「開かれたマーケットで評価される」ことの意味──デビューの挫折からマーケティングへの目覚めまで
ハートに火をつけろ by ANRI第35回のゲストは、『チ。―地球の運動について―2020〜2022年に週刊ビッグコミックスピリッツで連載。地動説をめぐる人々の信念と狂気を描き、手塚治虫文化賞大賞など多数受賞。2024年にアニメ化。』や『ひゃくえむ。魚豊のデビュー連載作品。100m走に人生を賭ける少年たちの物語。2025年9月に劇場アニメが全国公開。』で知られる漫画家の魚豊さん。「漫画をそんなに読まない漫画家」が、初期投資ゼロで始めた創作活動を経て、売れない苦悩の中から独自のマーケティング哲学を磨き上げた半生を語りました。その内容をまとめます。
「魚豊」というペンネームの由来
「魚豊」は本名ではなく、ペンネームです。ペンネーム文化のある漫画家ならではの「もう一回この世に生まれ直せる面白さ」に惹かれたのがきっかけだったとのこと。目指したのは「居酒屋みたいな名前」。内容は真剣だけど、名前はこだわらなくていい──そんなスタンスで命名されました。
自分は「鱧(ハモ)」が好きなんですよ。魚の鱧の漢字を分解して「魚」に「豊」で「魚豊」になったという。
連載デビュー時に「カモ肉カモ肉」に変えたいと申し出たものの、担当編集者に「やめたほうがいいよ」と止められたというエピソードも。理想のペンネームとして挙げたのはちょぼらうにょぽみギャグ漫画家。『あいまいみー』などで知られ、独特すぎるペンネームが書店で強烈な存在感を放つ。先生だったそうです。
『バクマン。』が教えてくれた具体的なルート
魚豊さんは自身を「ザ・中流家庭」育ちと表現します。勉強もスポーツも特別ではなかったけれど、絵を描くことだけは物心ついた頃からずっと好きだったそうです。転機は中学1年生の時。友達が部活に入り暇を持て余していたタイミングで、『バクマン。大場つぐみ原作・小畑健作画の漫画。漫画家を目指す少年2人の姿を描き、投稿から連載獲得までのプロセスを具体的に描写。2008〜2012年に週刊少年ジャンプで連載。』のアニメと出会いました。
「あ、こういう風にすれば具体的に漫画家になれるんだ」っていうのをそこで知って。じゃあ時間めっちゃあるから描いて投稿しようっていうのが、ざっくりした自分の人生ですね。
同世代のヒット漫画家にも『バクマン。』をきっかけに漫画家を志した人が多いといいます。漫画は「紙とペンだけでできる」から初期投資がかからず、年齢制限もない。その参入障壁の低さが、中学生の背中を押しました。
投稿を続けること約3年で担当編集がつき、さらに2年後にようやく本格的な打ち合わせが始まったそうです。「辞めようとは思わなかったのか?」という問いに対しては、「暇だから辞めてもやることがない」とあっけらかんと答えていました。
開かれたマーケットで評価されたいという欲望
高校生になり進路の選択肢が広がった頃、魚豊さんは美大に進む道や他の「絵で食う仕事」にはあまり興味を持たなかったといいます。理由は明快で、「漫画が一番稼げる」「市場に評価されたい」という強い欲望があったからです。
魚豊さんは「売れること」の意味を深く考えてきたといいます。今の社会で80年間のマーケットにヒットしなくても、クラスの30人中5人の心を70年間響かせ続けて最終的に莫大な価値を生む。カフカフランツ・カフカ(1883〜1924)。チェコ出身の作家。生前はほぼ無名だったが、死後に友人マックス・ブロートが遺稿を出版し、20世紀文学の巨匠として広く読まれるようになった。もニーチェフリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900)。ドイツの哲学者。「神は死んだ」「超人」などの概念で知られる。存命中は著作が売れなかったが、20世紀以降に世界的な影響力を持った。も、最初は売れなかったが今も書店で買える──それは結局「人の心に響かせ続けた」からだと語ります。
多くの人の心に響かせ続けられない偉大な名作っていうのはやっぱりないと思ったんで、本物は結局売れるんだろうな、残るっていうのはそういうことなんだろうなって。
哲学の「2000年落ちない鮮度」に魅了されて
漫画をあまり読まない代わりに、魚豊さんが深く入り込んだのは哲学でした。中学の頃から「ルールそのものを疑う」ことに興味を持ち、高校の倫理の授業で哲学史に触れたことが決定的だったといいます。
哲学だけはなんか3000年前とか2000年前の人の言葉がダイレクトに今の自分に届くみたいな、すごい完全にこの鮮度が落ちてない。
権力構造も言語も年齢も性別も全く異なる人間の言葉が、何千年も経って自分に直接届く。そこに「ミラクル」を感じたことが読書の原動力になったそうです。数式や記号を覚える他の科目に意味を見出せなかった魚豊さんにとって、哲学は唯一「自分の人生に直結する学問」でした。
番組ホストの佐俣さんが「異常に饒舌になるあたりにマッドさを感じる」と指摘すると、魚豊さんは「本当に読んでる人と比べたらおこがましいレベル」と謙遜。しかし、哲学的思考が彼の創作と「売れること」への独自の視座を支えていることは間違いなさそうです。
デビュー作『ひゃくえむ。』の挫折と覚悟
読み切りでデビューしたのが19歳頃。中1から投稿を始めて約7年かかっての到達でした。そして21歳頃に連載デビュー作『ひゃくえむ。』がスタートします。しかし、ここから2つの大きな挫折が待っていました。
挫折①:1話が配信されても世界は変わらなかった
魚豊さんは「1話が載ったら世界が変わる」と本気で信じていたそうです。しかし配信翌日、コメント数は大したことなく、めちゃくちゃ凹んだと振り返ります。
スタートアップのリリースと同じなんですよね。ラクスルに投資した時、リリースした日に電話かかってきて「売れないんだよ」って言ってて(笑)。
新人同士の競争では自信を保てていたのに、市場に出た瞬間に「言い訳できない。全員と同じ土俵に立った」と痛感したこと。それが人生最大の挫折だったといいます。
挫折②:単行本が出ない
さらに大きな壁がやってきます。アプリ連載の作品は売上順で単行本化されるかが決まりますが、『ひゃくえむ。』は騰落線上。そして最終的に「出しません」と告げられました。
しかし魚豊さんは「じゃあ自費出版する」と即座に動きます。ISBN国際標準図書番号。書籍を一意に識別するコード。Amazonや書店の流通システムに登録するために必要。日本では日本図書コード管理センターが発行する。の取得方法、紙の選定、コストの試算──21歳にして自費出版のロジスティクスを一人で調べ上げました。
転機になったのは、自費出版を告知するツイートでした。これがまずまず拡散され、他の出版社から「うちから出していいか」と問い合わせが来たことで、元の講談社が「じゃあうちで出そう」と方針を転換。結果的に正式な単行本化が実現しました。
作品は変えない、売り方は全部変える
2つの挫折を経て魚豊さんが辿り着いたのは、「作品の信念は絶対に曲げない。その代わり、売るためにできることは全部する」という原則でした。
具体的に魚豊さんがやったのは、Twitterのターゲティング広告特定のアカウントのフォロワーや、特定の興味関心を持つユーザーに絞って広告を配信する仕組み。初期のTwitter広告はシンプルで個人でも扱いやすかった。でした。単行本の印税を全額つぎ込み、「このフォロワーを持つ人のタイムラインに表示させる」といった施策を素人ながら一人で回していったそうです。
結果的に『ひゃくえむ。』の売上は大きく動かなかったものの、漫画好きの編集者たちの目には留まっていました。次作を描く際に「うちでやりませんか」と声がかかり、小学館の週刊ビッグコミックスピリッツ小学館が発行する青年向け週刊漫画誌。『美味しんぼ』『20世紀少年』など多数の名作を輩出。で『チ。―地球の運動について―』の連載が実現します。
そして連載直後、けんすう古川健介。連続起業家で、nanapi創業者、アル株式会社代表取締役。漫画やWebサービスに造詣が深く、SNSでの発信力が大きい。さんがTwitterで取り上げたことがきっかけで一気に注目を集め、『チ。』は大ヒット。「けんすうさんは命の恩人。人生が変わった」と語っていました。
作品の根幹・世界観・信念。市場に合わせてテーマや設定を曲げることは一切しない
売り方・届け方・掲載媒体の選択。広告、SNS発信、出版社との交渉など手段は選ばない
3作目の『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ2023〜2024年にマンガワンで連載。情報社会における「事実」と「信念」の問題を描いた作品。』も最初は売れなかったものの、岡田斗司夫実業家・評論家。元ガイナックス代表取締役。YouTubeやニコニコ動画での文化評論が人気で、取り上げた作品の売上が急伸することで知られる。さんが言及したことで売上が急伸。内容は一切変えていないのに、「誰が宣伝するか」で結果が激変する──この体験が魚豊さんのマーケティング観を裏付けています。
編集者とVCの不思議な類似性
話題は漫画編集者の仕事へ。魚豊さんはその特殊性を「日本における漫画編集は歴史的にあまりに特殊すぎる」と表現します。クリエイティブに深く入り込む人、売ることに特化する人、両方やる人、何もやらない人──同じ「編集者」という肩書きの中に全く異なる仕事が混在しているのが漫画業界の現実です。
佐俣さんはこの話からベンチャーキャピタリスト(VC)の仕事との共通点を見出します。事業に深く入り込む投資家もいれば、佐俣さん自身のように「驚くほど手放し」で、「人目利きだけして、人だけ信じる」タイプもいる。編集者もVCも、「同じ肩書きなのに仕事の中身が全く違う」という点で似ているわけです。
僕より事業のことを考えてるのはあなただし。僕はあなたほど考えてない割には影響力を出せちゃうポジションにいるから、聞かないで欲しい。
佐俣さんが起業家に唯一お願いするのは「プライベートのトラブルがあった時だけ連絡してくれ」ということ。事業の課題解決は起業家自身が最も詳しいが、プライベートの問題は心に来るし、自力で解決しづらい。そこだけは全力でサポートするというスタンスです。
魚豊さんにとってマーケティングは編集者に任せず自分で握るもの。佐俣さんにとって事業判断は起業家に任せるもの。「手放すべき領域」と「手放さない領域」の線引きは異なるものの、「本人が一番わかっていることには口を出さない」という哲学は共通していました。
まとめ
『バクマン。』に導かれ、中学1年生から投稿を始めた魚豊さん。7年の下積みを経てデビューするも、「1話で世界が変わる」という期待は裏切られ、単行本化の却下という更なる挫折を味わいました。しかし「作品の魂は絶対に変えない。その代わり売り方は全部変える」という原則を打ち立て、自費出版の準備からTwitter広告まで、あらゆる手段を自ら模索。その過程で培われた「大衆に開かれた場で評価される」ことへのこだわりは、作品のクオリティと掛け算になって『チ。』の大ヒットにつながりました。
哲学を愛し、「2000年前の言葉がダイレクトに届く」ことに創作の本質を見出す──漫画をあまり読まないニュータイプの漫画家が、起業家精神と共鳴する姿が印象的な回でした。
- 魚豊のペンネームは好きな魚「鱧(ハモ)」の漢字を分解したもの。居酒屋のような気軽さが狙い
- 中学1年生で『バクマン。』に出会い、初期投資ゼロ・年齢制限なしの漫画投稿を始めた
- 「開かれたマーケットでの評価」と「売れること」を重視。ポップであること自体が芸術的だと考えている
- 哲学の「2000年鮮度が落ちない言葉」に衝撃を受け、作品テーマの根幹となっている
- デビュー作『ひゃくえむ。』は連載開始時も単行本化の段階でも挫折を経験。自費出版を覚悟して動いた結果、講談社からの刊行が実現
- 作品の信念は曲げず、売り方だけを全力で変える──印税全額をTwitter広告に投じるなど、マーケティングを編集に任せない姿勢を貫いた
- 漫画編集者とVCは「同じ肩書きなのに仕事の中身が全く違う」という共通の不思議さがある
