
朝倉人文知今回は、吉松家の歴史シリーズを理解するための番外編として、星野氏の歴史を取り上げます。
星野氏は、吉松家の文書に直接名前が出てくるわけではありません。しかし、朝倉地域の支配構造を考えると、吉松家が関わった神領地の上位に位置する地頭的な存在として、長く深い関わりがあったと考えられます。
星野家に伝わる記録では、初代・星野種実は後鳥羽上皇の血を引く人物とされ、鎌倉時代初期に星野谷へ入ったと伝えられています。その後、承久の乱で流罪となった後鳥羽上皇に会いに行こうとする途中、朝倉に立ち寄り、恵蘇八幡宮や斉明天皇ゆかりの地を巡ったことが、星野氏と朝倉の最初の接点として語られます。
また、元寇での武功によって、星野氏は鎌倉幕府から朝倉一帯の所領を与えられたとされます。そこから朝倉は、星野氏の領地でありながら、吉松家が神領地として関わる地域でもあるという、複雑な支配構造を持つようになります。
後半では、星野氏の家臣による反乱、南北朝期に長慶天皇を上須川へ迎えたという伝承、秋月氏との所領交換、そして豊臣秀吉の九州平定によって武家としての星野氏が大きく転換していく流れにも触れています。
星野氏の歴史は、伝承性の強い部分も多く、すべてをそのまま史実として断定できるものではありません。それでも、上須川に星野姓が多く残ることや、朝倉の神社・旧跡との結びつきを見ると、吉松家の歴史を考える上で欠かせない補助線になる回です。
※家の歴史に関心を持った場合でも、同じ名字の個人宅を突然訪ねたり、面識のない方に家の歴史を聞きに行ったりすることは控えてください。ご質問がある場合は、番組宛にお問い合わせください。
福岡県朝倉市で1400年以上続く「吉松家」の歴史を辿りながら、日本の地方社会における人々の生存戦略を読み解く歴史番組です。
日本の歴史は、幕府や戦国大名といった支配者層を中心に語られがちですが、実際に地域に根ざし、実務や祭祀を担っていたのは在地の中間層でした。
本番組で取り上げる吉松家は、飛鳥時代(西暦661年)の斉明天皇による朝倉行幸を起源とし、現代まで記録が残る一族です。
彼らは武力によって勢力を拡大したわけではありません。時代の変化に直面するたびに、自らの役割を変えることで家を存続させてきました。
古代の「神官」から始まり、戦国時代には大名・秋月氏のもとで税や戸籍を管理する「行政官」へ。豊臣秀吉の九州平定で権力基盤を失うと「庄屋」として帰農し、江戸時代には水不足の村を救う治水事業や水車の開発を指揮。そして明治維新による身分制度の崩壊後は、土地を離れて「医師」という専門職へと転身しました。
シリーズを通じて、系図や地域史料をもとに彼らの変遷を追います。表舞台には出ない中間層が、いかにして現状を冷静に認識し、環境に適応してきたか。その歴史的記録から、現代社会を生きる上での一つの視点を探ります。
朝倉の片隅から、ゆるやかにお届けしています。
普段は「人文知調査事業」として、歴史や哲学などの視点から地域や事業を読み解くことをしています。
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