ポッドキャストウィークエンドでの出会い
この回のゲストは、ポッドキャスト「あてくしの屍を超えてって」のすみれ子さんです。
出会いは5月に開催された「ポッドキャストウィークエンド」でした。
もうひときわオーラを放つブースがあって、溢れ出るブースの雰囲気に吸い寄せられて、シールを買ったり握手させていただいたり。芸能人に会ったかのような気持ちでキャッキャしてました。
そのイベントの後、坂口さんが「ちょっと出てください」とお願いすると、すみれ子さんは即座に「いいよ」と応じてくれたそうです。
すみれ子さんの番組は木曜の朝7時に配信されています。坂口さんは「寝起き即サスペンスラブコメディ」と紹介し、洗濯物を干しながら笑ってしまう「要注意ラジオ」だと話します。
諦めという言葉との出会い
すみれ子さんが「あきらめラジオ」に出たいと思ったのには、きっかけがありました。
好きな俳優である坂口涼太郎さんの著書『今日も、ちゃ舞台の上でおどる』を読んだことです。
涼太郎さんの哲学で、諦めっていうのを明らかにするって捉えられていて。できないことを責めるんじゃなくて、今はこれは自分には合わないっていうのを認めて手放すみたいなことを諦めっておっしゃっていて。
その本を通じて、諦めという言葉が自分の中で必要なものとして濃くなっていったといいます。
そんなタイミングで「あきらめラジオ」に出会い、坂口さんの声や相づちに惹かれて、自ら出演を希望したと明かします。
そういう話を聞いてもらったことってないかも、逆にと思って。多分ウィークエンドで出たいって言ったのは、先に言ったのはスミレ子だと思います。
蝶よ花よから、面白担当へ
今回すみれ子さんが持ち寄った諦めは、容姿やルッキズムに関するものでした。ごく小さい頃から積み重なってきた原体験だといいます。
2歳半ほど離れた妹が生まれるまでは、蝶よ花よと育てられていたそうです。ところが妹はとても容姿端麗でした。
小さいながらに大人の対応違くね?みたいなことに気づいたりとか、スミレコちゃんはね、面白担当だからねみたいな割り振りをされていたり。
妹には可愛い服が与えられ、自分にはなぜかスポーティーなものがあてがわれたと振り返ります。
昭和の親世代だったこともあり、フリルのある服を着た自分は笑われることもあったそうです。
傷つけようと思って周りもやってはないんだけれども、勝手に傷ついていたみたいな。妹に対するコンプレックスが非常にありまして。
体型も対照的で、妹は小柄で華奢、すみれ子さんは背が高くがっしりした体型でした。要領のよい妹が周囲に可愛がられる様子も、コンプレックスをこじらせる一因になったといいます。
上京と、声だけのサードプレイス
転機になったのは上京でした。九州にいた頃は妹への気持ちをこじらせ、好きなのに一緒にいるのがつらいという矛盾を抱えていたそうです。
妹のことは好きなんだけど、一緒にいると自分のコンプレックスがすごい刺激されてつらいから、いたくないんですよ。でも好きなんですよ。すごい辛くて。
東京にはいろいろな人がいて、あまり互いに干渉しないと感じたといいます。その環境で、初めて自分らしい服や髪型を試せるようになりました。
そして気づいたのは、妹に似合うものと自分に似合うものは違うということでした。
自分も活かせるものあるじゃん、方向性こっちかとかって気づいた時に、妹みたいになれなかった自分を諦めたとか、折り合いつけた。
さらに大きかったのが、ポッドキャストとの出会いでした。声だけで自分の本質を評価してくれる人たちに出会えたことが、人生のターニングポイントになったといいます。
見た目ではなく声だけで評価される場所を、すみれ子さんは自分のサードプレイスと呼びます。ここに諦めが「いいんじゃん」に変わっていったと語ります。
諦メタモルフォーゼ
坂口さんは、すみれ子さんの話を自分の言葉でこう名付けます。
子供の頃に、親とか周りが決して傷つけようと思ってやったわけじゃないんだけど、自分の可愛い服を着るとか、誰かに比較されず自分を認めてもらうみたいなことを、無自覚に諦めていた。
坂口さんはこの変化を「諦メタモルフォーゼ」と表現しました。
メタモルフォーゼっていう言葉は、芋虫がさなぎになって蝶になるみたいな、もう戻らない本質的変化。それを、諦めを超えていくことで起こるのではって思ってて。
ただ本質的に変わりましょうと言われても難しい。けれど「ここを諦めていたかも」という呪いに気づくことが、変化の入り口になると話します。
すみれ子さんは、自分にかかっていた呪いを2つ挙げました。
妹より目立つなみたいな呪い。誰も言ってないんだけど、妹より目立たないようにしようっていう呪いが自分で自分にしてた気がする。
克服ではなく、別の場所を伸ばすこと
坂口さんは、すみれ子さんの向き合い方には特徴があると指摘します。それはルッキズムという傷を直接克服しようとしていない点です。
傷ついてる部分をずっと見て、なんとか治そうとして、でもでも傷ついとるみたいなことをやり続けると、すごくしんどいパターンになっていく。それを一旦脇に置いて、全然別ジャンルで、のびのびやる。
気になる部分を無理に治すのではなく、別の場所を伸ばすことで、いつのまにか気にならなくなっていく。そんな流れが健やかだと坂口さんは話します。
できないところをどうにか治さなきゃ、治さなきゃみたいにする方がしんどいもんね。これあれだね、子育てと一緒だね。できるところを伸ばせるだけ伸ばしてあげましょうみたいな。
妹へのコンプレックスは、今ではずいぶん薄まったといいます。
今の自分だからこそ似合う服ってあるっていうことにも気づいたし。痩せてて、みんなと同じ売れてる服を着ることがなんてつまらないことなんだって。
痩せたら美人なのにと何度も言われてきた過去にも触れつつ、すみれ子さんは今の自分を「明るいぽっちゃりゴリラ」と表現しました。卑屈さはなくなったと語ります。
かさぶたの上に塗る薬
話は坂口さん自身の諦めにも及びます。坂口さんは「私はモテない」という潜在的な諦めに、この場で気づいたと打ち明けました。
学生時代、告白されることはないから、自分から伝えなければ何も始まらないと強く思っていたそうです。
すごい可愛い子いるわけよ。私もちっちゃいんだけど、そのちっちゃさがちょっと違うのよね。妖精みたいな感じで。そういう人って、男の子が見る目が違うんだよね。
二人は、憧れの相手のそばにいて自分も可愛くなれた気がしていた心理を振り返ります。境界線があいまいで、傷つく場所をあえて選んでいたのかもしれないと語り合いました。
そして「あの子はあの子、私は私」と言い切るには、それまでの苦悩が必要だと確認します。
あの子はあの子、私は私って思えるまでに至る苦悩がやっぱりないと言い切れない強さがあるよね、このセリフには。まだ生傷だから言えないのよ。
すみれ子さんは、上京後に出会った人たちが自分の良さを一つずつ教えてくれたことを、傷への手当てにたとえました。
かさぶたの上に塗る薬みたいな感じで。こういういいとこもあるよねっていうのを塗って、今の自分の皮膚ができたのかもなぁと思った。
最後に二人は、一度しっかりジメジメすることの大切さを語り合いました。
ずっとカラッとはないから、やっぱすっごいジメジメってしてから、もうこのジメジメ嫌ってなってカラッとしていくんだろうなぁ。
坂口さんは番組の締めくくりで、自身にも姉との間に似た痛みがあったと明かします。「かよちゃんは頭がいい」「お姉ちゃんは可愛い」という何気ない一言が、何年も脳内で繰り返されてきたといいます。
意図的に傷つけようとされたわけじゃない、何気ない一言が何年も覚えていて、リプレイするんですよね。自分で自分を痛めつけてるみたいなことが起きていて。
まとめ
容姿端麗な妹へのコンプレックスを抱えてきたすみれ子さんが、上京と、声だけで評価されるポッドキャストを通じて、少しずつ折り合いをつけていった回でした。傷を無理に克服するのではなく、別の場所を伸ばし、人からもらった言葉を手当てのように重ねていく姿勢が語られました。
- 妹と比較される中で「少女らしくあれ」「妹より目立つな」という無自覚な諦めが積み重なっていた
- 上京して干渉されない環境に出会い、妹と自分は似合うものが違うと気づいた
- 声だけで本質を評価されるポッドキャストが、自己肯定を取り戻すサードプレイスになった
- 傷を直接克服するのではなく、別の場所を伸ばすことで気にならなくしていく向き合い方
- 人の良いところを見つけて褒める言葉は、誰かの「かさぶたの上に塗る薬」になり得る
