ライブハウスにあふれる「ジェネリック版」への違和感
話は、あるバンドのフォロワーたちへの違和感から始まります。佐々木さんは、元のバンドの音はすごいのに、それを表面だけまねた若いバンドの音は薄いと感じているそうです。
(元のバンドの)音はすごいんだけど、「好きです」って言ってコピペしてる子たちはほんとペラペラなの、音が。「何を聞いてんだお前ら」っていう。
Kazmaさんは、それを料理にたとえて整理します。レシピは同じなのに、作り手の腕が違うという構図です。
ジェネリックなんだけどね。そのレシピが一緒なんだけど、ひどいシェフが作ってるみたいな。
一方で佐々木さんは、自分が長くいたシーンが盛り上がること自体は嬉しいとも話します。ただ、雑なコピーが増えると文化そのものを壊しかねないと感じているそうです。
雑なコピペは、その文化の盗用だから。あと(文化を)破壊しかねないなって思っちゃう。
ギターロックのクローンはダサいのに、ハードコアの型はなぜかっこいいのか
ここで話は核心に入ります。Kazmaさんは、「量産型」という言葉が悪口として使われるのは主にギターロックで、海外由来のジャンルではあまり言われないと指摘します。
量産型バンドマンって悪い言われ方するのって、そのギターロックがめっちゃ多くて。他の海外由来のジャンルだとあんまり量産型って悪口で言われないみたいな。
Kazmaさんが例に出すのは、自身のルーツであるハードコアです。ハードコアでは、決められた枠組みの中でやることこそが求められると言います。
ハードコアは「もろあれじゃん」じゃなきゃダメだし。逆にそれを使わないとハードコアって名乗れないみたいな。
同じことはシューゲイザーやエレクトロにも言えるそうです。エレクトロでは、キックの音色や伸び具合でジャンルが判定されると語られます。
キックのサステイン具合とBPMの速さで、「ジャンル何々だね」みたいな。キックの音色が違うと、「それはダンスミュージックじゃありません」みたいな。
つまり、模倣が正義になるジャンルと、模倣が悪口になるジャンルがある。この非対称さが、この回の大きな謎として提示されます。
マイヘア量産時代の記憶と、息切れするMC
佐々木さんは、過去の「マイヘア量産時代」を振り返ります。歌詞まで似ていた当時のほうが、今より腹を立てていたそうです。
「全部同じやんけ」は。歌ってる歌詞も同じじゃん。すごかったよねあれ。
一方で、高校生だった当時の自分にとっては、似ているからこそディグりやすかったとも認めます。全部同じだから「好き」だっただけかもしれない、と正直に話しています。
話題は、ライブで象徴的な「型」の一つ、MCでのアルペジオへ移ります。佐々木さんは、あるメジャーバンドのライブで見た光景を笑いながら語ります。
さっきまでピンピン話してたのに、急にボーカルがあれを弾き始めて、じゃーんってやった後にすっごい息切れし始めて。「私は」みたいな。
Kazmaさんも、あの弾き方には抗いがたい魅力があると言います。ギターを持つとつい鳴らしてしまうそうです。
何言ってもなんかいいこと言ってるように聞こえるから。この音でこの喋り方してたらエモいって共通認識が出るぐらいになってて。
ただし、その共通認識が強すぎるがゆえに、そのまま使うと「あれじゃん」になってしまう。二番煎じならまだしも、百万煎じになると味がしない、と佐々木さんはまとめます。
3%ルールと、97%への理解度
Kazmaさんは、文化と文明を分けて考えます。生まれたものが文化で、それが広がって共通インフラになったものが文明だという整理です。エモいアルペジオはすでに文明になった、と語られます。
ここで、模倣が肯定される好例として、ニューヨークのハードコアバンド「Show Me The Body」が挙げられます。バンジョーをボーカルが持つ異色の編成です。
バンジョーを歪ませてるのかはわかんないけど、キャンキャンキャンって言ってね、めっちゃいいんだよね。
Kazmaさんは、それでもこのバンドがハードコアと認められる理由を、シーンへの理解と参加にあると考えています。
ちゃんとハードコアを理解した上でバンジョーに切り替えてやってて。ハードコアマインドある上で何か一つだけ要素変えてやってるから。
さらにKazmaさんは、ファッションデザイナーのヴァージル・アブローが語った「3%ルール」を紹介します。既存のものを3%だけずらせば、新しい価値になるという考え方です。
97パーセントはもう先人が作った何かをそのまんまのもんなんだけど、3パーセントだけ自分の新しい要素を加えると、それは新しいデザインになって。
ただし、Kazmaさんはこの3%が成立する条件を強調します。残り97%への理解度がとんでもなく高いからこそ、わずかなずらしが意味を持つのだ、と語ります。
残った97パーへの理解度と密度がとんでもない。ずらすことができるのはやっぱり理解してないとずらせないから。
「俺がオリジナルだ」という顔と、ラッパーの佇まいの違い
Kazmaさんは、モダニズムとポストモダンという言葉を使って音楽史を整理します。新しいものを生み出した時代がモダニズムで、出尽くしたものを組み合わせる時代がポストモダンだという説明です。
その上で、ギターロックへの疑問が語られます。すでにポストモダンのはずなのに、まるで自分がゼロから生んだような顔をしている、という指摘です。
ヒップホップは「先人が作ってくれたルールブックを借りてやってますよ」って見せ方するんだけど、ギターロックの人たちは「俺がオリジナルだ」って未だにやってんのに、ずっと同じ音を出してるみたいな。
佐々木さんも、歌詞の画一性に触れます。「ワンルームとタバコとセックス」のような定番ばかりが繰り返されると、それ自体がコピペに聞こえてしまうと言います。
ワンルーム、タバコ、セックスしてみたいな歌詞を、「先人が歌ってきた言葉を借りて僕も歌いますけど」とは言わないよな。
言わないな。「これは俺の生活です」みたいな感じじゃん。ムカつくわ。
佐々木さんは、この違いをリアルさの差だと考えます。ヒップホップはどこまでもリアルだが、ギターロックには共通の象徴に沿った物語があるだけかもしれない、と話します。
音楽のウルトラファストファッション化
話はファッション業界へ広がります。Kazmaさんは、量産型バンドの問題は、いまファッションのファストファッション化とほぼ同じだと言います。
かつてのZARAやH&Mはトレンドを追う形でしたが、SHEINやTemuはさらに極端だと語られます。
全く同じデザインのものを百分の一の金額とかで売って、で、買ってワンシーズンでゴミ箱に捨てるみたいな。生地とかペラいから。
Kazmaさんは、そこにデザイナーの思想が失われていると危機感を示します。AIが流行を予測し、コピーを工場で大量生産して翌日には通販に載る、というスピード感です。
その元の作ったデザイナーの哲学とか思想はどこへ?みたいな。
この構造は音楽にも及んでいると佐々木さんは実感しています。自分の曲をほぼそのままなぞった曲を作られた経験を明かします。
キー変えましたみたいなだけ。ちょっとドラムフィルいじりましたみたいな。おいおいみたいな。
ZARAやH&Mが今年のトレンドをくみ取って商品化する段階
SHEINなどが同じデザインを極端な低価格で大量生産し、使い捨てられる段階
映像業界のTTPと、無自覚なコピー
映像の仕事をするKazmaさんは、縦動画の世界がまさにコピー前提だと語ります。バズった動画をそのまねすることに、誰も怒らないそうです。
誰かがバズったらそれと同じ音楽使って、同じ構成、同じ台本の動画を作って、自分の顔で上げて、それでバズって誰も怒んないの。
その象徴が「TTP戦略」です。小難しいマーケティング用語かと思いきや、その中身は「徹底的にパクれ」でした。
TTP戦略って言われてて、「徹底的にパクれ」の頭文字で。新規アカウント作って、まずやることはTTPです。
ただしKazmaさんは、それでも新しいものにはならないと釘を刺します。3%ルールに立ち返れば、TTPのままでは価値は生まれないという結論です。
TTPしてる限りは新しいもんにはならないよな。3パーセントルールの3パーセント変えて新しい価値を作るに手は無いんだよね。
そして二人は、量産型バンドの若者たちも、無自覚にコピーしているだけかもしれないと話します。元がかっこよすぎることが、コピーを生む原因でもあると認めています。
元がかっこよすぎるのがいけない。
もっとルーツをディグれ。そして自分たちが模倣される側へ
佐々木さんは、若手に対して「その先をたどれ」とよく言うそうです。ルーツミュージックのさらにルーツを知ることに意味があると考えています。
ルーツミュージックのルーツを知りな。そういうところをたどってこそ意味があるんじゃないかなって。
ただし二人とも、それを若者に強く押し付けるつもりはありません。自分たちも10代の頃は何も理解していなかったと振り返り、優しく見守る姿勢を見せます。
Kazmaさんは、サカナクションのボーカルが配信で語っていたという言葉も紹介します。コピーしきれなかった部分こそがオリジナルになる、という考え方です。
丸パクリしようとしてみて、した時にできなかった部分が自分のオリジナルになるとか。だからコピーはめっちゃしろとか言ってたな。
最後に話は自分たちへと返ってきます。佐々木さんは、批評する側ではなく、模倣される側になりたいと語ります。
偉そうに言ってちゃいけないよ俺も。ちょっと引き締めます。アーティストとしての自覚持たねえとな。
Kazmaさんは、この時代に音楽をやる意味を全員が考え始めれば、次のジャンルが生まれると話します。二人は「みんなもっとやれる」というニュアンスだと繰り返し、収録を締めくくりました。
まとめ
量産型バンドとファストファッション。二つを重ねることで見えてきたのは、模倣そのものが悪いのではなく、背景への理解の有無が創造と劣化を分けるということでした。二人は批評で終わらせず、自分たちも模倣される側を目指すと語り合っています。
- 量産型が悪口になるジャンルと、型を守ることが正義になるジャンルがある
- 新しい価値は、3%のずらしと、残り97%への深い理解から生まれる
- 音楽もファッションも動画も、理解なきコピーは使い捨てられていく
- コピーしきれなかった部分こそがオリジナルになる
- 批評する側ではなく、自分たちが模倣される側を目指したいという着地
