新曲「Fly You to the Moon」に込めたもの
後編は、収録の合間に映秀。がギター一本で聴かせた新曲三曲の話から始まりました。二人とも、その一曲目に強く手応えを感じたようです。
安心したわ。未来、映秀。の未来。一曲目やばいねあれ。五、六十歳が聴いても面白いし、十歳、二十歳、三十歳が聴いてもわかるメロディだから、すごいなあれ。
映秀。自身も、最近の曲作りの方向が変わってきたと話します。以前は言葉を詰め込んだ小難しい曲が多かったそうです。
最近は、俺のことを知らない人が初めてその場で聴いても口ずさめるような歌詞にしたくて。だから言葉をめっちゃ詰めることも最近はしなくて。九十年代や二千年代の歌謡の文脈に、ちょっと収束していってるというか。
ここで、収録用マイクを使って新曲のアカペラ生歌唱も披露されました。
これは「Fly Me to the Moon」というジャズのスタンダードの曲名をもじっていて。MEをYOUに変えて、僕が君のことを月まで連れていくよっていうテーマで書きました。
この曲の出発点は、映秀。が好きなアニメ「サイバーパンク」でした。
大学時代に書いた原曲は、もっとイケイケな歌詞だったそうです。しかし時間を置くうちに、熱狂を促す言葉に違和感が出てきたと言います。
「もう笑えてないじゃん、もっと頑張ろうよ」みたいなのって、多分受け取れなくないかと思って。そこから言葉を選んでいって、「言葉にできない揺れてるとこ、なんかお揃いみたいじゃない」というところに行った。
「頑張れば報われる神話」の終わりと、歌詞と時代
映秀。は、歌詞と経済が密接につながっていると考えています。頑張り続けても衰退したことで、努力が報われる前提が崩れたと捉えています。
日本全体の経済で見ても、みんな頑張り続けた結果衰退している。頑張れば報われる神話が崩壊したと僕は捉えていて。そんな中で「頑張ろうぜ」って、なんで?ってなるのは当然というか。
一方で、映秀。は「鬱の時代」が終わりつつあるとも感じています。Kazmaも、コロナ禍前後は内省的な空気が強かったと振り返ります。
コロナ禍とコロナ明けは、本当に完全に鬱の時代。バンドもラッパーもみんな内省的になって、自分で顔を隠して頭を抱えてるジャケットのラッパーとか多かった。
ただし、経済が回復したわけではないため、往年のディスコやモーニング娘。のような明るさまでは戻っていないと分析しています。その前兆が今ある、という見立てです。
映秀。は、自身の曲について「明るいけど闇深い」とよく言われるそうです。新曲にも、自分が言われたい言葉を詰め込んでいると明かしました。
この曲は正味、俺が言われたい言葉も結構詰め込んでるの。俺が超イケイケで「ベイベー」って言ってるタイプではないから、どこか言われたい言葉を詰め込んでる部分もあって。
歌を立てるためのサウンド設計
今年の二曲は、これまでより歌が耳元に近いと理久は指摘します。映秀。はそれを意図していました。
映秀。は、あえてロックサウンドにすることで歌が立つと考えています。情報量の多いサウンドが、かえって歌へのフォーカスを生むという発想です。
アコースティックだと、いろんな空間や要素がポコポコ入ってきちゃうけど、ロックでベーッとなってるが故に、この曲は特に歌がちゃんと立つվようになったかなと。
もともと映秀。はインストばかり聴くほど音が好きで、音と歌を同等に扱ってきました。今回は優先順位を変えたと言います。
この曲はメロディと歌詞ですごくいいものができたから、自分のやりたいサウンド感をやりつつ、邪魔をしないサウンドにしようと思った。でもシンプルすぎる方向でもなくて。
たとえばサビの裏で鳴るギターのアルペジオは、映秀。が一音一音弾いたもので、ほぼ実演不可能だそうです。それが曲に儚さを付け加えていると話します。
AI時代に「生身の人間」が歌う意味
話題は、AIが進化する時代に人間が音楽をやる意味へ移ります。映秀。は最近、AIかどうか判別できない曲がTikTokに流れてくることに危機感を持っています。
最近TikTokで流れてくる曲が、正直AIかどうかわからない曲も出てきちゃって。歌なら声の癖でわかるけど、サウンドまでAIだとわからない。
そのうえで映秀。は、これからはその人のバックグラウンドや、どの文脈と接続して音楽をやっているかが重視されると考えています。
映秀。は一、二年前からDTMではなくアコギで曲を作るようにしています。弾き語りでも成立する曲を目指すためです。
この日、収録場所で声とギター一本の演奏を体験した二人は、そこに強い手応えを感じたと語ります。
みんなもう完璧なライブに慣れてる状態で、久しぶりに部屋で声とギター一本の音を聴いたら、全然新鮮な感動になる。あれこそが今できない体験な気がする。
偏食の時期と、劇伴・シネマポップという居場所
理久は昔から、映秀。に「いろんな音楽を聴いて引き出しを増やした方がいい」と伝えてきました。手癖から抜けて新しいものが生まれる、それがクリエイティブだという考えです。
一方で映秀。は、大学時代の二、三年、あえて入力する音楽を制限していたと明かします。
この大学の二、三年間は、かなり入力するものを超制限してた。ロックミュージックしか聴かないように。食い物と同じで、食ったものが血となり肉となるから。
その偏食の時期は終わり、今は自由に聴いているそうです。今一番面白いのは、エヴァンゲリオンの劇伴だと語ります。
ここでKazmaが、映秀。の音楽性に近いジャンルとして「シネマポップ」を挙げました。
俺、音楽ジャンルを聞かれた時、いつも「いろいろやってるんで、どう答えればいいかわからない」って言ってたけど、来たこれ。シネマポップだ。
角野隼斗、Tennysonとの出会いがくれたもの
リスナーからは、ピアニスト・角野隼斗との話を聞きたいという質問が届いていました。一枚目のアルバムは、ほとんど角野がピアノを弾いていたそうです。
出会いは、映秀。が高校で声楽を習っていた頃の先生の紹介でした。まだ角野のYouTube登録者が十万人ほどの時期だったと言います。
契約して一番最初のレコーディングに、「友達のピアニストがいるんで連れてっていいですか」って言ったら事務所は大騒ぎ。「レコーディング一回もしたことないのにピアニスト連れてくるぞ」みたいな。
結局、角野が演奏した瞬間に事務所も納得したそうです。二人はその後も友人関係が続き、映秀。がハワイに行ったのも角野の結婚式のためでした。
もう一人のキーパーソンが、カナダのプロデューサー・Tennysonです。Kazmaはこのつながりがまったくリンクしていなかったと驚きます。
Tennysonは、恋人と別れて住む場所を失ったことをきっかけに、映秀。の実家に居候することになりました。母、Tennyson、猫との四人暮らしだったそうです。
朝、家が揺れんの。キックとローで家が揺れて。「地震か」みたいな。行ってみたら、俺のスピーカーから聞いたこともない音が鳴ってて。
スマホ録音も高級機材も同じ。「音のフラットな美学」
映秀。は、一、二枚目まで大きなスタジオでがっちり録音してきました。しかしTennyson(本名ルーク)は、スマホで録音したギターの音をそのまま使ったと言います。
ルークはマジでスマホで録音したギターの音とか使うの。意味わかんなくて。「え、レコーディングしないの?」みたいな。でも聞いてみたら、めちゃくちゃかっこいいし、いい音だなって。
この体験から、映秀。は音に対する固定観念が外れたと語ります。
この学びは、DIYで作れる音ならそれでいいというマインドにつながりました。新曲のボーカルが近く聞こえるのも、この影響があるかもしれないと話します。
アファンタジア。頭の中に映像が浮かばない
後半の中心が、映秀。が東京大学の研究対象になった話です。目を閉じてリンゴを想像しても、映秀。には一切見えないと言います。
目を閉じたら、僕はもう真っ暗。二人の顔も目を閉じたらない。要するに僕は視覚的イメージができないんですよ。これをアファンタジアっていうんです。
映秀。は過去の記憶を映像として思い出せず、感情や情報として残っていると説明します。喧嘩した記憶はあっても、相手の顔は覚えていないそうです。
この特性に気づいたきっかけも、Tennysonでした。「イメージできる?」と聞かれ「ない」と答えたところ、「それ変」と言われたのです。
そこから映秀。は自分の特性を調べ、脳波を扱う研究室の縁で論文の著者に連絡し、月一のMRIで研究対象になりました。
ディスプレイがないから、音楽がディスプレイになる
映秀。は、この特性が人生観にも影響していると考えています。過去も未来も視覚的に思い描けないため、自然と「今」を強く楽しむ方向に向かうと言います。
あんまり過去も映像として思い出せないし、未来も視覚的に想像できないから、自然と今をかなり楽しむ方向に行く。
Kazmaは、死後の世界を想像できることが人間と動物の境目ではないか、という別の会話を紹介します。時系列を重視しない映秀。の存在が、人間の定義をより曖昧にすると面白がりました。
映秀。は、情報は届いているが「ディスプレイ」がないのだと表現します。座標や空間の配置はわかっても、絵として出力できないのです。
だからこそ、映画のような映像作品を作りたいという願望が、シネマポップや劇伴への志向につながっていると考えられます。
クリエイター同士の対話。「違う」だけがわかる感覚
映秀。は、完成形のイメージを持って音を当てているわけではないと言います。とりあえず音を鳴らし、「違う」だけがわかりながら構築していくそうです。
イメージがあってそれに当てるんじゃなくて、イメージも見えてないけど、とりあえず音を鳴らすと「なんか違う」だけがわかって、だんだん構築されていくと好きになってる。
理久は、今ようやく映秀。の求める「ディスプレイ」を自分の体内に持てるようになったと話します。噛み砕いて「こうじゃない?」と提案すると、映秀。が「それそれ」と反応する瞬間が増えたそうです。
Kazmaは、映秀。のライブ写真を撮る側の視点から、この特性の難しさを語ります。一度出してみないと、映秀。が気に入るかどうかわからないのです。
一回出してみないと、それが映秀。が喜ぶものか喜ばないものかわからないんだね。だから映像やカメラ側の人は、めっちゃ怖いかもそれ。
映秀。は、Kazmaの写真が「これだ」とパッチリはまったと語ります。その場の熱量だけでなく、作品として物語の中に切り取ってくれる点が合うそうです。
その場の熱量だけじゃなくて、ちょっと作品っぽく落としてくれる。その瞬間をKazmaさんの視点で見た感じで写してくれてる。それがすごく自分に合ってるなって。
「優しさとは何か」あえて厳しいことを言う人へ
映秀。は、あえて厳しいことを言える人こそ優しいと最近感じています。自分は「楽しければいっか」で何も言えないぶん、嫌われ役を買ってでも指摘できる人を尊敬すると言います。
思っててもさ、その人が楽しければいっかで終わっちゃってる俺より、嫌われ役を買ってでも「いや、それは違うっしょ」って言える人は、ほんと優しいなと思う。
理久は、それは相手を大事にしているからだと応じます。過去に映秀。へ言い続けてきた言葉が、今になって時差で伝わってきていると映秀。も認めました。
あとほんと、怒られなくなったら終わりだからな、人間って。どうでもいいやつには労力かけて怒んないじゃん。本当に嫌いなやつの話とかしないし。
Kazmaは、SNSで反対意見を一つ落とすことに意味があると語ります。アルゴリズムで同じ意見しか目に入らない今、多様な立場が見える仕組みがあればいいと三人で話し合いました。
新ツアーと、ライブに行くときの服装
最後に、五月から始まる「Fly You to the Moon」ツアーの告知です。東名阪で開催されます。
映秀。は、今回のツアーで初めてコンセプトを設けたと話します。
頑張りすぎてたり、頑張ってることにも気づけなくなってるくらいの人たちを、寄り道しながら月まで連れていく、一緒に行くっていうコンセプトを設けてて。
初めてライブに来る人や一人で来る人も多いため、安心して音楽を聴ける環境にしたいと語ります。
リスナーからの「どんな服装で行けばいいですか」という質問には、ライブハウス店員でもある理久が具体的に答えました。
長いスカートやヒールは転倒の危険があるため避け、髪の長い人は縛るとよいそうです。大きなリュックはロッカーに預けてほしいとも呼びかけます。
でかいリュック一個が人キャパを一減らすので。百人がリュックを全員持ってきたら二百人分になっちゃう。そこはお願いします。
まとめ
映像が浮かばないアファンタジアという特性を持つ映秀。が、だからこそ音楽をディスプレイ代わりにしているという話を軸に、新曲の設計、AI時代の人間性、角野隼斗やTennysonとの出会いまでが語られた後編でした。制作の裏側と本人の認知のあり方が、地続きにつながっていく回です。
- 映秀。は目を閉じても映像が浮かばないアファンタジアで、過去も未来も概念や情報として捉えている
- ディスプレイがないからこそ、音楽が情景を出力する手段になっているという自己分析
- 新曲は言葉を詰めず、ロックサウンドで「歌を立てる」方向へ意図的に変化させている
- Tennysonとの居候生活で、スマホ録音も高級機材も本来フラットだという音の見方を得た
- 五月から東名阪で「Fly You to the Moon」ツアーを開催、初めての人も安心できる設計を目指している
