ゲーム機を与えなかった新聞投稿が炎上
番組冒頭の挨拶に続き、二人は収録少し前に話題になった新聞投稿を取り上げます。
こんにちは。ひうらさとるです。
こんにちは、芳麗です。
ひうら芳麗の楽女なニュース、今週も始まりました。
今日はね、少し重いけれども、いろんな側面から話題になったニュースを語ってみたいなと思ってて。ちょうどこれを収録している少し前に、子供にゲーム機を与えなかったことを良かったとする新聞記事が話題になったんですよね。
そうなんです。その新聞記事をスクショして投稿した方は、新聞の人たちだけに読まれるんだろうなと思って投稿したものが、Xですごい拡散されてて。「ゲーム不要貫いて子育て」ってタイトルなんですけど。息子2人が小学生の頃、家庭用ゲーム機が大流行して、みんな持ってる話が合わんとせがまれたけど、私は頑として受け入れなかったっていう子育てが、後々合っていたんだって思って。
成人した次男が本当に初任給でゲーム機を買ったけど、すぐ飽きた、もう大人だしねと笑ったって。私らにもゲーム機は買わなくて正解だったと思っているっていうのがものすごい炎上してて。投稿してる人が「息子はあの時、流行りのゲームをやりたかったんだよ」って。これが3日間でなんと2730万インプレッションなんですよ。
インプレッションすごい。いろんな人の記憶とか価値観を揺さぶったってことですよね。
そうなんですよ。賛否両論なんですけど、ほぼ否定で。自分だけ持ってなかったから惨めだったとか、友達んちに行って必死でやってしまったとか、幼少期のコンプレックスをすごい逆撫でする気持ちになるみたいで、割と感情的な否が多かったんですよ。
その人はゲームだけじゃなくて、NHKしか見ちゃいけないって言われて。それを守ってたら、全然友達とうまくコミュニケーションが取れなくて、先生にも変わり者扱いされて、親にも最終的に叱られてみたいな。誰のせいやみたいなことをつぶやいてて。なんかちょっと胸があって痛くなる。
さとるさんはどっち側?子育ての難しさ
芳麗さんは、ひうらさとるさんに賛成側か否定側かを尋ねます。
さとるはどう思います?賛成側ですか?否側ですか?
もちろん。みんなが酷いってっていうのはすごいよくわかるんですけど。でも自分の子供時代を考えると、やりたいことなんてほぼ否定されてたから。漫画も、お小遣いで買えるぐらいしか買ってなかったし。周りがみんな持ってるっていう時代じゃなかったから。
今、思春期の子を育ててる立場でいうと、「ワシの時代はこうじゃったんじゃ」っていうのはやっぱ良くないなとは思います。
親がいろんなことを子供に禁止するのも、禁止するのも親の仕事みたいなとこあるじゃないですか。今の親の方ってね、昔とルールが変わっていく中で、SNSをどこまでやっていいかとか、便利な機器があって、それを子供が使うかとか、本当に昔と一緒じゃない。重々分かってても難しい。
難しいです。いくつで解禁するかっていうのは確かにすごい難しい。私はこれぐらいから与えた方がいいだろうなって思ってたんですけど、この話をママ友にすると、「あなたたちは才能があって特別な仕事に就いてるからいいけど、学歴っていうのは、どんな地方にいようが、親が金持ちじゃなくてもチャンスを手に入れられるもの。それに対して、ゲームとかスマホとか時間を奪うものを子供のために規制するっていうのは、あるっちゃあるよ」みたいなこと言われて。
なるほどねって。まあ確かにそれは一理あるなとも思いました。
一理はあるけど、難しいですよね。
なぜ炎上したのか。ドヤが入っていた
二人は、この投稿がなぜここまで叩かれたのか、その論点を整理していきます。
新聞だけで書いて、ちょこっと投稿欄で読まれるっていう想定ではあったけど、これだけ拡散してしまってることを、Xで叩いてる人は忘れてはいけないですよね。
言ったわけじゃないんですよ。でも本名だし、ちょっとそれはかわいそうだなと思ってて。
かわいそう。ただ本当にこの文章だけを、勝手にXに載せられてしまうと。叩かれてる論点の一つとしては、その人がゲームを与えなかった親であったことを誇ってるわけじゃないですか。私は与えなかったみたいな。
そう、なんかちょっとドヤが入ってるんですよね。
そう、ドヤが入ってる。だから多分みんなピキッてなったんだと思うんですよ。うちは与えなかった結果良かったんだけど、これをわざわざ書いて、啓蒙であるかのような空気感を出してるっていうのが、叩かれるのはわかっちゃう部分でもあるから。
教育的に良くないとか、今の時代じゃないっていう、みんな意見があんまり冷静じゃなくて。「私だってこんな気持ちになった」とか。あんなに規制されたから、今もう部屋中ゲームだらけですの写真が上がってたりとか、みんな自分の物語を思い起こさせる話なんだなってすごい思いました。
吉本ばななさんのnoteと、立ち行かない兄弟
話題は、吉本ばななさんが公開した家族noteへ移ります。二人はそこに普遍的な問題を見ています。
吉本ばななさんのnoteも、みんなの集合意識っていうのかな、そういうものに触れてしまった。お金のこと、家族の共依存の話とか、出版界のこととか、いろんなことでみんなのパンドラの箱を開けるような文章だった。
確かに大事件でしたよね。ああいう特殊な家に生まれて、特殊な才能を持ってる人が言ったことって誰にもイコールにならないのに、特殊だから故、みんなの心にヒットしたんだなって。
経済的にも、お仕事的にも、生き方的にも、ちょっと立ち行かなくなってしまった中年の兄弟を抱えている田舎の人って結構いっぱい。
いますよ、います。しかもね、姉とか兄なんですよ。妹が全てを背負ってみたいな。奔放な妹が家を捨てて都会で自由に生きているから、「お前だってちょっとは苦労しろ」みたいに思ってるとか。特殊な家の話だけど、普遍的でもある。しかもあれ、まさに現代の病じゃないですか。
現代の病。私が知ってるだけでも4件ぐらいそういう家があって。聞いたら「いっぱいいるよ」って。親の遺産をあてがってもうまくいかない、兄弟が面倒見てもこの先どうすんの?っていう状況で。ずっと働く機会を得られなかったとか、結婚してもうまくいかなかったとか。西川美和監督の映画『揺れる』もちょっと思い出しました。
でもあれもね、問題がある方が兄じゃないですか。壊れてしまった方が。
そう、奔放な弟に人生を犠牲にされたような気持ちになっていて。ばななさんの筆力と、国民的作家のマックスの状態みたいな筆力で、普遍的だけど言っちゃってる話を聞かされたから、すごい響いてしまったんだなって。
貸そうかと思ったお金。パンドラの箱
芳麗さんは、自身にも重なる「お金と兄弟」の記憶を語ります。
芳麗さんのボイシーも聞きました。お金を貸そうかと思ってたって。
でも妹が「芳麗ちゃん、私にはいい妹がいるから」って安心して見放したとか言われて。自分が本当にあそこで崩れ落ちてたら、妹ともまだ仲良かったかどうかわからないから、怖い問題ってありますよね。
聞いてやっぱりリアルだなと思いました。貸せばよかったかもしれないけど、あそこで貸してたら今こういう関係が続いてなかったかもしれないとか。私もフリーランスの30代とか、お金のことがよくわかってない時、あのまま行ってたらこうなってたなって思うと、ばななさんのお話でもお金の面でめっちゃ怖かったんですよ。
私、ばなな読者だったから。宗教かと思うぐらい、別に悪い意味じゃなくて、ほんと独特の湿り気で人を引き込んでいく。救いがあるんだけど救いがないような、あの感じ。ばなな読者も読者で、脅威に飲まれてしまう弱さがあって。でもそれをばななさんは絶対認めないから、「私は脅威ではない」って話をしていたみたいで、根深い問題だなと思いますね。
医学部9浪の母娘事件と、愛という名の牢獄
もう一つの話題として、医学部9浪をめぐる母娘の事件と、それを追ったルポルタージュが取り上げられます。
この話でいうと、もう一つ話題になった、医学部を9浪して。
『母という自爆、娘という牢獄』ですよね。私、あの本読みました。ルポルタージュなんですけど、結構ショッキングな内容というか。犯人の娘に会いに行って、聞き取りをした話なんですけど。
事件をちょっと簡単に言うと、2018年、滋賀県守山市で娘が母親を殺害した事件。大阪高裁判決では、母が娘に対して本人の意向や学力とは無関係に特定の医学部医学科以外への進学を許容しなかったこと、自立の試みを連れ戻したこと、日常的な監視や干渉、束縛があったことが認定されているっていうね。怖い。
つらいけど面白いですよね。教育虐待っていうのも超えて、もうホラーなんですよ、完全に。彼女が自分が死ぬか母親を殺すしかなかったっていうのも、もうしょうがないなって思わせるような状態だったんですよ。家から出ても追ってくるしみたいな感じで、人生を支配されているんですよね。
記憶の扉が開くような。うちもお父さんがマレーシアから出てきて、日本のいい大学、医学部に行ってお医者さんになったこともあって、私と妹にもすごく医者になることが言われたんですよ。医者以外だったら東大じゃないと大学じゃないぐらいの。ハーフマレーシアンチャイニーズってこともあって、日本で生きていくにはめっちゃ学歴があるか、何かに長けてないと絶対生きていけないっていう風に思ったっていうのもあって。
うちの妹の方がちゃんと勉強してたから、お父さんとか無邪気に、ハンバーグの大きさが全然私と妹で違うみたいな。私の方ができない子っていうか、面倒かける子だったから、愛情はたくさんもらったと思うんですよ。ただ、勉強ができないものはダメみたいな感じで、食卓でのハンバーグの量とか、おかずの量を減らされる。
かわいそう。
「できないやつら」みたいな。何かなければ生きていけないんだから、特別な才能がない限り、学校に行かなきゃ生きていけないんだからっていう、親の愛という名の牢獄みたいな話じゃないですけど。一理はあるけどさ、みたいな。なかなか子供にとっては苦しい考え方。
あのゲームの投稿も、自分は長男だからすごい禁止されてたけど、なぜか次男には許されたとか。兄弟間で差をつけられるっていうコンプレックスも綴られていて。やっぱりパンドラの箱ですよね。
毒親になりたくない。でも受け取るのは本人
子育て中のひうらさとるさんは、親と子の境界線について自分の考えを語ります。
さとるはその子育てもしているし、どうですか、この問題。どこまでがこう、これも境界線の話だとは思うんですけど。
難しいです。毒親になりたくないなと思ってるんですけど、私はこれぐらいやってるから大丈夫って思ってても、結局受け取るのって本人の問題だから。精一杯やるけども、どう受け取られるかは本人がどう受け取るかっていう方が問題だから。もちろん間違ってたら謝るけど、完全に私は間違ってない子育てをするんだっていうのは無理だなって思ってます。
支配的なことは言ってないかもしれないけど、親としての知見とか、「こうした方がいい」はもちろん言うわけじゃないですか。
そう、自分の方が口が立つとか、立場が強いとかってどうしてもあるじゃないですか。そういうプレッシャーを与えてるつもりじゃなくても、存在してるだけでプレッシャーかもしれないし。
立場とか関係性だけでもうすでに。
そうなんですよ。ゲームの話も、親と子供って生きてる世代が違うから、常識が違うわけじゃないですか。なるべく理解したいと思ってますけど、難しいなって思うので、私は多分、新聞欄に投稿しない、「間違ってなかった」って投稿はしないと思います。
親も人間だと気づく瞬間、笑い合える相手
最後に二人は、トラウマとの向き合い方や、事件の背景にある孤独について語ります。
やっぱ子育てに正解ってなかなか難しいし、みんな不安だからこそこれだけ話題になるんだろうし。
でも大人になると、親があの時いくつだったんだなと思うと、あの時何もしてくれなかった、酷いこと言われたって思うけど、幼いし必死だったんだなって思うと、割と許せるし、許せることによって自分が癒される時もあるじゃないですか。立場を認めることによって、自分の昔のトラウマが癒されるってことってあるかなって思います。
多くの人が、親も人間だって気づく瞬間があって。愛情の形はハンバーグの大きさだけで表れているものではないということにも気づかされ。
でも想像するとキュッてなりますけどね。ハンバーグの大きさが違う。
食いしん坊でコロコロしてるからハンバーグがちっちゃいから。多分もしかして、私の記憶の中のハンバーグはかなり小さいだけで、食いしん坊だから過剰にちっちゃいと思ってたのかもしれません。
こうやって、「あん時こうだったね」って笑い合える相手が、親にも子供にもいるとだいぶ楽ですよね。この滋賀の医学部受験の人は仲間もいなかったんですよ。友達を作ることも禁止されたから。だからそれがやっぱり悲劇だなって思います。
吉本さんちも、あれだけお母さんに支配されてしまった背景として、「家に物書きは二人いらない」って吉本隆明先生に言われて、文章書きだったお母さんが文章を書かなくなってから狂っていったって言われてるじゃないですか。どこまで本当かわからないけど、震撼しちゃった。
大学も医学部も指定して、そこしかダメだって言うのもおかしいし。友達すら持っちゃおかしいぐらい行き切っちゃってる極端で。でもそのお母さんはなぜそうなってしまったのか。お母さんも何かあったのかなと思いますよね。
気になりますよね。
ちょっと答えのない問題ではありますが。また女の事件簿シリーズとして、引き続き考えていきたいなって思っております。
まとめ
ゲーム機を与えなかった新聞投稿の炎上から、吉本ばななさんの家族note、医学部9浪の母娘事件まで、この回では愛と支配の境界線が語られました。親の禁止や期待が、時に子供の人生を縛ってしまうこと。それでも、受け取り方は本人次第であり、完璧な子育てはないこと。そして、あの時を笑い合える相手がいることが、トラウマを癒す助けになると話されています。
- 親の禁止や期待は、愛の顔をしながら子供の人生を縛ることがある
- 立ち行かない兄弟や家族の共依存は、特殊に見えて実は普遍的な現代の病
- 完璧な子育てはなく、どう受け取られるかは本人次第だと語られた
- 親も人間だと気づき、笑い合える相手がいることが、過去のトラウマを癒す
