息継ぎとプチプチ音の話から
番組はいつものオープニングから始まります。編集の話題で、ふくしまさんが最近入れた音声のプラグインの話になります。
ポチ。
こんばんは。今夜も図面を描きながらです。建築設計を仕事にしているアゲミとフクシマが、夜な夜な図面を描きながら話していく番組です。
肩の力を抜いて、生活の真ん中にある何気ない気づきを話していけたらと思っています。こんばんは。
こんばんは。
これさ、(冒頭の挨拶の)息継ぎのタイミングむずいよな。
あー確かに、この前なんかツルツルってつなげたやつあったもんな。ちょっと試行錯誤してんのか。
そうそう、みたいになるからさ、そのやりすぎると。
毎回息継ぎの音とか、まあ毎度なんか調整してる気がするな。
やってくれてるもんな。口の横にこう、泡吹いてんちゃうかなって思うような時あるもんな、音として。
そう、僕割とあって。プチプチ言ってるのとか。それがこの前入れたプラグインで、ほぼ気にならんくなったから。
マジ?
はい。もう無敵っす。気楽なもんすわ。
なるほど。いいのを教えてもらったな。これで、そのプチプチ音が消えるん?
気にならんくなりましたね。
うーん、じゃあまたやってみます。了解了解。
「建築家」の先にあるやりたいこと
今回のテーマは肩書き。ふくしまさんは、建築をつくることの先にやりたいことがあるなら、もっとふさわしい肩書きがあるのでは、と切り出します。
さて、えーと今日はあれですよね、肩書き。
肩書き。
配信してる中で、よくキーワードとして出てくるなと思ってて。特にアゲミさんなんか、すごい気にされてる気がするなと思ってて。
僕ら今、ポッドキャストの入り口の挨拶で、建築設計を仕事にしているアゲミとフクシマが、って言うてますけど。
いわゆる建築家っていって、肩書きとして名乗っていたりしますけど。
なんか(僕らの)やりたいことって、建築を作ることの先にあるって、よく話をするじゃないですか。
それを考えたら、もうちょっとふさわしい肩書きってあるんじゃないかなみたいな。そんなことを思って。
いっぺん何か考えてみません?っていう、お互いに。今のやりたいこととか、やってることとか踏まえて。
今の自分はこうこう、こういう人です、なのか、なんとか、なんとか人ですとか。
面白。
今の自分に合ってる肩書きみたいなのを考えてみたら、面白いんじゃないかなと思って。
昔一回、っていうか何回も出てきてるけど、ワークライフバランスみたいな話をした時に肩書きの話したもんな。
実際、建築設計の仕事以外のことも、いろいろやり始めてるので。
前回やったか前々回話してたのでさ、建築が生活の一部みたいな感じで。
建築設計っていう分野の中に自分がいるんじゃなくて、自分があって、その一つに建築があるから。
(分野を)またいでても、自分っていう枠で関わると、違うことしてるっていう感覚があんまりないところがあって。
外から見たら、あいつ何やってんの?ってなるかもなんやけど。
ローカルという言葉と、生き方のコンセプト
僕その、ここへ引っ越してきた時は、建築家ですみたいな感じで来てて。
で、あの時話した時は、それに対する焦りというか。自分がこう地に足がついてないというか、ここでいますっていうのが弱いんじゃないかっていうのを思っていて。
ローカルっていう言葉をつけたかったんよ、僕。
へー。
ローカルっていう要素が、すごく欲しいなって思ったんよ。
まあその一つで、しがぁしがぁに声かけてもらって、というか入れてもらえて。一緒に活動をするようになって、とかっていうのはあるんですよ。
どっちが先か後かはあると思うんですけど、その肩書きとやってること。でも、やりたいことを肩書きとしてつけていくみたいなのはいいよね。
すごくいいと思います。
いわゆる今ある肩書きで自分を当てはめていくと、それこそいろんな肩書きが、自分の周りに付随してくるかもしれないですけど。
それって本当に他人から見たら、ほんま何してる人なんやろうみたいなことになるですよね。
だから、あえて一つそれを統合するような思いみたいな。こういう思いで生きてる人です、みたいなのが伝わるような言葉が、きっとあると思うんですよね。
そうやな。なんかコンセプトみたいな。もうコンセプトやな、肩書きっていうかな。
まあそうですね。そうですね。生き方のコンセプトというか。
あー。それがあって、手段として建築とか、ポッドキャストとか、そういうものがあるみたいな。
そうやな、僕、肩書きがというよりは、コンセプトが欲しいんかもしれん。
うーん、でもそういうことですね。
それを決めてしまったらええな。
うん、一旦。
建築は「カードを切る前準備」が重たい
あげみさんは、アーティスト・イン・レジデンスでポッドキャストの可能性を感じたと話します。そのうえで、建築という手段の「重たさ」をカードゲームにたとえます。
これちょっともう恥ずかしがらずに言うと、ポッドキャスターみたいな立ち位置として、今回そのアーティストインレジデンスをして、すごい可能性を感じるんですよ。
インタビューもするし、音声データにできると、そっからの派生のさせ方というか、素材としても使えるし。
使いよい手段としてポッドキャストがあるなって、すごく感じていて。
建築っていう仕事をしてて、使い勝手がいいって思ったことは、僕そんなになくて。
自分の生き方としては、建築はいいと思うねん。けど外から見た時に、建築はかなりこう、条件整理必要なんじゃないかなって思うんよ。
ここで登場させる建築家みたいな。なんか(条件が)整わへんと。大事やし。
カードゲームでもこう、そのカードを切るための前準備が、すごい必要な感じがするねん。
遊戯王みたいな。このパーツを揃えて、これとこれ4枚揃ったからドンみたいなさ。
だから、ちょっと重たいなっていう気もしてて。
それはよくわかる。
そういう意味でね、ポッドキャストをしてるようなところもある気がする。どうですか、福島くんは。そこら辺。
作品より先に「人」が出てくるホームページ
ふくしまさんは、事務所のホームページを作り変えたいと考えています。作品が入り口にある今の構成を、人となりから始まる構成にしたいそうです。
今、事務所のホームページをね、作り変えたいと思っていて。
今のホームページやと、トップページにまず作品が出てくるんですよ。こういうプロジェクトやってきてます、っていうのがまず出てきて。
で、そこから自分の経歴とか、大切にしたいこととかみたいなのが出てくるんですよ。そっから徐々に、まあInstagramとか。
そうやって作品が入り口に来て、人で最後に問い合わせみたいな流れにはなってるんですけど。
最近やっぱり、何を作ってるかっていうより、何をしてる人か、どういう考えをしてる人なのかっていうのを、前面に持ってきたいっていうこともあって。
(今のホームページは)全然ふさわしくないなと思ってたんですよ。
まずやっぱり最初に、なんていうかな、個人が出てきたいなと思ったんですね。
あーわかる。
その個人っていうのは、福島巧也です、バーンって言うんじゃなくて、こうこうこういうことをしたい人なんです、っていう。
人となりがね。わかります。
それを表現するのが、まあ写真であったり、言葉であったり、アゲミさんとのこの対話をしてることであったり。
最後に、そういう人は一体どんな建築を作ってんだいっていうので、作例が出てくるみたいな。そういう流れの方がふさわしい気がしていて。
それもあって、ちょっと肩書というか、その自分を表現する言葉みたいなのを考えてみたかった、みたいなのはあるんですよ。
atelierMATAに込めた「間に立つ」
話は事務所名の由来へ。ふくしまさんの事務所名「atelierMATA」には、何かと何かをつなぐ存在でありたいという思いが込められていました。
でもね、その事務所名考える時とかも、結構それ大きかったなと思ってて。何をしたい事務所なのかっていうのを表現するなーみたいな、名前って。
僕、atelierMATAっていう事務所名ですけど、英語表記でどう繋がってるか分かりにくいとは思うんですけど。
MATAは、福島の「ま」と巧也の「た」を取った「また」なんですけど。
何かと何かの間に立っている人。またとなってつなぐ人みたいな。つなぐ存在でありたいみたいな思いが含まれてるんですよ。
ほー。
それはクライアントとまちであったり、クライアントと施工者であったり。
その間に立つ存在として、そこで価値のある人間でありたいみたいな、そういう意図で採用したんですけど。
最近いろんな活動をする中で、それに寄ってきてる感じはあるんですよ。
だから、事務所名としてそれは合ってんなって思ってるから、それをもう少し噛み砕いた日本語の言葉で作れたらいいなと思って。
今ね、まあChatGPTといろいろ話しながら、今一旦仮で押さえてるのが。
人と場所の間に立つ、って言葉をバンって置いてみたらどうかなと思ってて。
ほう。それは何?前に置いてみるっていうのは、人と物の間に立つatelierMATAみたいなこと?福島巧也みたいな?
そうです。そうです。
大きい言葉でそれがバーンと出てきて、補足説明的なのはチャチャーとあったりはするんですけど。人と場所ですね。人と場所の間に立つ。
立つっていう、もう動詞で終わるみたいな。何々する人とかじゃなくて。
あ、そうかそうか、そやな。そやな。
それはまあコンセプトというか、こういたいです、っていう意思表示みたいなところではあるんかなとは思って。
どうですか。人と場所の間に立つ、ホニャララホニャララ、福島巧也です、って。
なるほど。僕も言おうかな。違う違う、それパクろうとじゃ。
まあこれは肩書って言えるのか、よくわからなんですけど。それこそコンセプトみたいな感覚なのかもしれないですけどね。
「面白いものに飛びつくアゲミヒロキ」
あ、でもまあそうか、それを見て、そういう価値観でやってはるんやって。うん、そうやな。僕なんか、そこまで客観視して自分を見れてないな。
面白いものに飛びつくアゲミヒロキ、みたいになってしまいました。
いや、でもそれはいいですけどね。飛びついた結果、こんなことやっちゃってます、みたいな。
僕も、自分のホームページあるけど、やっぱ建築作るみたいなスタンスでホームページ作ってるから、大仰な感じがするよな。言うてることも。
よりは、こう、一個人としてのあり方で建築みたいな感じが、すごくする。
僕ら個人事業主やん。僕らだけしかおらんから。それぞれ一人ずつしかおらんから。
なんかそれに対して、フィットしてないなって思うところはあるんすよ。
その観点で、最近よく話す、自分たちの“場所を持つ”とかさ、そういうのも付随してきそうな気がするんよな。
あ、そうなんすよ。
自分の中では、結構いろんなことが繋がってはいるんやけど。なんて言うんやろ、自己投資の一環として全部繋がってる感じがするんよな。
ほんとそう。言葉とか、そのコンセプトみたいなのを一つ持つだけで、バラバラになってることが、ひとまとまりの筋の通った生き方に見えたりとか。
お買い物一つも、筋通って見えたりとかしますもんね。
「やすみな」がしっくりき始めた
あげみさんは、自身の屋号「やすみな」の由来を話します。「心やすい」という言葉と、みんなが休める場所というイメージを重ねた名前でした。
僕とかやとさ、やすみなっていう名前やからさ、おやすみなさいみたいに思われがちなんやけど、その「やすい」って、心安い。
心安いってどういう意味や?説明したことがないぞ。
心やすいは、気を使わず付き合える親しい様子。心配事がなく、気持ちが落ち着いていて安心できる状態みたいな。その「やすい」と、皆さんで。
そんなんやったんや。
そう。でも漢字で「安い」は、ちょっとそれもなと思って。
易みたいな。不易流行の、それとは違う?
いや、そっちの方が多分適切なん。心やすいって書くと、高い安いの安いになるんやけど。
でも漢字当てるとすれば、本当に休むの休みに、みんなが休める場所みたいなのは、漢字としていいなと思ってて。で、やすみなってしてるんですけど。
そういう関係性というか、楽してこうよみたいな感じが、やっぱり自分らしいなと思うから。
元々、個人の上見設計室みたいなんにしてたんやけど、ちょっと違和感ずっとあって。なんかないかなと思って、やすみなって思いついてしてるんですけど。
僕、最近やっと、このやすみながしっくりき始めてて。
ああ、一緒や。一緒じゃないですか。
ね、ずっと決めたものの、ソワソワしてたね。変えてしもたし、もうこれでいくしかないような気もするし。
これでいくしかないって、また、アソビテさんみたいやけど。
なんか結局自分やし。それ自体がコンセプトみたいな気持ちで、もういいなと思って。
ただ休みなさいよって意味に捉えても、まあそれはそれでええっちゃええし。
いやでも、その説明があって、ああそうやったんやってなるワードじゃないですか、やすみな。一見、うえ?ってなる。そういうことなんや、みたいな。
ああ、そうか。でもずっと、この「皆」っていう言葉を使いたくて。みんなっていう感じが、すごい好きで。
建築って、一人でやるもんじゃないから。このみんなでやるっていうのが。いたいなと思ってて。
こねくり回しすぎて、よくわかんなくなってるんかもしれない(笑)。
ホームページにポッドキャストを載せたら
あげみさんもホームページを作り替えたいと話し、ふくしまさんは、自分のサイトにこのポッドキャストを重要な位置で載せたい考えを明かします。
僕もちょっと、ホームページちょうど作り替えたいって前言うてて、そのまんまやから。フクシマくんと一緒にやろうかな。
そう、僕ね、そのホームページの中で、このポッドキャストも結構重要な位置占めるから。
入ってるんやな、ホームページに。
そうなんすよ。入れたいなと思うんすけど、どう考えても、アゲミさんとセットで説明入れざるを得ないじゃないですか。個人一人でやってるわけじゃないから。
それ難しいような、むしろそれでこそ僕っぽいような気もするというか。
建築家の事務所で、他の建築やってる人の名前出てくるとかって、なんか変な感じするんですけど。
でもそれも、作品手がけたものより前に来るような配置にしようとしてたりするんすよ。
でもこれ増えてったら面白いな。カメラとかっていうタグもできてさ。
カメラの仕事みたいなのも(載って)、atelierMATAっていうよりは、もう福島巧也みたいな紹介ページみたいになってくよな。
そう。最初は、僕がこういうコンセプトでいたい、生きたい人です、っていうのが出て、そこから日々見ているものとして、Instagramとかで写真がバーって出てくる。
自分が見てるものっていう。で、そこから考えてることとして、noteで記事書くようにするとか。
あとは人と対話することで、常にものを生み出していきたい、アップデートしていきたいみたいなところがあるから、そこの項目でポッドキャストを入れていけたらいいなと思ってて。
へー、確かにな。その流れはよくわかりますし、ポッドキャスト、確かに僕も入れたいな。こんだけ溜まってきたらな。
このポッドキャストの左にフクシマくんの顔写真にして、右に僕の顔写真。
顔まで出てくる。
誰?みたいな。
北の近江アーティストインレジデンスのホームページは、ポッドキャストのポップみたいなんが出て。
ああ、出てますね。
あんなんもいいなと思ってたけど、こうやって、もうブログ記事みたいな扱いよな。懐かしの。
いや、ほんと、そこに一人じゃなくて、別の建築家登場させて対話してるっていうのを出すこと自体も、僕っぽいかもしれんって思って。
なんで、自分のウェブサイトに来てくれた方、僕に頼んでくれなくてもよくて。アゲミさん…
ここまで来て、僕の方へ来ることある?
いや、わからんけど。ポッドキャスト行って、アゲミさんの方がええなとか、例えばね、思ったとていいって思ってるんすよ。
クライアントと出会うのは、相性絶対あるから。そこが合う合わんで選んでもらったらいいから。
面白いね。
まあそれ実際に実装する前には、ほんまにいいすかって、アゲミさんには確認取りますね。
これ勝手に、宣伝じゃないけど、そんな風に扱っていいもんすか、みたいな。
おもろい。ちょっとね、許可取ってください。
はい。じゃあ使用料とか必要やったら入れてください。
あ、そういう新しい商売やな。人の建築家のホームページに、どうすか、僕とポッドキャストを録りませんかって言って。へー、おもしろ。
脱線:窓際の冷蔵庫
ふくしまさんのホームページを見ていたあげみさんが、ふくしまさんの自宅「御屋敷の小屋」の写真に気づき、話は冷蔵庫の置き方へ脱線します。
ホームページ改めて見ると、御屋敷の小屋のレイアウトがちょっと違うんやな。1枚目のトップの、キッチンのところの写真。
あー、テーブル。今でもちょいちょい変えますけどね、テーブルとかは。
あのさ、冷蔵庫さ、もっと窓際寄ってるよな、今。
あ、この時、ちっちゃい無印の、2人暮らしの時に使ってたやつやから。
すごいね、フクシマくんは冷蔵庫も建築みたいに写真撮ってるからさ。反射っていうか、リフレクションっていうの?
(建築の)一部みたい。なんか変わった素材が使ってるんやな、みたいな、窓際は。これみんなに教えたいけど、それ冷蔵庫ですよって。
そうそうそう。扉表面がね、ガラスみたいなの貼ってあるから、よく反射するんですよ。よく使っちゃう。
めちゃくちゃ有効活用してて。窓際に冷蔵庫ある建築、珍しいもんな。
で、最初は何選ぶか決めてなかったんすけど、奥行き浅い冷蔵庫になると。
横に広なるんやな。
まあそれでいいって思ってましたし。
確かにこれ浅いな。これ(奥行)650で収まってるってことや。
これがね、奥行き出てくると途端に、キッチンの方への出入りとか厳しくなってくるので。
なるなるなるなる。すごいな。もう最初からこれやったみたいなぐらいの収まりやよな。
まあそういう製品が最近は出てきてるっていうのはわかってたから、大きくする時にはそれにしようって言って。
いや、すごいよ。なんかびっくりしてます。
仕事を辞めたら肩書きは消えるのか
肩書きの話に戻り、あげみさんは「仕事イコール肩書き」への違和感を語ります。番組にはお便りで、建築から離れた人の声も届いているそうです。
いや、脱線しました。肩書き。
ちょっと話飛ぶかもやけど、このコンヅメ聞いてくれてる人って、建築から離れたりとかしてる人とかもいて。お便りとかもね、いただいたりするんやけどさ。
僕ちょっと、仕事イコール肩書っていうのが違うような気はしてて。もちろんそれがスタンダードやとは思うんやけど、それだけじゃないような気がしてて。
建築やってますとか、建築家ですとかって言っててさ、仕事を辞めた瞬間に。
ある種、肩書って生き方みたいなところもあるとすれば、全部否定されてしまうような気が。特に勤めてたりするとさ。
すごいこう、仕事とイコールすぎて、つらいなって思ってて。
いろんな肩書あると思うんですよ。会社名を肩書みたいに使ってる人もいるし、職を肩書にしてる人もいると思うんやけど。
肩書って、責任の表明っていう側面もあるにしても、自分を肯定するものやと思っていて。
自分を肯定するもの。
自分が何者かというか、何でありたいかを言うものやと思ってるから。
仕事としてやってるとか、仕事を辞めたからとかで、否定されるべきものじゃないと思ってる。
1個しか持ったらあかんわけじゃないしさ。自分の生活の中の一部として、この肩書を持つみたいなんは、すごい大事な気がしてて。
普段は例えば働いてて全然違うことしてるけど、週末はDJなんですとか。そういうことは積極的に肯定したいし、自分もそうありたいって思う。
ご近所さんの話でも、老後の肩書とかあったらいいよな、っていうのも、その一環として。自分の背筋を伸ばしてくれるようなものやと思うよな。
そういうものが肩書としてあってほしい、っていう期待があるんすよ。
「何者か」でなきゃいけない?
ここでふくしまさんが別の見方を示します。肩書きを持てない人には、むしろ「肩書きはいらない」と言ってあげたほうがいいのでは、という問いかけです。
え、それって、どうなんやろ。肩書とかいらんのじゃない、って言ってあげた方が、むしろ適切な気がしてて。
仕事も、例えば自分がやりたいことと全然違うことをやっているとか、そうじゃない活動全然できてない人。
例えばね、DJしてない。週末、特に家でいる。いろんな興味持てない。ただふわふわしてます、みたいな自認がある人。
でもいい、みたいに思えたり。その肩書がない状態を、良しとするっていうか。良しとするって言ったら変か?なんて言えばいいんや。
肩書は、何者かになりたい人にとってはすごい大事なんすけど、何者かでなきゃいけないかどうかは、また別な話じゃないですか。
そういうプレッシャーな。
自分が例えばコンセプトとしてこういう生き方をしたい、それに付随する肩書があったら、それはいいけど。
必ずしもみんな、そんなことができてるわけじゃない。そういう人たちも大丈夫ですよって、もし言ってあげたいとしたら、肩書じゃないんすよ、っていう。
でもさ、その肩書か肩書じゃないかの、そこが難しいな。肩書って言ってしまうと、名詞みたいにならなあかん、みたいなさ。
例えばパン焼いてますとかさ、まあ趣味です、みたいになってしまうもんな。それはどうしたらいいやろな。
ね。それ、それでいいすよね。
いいよね。生きてる時間の中で、パンを焼くっていうことがすごく大事なウエイトを占めてる人にとって、それはすごい大事やし。
政治家とかでもよくあるじゃないですか。落選した瞬間に、無職というか、何者でもなくなっちゃうとか。
だけど、次の選挙に向けて地域の人の声を聞いているとか、街のために何かできることないかとか言って、活動されてる方って結構いらっしゃると思うんですよね。
だけど肩書きっていうと、はて、みたいな。
だってそれ、肩書きが狭めてる感じがする。すごく。苦しめてる気がする。
「肩書きが硬い」
でも、やりたいことがある時にさ、こうどう表明したらいいんやろな。
なので、街を豊かにしたい人、みたいな。やりたいことみたいなものを冠につけるっていうか。それ1つでも、すごくいい気がしますよね。
アゲミさん最初言ってたもんな。そうやってね。
え?そうやった?
やりたいことに肩書きを(つけ)る。これメモだけか。
ああ、いやいやいや。言いました、言いました。
そうそう。自分の実態がこうであるから、それを名乗れるとか、みたいなことに縛られるっていうよりは、こうありたいなとか。
そうやな。やりたいことと肩書きが、ちょっと距離あるというか、肩書きが硬いんやな。肩書きが硬い。
肩書き硬い。
硬すぎて、ちょっと。やりたいことっていう、ちょっとふわっとしたものと、すぐに手繋げへんのかもね。
もうあれやな。その距離を埋めるには、ポッドキャストをするのが一番やな。
全てはポッドキャストで解決してくれる。
ポッドキャストの伝道師、アゲミヒロキです。
それや。肩書き決まった。
僕、そのまま生きてしもたら、本当に死ぬ時に、本当にこれで良かったんやろうか?って言いそうやな。ポッドキャストの伝道師って呼ばれておるけどさ。
おもろ、それ。
いや、そうやな。確かに。無理に肩書きにするプレッシャーみたいなのもあるもんな。
うん、そうそうそう。(肩書きが)ないことに、プレッシャーを感じる必要はないし。
「なっていく」「なっちゃってる」ポッドキャスト
ある種、僕らってさ、資格に裏打ちされてるところあるやん、建築家っていうものは。それが保険みたいな感じであるからさ。
まあポッドキャストも、実績というか、数を重ねて。いやでもやっぱ、何かになりたかったら、重ねるしかないというか。のかな。
なっていくとか、なっちゃってるとかっていうやつもありますしね。
あるある。ポッドキャストは完全になっちゃってるやもんな。
うん、そんな気はします。
毎週やっててね。
だって配信のきっかけは、(雑談が)おもろいし、自分らで聞き返せた方がいいなみたいな。雑談がね。
そういう原動力で最初は始まってるやつが、今こんなにも、ええでええで、みたいに言うように変わっちゃって。
昨日一昨日と、家の断熱材詰めながら、自分の(ポッドキャスト)を聞いてて。
今パッと出てこうへんけど、収録してた時の過程、2人でのやりとりがあって出た言葉って結構あるから。ほほうってなりながら聞くもんな。そんなこと言うてました、みたいな。
もう一回自分で聞いて、あ、そう、みたいな。だから面白いよね、やっぱ録っておくと。
うん、面白い面白い。
やりたいことがあって、でも最初からそれが需要があるとは、もちろん限らへん。
から、やっぱり、やりたいことに向かって表明もせなあかんし、発信もせなあかん。せなあかんというか、好きなことやったら発信も、勇気を出せば多分できて。
ってなった時に、ポッドキャストがあってよかった、みたいな。
あ、もうそれやな。ポッドキャストの伝道師やな、アゲミさん。
やばいやばい。やばい、レッテルを貼られようとしてる。
トイレ評論家と、間のある「そうっすね」
「伝道師」のレッテルから、あげみさんのもう一つの肩書き候補「トイレ評論家」へ。話はどこかの建築家のトイレの話に転がります。
トイレ評論家と。日本中のトイレを見て回る仕事を、これからすることになっちゃう。あの建築家の人のトイレ、とか言い始めそうやな。
趣はあるんやけどな。
座ることを前提にしてない作りやな、あれは。
あの人、多分普段立ってんな、つって。
そこまで見えるようなる。
その思いやり?
ないなぁ。
ちょっとよう言わんやったけどな、あの時はな、って。福島君も、わかったやろ?そういうのちょっと感じるよね、とか言ってね。
そうっすねとか言って、気持ちのこもってないさ、あ、うん、の、間があるやつ。
思い当たる節あるやつ。
収録で残ってて、間があるやつは、福島君あんま思ってないやつやでな。
職業、谷尻誠
肩書の話を始めたけど、肩書へ全部落とし込む必要はなくて。いや、むしろ僕、肩書に対しての違和感みたいなことも結構あるから。
分かりやすいとか使いやすい言葉で、その肩書ってものがあるけど。生き方のコンセプトを、自己啓発みたいになってんけど大丈夫?考えましょう。
ふくしまさんは極論として、SUPPOSE DESIGN OFFICEの谷尻誠さんの本のタイトルを例に挙げます。
その極論ですけど、サポーズデザインオフィスの谷尻誠さん?本出してたかな、確か。職業谷尻誠って言って。
もう極論それやとは思うんすよ。自分が生きてることが、その肩書になってるというか。
常に変化してる自分やし、その時にどう判断して進んでいくかっていうことも含めて、自分です、自分の肩書です、みたいな。
そうやって言えたら、もう強いなと思って。
今は僕は、そんなこと言えないですけどね。職業福島巧也です、みたいな。ちょっと寒いってなっちゃいそうで。
どうでしょう、先生。先生どうですかね。
先生なんて言わないでください。
でもさ、普通の設計事務所ってさ、建てて表現して言うけどさ、僕ら喋ってしまってるからさ。
その延長線上に自分の表現があるというか、自分自身があるっていうのは、すごいこう、そうやよなって思うよ。
から、atelierMATAって調べて、1枚目に福島くんの顔写真バーン出てきて、もうやっぱ福島くんはそうやなって。
ナルシストみたいになるんですね、なんかそれ。多分、顔写真バーンは多分ないですね。多分透かした、空でも見てる。
それ建築家あるあるの。
遠くから。斜め前向きがちとか、斜め上向きがちみたいなね。
もうさ、やめようと思ってる僕、その遠く見んの。
どうするんすか?
目を合わせていこうと思ってる。
おお。すごい。
建築家あるあるのね。遠く見てる、横向いてる。ちゃうちゃうちゃう、いいんです、いいんです、そういうのは、いいんですけど。
2人で1つのホームページ?
いや、思うよ。生き方を、もうもはや常に喋ってるから、それに合わせてホームページ作りたくなる気持ちは、僕も思ってます。
なので福島くん、(ホームページが)出来上がったら、フレームワークだけ僕にちょうだいね。
名前だけ変わってる。写真だけ変わってる、みたいな。
あれ、なんか似てんなって。構成一緒やなって。アバウトのとことかの、経歴とか好きなものが若干違う。
なんか背景の色だけ変わるみたいなね、文字の。ライトモードとダークモード切り替わってるだけ、みたいな。
一応リンクで福島くんの貼って。AかBか、みたいな。
いやでも、そういうあり方もね、ありやとは思うんすね。建築家のホームページってね。
2人で1個作った方がええんちゃう?それ、テンプレート楽ちゃう?
ずるいな、なんか。
乗らしてもらおうかな。住所変えたらええだけやもんな。
面白いね。プロダクトとかも一緒に作ったらええやん、もう。そしたら大体一緒やん。
ダークモードってそういうことな。右上に書いてる、日本語表示、英語表示を変えるみたいな感じで変えると。
それあれやな、福島くん、年間の契約料も1つですんでええな。
あ、ウェブの?ドメインとか?
ドメイン、ドメインが難しいな。ateliermata-yasuminaみたいな。
それも変わったら面白いですね。それポチポチ押して。
今のInstagramのな、キャプションみたいな感じでな。
えー、なんかそういうのも、面白いっちゃ面白いな。あり方として。
別にアゲミさんに仕事奪われるって言ったら表現あれですけど、(仕事が)流れていくっていうのを、別に僕嫌って思わんしな、今やったら。
あのさ…戦ってるみたいな感じないもんな。
僕、いろんな建築家に対してそう思ってるんですよ。誰々よりいい建築作らないととか、そういうモチベーションではやってないから。
うん、それは思うよ。というか、それめっちゃしんどいやん。
横に並んでてもいいしな、みたいな。
いや、出会う人からの仕事やからさ。その、競争させられるみたいな感覚はないもんね。わかります、それは。
もしかしたら、そういうのが出来上がるかもしれずね。下手したら。
もうなんかあれやな、新しい設計事務所のあり方を、こう定義していけるかもしれない。
僕の肩書きにも、atelierMATAってつけ始めるかもしれない、そうなると。どっちでもいいですよ、とかね。なんで一緒にせえへんのですか?みたいになってくる。
そこはやっぱ、適切な距離感がありましてね、とか言って。
あんま仲良くないんですよ、とか。
面白い。
型にはめられず、変化を縛らない言葉
それでも、なんか肩書論みたいなんは、ずっと思ってる。なんか引っかかってて。
そうですよね、本当によく出てきますよね、言葉としてね。
まあでも、型にはめられず変化することを縛らない、そんな肩書、コンセプト、言葉。何か見つかるといいですね。
いらんっていう結論になるんやっけ?さっきの話でいうと。
コンセプト、コンセプト欲しいよね。
何かあったらいいね。ね。
お便り:「できやん」は三重でも使う?
最後はお便りコーナー。和歌山県北部出身のリスナーから、方言「できやん」についてのメッセージが届きました。
じゃあここで一つお便り。杉原由香さんからです。
いつも楽しく拝聴させていただいてます。1周年おめでとうございます。そういえば、初めてコンヅメを聞いた時に驚いたことを思い出しました。私は和歌山県北部出身なのですが、お二人ができないの否定の意味で使う「できやん」を使われていること、和歌山の方言だと思っていたので、三重や滋賀でも使うんだと嬉しかったのを覚えています。それだけです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
それだけです。
いや、逆に、和歌山で使うんやっていう感覚やな、僕。
滋賀で使うんかな。
関西行った時も思ったんやけど、自分が三重弁喋ってるって思ってないねん。関西弁、僕イケてるなって思って、関西にいたけど。めっちゃ三重弁やでって。
でも三重弁もあれですからね。上の方、下の方、東の方、西の方でも全然違ったりするから。
亀山と松阪ってそんな近いんかな。僕ら、そんな方言違わんことないよな。
あ、松阪。でも松阪ぐらいで若干変わってくるみたいなこと言ってた気がするな。三重校行った同級生は。
鳥羽とか伊勢とか、あっちの方がちょっと違うんか。
あばばいって言ったら、どういうことか分かります?
わからん。聞いたことあるで。聞いたことあるけど知らん。
眩しいって。あばばって言って。異世界来たわって言ってた、その時に。
ゴミほっといて、とかね。
うん、それは言う。
お腹痛いもそうやろ。トイレ行きたいの、お腹痛い。
いや、わからん。それは多分、個人的なあれじゃないかな。言ったことないな、お腹痛い。
心配される。大丈夫?
トイレ行きたいだけなのに。
お花摘み的なね、隠語的な意味で。
そうやな。お腹痛いって言ったら、胃痛いと思われる可能性あるもんな。
僕、中学校の頃お腹痛くなりすぎて、サボってるんやと思われてたもん。お腹痛いんでって。そんなことがありました。
まあ方言ね。いいよね、三重弁。
まあ、いいと思って話してるわけじゃないですけどね。もうそれやから。
でもコンヅメは、もう三重弁全開でこれからもいきますので。
はい。やんやん言うて。
わからんやつあったら質問してください。解説します。というわけで、こんなとこですね。
今夜も時間になりましたので、終わりたいと思います。また次の夜にお会いしましょう。
お会いしましょう。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
まとめ
建築家という肩書きでは足りないと感じる二人は、肩書きを仕事の名前ではなく「生き方のコンセプト」として捉え直していきました。ふくしまさんは「人と場所の間に立つ」という動詞の言葉を、あげみさんは屋号「やすみな」に込めた思いを語っています。一方で、肩書きがない状態でもいい、何者かでなくてもいいという視点も出てきました。答えは決めきらないまま、型にはめず変化を縛らない言葉を探していこう、というところで話は締めくくられています。
- 肩書きは仕事の名前というより、生き方のコンセプトを表すものかもしれない
- 建築もポッドキャストも写真も、コンセプトを表現する手段として並べられる
- 肩書きは自分を肯定してくれる一方、「何者か」でなきゃいけないプレッシャーにもなる
- 肩書きが硬いなら、やりたいことを冠にしたり、「なっちゃってる」ことを受け入れたりしてもいい


