9カ国語に触れた幼少期と、日本語ゼロからの東大留学
Anttiさんはフィンランド出身。家族の事情から幼少期にシリコンバレーのメンロパーク米カリフォルニア州、シリコンバレーの中心部に位置する都市。Meta(旧Facebook)本社などがあることで知られる。にも滞在し、就学前から英語に触れて育ちました。家族の多くはフィンランド語を話す一方、一部はスウェーデン語も使う環境。学校に上がる前から3つの言語に囲まれていたといいます。
学んだ言語はこれまでに9つほど。会話ができるレベルは4言語にのぼります。学校では数学・物理・化学、そして語学が得意だった一方、歴史や地理など多くの読書を要する科目は「平均的だった」と振り返ります。父方は不動産業などの営業型、母方は映像・グラフィックデザインのスタジオを営むアーティスト型。ビジネスと芸術の両方を身近に見て育ちました。
大学時代、働く経験を別の国でしたいと考えたAnttiさんは、夏休みにバックパックの旅へ。ドイツ、スペインを経て3カ国目に訪れたのが日本でした。「すべてが違いすぎて面白い」と感じ、その場で留学を決意。1年後に東京大学へ、友人は早稲田大学へと進みます。
日本語はまったく話せなかったんですか?
来日当初、日本語力はゼロ。スマホもパソコンもすべて日本語設定に変え、英語で話しかけられても無視して日本語で返す、という徹底ぶりで習得を進めました。「周りには少し迷惑だったかもしれない」と笑いますが、この方法で上達は早かったといいます。最初はプレスへの発言や重要なビジネスメールで「後から見ると恥ずかしいミスばかり」で辛かったものの、「できるまで諦めない」と決めて乗り越えました。
Angry Birds日本代表への抜擢とビザ取得の攻防
大学時代、Anttiさんはハッカソン短期間でプログラムやサービスを集中的に開発し、成果を競うイベント。「ハック」と「マラソン」を組み合わせた造語。で優勝した経験を持ちます。エストニアの有名主催者Garage48がフィンランドで開いたもので、開発援助(開発援助)の分野で、各国NGOの活動重複を防ぐ「地図上のTwitter」のようなSNSを開発。賞金2万ユーロ(約400万円)を獲得しました。
その後、Angry Birdsの開発元Rovioフィンランドのゲーム会社。2009年配信の『Angry Birds』が世界的ヒットとなった。には当初、市場調査インターンとして参加。当時のAngry Birdsは社員50人ほど、ダウンロード数は100万程度でした。そこから爆発的に成長し、DL数は1億に到達。世界各地に拠点が必要となり、「日本語を話せるよね? 東京に移ってオフィスを立ち上げてくれないか」と抜擢されます。
しかし、日本オフィス立ち上げは苦労の連続でした。法務部に住居やビザの手配を頼むと「君が日本の専門家だ。何をすべきか教えてくれ」と返されます。当時はAngry Birdsの映画契約で多忙だったこともあり、すべて自力で進めるしかありませんでした。
特に象徴的だったのがビザ取得です。ビザ申請には実際の住所が必要と言われ、住居を借りようとすると今度は「ビザを見せてほしい」と言われる。「どちらが先か。まるで鶏が先か卵が先かだ」という堂々巡りに陥ります。
ビザが欲しい
→「実際の住所を見せてください」
家を借りたい
→「まずビザを見せてください」
解決策
裕福な投資銀行家の友人を説得し、恵比寿にマンションを購入してもらって入居
最終的にAnttiさんは、投資銀行家の外国人の友人を「オリンピックが東京に来る可能性が高い。今こそ不動産を買うべき」と説得。友人が恵比寿にマンションを購入し、その約3〜4週間後にはそこに住み、無事ビザを取得しました。「正解のない状況ばかりだった」と振り返ります。
「両者が話していない」から生まれたSlush Asia
日本で人脈を広げる中で、Anttiさんは奇妙な現象に気づきます。SupercellやKing(Candy Crush)といった海外ゲーム企業は「どうすれば日本で成功できるのか」と悩み、逆にパズドラのガンホー『パズル&ドラゴンズ(パズドラ)』を手がける日本のゲーム会社。ここではそのプロデューサーとの出会いが語られている。のようなプロデューサーは「どうすればアメリカや欧州で大きくなれるのか」と悩んでいました。
両者は同じ課題に直面しているのに、互いに話していない。その隙間に高額な市場参入コンサルタントが入り込んでいる状況を見て、Anttiさんは「怖がるのをやめて同じ部屋にいれば、そんなに払わなくていいのに」と感じます。これがイベント運営への関心の始まりでした。
「日本市場に入るのは難しすぎる」と悩む。日本人の知り合いが少ない。
「どうすれば海外で成功できるのか」と悩む。海外に別チームを作り、翻訳し、遠回りしていた。
フィンランドでは当時、NokiaのiPhone以降の凋落を受け、若者たちが「泣いていても仕方ない、何かをしよう」と立ち上がる学生スタートアップの機運が生まれていました。その代表例がSlushフィンランド発の大規模スタートアップカンファレンス。世界中の投資家や起業家を集めることを目的に、学生たちが中心となって始めた。です。日本にもこの若いエネルギーが必要だと考えたAnttiさんは、Slush Tokyoの立ち上げへ動き出します。
日本の起業家たちとフィンランドに出張した際、SlushのようなものをTokyoでやろうと提案。楽天の三木谷さん、DeNAの南場智子さん、そして孫泰蔵さん連続起業家・投資家。ソフトバンク創業者・孫正義氏の実弟。Slushにも共感し、Slush Asia/Tokyoの立ち上げを支援した。らに声をかけたところ、孫泰蔵さんが「一緒にやろう」と手を挙げてくれました。孫さんはSupercellにも投資しており、AnttiさんがSupercell CEOを東京に呼べたことも、両国の勢いを一気に高めました。
第1回Slush Asiaにはおよそ2,000人が来場。名称はのちにSlush Tokyoへと変わり、最後の開催となった2019年には6,000人規模、売上は約200万ドルに達しました。運営の多くは学生。Anttiさんは2018年まで4回CEOを務め、2019年はコアメンバーの学生に後を託しています。その後、コロナ禍でプロジェクトは休止に入りました。
なぜTakeoff Tokyoを新たに立ち上げたのか
コロナ禍が明けると、StripeジャパンのCEOダニエルさんやShibuya Startup Support渋谷区が展開するスタートアップ支援の取り組み。ここではSlush再開を望む声を寄せた存在として言及されている。など、多くの人から「もう一度やってほしい」という声が寄せられました。「今やらなければ、一生『なぜやらなかったのか』と後悔する」と感じたAnttiさんは、再始動を決意します。
ただし、なぜSlushの再開ではなく新ブランドのTakeoff Tokyoだったのか。理由の一つは、ブランドの権利がヘルシンキの本家にあったことです。本家は柔軟で友好的でしたが、ある朝ウェブサイトを見るとSlush AsiaがSlush Tokyoに変わっていた、という出来事もあり、「彼らにとってはあくまで自分たちのもの」という感覚がありました。
有名な名前があると最初は助かる。でも大きく育てるなら、独立したものを持つ方がいい。
もう一つ、より本質的な気づきがありました。Anttiさんは育てたバイリンガル人材に「有名な外資の日本支社で働くのではなく、日本で新しい会社を立ち上げて次のソニーやトヨタにしよう」と伝えていました。すると相手から笑顔で「なぜあなたがそれを言うんですか、ミスター・Slush Tokyo?」と返されたのです。
フィンランドから持ち込んだSlushではなく、日本から本当にオリジナルなものを作らなければ、同じことを自分自身がやっていることにならない。これが大きな「アハ体験」となり、Takeoff Tokyoという新ブランド誕生につながりました。
フィンランド発のSlushブランドを日本で運営。権利は本家にあり、自由に動けない部分もあった。
日本発のオリジナルブランド「Takeoff Tokyo」を独立して立ち上げ、次のソニー・トヨタを生む場を目指す。
「国際ターミナルがない空港」という日本の課題
Takeoff Tokyoの構想の核心にあるのが、Anttiさんの危機感です。日本のスタートアップの資金調達額は毎年伸びているように見えます。しかし世界の視点では話が違いました。
世界のトップ100企業を見ると、平成元年(1989年)には50%が日本企業でした。ところがTakeoff Tokyoを始めた2023年時点では、トヨタともう1社の、わずか2社にまで減っていたのです。
「資金調達のグラフだけ見れば上がっている。でもグローバルでの立ち位置は下がっている。まるで船が沈んでいくようだ」とAnttiさん。ここで生まれたのが、有名な「空港」の比喩です。
優秀なスタートアップ起業家がサンフランシスコに移っていく。それ自体は素晴らしいことだとAnttiさんは言います。しかし、最も賢い人々が全員日本を離れれば「日本は植民地になる」。だからこそ、日本にも偉大な会社を作る人が必要だと考えます。
では、日本で世界を狙う会社を作るために何が要るのか。Anttiさんは3つを挙げます。
順番も重要です。「野心ある創業者がここにいれば、世界中のお金が集まってくる。面白い投資先がなければ、お金を先に持ってくることはできない」。Anttiさんは、日本がなぜ世界から注目されるかも語ります。食の質、安全さ、清潔さ、そして物事がきちんと機能すること。コロナ後には政情不安の続く海外から、地に足のついた日本を評価する投資家も増えたといいます。
現代の松下村塾へ。メンタルブロックの壊し方
Takeoff Tokyoには250件の応募があり、うち約150人の学生ボランティアと共に運営したといいます。若者が最もこの活動に反応する理由を、Anttiさんはこう語ります。「親世代が日本を諦めているのにうんざりしている」若者たちは、ようやく「日本を信じてくれる人がいる」と感じるのだと。
そして日本のスタートアップエコシステムに必要なのは、やはり「野心」だと繰り返します。近年は政府や自治体がスタートアップに注目し、税金を投じています。しかしAnttiさんは「政府やコンサル会社は会社を立ち上げない。焦点は、実際に会社を作る野心ある人に当てるべきだ」と指摘します。
Anttiさんは自らの原動力を「レントゲンメガネ(X線メガネ)を持っているような感覚」と表現します。フィンランドで若者のマインドセットが革命を起こした様子を見たからこそ、同じことが日本でも可能だと「見えてしまう」。「未来から来て、いずれ起きることを見ている。それを起こしたいだけ」と語ります。
Anttiさんが引き合いに出すのが、歴史上の松下村塾幕末に吉田松陰が主宰した私塾(山口県萩市)。伊藤博文をはじめ、明治維新や日本の近代化を担った多くの人材を輩出した。です。この塾は日本の最初の4人の首相を生み、鎖国下でありながら塾生たちがヨーロッパへ密航して学びました。初代首相・伊藤博文が英語を話せたのも、密かに欧州へ渡ったからだといいます。
では、多くの人が持つメンタルブロックはどう壊すのか。Anttiさんの答えはシンプルで「Seeing is believing(見ることは信じること)」。言葉で説明するには時間がかかるが、実際に見れば一瞬で理解できる。だからこそ物理的なイベントを開くのだといいます。
たとえば、英語に不安を抱くサラリーマンが、若い日本人が堂々と英語を話す姿を見れば「若い人ができるなら、なぜ自分にはこんなに難しいのか」と少し恥ずかしくなり、「明日から頑張ろう」と思える。完璧な2〜4日間の体験が、その後1年間の希望になる──それがTakeoff Tokyoの狙いです。
野心を持っていい。だから、会社を始めるのに世界一の場所を作りましょう。
Takeoff Tokyoの現状について、Anttiさんは「まだ2%しか進んでいない。残り98%」と正直に語ります。投資成約も年々増えており、前年比で10〜20倍、100件の新規ディールを目標に掲げています。桜の季節の日本を舞台に、シンガポールのF1週間のような「スタートアップの祭典」を作りたいというビジョンも語られました。
収録後の日本語での「逆インタビュー」では、Anttiさんが流暢な日本語でホストのおいなりさんに質問する場面も。「日本語を初めて学んだのは大学2年生。それでも今こうして話せている。あなたのできない理由は何でしたっけ?」という言葉には、本編のメッセージがそのまま凝縮されていました。
まとめ
フィンランドから来日し、Angry Birds、Slush Tokyoを経てTakeoff Tokyoへ。Anttiさんの歩みは一見バラバラに見えて、「異なる集団をつなぐ」という一本の線で貫かれています。幼少期に複数の言語と、ビジネス家庭・アート家庭という異なる文化の間で育った経験が、その原点にありました。
日本には最高の「空港」がある。あとは、そこに「国際ターミナル」を架けるだけ。野心・資金・人材の3つを揃え、若い世代のメンタルブロックを壊していく。次のソニーやトヨタ、そして次の三菱を日本から生み出すための挑戦は、まだ始まったばかりです。
- Anttiさんは9カ国語に触れて育ち、日本語ゼロから東大へ留学。Angry Birdsの日本DL数を100万から1億へと牽引した。
- 海外企業と日本企業が「互いに話していない」分断に気づき、Slush Asia(のちのSlush Tokyo)を立ち上げ。最終回は6,000人規模に成長した。
- 世界トップ100の日本企業は1989年の50社から2023年には2社に激減。「最高の空港はあるが国際ターミナルがない」状態が日本の課題だと指摘する。
- 世界を狙う会社を生むには「野心・資金・人材」の3要素が必要で、順番として野心が最初に来る。
- メンタルブロックを壊す鍵は「Seeing is believing」。松下村塾の志士たちのように、まず野心を持ち、世界へ挑む姿勢そのものが最も重要だと語る。
