デザイナーを志した幼少期と学生時代
あんみつさんは大阪出身。母がジュエリーデザイナー、弟がアパレル系という芸術寄りの家庭で育ち、幼い頃からお絵描きが好きな子供でした。高校では卒業アルバム委員長を務め、ダンス部や文化祭のポスターを制作するなど、「人の活動をブランディングして広める」ことに自然と惹かれていったといいます。
本当はデザイン系の学校に進みたかったものの、「子供にはちゃんと会社員になってほしい」という親心もあり、同志社大学京都に本部を置く私立総合大学。あんみつさんは社会学部の文系課程に進学した。の社会学部に進学。しかしデザイナーの夢は諦めきれませんでした。
営業とか絶対無理と思って。もうどうにかしてパソコンとコミュニケーションを取る仕事に就きたいっていうのが初めのモチベーションでした。
転機は、当時京都にあった「美学生図鑑」という美男美女メディアの初心者デザイナー募集でした。フォトショップは「持っているだけ」の状態でしたが、「できます」という顔で飛び込みます。名刺づくりで何度も0点をもらいながら食らいつき、バナー、ペライチ、サイト制作、さらにはコーディングやWordPress・Railsの実装まで身につけていきました。このスキルが、のちにラブグラフを立ち上げる土台になります。
「リア充爆発しろ」へのアンチテーゼから生まれたラブグラフ
クライアントのために納品するだけの日々に、あんみつさんは違和感を覚えるようになります。幼少期、父の誕生日に切り絵のバースデーカードを作って喜んでもらった原体験。「誰かを喜ばせたくてデザインをしたかったはずなのに」という気づきから、自分が心から共感できるサービスに関わりたいと考えるようになりました。
恋バナや家族が好きだったことから、結婚・カップル・家族にまつわる領域に狙いを定めます。そんなとき、Twitterでこまげさんが「友達とカップル撮影をする活動を始めたい」と発信しているのを見つけ、「それめっちゃいいね、サイトにまとめようよ」とリプライ。無料でサイトを作ってくれる存在として迎えられ、LINEグループができ、ラブグラフが始まりました。
当時「リア充爆発しろ」という言葉が流行し、リア充=悪という空気がありました。あんみつさんやこまげさんはこれに真正面から反発します。
この思想に共感するカメラマンが次々と集まりました。当時はセルフィーやインスタも一般的ではなく、「カップルをカメラマンが撮影する」という発想自体が斬新。リリース直後は一晩で3万PVを記録し、明らかな反響を感じたといいます。腕はあるのに被写体がなかったカメラマンにとっても、格好の活躍の場となりました。
リクルート退職とフルコミットの決断
あんみつさんはラブグラフに出会うまでに約10個のチャレンジをしていました。ファッションスナップサイトや、ロボットで自動撮影する「ロボグラフ」など、ハードからソフトまで試行錯誤。その中でユーザーから反応があったのがラブグラフでした。
投資家からは「まず法人化を」と促され、実は法人登記もしていない状態からのスタートでした。千葉道場の千葉さんが最初に出資。当時トラクションはほぼ出ていませんでしたが、「世の中に便利にするサービスは多いが、人を幸せにするサービスは少ない。ラブグラフはやっていく使命がある」というビジョンへの共感が決め手だったといいます。
一方であんみつさんは就活も並行し、一度リクルートに入社していました。しかし資金調達の話が本格化すると、投資家から「フルコミじゃないとダメだ」と言われ、リクルートかラブグラフかの選択を迫られます。
今しかできない方はラブグラフだなって思って、リクルートを辞める決断をしたんです。
優秀な同期が多くリクルートは自分がいなくても回ると判断し、退職を決断。調達した資金の最初の使い道は、あんみつさんとこまげさん、そしてエンジニアの人件費でした。
初期はテレビ取材にも恵まれ、2〜3ヶ月に一本はめざましテレビやノンストップなどに出演。オーガニックに伸びていきました。しかしカップル市場には上限があり成長率が課題に。3年目に「世界中の愛はカップルだけじゃない」と愛の解釈を広げ、家族領域へピボットします。この決断でしばらく300%成長を記録し、死線をくぐり抜けました。
カップル撮影のみ。市場に上限があり成長率が伸び悩む。カメラマンの雇用も会社の存続も危うい状況に。
「愛はカップルだけじゃない」と家族領域へ拡大。しばらく300%成長を達成し、市場規模の課題を突破。
MIXIグループ入りまでの3段階
創業当初はexitの概念もよくわからないままでしたが、シリーズを重ねるごとに投資家からもM&Aや上場について問われるように。写真撮影だけでは上場に規模が届きにくいため、シナジーのある企業とのグループ入りを意識し、シリーズA・Bの頃にはグループ入り候補をリストアップしていました。
MIXIとの関係は一足飛びではなく、3段階を踏みました。
提携の終盤にはコロナ禍が直撃。出張撮影サービスにとって業績は「えらいこと」になりましたが、卒業式や成人式が中止になる中で「自分たちだけでやりませんか」という切り口が大きくバズり、あるカテゴリが前年比数百パーセントに。結果的にトントン、むしろ成長した形になり、ぎりぎり整合性が取れたといいます。二十代後半で「結婚もしていないのに」という不安を抱えながらの、まさに踏ん張り時でした。
共同経営で大切にした「率直な対話」
社長のこまげさんとあんみつさん(厳密には当初もう一人加えた3人)で共同創業したラブグラフ。仲の良さが評判ですが、あんみつさんが挙げた共同経営のコツは「相手やチームメイトへの不満を、本人に率直に伝えること」でした。
これは最初からできていたわけではありません。こまげさんへの不満をあんみつさんに言ってくるメンバーがいたり、あんみつさん自身もこまげさんに直接言いづらさを感じたり。「相手を好きだからこそ、傷つけるかもしれない意見は言いづらい」という葛藤があったからこそ、悪化した状況を経て、行動指針として会社に掲げ、まず自分たちが実践するようにしたそうです。
退任という決断の裏側
2025年12月末、あんみつさんは退任を発表し、noteを公開しました。理由は大きく2つあると語ります。
1つ目は、10年やってきたことによる「コンフォートゾーン」への懸念。CCO(チーフクリエイティブオフィサー)としてクリエイティブ中心に見てきたため、グループ入り後に必要な非連続な成長──買収やロールアップ、ファイナンスの領域への理解が浅いと感じていました。「今のままだとラブグラフをもっと成長させられるか」という葛藤から、一度外で修業してもいいのではと考えるようになったといいます。
2つ目は、家族ができたことです。2024年夏に第一子を出産。フルタイムで働きながらの子育ての大変さを痛感し、「家族の思い出を残すサービスをやっているのに、自分の家族の祝い事をまともに祝えない」という葛藤を抱えていました。
「大切」という言葉は「大きく切る」と書く──いつもそれを頭に置いていたといいます。娘はまだ一歳半。親と過ごしてくれる時間は限られているからこそ、その期間を優先したい。そう考え、ラブグラフにはブランド顧問という非常勤の形で残りつつ退任を決めました。
「二兎を追って二兎を得る」というマッチョな考え方への葛藤もあり、実際に一年チャレンジしたそうです。しかし「自分の場合はもう無理だな」と結論。時間は増えない、という物理的な現実を前に、自分なりの選択をしました。
新会社MILYとVC業への挑戦
「辞めたんじゃなかったのかよ」と苦笑しつつ、あんみつさんは退任後もむしろ多方面で動いています。設立したのは株式会社MILYファミリー(family)のMILY。「家族を大切にする人のための会社」をコンセプトに、あんみつさんが立ち上げた新会社。。「家族を大切にする人のための会社」がコンセプトです。
取り組みの一つが、SHE代表のエリさんと共同で運営するポッドキャスト『ワーママ女子のご近所ラジオ』。育児と仕事の両立の難しさやTipsを発信しています。「日本中をご近所に」というコンセプトは、産後に授乳中の深夜、ふと降ってきたものだそう。
本当の家族じゃなくても、気持ちは家族になれるような友達や仲間が近くにいたら、もっと子育ても楽になるんじゃないか。
大阪の実家が遠く、頼れる親族が近くにいない核家族の状況。子育てや出産のリアルな情報がネットに少ないという課題感も背景にあります。ネットスーパーの活用のような生活の知恵を「ご近所さんに話すように」全国へ届けたい、という思いで始めました。公開収録イベントも開催し、ここから事業が生まれることを期待しています。
さらに、起業家支援プロジェクト「アンツ」も2024年夏から運営。10名ほどのゼロ期生でスタートし、あんみつさんの発信を見て集まったこともあって、自ずと子育て領域のサービスが半分ほどを占めたといいます。親子向けの工作キットのサブスクや、自宅での子供との関わり方を訪問して教えるサービスなど、多彩な事業が生まれています。
そしてnoteにも記していたVC業。才能ある人と一緒に何かをやること、伴走することが好きだと自己分析し、その場としてベンチャーキャピタルに関わり始めました。
担当するのはシードからシリーズBあたりまで。売上をこれから作るフェーズや、イグジットに向けて頑張るフェーズの起業家を、投資とハンズオンの両面で支えたいと考えています。働き方の自由度が高く、育児とフィットする時間の使い方ができている一方、「このままいくと忙しくなりそうなので、もっと何かを大きく切らないといけないかもしれない」とも語りました。
子供が教えてくれた「無条件の愛」
連続起業家への期待や「資金調達するんですか?」という声はよく寄せられるものの、あんみつさんは今、周りの期待をあまり気にしていないといいます。その理由は、子供の存在にありました。
子供が生まれるまでは、「役に立っていないとこの世にいちゃいけない」という強迫観念があり、いい高校・親が喜ぶ大学・一流企業へ、と考えるタイプだったそうです。しかし子供は、ママがどこで働いているかを気にしない。「ママがここにいてくれたらいい」という愛を感じ、何もしなくてもそこにいていいと初めて認めてもらえたと感じたといいます。
番組の締めくくりで、あんみつさんは葛藤する起業家や親たちへメッセージを贈りました。「こうあらないと」「これが正解」と真面目な人ほど気にしがちだけれど、自分それぞれのスタイルでいい、と。全てを両立するスーパーワーママの親友エリさんを「かっこいい」と憧れつつ、「でも私はこういう選択をする」と語る姿には、比較から解き放たれた軽やかさがありました。
家族はあんみつさんにとって「一番のチームメイト」。夫は共同創業者のような存在で、娘はたくさんの愛をくれる。揺るぎない居場所があるからこそ自分らしくいられる──。事業と家族、その両方に真摯に向き合ってきたからこそ響く言葉で、収録は温かく幕を閉じました。
まとめ
あんみつさんの物語は、「愛を形にする」という一貫した思想と、「何を大切にするか選ぶ」という決断の連続でした。デザイナーへの憧れから始まり、ラブグラフを立ち上げ、MIXIグループ入りを実現し、そして家族のために退任を選ぶ。その一つひとつが、周囲の期待ではなく自分の軸に基づいていた点が印象的です。退任後もMILY、ご近所ラジオ、アンツ、VC業と挑戦を続けるあんみつさんの、これからの選択にも注目したいところです。
- ラブグラフは「リア充爆発しろ」へのアンチテーゼとして、当たり前の幸せを写真で再認識する思想から生まれた
- カップル市場の限界を「愛の解釈を広げる」ことで乗り越え、家族領域へ拡大して300%成長を達成
- MIXIグループ入りは「断られる→資本業務提携→2022年グループ入り」の3段階を経て実現した
- 共同経営のコツは「不満を本人に率直に伝える」こと。悪化した経験を経て行動指針として掲げた
- 退任の理由は「コンフォートゾーンへの懸念」と「家族との時間の優先」。2024年夏に第一子を出産
- 退任後はMILY設立、ご近所ラジオ、起業家支援アンツ、VC業と多方面で活動を展開している
- 子供から受け取った「無条件の愛」が、周囲の期待に縛られず自分らしく生きる軸になった
