映画『マイケル』を観て自伝を読み直した
前回はコーラ戦争とマイケルの話をしましたが、その後映画『マイケル』が公開され、先行上映で鑑賞しました。
映画を観たあとにマイケル熱が高まり、自宅の書庫にあった自伝『ムーンウォーク』を引っ張り出して読み直しました。
映画の冒頭、家の中で練習するマイケルが窓の外で遊ぶ子供たちを眺めるシーンは、実は自伝の書き出しと同じ構図です。
ただし、映画が自伝をベースに作られているわけではありません。時系列も主体も細かく組み替えられており、実在のマイケルそのものを描いた作品ではなく、フィクションとして構築された別物だと感じました。
「エピソードの羅列」という評への違和感
映画の感想として目立つのが「エピソードの羅列だ」という声です。しかし、それらのエピソードは事実をかなり意図的に操作して並べられています。
しかも、マイケル自身が自伝で残そうとした自己像ではなく、世間やファンが抱くパブリックイメージとしてのマイケル像に寄せて構成されている印象があります。
マイケルが自伝で語る自己認識は、むしろこの映画とは真逆の部分も多いのです。
「Beat It」誕生シーンに仕込まれた伏線
不思議に感じたのは、マイケルが弁護士を使って父親をマネージャーから解任する場面です。自伝では1979年の出来事ですが、映画では1981年に変更されています。
この2年のずれには意図があります。映画には、少年時代のマイケルが父親にベルトで打たれる衝撃的なシーンがあり、それが後の伏線として機能しているのです。
解任を知った父親は怒り狂い、「あいつに思い知らせなきゃ、もう一度ビートしなきゃいけない」と繰り返します。そのシーンと交互に描かれるのが、『スリラー』収録曲の制作場面です。
そこで生まれるのが「Beat It」。英語のBeat It英語のスラングで「逃げろ」「失せろ」という意味。マイケル・ジャクソンの1982年のシングルで、暴力からの離脱を歌った代表曲とされるは「逃げろ」を意味します。
父親は「ビート(叩け)」と言い、マイケルは「Beat It(逃げろ)」と歌い、そしてドラムの刻みもビートです。「叩け」と「逃げろ」が交差するカットバックの中で、代表曲中の代表曲が生まれていく。
父親のビート
「もう一度叩け」と怒りを爆発させる
マイケルのBeat It
「逃げろ」と歌い、支配から離脱する
ドラムのビート
楽曲のリズムとして全てを束ねる
1979年ではなく1981年に解任時期を改変することで初めて成立するエピソードであり、伏線と回収が緻密に設計されていることがわかります。少なくとも単なる羅列ではないのです。
ベリー・ゴーディが象徴するもの
物語パートを読み解く鍵は、前半に何度か登場するモータウン・レコードの社長、ベリー・ゴーディJr.です。出番は多くないものの、登場シーンはどれも重要な意味を担っています。
最初の録音シーンで、マイケルはブースの中でつい踊りながら歌ってしまい、ステップの音が拾われてしまいます。父親はNGを出そうとしますが、ベリー・ゴーディは「このままやらせよう」と止めます。
ここでジャクソン5には父親とベリー・ゴーディという二人のプロデューサーがいて、反目していることが提示されます。映画全体は、父親に支配されるマイケルが外部の協力者を得て自由を勝ち取る物語であり、最初の協力者がベリー・ゴーディとして描かれているのです。
マイケルっていうね、まあ父親に支配されている人生を送っている、まあそういう描かれ方。マイケルが外部のね、大人たちに協力者たちを見つけていって、自分の目的を叶えるために父親と戦う話っていうふうなね、構図の中で最初の協力者がベリー・ゴディとして描かれてます。
踊りながら歌うことは、ステップを踏まないスムーズな身体性、つまり後のムーンウォークにつながる伏線でもあります。1983年のモータウンのイベントでムーンウォークが初披露される場面の伏線として、このシーンを読み直すこともできます。
イコライザーが教える「ボリュームを下げるな」
もうひとつ重要なのが、ベリー・ゴーディが10歳のマイケルに録音機材の使い方を教える場面です。
初めて見るイコライザー録音や再生時に音の周波数バランスを調整する機材。特定の帯域を強調したり減衰させたりして音色を整えるの前で「これは何に使うの?」と問うマイケルに、ベリー・ゴーディは「自分の声のいいところを増幅させる装置だ」と説明します。
父親が「マイケル帰るぞ」と遮ることで、この二人の性格の違いが暗示されます。マイケルはただの歌い手・ダンサーではなく、エンジニア的・プロデューサー的視点を持つ存在として描かれているのです。
映画ではその後、マイケルが卓の前に座って自分のレコーディングを調整する場面や、クインシー・ジョーンズによるイコライジングのシーンが繰り返されます。
イコライザーは単なる機材ではなく、「人生の重要な場面でボリュームを下げるな」というベリー・ゴーディからの教えとして機能しているのです。
モータウンというビジョナリーな事業
ベリー・ゴーディはデトロイトの自動車工場で働いた経験から、流れ作業・分業制でレコードを大量生産する方式を編み出しました。プロデューサー、作詞作曲家、スタジオミュージシャン、歌い手をすべて分業化したのです。
この方式で成功したのがシュプリームスやジャクソン5でした。一方、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーのように自作自演で成功する流れも生まれ、ジャクソン5はやがてモータウンと袂を分かちます。
モータウンはブラックミュージック史の中では批評家受けが低く、白人ティーンエイジャー向けの子供っぽいポップスとして低く見られがちでした。
しかし結果として、ブラックミュージックが世界のポップミュージックの中心になる時代が訪れます。ベリー・ゴーディがやっていたことは20〜25年後に正解だったと証明されたのです。
自伝の感嘆言が示すマイケルの自己認識
2009年版の自伝には、マイケルの死後に書かれたベリー・ゴーディによる感嘆言が収められています。これがとても感動的な内容です。
ゴーディはマイケルを「比較する対象すらいない唯一無二のアーティスト」と評価し、さらにミュージシャンとしてだけでなくビジネス面でも才覚があったことを正面から認めています。
作曲、歌、プロデュース、演技、演出と多岐にわたって能力を発揮してきたマイケルだが、実は思慮深さも兼ね備えていた。自分の身を守るためにキャラクターを作り上げて演じてきたこともある。ステージの自分と普段の自分、あるいは会議中、契約中、企画中、プロモーション中など、各々のシーンに合わせたキャラクターを作り出し、演じていたマイケル。
マイケルは作曲・歌・演出だけでなく、会議や契約、プロモーションごとに異なるキャラクターを自覚的に作り出していました。アーティストとしての気ままさという通俗的なイメージとは異なる、思慮深いビジネスマンとしての姿です。
「ブラック・アンド・ホワイト」のような変身願望や、子供と大人の境界を曖昧にするペルソナの作り方も、すべて自覚的な戦略だったということになります。
IWantYouBackと「聞く耳を持つ」ゴーディ
ベリー・ゴーディは「腹黒い経営者」「経営の手腕がすごい奴」と評価されがちで、芸術面での評価はあまりされません。しかしマイケルは自伝で違う姿を語っています。
最初のシングル「I Want You Back」のデモテープを、マイケルはベリー・ゴーディの自宅で一緒に聴きました。ゴーディは「このアレンジだと違う」と即座にやり直しを命じます。
おそらく、マイケルの歌ではなくバックバンドのアレンジを録り直させたのです。当時は分業制で、ジャクソン5本人たちはレコーディングしておらず、プロのミュージシャンが演奏していました。
当時のさ、分業制だからさ、ジャクソンファイブのメンバーはレコーディング用には演奏してなかったっていう話もここでは書かれていて。まあつまり杉山清貴とオメガトライブ状態っていうね。
マイケルは、ゴーディがデモに対して的確に意見を出し、その意見で音が良くなったと記しています。経営者でありながらアーティスト的・アレンジャー的な耳を持っていたことを、マイケル自身が証言しているのです。
「8歳」と答えさせた影響力の戦略
10歳のマイケルが取材で「自分は8歳だ」と答えるシーンがあります。周囲の兄弟が「え?」となる面白い場面ですが、これはベリー・ゴーディの指示によるものです。
話題を作り、注目されるためには何をやってもいい。ショービジネスの世界で影響力を持つことが何より重要だ——ゴーディはそれをマイケルに教え込みました。
「ラウドネスを強調しろ」「ボリュームを下げるな」という教えは、黒人がずっと「黙れ」と言われ続けてきたことへの対抗でもあります。これが後に、MTVに自分を出すために闘うマイケルの伏線にもなっていきます。
父親による支配
子役時代から続く抑圧と暴力
外部の協力者を得る
ベリー・ゴーディ、弁護士、警備担当などの大人の仲間
影響力を持つ
ラウドネスを上げ、世界一のヒットを目指す
支配からの離脱
自らの意思で人生をコントロールする
「マイケルはなぜ普通のヒットでは物足りず、世界一を目指したのか」という疑問への答えは、このベリー・ゴーディとの一連のやり取りに埋め込まれているのです。
描かれなかったクインシーとダイアナ・ロス
マイケルにとっての大人の協力者として描かれているのは、ベリー・ゴーディに加え、弁護士のジョン・ブラウンと警備担当の二人です。それに比べると、クインシー・ジョーンズの役割は映画の中では小さく見えます。
本来は撮影されていたダイアナ・ロスのシーンがカットされたという話もあります。ダイアナ・ロスはマイケルにとって母親代わりのような存在であり、クインシー・ジョーンズを引き合わせた人物でもありました。
そのため、編集で意味合いがずれてしまった部分は致し方ないところです。一方、ベリー・ゴーディはこの映画で最も悪く描かれていない人物であり、父親と対照的な存在として置かれています。
モータウン離脱と「家族の仲違い」
マイケルがCBS/エピックに移籍するくだりは映画では描かれませんが、自伝には書かれています。背景にあるのはモータウンの低迷でした。
ソウルの時代に入り、歌にメッセージ性や社会性が求められるようになっても、モータウンはジャクソン5に子供っぽい曲を歌わせ続けました。大人の歌をやりたいという思いから、マイケルたちは契約破棄に踏み切ります。
しかしマイケルにとって、ベリー・ゴーディとダイアナ・ロスはほぼ家族のような存在でした。レーベル移籍は家族の仲違いに近く、そのときに自ら出向いたのは父親のジョセフではなく、一番年下のマイケルだったといいます。
大人になっても少年性・空想・動物・絵本を抱え続ける存在として強調される
子供の頃からショービジネスの大人と暮らし、同世代より早く成熟したと自己認識する
自伝から見えるマイケルは、いつまでも少年のままだったアーティストではありません。映画の少年性の強調はフィクションとしての脚色であり、観客側が投影したい像が反映された部分でもあります。
瀧本哲史と「友達はいらない」の話
この映画を観て思い出した一冊が、瀧本哲史『君に友達はいらない』です。10年ほど前の本で、友達は不要だという話ではなく、目的を達成するために「仲間」を見つけることの重要性を説いた本です。
瀧本氏はNHK『ニュースウェブ24』で同枠の曜日違いレギュラーとして共演した間柄で、古市憲寿氏、橋本奈穂子アナウンサーらと食事を共にする機会もありました。
瀧本氏は本を出すたびに「ここが良かった」「ここはこうすればもっと良かった」とアドバイスを送ってくれる律儀でユーモラスな人だったといいます。
いや、速水さんみたいな低学歴の人がね、そのテレビとかに出て、社会のことを意見したりすることはとてもいいことなんですよとかっていう、ちょっとこっちは怒っていいんだかちょっとわかんないようなことを言い出す人で、僕は彼のことを黒いお坊ちゃま君って呼んでたので。
エリート偏重の社会を批判する瀧本氏にとって、自分とは異なる立場の人物をコメンテーターの輪に入れておくこと自体が、ひとつのミッションでした。重要な場面でアドバイスをくれていたのは、まさに「仲間」として扱われていたからだといいます。
マイケルとベリー・ゴーディが共有していたミッション
マイケルもまた、大人の世界の中に協力者を見つけて目的を果たそうとした人物です。そしてその目的は、ベリー・ゴーディと共有されていました。
ベリー・ゴーディが目指したのは、黒人と白人の垣根を越えるレコード会社を作ること。レコードの売上と影響力で、ブラックミュージックの時代を切り拓くことでした。
マイケルもまた、フェーダーを上げ、プロモーションをかつてない規模で行い、自分を巨大化させていきます。一見すると神の啓示を受けるかのような宗教映画的なシーンも、読み解けばベリー・ゴーディの背中と教えに支えられたものです。
ブースで歌うマイケルに「好きなようにやらせよう」と任せた最初の場面から、記者会見への助言、フェーダーの教えに至るまで、ベリー・ゴーディの存在は映画の重要な節目で物語を駆動しています。それは「エピソードの羅列」では決して片付けられない構造です。
新しい機材と編集の話
最後に、今回からポッドキャストの機材を変えた話を少し。これまではBehringerの2チャンネルのオーディオインターフェースを使っていましたが、4チャンネルでノイズリダクション付きのZOOM PodTrak P4 Nextに変更しました。
編集はLogic Pro Xで行い、リミッターやコンプレッサーで音量を整えています。イコライザーはプロの仕事で、素人がいじると違和感が強くなりがちなので、今回はラウドネス強調の方向で仕上げました。
スマホ、イヤホン、車のスピーカーなど、聴く環境によって聞こえ方が大きく変わるのも難しいところです。自分で手作業で編集する以上、機材や編集の過程を楽しむこと自体も含めての制作だといえます。
まとめ
映画『マイケル』は事実の羅列ではなく、時系列の改変と伏線の張り直しによって構築されたフィクションです。ベリー・ゴーディとの関係を軸に読み直すと、マイケルが父親の支配から離脱し、自らの影響力を獲得していく物語の骨格が見えてきます。
- 「Beat It」誕生シーンは父親の解任時期を1979年から1981年へ改変することで成立する、伏線と回収の仕掛けである。
- ベリー・ゴーディは「ボリュームを下げるな」「影響力を持て」という教えを通じて、マイケルの最初の協力者として描かれている。
- 自伝の感嘆言が示す通り、マイケルは思慮深いビジネスマンであり、ペルソナの作り分けにも自覚的だった。
- 映画の少年的なマイケル像はフィクションとしての脚色であり、自伝のマイケルはむしろ早熟な大人として自己認識していた。
- マイケルとベリー・ゴーディは「ブラックミュージックを世界の中心へ押し上げる」というミッションを共有した二人だった。
