日本のビールCMは、なぜ「階層」がずれて見えるのか
速水健朗さんはまず、日本のビール市場の特殊さを挙げます。発泡酒や第三のビールのような税制に合わせた区分があり、上位4社がすべて国産メーカーという、きわめてドメスティックな市場だといいます。
速水さんは日本のビール市場の構造を「J-POPに近い」とたとえています。世界のビール市場は大手の寡占状態で、世界最大のメーカーは合併を重ねたアンハイザー・ブッシュ・インベブ ── ベルギーに本拠を置く世界最大のビール会社。バドワイザーなどを持つアメリカのアンハイザー・ブッシュと、ベルギーのインベブなどの合併で生まれましたです。
速水さんは、日本がこのドメスティックな市場を保てている理由の一つが、日本のビールCMなのではないかと考えています。
速水さんが昔から気になっていたのは、日本のビールCMを海外の人がどう見ているかという点です。例として、サントリーの金麦に出る黒木華さんや柳楽優弥さん、マルエフの松下洸平さんと芳根京子さんのCMが挙げられます。
これらのCMはどれも男女がすれ違う設定で、仕事を終えた人が一人で部屋でビールを飲む描写になっています。
けど、あの人たち(CMの出演者)、なんかビール飲みそうな感じがしないんですよ。
速水さんの感覚では、ビールを飲む層はもっと労働者階級寄りで、アメリカなら郊外に住む人たちです。一方、日本のビールCMの出演者は都会的で、階層的にも少し上の都市型の知的労働層に見えるといいます。
労働者階級寄りで、アメリカなら郊外に住むような人たち
都会的で、おとなしく、酒自体を飲まなそうな、むしろ==ワインを飲みそうな都市型の知的労働層==に見える
速水さんは、その背景に村上春樹さんの小説や、小津安二郎の映画で富裕層だった当時のサラリーマンがビールを飲む姿の影響があるかもしれないと推測します。そのうえで、日本のビールCMは「階層を間違えている気がする」と話しています。
ビールCMの規制とアルコールへの厳しい視線
速水さんは、日本のビールCMに独特の規制があるのはアメリカ譲りだと見ています。直接規制されたのは「ゴクゴク」という音を後から大げさに加える演出ですが、解放感のある表現や羽目を外す描写も避けられています。
規制の理由の一つは、アルコール依存症の人を刺激するおそれです。速水さんによれば、CM表現の自主規制はアメリカのほうが強いといいます。
速水さんは、日本では若い世代にアルコールへの忌避感が出てきている一方で、トー横 ── 東京・新宿の歌舞伎町にある新宿東宝ビル周辺の通称。家や学校に居場所のない若者が集まる場所として知られ、飲酒や犯罪被害が社会問題になっていますのように飲み過ぎる20歳前後の若者もいると指摘します。外飲みは二極化しているという見方です。
けど日本って別にカソリックの国でもないし、ピューリタンなわけでもないので、なんかそこ(飲酒)をね、むやみ規範化するのはちょっと馬鹿馬鹿しいなっていうふうに思ってるんですけど。
速水さんによると、ビール会社にはブランディングの部門とは別に、飲酒行為の社会的な評価だけを調査研究する専門部署があります。この部署は、飲酒が社会的に悪者にされることに非常に敏感だといいます。
例として挙げられたのがストロングゼロです。ビールではありませんが、路上飲みやトー横文化と結びつけられた瞬間に、メーカーは商品のリニューアルで火消しに走ったと速水さんは振り返ります。
だからこそ、CMもすごいね、ちょっとやんちゃな人、朝倉未来出せば売れるんじゃないの?みたいなことを軽々にやらない、まあつまり守りに入ってるなっていう気はすごいします。
一方で、アメリカの飲酒への意識は単純に厳しいわけではありません。速水さんはホノルルで友人に連れ歩いてもらった際、飲酒運転やバーに車で行くことが当たり前になっている様子に驚いたといいます。
ホノルルの友人の理屈は、法律が定めているのはアルコールの基準値なので、その範囲内なら問題ないというものでした。日本の「飲んだら一切いけない」という考え方は法規範として間違っている、と言われたそうです。
速水さんは「なるほど」と思いつつも、「ちゃんと運転しろよ」と突っ込んだと話しています。さらに、少なくともホノルルでは「富裕層の車なら警察は捕まえない」と当たり前に思われていたといいます。
バドライトはなぜ首位から転落したのか
ここから速水さんは本題として、アメリカのビール戦争の話に入ります。アンハイザー・ブッシュの主力銘柄バドライトは、去年トップの座から転落したことが話題になりました。
バドライト転落のきっかけは、広告にトランスジェンダーのTikTokインフルエンサー、ディラン・マルバニーさんを起用したことです。この起用が大炎上しました。
速水さんは、バドライトの炎上を「誰も得をしない話」と表現します。セクシャルマイノリティを話題作りに利用したとして当事者も怒り、バドライトを飲み続けてきた労働者階級の消費者も広告の方向性に不満を持ったからです。
広告起用
トランスジェンダーのインフルエンサーを広告に起用する
両側からの反発
当事者は話題作りへの利用に怒り、既存の労働者階級の消費者は方向性に不満を持つ
不買運動
長年支えてきた消費者が不買運動を起こす
首位転落
ブランドが毀損され、トップの座を失う
速水さんは、日本で不買運動が起きても結果は微々たるものだったと見ています。そのうえで、バドライトの件は「アメリカの文化戦争はここまで来ている」ことを示す話だといいます。
速水さんはもう一つの側面として、広告業界の自信過剰を挙げます。日本でいえば『100日後に死ぬワニ』のように、広告業界が自分たちで流行を作れるという思い上がりが透けて見えると炎上する、という見方です。
バドライトに代わる銘柄、ミケロブ・ウルトラとモデロ
バドライトに代わってトップを競っているのは2つのブランドだと速水さんは説明します。一つは、同じアンハイザー・ブッシュのミケロブ・ウルトラです。
ミケロブ・ウルトラのCMにはクリス・プラットさんが出演し、スーパーボウル ── アメリカンフットボールのNFL優勝決定戦。全米で最も視聴される番組の一つで、試合中のCM枠は非常に高額なことでも知られていますで流れて話題になりました。
速水さんは、クリス・プラットさんのキャラクターを「ちょっとマッチョでユーモアがあるやつ」と捉えています。映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のディスコ好きの男のように、ビールも好きそうな人物像です。
もう一つの銘柄は、トップになったこともあるメキシカンビールのモデロです。日本で有名なコロナはライムを入れて飲む爽やかで軽いビールですが、モデロはもう少し深い味わいが売りだといいます。
速水さんは、こうしたアメリカの銘柄が日本ではなじみがないことを指摘します。アメリカ人と日本人、さらにヨーロッパの人では、飲んでいるビールがかなり違うという見方です。
ハルク・ホーガンの「リアル・アメリカン・ビール」とトランプ流の売り方
バドライトが保守層向けのビールの座から転落したことで、アメリカでは「愛国者のための保守系のビールを作ればいい」という流れが生まれました。そこで起業したのが、プロレスラーのハルク・ホーガンさんです。
ハルク・ホーガンさんはトランプ氏の応援演説で全米を回っており、選挙報道で何度も映りました。その応援会場で売っていたのが、自身の入場曲と同じ名前の「リアル・アメリカン・ビール」です。
速水さんは、プロレスラーの入場の中でもハルク・ホーガンさんが一番盛り上がると語ります。日本にいた頃はジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥー・チャイルド」で入場することもあったので、アメリカの会場で「リアル・アメリカン」を聴けば盛り上がらざるを得ないだろうといいます。
ハルク・ホーガンさんは6月にウェブでビールを始め、大きな投資をしたうえで、アパレルのキャップとTシャツも同時に売っています。速水さんは、これをトランプ氏の戦略と同じだと見ています。
本当にエンターテインメント業界のそのブランディング手法みたいなことを選挙でやっている。
速水さんが「抜け目ない」と感じたのは、リアル・アメリカン・ビールのアルコール度数が4.2%で、ライトビールの路線を守っている点です。ストロングゼロのように「みんなで酔っ払おうぜ」ではなく、売れる度数で売っているといいます。
| 銘柄 | 特徴 | CM・売り方 |
|---|---|---|
| バドライト | アンハイザー・ブッシュの主力。保守的な労働者層が支えてきた | インフルエンサー起用で炎上し首位転落 |
| ミケロブ・ウルトラ | 同じくアンハイザー・ブッシュのブランド | クリス・プラットさんのCMがスーパーボウルで話題 |
| モデロ | 深い味わいが売りのメキシカンビール | トップになったこともある |
| リアル・アメリカン・ビール | ハルク・ホーガンさんが起業。度数4.2%のライト路線 | トランプ氏の応援会場でアパレルと一緒に販売 |
炎上しない日本のビールCMは足をすくわれるのか
話は日本のビールCMに戻ります。速水さんは、キリンが今年始めた新ブランド「晴れ風」を例に挙げます。飲みやすさや低めのアルコール度数の路線で新ブランドを作ろうとしているようだと見ています。
晴れ風のCMには内村光良さん、天海祐希さん、今田美桜さん、目黒蓮さんが起用されています。速水さんは、手堅く、明らかに炎上しなさそうな「安全運転感」のあるキャスティングだと評します。
速水さんは、ここまで保守的だとむしろリベラルに近いとも言い直します。極端なものを抜いて炎上しないCMを続けていると、逆のブランド展開をするメーカーに足をすくわれるかもしれない、という問題提起です。
ここまで日本だけがドメスティックなビール市場を維持してるのって奇跡的なんだけど、これ当然ね、何年かしたらね、外資に全部持ってかれてる可能性あるわけですよ。
速水さんは、外資が入ってくればインパクトのあるCMが仕掛けられてくる可能性があると考えています。思考実験として、東出昌大さんとフワちゃんのビールCMや、松本人志さんと島田紳助さんが「俺たち悪くない」と言って乾杯するCMを挙げ、ウケるだろうと話します。
速水さんによると、誰をビールCMに出せるかは自主規制の問題なので、出してはいけない理由があるわけではありません。ただし、速水さんはそうしたCMを望んでいるわけではなく、ミソジニーも強いと感じるため、あくまで思考の道具として話していると断っています。
そのうえで速水さんは、自分版の「これが来たら熱い」ビールCMとして、江角マキコさんの起用を考えました。脚立を担いだ作業着姿で「帰ってきたぞ」と缶ビールをテーブルに叩きつける場面です。
何だろうな。「バカ息子に乾杯」?そのまますぎる?まあけどそんな感じ。なんか良くないですか?これ。
速水さんは、江角マキコさんのCM案が、波風の立たない今のCM業界やビール業界に波風を立てるアイデアとしてなかなかいいと考えています。
箕輪厚介さんとのイベントと「盛られた」ハイボール
最後に速水さんは、11月8日に五反田のゲンロンカフェで箕輪厚介さんと行ったトークイベントを紹介します。アーカイブ動画は有料でシラス ── 批評家の東浩紀さんが創業したゲンロンが運営する動画配信プラットフォーム。ゲンロンカフェのイベントのアーカイブなどを配信していますで見られます。
このイベントは、箕輪さんがこのポッドキャストに今年2回ゲスト出演した流れから生まれたものです。
箕輪さんといえばハイボールで、イベント当日もハイボールを2杯ほど飲んだそうです。ところが3杯目からはなぜか赤ワインのグラスに切り替え、「すごい酔ってる」と言い出して、ハイボールに何か盛られたのではないかと気にし始めたといいます。
速水さんによると、箕輪さんは文化系・人文系の界隈と距離があり、東浩紀さんに嫌われている、ゲンロンカフェは出入り禁止ではないかと思っていたそうです。最近そうした場にも声がかかるようになって来てみたら、ハイボールを疑い出した様子が「じわじわ面白い」と速水さんは話します。
イベント後半には東浩紀さんが乱入し、箕輪さんと2人で話す場面もあり、とても面白いと速水さんは紹介しています。
まとめ
速水健朗さんは、日本のビールCMが炎上を避ける「安全運転」に徹し、ビールの飲み手とずれた出演者を起用していると見ています。アメリカではバドライトの炎上やハルク・ホーガンさんのビールのように、ビールが文化戦争と選挙の道具になっており、日本の市場もいつまでも守られているとは限らないという問題提起でした。
- 日本のビールCMの出演者は都会的な知的労働層に見え、速水さんには「ワインを飲みそう」に映る
- ビール会社は飲酒が悪者にされることに敏感で、CMも守りに入っていると速水さんは見ている
- バドライトはインフルエンサー起用の炎上で当事者と既存客の双方から反発を受け、首位から転落した
- ハルク・ホーガンさんはトランプ氏の応援会場で、度数4.2%の「リアル・アメリカン・ビール」とアパレルを売っている
- 外資が入れば日本でも刺激的なビールCMが現れうるとして、速水さんは江角マキコさん起用のCM案を挙げた


