ロスタイム5分、逆転を浴びた瞬間の采配
ワールドカップ決勝トーナメント、ブラジル戦。90分までは1対1、ロスタイム6分のうち5分が経過したところで逆転ゴールを浴びる。残り1分、交代枠は1枚。ドラマチックすぎる展開のなかで、日本が切った札は小川航基日本代表のフォワード。ヘディングに強く、この大会のオランダ戦では途中出場で結果を出していた。でした。
ヘディングが強く、ロングボールを放り込むメッセージも明確。100人いたら100人が納得する選手交代だったと速水は評価します。ただし、それはあくまで「納得できる」采配であって、「何かを起こせそう」な采配ではなかった、というのがこの回の出発点です。
もしこれがブラジル側で起きていたら、間違いなくネイマールブラジル代表の看板選手。近年は怪我が続きコンディションは万全でないが、今なお絶対的なスター。を投入したはず、と速水は言います。今のネイマールがコンディション的に何もできないと予測がついても、それでも切る──なぜなら、ネイマールのためなら疲れた選手も走るし、ヴィニシウスレアル・マドリード所属のブラジル代表FW。世界屈指のスピードとドリブルを持つ。もパスを出す。何よりスタジアム全体の空気が変わるからです。
頭をよぎった別の選択肢もありました。久保建英レアル・ソシエダ所属のMF。日本代表の中心選手だが、この大会は怪我で初戦から出場できていなかった。。実際に何かできたかは別として、大会中ずっと怪我で出られなかった久保が戻ってくるとなれば、スタンドの空気もピッチの選手たちも一気に変わる。それは見たかった、と速水は言います。
MVP級だった前田大然のスプリント78回
ここからは半分冗談、と前置きしつつ速水が挙げた「自分ならこう采配した」案が、前田大然セルティック所属のFW。異常なスプリント量と前線からの守備で知られる。をもう一人入れるというもの。前田は既にピッチにいて、この試合で交代したのはその前田と小川なのですが、速水はそれを外したこと自体に疑問を呈します。
1試合でスプリント78回は記録的な数字。フォワードのスプリントといえば普通は攻撃のチャンスに飛び出す動きを指しますが、前田の場合は守備のためのスプリントが多い。前線でボールを追い回し、相手ディフェンダー2人を1人で見て脅威を与える、そんなプレーヤーです。
スプリント回数:おそらく3〜5回程度
スプリント回数:78回
「ちょっと違う競技なんですよ」と速水。走り以外で圧倒的に上手いかというとそうではないかもしれないが、相手をビビらす能力に関しては頭二つ三つ抜けていた、と評価します。前田大然があのまま出ていたら、まだチャンスはあった、という見立てです。
切り札は塩貝だった──試合をぶち壊す役割
もう一人「前田大然を出す」に近い意味を持ち得た選手として速水が挙げるのが塩貝日本代表の若手FW。スピードが持ち味で、ブラジル戦前のインタビュー発言が現地メディアで話題になっていた。です。スピードだけなら前田と同等か、むしろ塩貝のほうが速いかもしれない。前線で追い回す選手が2人いるだけで、90分時点のブラジルをビビらせる意味はあった、と語ります。
スーパーサブって、これまでの試合を全部ぶち壊してやるっていう心持ちで入んないとダメなんだって。その意味では塩貝一択だった。
丸山桂里奈も語っているというこの「試合をぶち壊す」役割。負けている状況で出てくる点取り屋には、これまでのゲームの流れごと壊す覚悟が必要で、それができる選手は塩貝だった、というのが速水の見立てです。
塩貝発言と情報戦の敗北
塩貝を切り札として推す理由には、もう一つ別の文脈があります。ブラジル戦の3日前、塩貝はインタビューでブラジルについて「昔は強かったと思いますが、今はどうなんですかね」と答え、これがブラジルメディアで取り上げられて大問題になっていた。ネイマールについても「すごかったのは昔の話」と答え、こちらも切り取られて大炎上していたのです。
塩貝の発言は「若手が調子に乗って相手を煽った」失言だったのか?
全然そんなことはない。ブラジルは五大会連続で世界王者になっていないし、自国開催のワールドカップですら取り逃している。「かつての強国」というのはエビデンス的に正しい。ネイマールが今大会何かできると思わないのも、コンディション的に妥当な見方。これを煽りだと言って口を慎めと求めるのは、情報戦の敗北そのもの。
ブラジル代表の選手たちは、日本の11人の顔をほとんど知らなかったはずですが、ベンチにいる塩貝のことは全員知っていた。そして何人かはいきり立っていた。つまり情報戦としては塩貝の発言はある程度「効いていた」のです。だからこそ、あの1分で塩貝を投入すれば、ブラジルの選手たちを冷静でいさせない可能性があった、という論理になります。
94年ブラジル代表崩壊報道が教えるもの
速水がここで持ち出すのが、1994年アメリカワールドカップ時の逸話です。当時のブラジル代表の中心選手だったロマーリオ1994年アメリカW杯でブラジルを優勝に導いたFW。同大会の得点王級の活躍を見せた。とベベットロマーリオと2トップを組んだブラジル代表FW。94年W杯で活躍した。が対立し、チームが二分された、アメリカへの移動の飛行機で窓側の席をどちらが取るかで喧嘩した──そんな報道が飛び交っていました。
今から振り返れば、これはブラジル国内メディアと代表チームとの間の情報戦の一部だった、と速水は見ます。誰もが注目する代表という存在に対して、メディアが揺さぶりをかける。そしてそれをかいくぐる経験値をブラジルは半端なく持っている。結局、勝てば作り話は雲散霧消する。みんなが応援したいのは「強いブラジル」だからです。
選手の発言に動揺する。「口を慎め」「相手を本気にさせるな」と国内から批判が出る。選手を黙らせる空気ができる。
メディアの揺さぶりに慣れている。相手の煽りにも乗って利用する術を持つ。勝てば全部忘れられると分かっている。
サッカー強国であるブラジルの本当に尊敬すべきところは、メディアが足を引っ張ってきた歴史も含めて経験値になっている点。日本はここまでの情報戦にすぐ動揺してしまう。大谷翔平のような「相手を尊敬しましょう」という紳士的な振る舞いを、すべてのアスリートに求めてしまう空気も、速水はやや懐疑的に見ています。
前半1-0とアンチェロッティの修正
実際、前半は日本が上手く回っていました。ブラジルが真正面から自分たちの強さを見せようとして来たのを、日本はブロックを敷いてしっかり守り、カウンターからど真ん中を突破する唖然とするようなゴールで1-0。塩貝発言が効いて、ブラジルが「日本のやりたい土俵」に乗ってきた──そんな見方もできる展開でした。
後半はアンチェロッティイタリア人の名戦術家。レアル・マドリードなどで数々のタイトルを獲得しており、現在はブラジル代表を率いている。が動きます。ブラジルが得意な正面突破ではない戦術を選び、自分たちが見せたいサッカーを封じてでも日本に追いつく方針に切り替えたのです。ブラジルにケツに火がついた展開こそ、日本サッカーが引き寄せた面白い局面だった、と速水は評します。
ただし惜しむらくは、ブラジルの選手たちがその戦術修正を淡々とこなす強さを持っていたこと。そこはリスペクトすべき部分。もっと日本全体が「ブラジル弱いっしょ」と煽って、相手が本気で頭にきて自滅していたら──アンチェロッティの策をぶっちぎってヴィニシウスにボールを預けるような展開になっていたら、勝てた可能性もあったのではないか、と速水は語ります。
まとめ
選手交代として小川航基を選んだのは、それ単体で見れば納得できる采配だった。しかしラスト1分に必要だったのは、納得ではなくサプライズであり、相手を動揺させる駒だった──それが塩貝であり、前田大然を残したままの前線2枚での追い回しだった、というのが速水の見立てです。
そしてその采配を可能にするのは、監督個人の判断力ではなく、選手の発言を正しく解釈し、情報戦の一部として活用する国全体のリテラシー。ワールドカップは決勝トーナメントに入り強豪が次々と敗れる本格的な熱い夏に入りましたが、日本サッカーがブラジルよりも強国になるには、ピッチの外側でまだ埋めるべき差がある。そんな示唆で回は締めくくられました。
- ブラジル戦のロスタイムでの日本の交代選手は小川航基。納得の采配ではあったが、サプライズにはならなかった
- もしブラジル側が同じ状況ならネイマールを切っていたはず。切り札とはスタジアムの空気を変える存在
- 前田大然は1試合スプリント78回という記録的な数字を残しており、外すべきではなかった
- 試合前に炎上した塩貝発言は事実として正しく、情報戦としてはブラジル側に効いていた
- あの1分で塩貝を投入していれば、ブラジル選手を熱くさせて試合をぶち壊せた可能性があった
- 1994年ブラジル代表の内紛報道の例に見るように、サッカー強国はメディアの揺さぶりを乗り越える経験値を持つ
- 日本代表は選手・ベンチのレベルは上がったが、メディアとサッカーを巡る言論はまだ弱い
