番組開始から1年、なぜ今回は一人語りなのか
新年最初の収録は、いつものゲストを招く形ではなく、川邊健太郎さんによる一人語りで始まりました。前のゲストと次のゲストの間で未収録が出てしまったため、今回は自分自身をゲストに据えたと説明しています。
番組『川邊の会食~人生最高インタビュー~』は、一昨年の11月に始まってから1年とちょっとが経過していました。特別なお祝いはしなかったものの、これまでに13人のゲストの人生を聞いてきたと振り返ります。
私は海の漁師、山の漁師、そして経営者、3足のわらじを履いている川邊健太郎です。
今回はそのうちの数組を、AIが弾き出したダイジェストを手元に置きながら、1組ずつラップアップしていく回です。最初から聴いてきた人には懐かしく、途中から聴いた人にはダイジェストとして届けたいと語っています。
浅田真央が語った、記憶に残ったソチの真実
第1回のゲストは浅田真央さんでした。2024年12月12日から30日までの配信で、川邊さんがなぜこのポッドキャストを始めたのかというきっかけの話から始まり、その後に浅田さんの人生を聞いています。
浅田真央さんの人生は日本のほとんどの人が大枠を知っています。そこで川邊さんが意識したのは、朧げにわかっている人生の解像度をとにかく上げることでした。川邊さん自身、今この世で生きている人の中で一番尊敬しているのが浅田真央さんだと公言しています。
印象に残った点は大きく2つあります。1つ目は、スケートと出会ってからの打ち込み方が尋常ではなかったこと。朝の特訓、午後のリンク貸切、夜も特訓という生活を小学生の頃から27歳まで続けたといいます。
もう1つは、ソチオリンピックのフリーの演技の裏側です。前日のショートでプレッシャーに体が動かず、メダルがほぼ不可能な順位に沈み、当日も直前まで気持ちが切り替えられなかったと本人が細かく解説しました。
転機は、リンクに出る土壇場に訪れます。日本語で「真央ちゃん頑張れ」というおじさんの声援が届き、その瞬間にハッと我に返ったといいます。自分にプレッシャーをかけていたけれど、多くの人の支えでここまで来たのだと思い直したのです。
自分のことはさておき、そのファンの人たちのために今日は滑ろうと思ったら、急に体が動くようになった。
結果、そのシーズンの史上最高点が出て、直後の世界大会優勝にもつながる演技ができました。川邊さんは、これを自力の克服ではなく、推している人の一言が力になった証拠として受け止めています。
後日談として、浅田さんは番組内で語っていた夢だった真央リンクを作り、未来のメダリストを養成するスクールを立ち上げていました。生徒との共同生活もすでに始まっており、収録の約1年で夢を前進させていると川邊さんは驚きを語っています。
メルカリ山田進太郎の「うだつが上がらない時期」に価値がある
第2回のゲストはメルカリCEOの山田進太郎さんでした。2025年1月6日から27日までの5回配信です。川邊さんが印象に残ったのは、メルカリが大爆発するサクセスストーリーよりも、その前の「うだつの上がらない起業家」時代の話でした。
山田さんは日本でこの十数年で最も成功した起業家の一人ですが、普通の高校生・大学生時代を経て、最初に起業したウノウウノウ ── 山田進太郎さんが最初に起業した会社。フォト蔵などの写真共有サービスを手がけたではうまくいかない経験もあったといいます。川邊さんは、この時期こそ何者かになろうとする人の励みになると考えています。
特に私のおすすめは前半の山田進太郎の、うだつが上がらない時期っていうのが、実は価値が高いかなと思ってます。
その上で、連続起業家として2社目のメルカリがどう当たっていったかというサクセスストーリーも面白い、と両方を勧めています。後日談として、山田さんは海外事業の強化のため、今は月の半分をアメリカで過ごし、アメリカ事業に集中しているといいます。
最も聴かれた「神回」、藤田晋の試行錯誤とエモい将来設計
第3回はサイバーエージェントの藤田晋さんでした。2025年2月13日から17日の配信で、収録時点では社長、現在は会長です。この藤田さんの回が、番組で最も聴かれているエピソードになっています。
川邊さんは、番組全体の傾向として経営者の回が聴かれやすいと分析しています。関わるサービスが多く、ビジネスは裾野が広いためで、その中でも藤田さんの回は突出していました。
ここでも川邊さんが面白がったのは、大成功した今の藤田さんではなく、まだ何者でもない試行錯誤の時期でした。川邊さんと同じ青山学院大学で麻雀ばかりして会社に行かず、先輩の会社にインターンのように入り、宇野さんと出会い、独立してサイバーエージェントを立ち上げていく経緯です。
その後はサイバーエージェント一直線ですが、組織と人材のアサインが上手な会社として、渋谷で働く社長のブログをなぜ作ったのか、ネットバブル崩壊や株の買い占めといった危機をどう乗り越えたのかも、興味深く聞いたといいます。
川邊さんが最もエモいと語るのは、将来についての話です。50代で社長を引き継ぐため候補のトレーニングと選抜を進めていること、そして会長も辞めた後にやりたいことを尋ねたときの答えでした。
息子が二十歳になったぐらいのタイミングで、一緒に起業するのも面白いかもしれない。
当然、息子が社長で自分が後押しする形だといいます。十分に功成り名を遂げてなお、しかも息子と起業しようという構想を、川邊さんはめちゃめちゃエモい話だと受け止めています。
後日談として、番組で語られた社長交代は有言実行されました。この収録は2025年12月ですが、つい先週サイバーエージェントの株主総会で社長がついに交代したと川邊さんは伝えています。その間に趣味の競馬でもブリーダーズカップを制しています。
フェンシング福島史帆実に見た、才能発掘の「再現性」
第4回は、2025年3月3日から24日に配信したフェンシングの福島史帆実さんです。ここまでの3組と違い、川邊さんとはほぼ面識がなく、直前の会合で名刺交換しただけの相手でした。
福島さんは団体で銀メダルを取ったオリンピアンです。川邊さんは、才能を見出され、努力してメダルという成果を出す一連のプロセスに、あまりに再現性があると感じたといいます。子を持つ親にも参考になる回だと語ります。
鍵になったのは、地元・福岡県のタレント発掘事業タレント発掘事業 ── 運動能力の高い子どもを選抜し、複数の競技を体験させて適性を見極め、有望競技へ導く自治体の育成プログラムでした。福島さんには子どもの頃から「オリンピックに出たい」という夢だけがあり、競技は何でもよかったという願望に、この制度が合致したのです。
小中時代に数年をかけて適性を判断され、高校進学時に陸上、アーチェリー、7人制ラグビー、フェンシングなどが候補に挙がりました。熱心に誘ってくれた高校のコーチがいたフェンシングを選び、高校から競技を始めます。
驚くのはその後です。発掘事業の期間中はフェンシング未経験だったにもかかわらず、高校から始めてわずか2年半でインターハイ優勝を果たしました。もともとの運動の才能と、事業の効果の高さがうかがえます。
当初は東京オリンピックを照準に定めていたものの一度は諦めます。ところが大会が1年延期され選び直しになった結果、選手として出場できることになりました。東京では入賞にとどまりましたが、その後パリオリンピックで見事メダリストとなります。
この間、福島さんを支えたのがセプテーニ社でした。同社はアスリートを社員として雇用する取り組みを始めており、福島さんもその一人です。川邊さんは事前にセプテーニの当時の社長にも取材し、福島さんが会社にもたらした効果を、その場で本人に初めて伝えたといいます。
石田雄太が明かす、大谷・イチロー取材に共通する流儀
第5回は、2025年4月7日から28日に配信したベースボールジャーナリストの石田雄太さんです。石田さんとは完全に初対面で、この回からリアリティを出すため、名刺交換の場面から録音してそのまま配信に載せる形式にしました。
石田さんは、最初にイチローの本を書き、松坂大輔さんを追い、直近では大谷翔平さんが日本人で唯一ロングインタビューを受けるジャーナリストとして知られます。川邊さんは、それぞれの仕事の話に加え、なぜそのクリエイティブができるのかという共通項が今も参考になっていると語ります。
その流儀とは、インタビューのためだけにアポを取るのではなく、対象者と時を共有することでした。まず対象の試合はすべて見る。食事や移動の雑談も、インタビューではなく同じ時間と空間を共有しているだけだといいます。
そうして互いを知り、理解を深めた上で、最後に少しだけインタビューして書く。川邊さんは、人間対人間の物事をしたいと思っていた時期だったこともあり、このスタイルが強く刺さったと話します。
時を共有しすぎて理解が深まっても書かずにいた結果、イチローさん本人から「そろそろ書いたら?」と言われたエピソードもあったといいます。川邊さんは、この姿勢が推し活とも通底していると感じ、推し活をしている人にも参考になる回だと勧めています。
仏の亀田・亀田誠治、「25年後の武道館」という約束
第6回は、5月5日から26日に配信した音楽プロデューサーの亀田誠治さんです。川邊さんは椎名林檎さんのファンで、ソロ時代や東京事変での亀田さんを認識していましたが、会うのはこの収録が初めてでした。
出演のきっかけは、川邊さんがXのフォロワーを10万人にするチャレンジをしていた時期にさかのぼります。「なぜこの人が」という著名人が何人かフォローしてくれ、その一人が亀田さんでした。そうした相手に声をかけていく最初の1回目が亀田さんだったのです。
音楽業界では扱いづらいアーティストも亀田さんがプロデュースすれば扱える、と言われるほど「人柄の亀田」として知られており、実際にファインで笑顔の似合う人柄だったといいます。
人生の話も面白く、子どもの頃から相当変わっていました。ビートルズからアメリカンポップスにはまり、米軍向けラジオのビルボードチャート番組を真似て、誰に聴かせるでもなく空想のラジオ番組を毎週作り続けていたといいます。
川邊さんは、自分は徒党を組んで何かするプロデューサー気質だったのに対し、家で一人でラジオごっこをする亀田さんはクリエイター気質だと対比しています。しかもそれを高校で声変わりを機にすっぱりやめた手放れの良さも、後のプロデューサー業につながると見ています。
象徴的なのが「武道館」の約束です。中学の卒業文集に「10年後に武道館に立つ」と根拠なく書いたものの、10年後は演奏家として立てませんでした。ところが宣言から25年後、東京事変のベーシストとしてついに武道館に立ったといいます。
2、3年、5年くらい叶わないからといって投げ出してはいけない。道草のように見える時間でも、後から全部回収できる。
後日談として、亀田さんが力を入れている日比谷音楽祭日比谷音楽祭 ── 亀田誠治さんが総合プロデューサーを務める、東京・日比谷公園で行われる無料参加型の音楽フェスティバルに川邊さんは実際に足を運びました。ニューヨークの公園で見たフリーの音楽イベントに着想を得たもので、コロナ禍もあって開催には相当苦労したといいます。
その後、2026年開催のクラウドファンディングで亀田さんから協力の連絡があり、川邊さんは応募しました。特典は日比谷公園の松本楼での食事で、まさかの「もう1回の会食」が去年9月に実現したといいます。番組でできた縁が音楽祭への関わりにつながりました。
片目を失っても戦った柔術家・中井祐樹の対極の人生
第7回のゲストは、格闘家であり柔術家の中井祐樹さんです。6月20日から30日の配信でした。亀田さんと同じく、川邊さんのXをフォローしてくれていた中で、格闘技好きの川邊さんが目から火花が出るほど驚いた相手でした。
グレイシー柔術からPRIDEに至る総合格闘技ブームが好きだった人にとって、中井祐樹さんは超ビッグネームです。片目を潰されても空手家に首絞めで勝ち、決勝ではその状態でヒクソンと戦って善戦した、侍のようなイメージだったといいます。
取っつきにくい人かと緊張して会ったところ、実際は亀田さんに負けず劣らず人柄が良く、明るい人物でした。青木真也さんの話などマニアックなネタが飛び出し、格闘技好きにはたまらない回になったと川邊さんは語ります。
後日談として、その青木真也さんが実際にこの回を聴いており、自身のYouTubeで中井祐樹さんの回を取り上げてくれたといいます。川邊さんは、自分のポッドキャストをきっかけに二人が関係性を語ってくれたことをとても嬉しかったと話しています。
中井さんの人生も対照的でした。北海道大学で寝技中心の七帝柔道七帝柔道 ── 旧帝国大学系の大学対抗戦で行われる、寝技を重視した独特の柔道。一般的な柔道とルールや戦い方が大きく異なるに出会い、本当はプロレスラー志望だったものの、シュートを経て柔術家になっていきます。
川邊さんは、自分が大学でインターネットに出会って商業的なビジネスの世界を歩んだのに対し、中井さんは武道という非営利な道を極めてきたと対比します。競技者としてもシュートで王者になり、ヴァーリトゥードジャパンで失明しつつヒクソンと戦いました。
その後、敗れた相手を理解するためにグレイシー柔術を始め、大会で優勝し、最終的にはグレイシー一族から日本のブラジリアン柔術協会会長を頼まれ、固辞し続けた末に引き受けたといいます。今もクインティットなど新しいジャンルを作り、エネルギッシュに活動しています。
印象的だったのは、今の境地を尋ねたときの答えです。もう一度ヒクソンと戦いたい、125歳までスパーリングができるようになりたい、柔術家人口を増やしたいと、好きな夢を語ってくれたといいます。今ヒクソンと戦ったらどうなるかは、番組内で語られています。
まとめ
番組開始から約1年、7組のゲストの人生を振り返る一人語りの前編です。川邊さんは一貫して、成功した「今」よりも、うだつの上がらない時期や試行錯誤に価値を置き、収録後にゲストたちの夢や約束が実現していく後日談を丁寧に拾っています。
- 川邊さんが繰り返し面白がるのは、成功後より「まだ何者でもない試行錯誤の時期」の話
- 浅田真央・亀田誠治の逸話に共通するのは「支えや推しの力」「長い時間をかけて回収する約束」
- 福島史帆実の回は、才能発掘から成果までの「再現性」が親子に参考になる
- 石田雄太の取材流儀は、アポではなく対象と時と場所を共有すること
- 番組でできた縁が、日比谷音楽祭への協力や青木真也さんのYouTube言及など、収録後の交流に発展している


