心が動かなかった主婦の日々と、フラメンコまで試した理由
主婦であり母親でもあった徳永さんは、この時期をゆったり過ごしていたと振り返ります。ヨガや料理教室など、それまでやらなかったことに次々と挑戦していたそうです。
もう割とゆったり生きていて。当時やらないようなことをたくさん、例えばヨガに通うとか、お稽古事とか行ったことなかったから、そういうのをやってみるとか。
ただ、いくら新しいことを試しても、心の中に響くものがなかったといいます。持て余した情熱をどうすればいいのか、友人にこぼすほどでした。
私はもうこの情熱みたいなものを持て余してるんだけど、どうしたらいいんだろうみたいな。
情熱を注げる先を探して、フラメンコまで試したものの、これも違ったと徳永さんは笑います。
情熱っぽい。
単純ですね。
それで行ってみても全然違う。
仕事に「ザワザワ」──東京五輪決定で動いた心
転機は、東京オリンピックの開催決定と、翌年の世界水泳福岡の開催が決まったことでした。徳永さんは、仕事に対して初めて心が動いたと語ります。
(東京五輪と世界水泳福岡が決まって)私の中で初めて仕事に対してザワザワっていう。あれ。
夫は以前から仕事に戻ればいいと言っていたものの、徳永さん自身にその気はなかったそうです。それが2つの大会の決定で「伝えてみたい」という思いに変わりました。
思い立つと早く、すぐに相談へ動きます。相手は、テレビ朝日を辞めて主婦業をしていた同期の女性でした。
(同期に)やりたいんです。「その言葉待ってた。とりあえずじゃあやろう」(と言われて)。
相談の場は、駅のディーン&デルーカのカフェ。主婦2人が「やろう、やろう、どうしよう」と語り合う様子を、川邊さんはスタートアップのようだと評しました。
古巣への「名乗り上げ」から始まった復帰の道
復帰にあたって、徳永さんはまずお世話になったテレビ朝日へ挨拶に行くことを選びます。緊張しながらの訪問が、復帰への第一歩になったといいます。
今の時点で何ができるか全くわからない、決まってもないですし。だけれども、一番最初にお世話になった皆さんにご挨拶に来ました(と伝えました)。
川邊さんは、この行動を「名乗り上げに行った」と表現し、その大切さを強調しました。徳永さんが受け取った反応は、シンプルな「頑張れ」だったそうです。
全然頑張れですね。
その後、他局や様々な人と会う中で、徳永さんは局ごとの「カラー」の違いを強く感じたと話します。そして、自分はテレビ朝日っ子なのだと再確認したそうです。
ABEMA開局とともに──ネットで報道を伝える最初期
2016年、リオオリンピックの年に声がかかり、徳永さんはその年末に開局するABEMAの昼の報道番組に出演することになります。放送かネットかを問わず、仕事をもらえること自体がありがたかったと語ります。
でももうとにかく仕事もらえたらありがたいので。(放送かネットか関係なく)何でも。
ABEMAの報道番組は、テレビ朝日の社員も関わっているため、作り方は地上波とほぼ同じだと徳永さんは説明します。それでも、地上波と一線を画そうという気概にあふれていたそうです。
当時、ネット上でニュースを伝えるのはハフポストやバズフィードジャパンといった存在が中心でした。そこにABEMAが加わったことを、徳永さんはネット報道の最初期だったと振り返ります。
テレビ局が制作して、その有名な女子アナの方が出てくるとかいうのがほぼなかったんで、すごい本格的なものが出てきたなっていう印象でしたよね。
テレビと新聞から、ネットへ──選挙と災害が示した逆転現象
ABEMA開局からの数年は、情報の取り方が大きく変わっていく時期でした。徳永さんは、テレビや新聞がメインだった時代から、ネットへとシフトしていく過程をABEMAや報道ステーションとともに見てきたと語ります。
その変化が最も顕著に表れたのが選挙だと徳永さんは指摘します。有権者がネット上で選挙の情報を大量に拾うようになり、昔では考えられない逆転現象が起きたといいます。
川邊さんは、その手前で災害時の情報の取り方が変わったことを挙げます。被災現場にいる人がXにリアルタイムで写真を上げるようになり、ネットの方がライブ性に富み始めたと分析しました。
Xでリアルタイムで、その被災現場にいる人たちが写真とか上げていくんで。(そこから)ライブ性に結構ネットの方が富み始めてきた。
徳永さんは、逆転現象のさらに先を見据えます。ネット上の言説とリアルとのズレを、地上波がどう扱うかが、いま報道に携わる人たちに問われていると語りました。
(地上波は)あまりニッチにもなりすぎることができない。でもネットで広がっている状況を扱う、じゃあどうその事象を取り上げるかっていうさじ加減が、すごい今の報道番組に携わる人たちは難しく問われてる。
ABEMAの強みは「尺」と「切り出しやすさ」
ABEMAは当初、地上波との差別化を目指してスタートしましたが、次第にメジャー感が出てきたと徳永さんは話します。それでもABEMAならではの違いはあり、その一番は「尺」だといいます。
時間に余裕があること、テキストやVTRごとに切り出してネット上で流通できることが、ABEMAの汎用性の高さです。
多くの人が見るため、あまりニッチになりすぎることができない。まだまだメインの視聴者を抱える
尺に余裕があり、切り出してテキストやVTRとしてネット上で流通できる。汎用性が高い
実際にABEMAブランドのニュースは、ヤフーニュースなどにも多く提供され、上流で流通しています。徳永さんは、作り手が切り出されやすさを意識していると感じると語りました。
作り方として、切り出されやすいよとかっていうのは、割と作り手は意識はしてるような気がしますね。
「文化祭のよう」だったABEMA創成期の熱気
ABEMAでの2年間を、徳永さんは「すごく楽しかった」と振り返ります。最初は文化祭やお祭りのような雰囲気だったといいます。
最初やっぱり文化祭のような、お祭りのような(雰囲気で)。
テレビ朝日の地上波で活躍する若い猛者たちがABEMAに集まり、報道番組はどうあるべきかを夜な夜な熱く語り合っていたそうです。徳永さんは、それが昔のスポーツ番組時代を思い出させたと語ります。
血気盛んなアベマにおけるニュース報道とか、どういうもんなんだみたいなことを夜な夜なやっていて。
創成期のABEMAは新しいことに何でも挑戦でき、伸びしろがたくさんあったといいます。徳永さんは、いい時期に関われたと感じています。
本当いい時期にアベマさせていただいたな(と思います)。
人からの評価に「持ってかれない」ための距離の取り方
川邊さんは、徳永さんが起用され続ける理由を尋ねます。徳永さん自身はよくわからないとしながら、気がつけばいろんな経験をしていること、そして自分のスタンスを挙げました。
上に立つのではなくて、勉強というか、修行というか、そういう中で真摯に情報っていうものを伝えていきたいっていうスタンス。
テレビの仕事は、人からの評価に覆われている世界だと徳永さんは言います。評価を大切にしすぎると、自分が持っていかれてしまうと語りました。
だからこそ徳永さんは、いいことも悪いことも人からの評価とは別に、目の前の仕事を1日1日やっていくスタイルを選んでいます。
もう私はそんな強い人間では決してないので。
この姿勢に、川邊さんはヤフコメを作った当事者として共感を示します。当事者にこそ、コメントを見ないでほしいという本音があると打ち明けました。
当事者を酒の肴にわあわあ言ってるだけなんで、見ないでくれますかねみたいなのは本音としてこっちにはあって。
「ためらい機能」が変えた、コメント時代の距離感
川邊さんは、コメントのあり方がこの数年で大きく変わったと語ります。誹謗中傷や侮辱に関する法律が変わり、SNSがメインのメディアになったことで、以前は許されていたことがそうでなくなったといいます。
いま最も機能しているのが「ためらい機能」だと川邊さんは説明します。投稿する前にAIが内容をチェックし、傷つける可能性を伝える仕組みです。
投稿する前に一回AIが見て、あなたのこの投稿ってこういう人を傷つける可能性がありますよと(伝える)。
さらにAIは、発信者情報開示請求をされるかもしれないと遠回しに伝え、別の言い方をサジェストします。すると、かなりの確率で書き手が言い方を変えるといいます。
徳永さんは、書く側にもリテラシーが求められる時代になったと受け止めます。投稿する人も主役になれる時代であり、そこに楽しさもあると語りました。
子どもの人生と自分の人生は「別物」──家族との距離
話題は家族へと移ります。川邊さんは、売れっ子の夫を支える「内助の功」を求められる立場ではないかと問いかけました。
徳永さんは、内助の功のようなことは全然していないと答えます。その背景には、出産のときに強く心に刻んだ考えがありました。
(20時間以上の難産で)こんなにつらい思いして生まれたけど、この子と私の人生は絶対に別物なんだと。これは一生忘れないでおこう(と思いました)。
徳永さんは、自分の人生と子どもの人生を重ねないことを大切にしてきたといいます。サポートはしても、自分の思いを託しすぎることはないよう心がけてきました。
だからこそ、家族のために動きつつも、自分のことも大切にして生きようと意識していると徳永さんは語ります。相手にも主体的であってほしいという思いがあるようです。
番組本位で見る子どもたちと、50歳で感じる仕事への思い
徳永さんの子どもたちは、テレビに対してクールだといいます。親が出ているから見るのではなく、番組が面白いかどうかで判断しているそうです。
パパがどうだから見てるとか、そういう感じでは全然ないですね。
紅白の司会をしていても特別視はせず、大みそかであっても自分のやるべきことを優先させると徳永さんは話します。子どもたちには主体性を持って過ごしてほしいという姿勢です。
徳永さんは、コントロールできない存在としての子どもの尊さを語ります。それと同時に、努力やお金では動かない子育てと対比して、自分の仕事への思いをあらためて実感しているといいます。
自分も今年50歳になったので、なおさらその仕事に対しての思いっていうのは感じる。
まとめ
主婦生活で情熱の行き先を探していた徳永有美さんは、東京五輪と世界水泳福岡の決定で心が動き、古巣への挨拶からキャリアを再開させました。ABEMAとともにネット報道の変化を見つめ、人からの評価とは距離を取りながら、目の前の仕事に向き合う姿勢が語られた回です。
- 主婦時代にヨガやフラメンコを試すも心が動かず、五輪と世界水泳福岡の決定で初めて仕事に「ザワザワ」した
- 復帰はお世話になったテレビ朝日への「名乗り上げ」から始まり、2016年末のABEMA開局に関わった
- テレビ・新聞からネットへの情報シフトを、選挙や災害の場面での逆転現象として実感してきた
- 人からの評価に持っていかれないよう、目の前の仕事を1日1日やっていくスタイルを選んでいる
- 子どもの人生と自分の人生は別物だと出産時に心に刻み、家族を支えつつ自分も主体的に生きることを意識している


