鞘師里保さんの回。12歳のエースから、自己肯定感との葛藤を越えて
後編の最初に振り返られるのは、8人目のゲストである鞘師里保さんの回です。配信は2025年7月7日から28日で、川邊さん自身が「私の推し」と語る、思い入れの強い回でした。
鞘師さんは、モーニング娘。モーニング娘。 ── 1997年に結成された女性アイドルグループ。メンバーの卒業と加入を繰り返しながら長期にわたって活動している。で12歳から不動のエースを務め、17歳で卒業しました。その後の潜伏期間を経てソロアーティストとして活動し、2025年にエイベックスからメジャーデビューを果たしています。
川邊さんが特に語ったのは、鞘師さんの早熟さです。17歳で「このままでいいのか」と考え、周りの大人を見て失望することもあったといいます。川邊さん自身は17歳でそんなことは全く思っていなかったと対比して振り返りました。
不動のエースだったのに早く卒業し、その後は自分一人での模索が続いたこと。周囲の期待は常に大きい一方で、自らの水準の高さゆえに自己肯定感は高いようには見えなかったこと。川邊さんは、その葛藤と、それを乗り越えて自分を客観視しながら期待との調整を図れるようになった今の境地を「エモかった」と話しています。
鞘師オタとかハロオタとかいう方々は絶対に聞いてほしいですし、女性の方々も絶対共感するはずなので、(この回を)聞いていただいて、鞘師さんのファンになってもらいたいなと。
日本一のジャーナリスト船橋洋一さんが語った「事実と真実は異なる」
9人目のゲストは、2024年8月4日から9月1日に配信されたジャーナリストの船橋洋一さんです。27歳の鞘師さんとは打って変わり、川邊さんは船橋さんを「日本一のジャーナリストの可能性が高い」と紹介し、この回を「間違いなく神回」と語っています。
川邊さんが最も印象に残っていると挙げたのが、ジャーナリストとして多くの人の話を聞いてきた結論としての一言です。動かぬファクトとしての事実経過とは別に、当事者が何を考えていたのか、結果として何が起きたのかという背景にこそ面白さがある、という趣旨でした。
話は船橋さんの人生をたどります。力道山の空手チョップを街頭テレビで見ていた世代であること。朝日新聞入社直後の若い時代に中国へ行き、内部力学の構造を書いた本を出したこと。川邊さんは、その本を船橋さんが「一番気に入っている本かもしれない」と語っていたことを紹介しました。
知米派として知られる船橋さんですが、この回を聞くと中国にも詳しいという印象に変わると川邊さんは話します。アメリカについてはオイルショックやプラザ合意プラザ合意 ── 1985年、ニューヨークのプラザホテルで先進5か国が為替レート安定化に向けて合意したもの。ドル高是正が図られた。の事象とプレイヤーを追った話に興味を持ったといいます。
その後、関心は経済安全保障やデジタルへと広がります。朝日新聞の主筆まで務めてリタイアし、司馬遼太郎の「街道をゆく」に出てくる各地を奥さんと巡る計画を立てた矢先の話が続きます。
(旅行を計画した矢先の)2011年に東日本大震災、そして福島第一原発の事故が起きて。もうこれを検証報道しないのはジャーナリストの自分としてはありえないということで、シンクタンクを立ち上げちゃうんですね。
原発事故の検証に続いてコロナの検証も始めたため、奥さんとの旅行に行けないままの人生になっている、という点を川邊さんは「リアリティがあって面白かった」と語りました。
取材の仕方についても、前編で振り返った格闘家の石田裕太さんと通底する話があったといいます。デイビッド・ハルバースタムとの出会い、単なる取材ではなくアメリカのシンクタンクに所属して研究しながらネタをつかんだこと。ある事象に没頭し、対象と時を共有する姿勢に、ジャーナリストの才能を見たと話しています。
もう一つ印象的だったのが、今後の抱負を尋ねたときの答えです。自分が追ってきたテーマがいよいよ世界の重大事項になってきた、という手応えを船橋さんは語ったといいます。
(70代にして)やっと自分の時代が来た。やっとここからが本番ですよ、川部さん。
川邊さんは、自分が70代になったときにそう思えるのかはわからないとしながら、この心持ちを「日本一のジャーナリストはいる」と参考になる話だと振り返りました。
後日談として、収録後も船橋さんとの付き合いが続いていることが語られます。このポッドキャストが船橋さんの周りでも反響があり、川邊さんは船橋さんと企業経営者が集まるメディア関係の勉強会で、「私ポッドキャスターを始めました」というタイトルの講師を務めたといいます。
乙武洋匡さんの40代。前向きな人生に訪れた「うまくいかない時期」
10人目のゲストは、2025年9月8日から10月6日に配信された乙武洋匡さんです。以前から面識があり、有名になってからの乙武さんしか知らなかった川邊さんは、それ以前の乙武さんはどうだったのかに関心を持って招いたと語ります。
川邊さんが挙げたのは、乙武さんが自分を甘やかさなかった生き方です。「五体不満足」五体不満足 ── 乙武洋匡さんが1998年に出版した自伝的エッセイ。大ベストセラーとなった。という境遇でありながら、親や先生を中心に周囲もその大変さを共有し、立ち向かってきたといいます。公立小学校では体育も含めて特別扱いをしないでいい、雨の日に体育館へ歩いて服が汚れることも含めて甘やかさないでいい、という姿勢だったそうです。
(乙武さんは)自分でやる、自分でやるっていうのがちっちゃい頃からの口癖だったそうです。
早稲田大学に進み、「五体不満足」が大ヒットして有名になったこと。それが人生を良い方向に導く機会だった一方で、そこでついた聖人君子的なイメージが強すぎた結果、今でもスキャンダルやイメージとのギャップに悩まされている、という話も紹介されました。
小学校時代の教師が一人前扱いしてくれたことをきっかけに教師を目指し、教員免許が取れないなどの困難を経て、例外的に公立学校の教師になったこと。5年続けたのち、より大きな教育問題の解決のため政治家を目指したものの、最初の立候補時にスキャンダルが起きたこと。川邊さんはその後の挫折の連続についても触れました。
川邊さんが特に価値を感じたのは、40代についての乙武さん自身の総括です。それまでの自分に比べて何も成していないのではないか、という自己反省があったといいます。もともと大きな障害を背負いながら前向きさで人生を良くしてきた人が、40代になって良いことばかりではないと味わっている、という証言そのものが参考になると話しました。
今は生き方が変わり、自分が前面に出るのではなく「人ファースト」のマネジメントを始めているといいます。川邊さんは、51歳の自分が人生をデザインし直すうえでも参考になったと語りました。
収録後の最大の変化として、後日談も語られます。国内向けだった動画を、あるアドバイスで海外配信したところ大人気になり、1本で1億回再生の動画も出てきているそうです。手も足もないのに何でも自分でやる姿が世界で話題になっているといいます。
日本の狭苦しい社会に汲々とするのではなく、乙武さんは私は世界で活躍してもらいたいなと今思っております。
徳永有美さんの会。子育てを経てネットから報道番組へ「大復活」
11人目のゲストは、2025年10月13日から11月10日に配信された徳永有美さんです。川邊さんとは面識がなく、伊藤さんのキャスティングで、ドアから入ってきたときが初対面という様子がそのまま収録に出ていると紹介されました。
徳永さんは、報道ステーションの金曜キャスターやABEMAのニュースで長くキャスターを務めた、テレビ朝日の看板アナウンサーの一人だった人です。川邊さんは、初対面とは思わせない人懐っこさとおしゃべりぶりに驚いたといいます。
(普段のアナウンサーは自分語りができない中で)今回はむしろ徳永さんが主役の会ですから、大いに喋っていただいて、結構おしゃべりでこっちは楽でした。
語られたエピソードは多岐にわたります。子供の頃からの負けず嫌いだったこと。女子大生時代に500人の寮長を務めたこと。新人アナウンサー時代に甲子園で「やばい一言」を言ってしまったこと。スポーツ局に気に入られ、シンクロナイズドスイミングに挑戦したり、東京オリンピックのスケルトンかリュージュを体験して「めっちゃ怖かった」と話したこと。
一度すべての仕事を辞めて子育てをしていた時期に、もう一度輝きたいと復活を目指したこと。その入り口がネットのABEMAだったこと。そこで肩を回した後にテレビ朝日の看板番組である報道ステーションのキャスターとなり、大復活を果たしたことが語られます。川邊さんは、そのしなやかさと強さが伝わってくる会だと話しました。
鞘師さんとか徳永さんの会は、女性がキャリアを歩んでいくっていうのはどういうことなのかっていう参考として、ぜひ聞いていただきたい会になっております。
宇野康秀さんの回。父の会社を継ぎ、800億の個人負債を背負った経営者人生
12人目のゲストは、2025年11月17日から12月8日に配信された宇野康秀さんです。ユーネクストホールディングスの社長で、前のUSENの社長でもあった経営者です。経営者以外のゲストが続いたため、久しぶりに経営者を招きたいと候補を挙げて実現したといいます。
川邊さんはこの回を「正直神回だと思っています」と語り、経営者の人生に待ち受けるハードシングスハードシングス ── 経営における困難な局面を指す言葉。経営者ベン・ホロウィッツの著書名として広く知られる。の連続だったと振り返りました。
宇野さん自身も「自分がやりすぎた」と語っていたといいます。夢を見られることは経営者の重要な資質だが、夢を見すぎて過剰になるとハードシングスが訪れる、という意味でも経営者の典型だと川邊さんは話しました。
宇野さんの人生は、チャレンジ精神と意志の強さがよくわかるものだといいます。高校時代から経営者になろうと考え、大学でも将来につながる人脈や経験を得られる活動をし、就職も起業の参考になるベンチャーっぽい先を選んだそうです。
そのこだわりは徹底していました。最初リクルートに入ったものの、よりベンチャーらしいのはリクルートコスモスだとして、わざわざ内定を辞退したうえで子会社のリクルートコスモスに入り直したというエピソードが紹介されます。その後、数年で辞めてインテリジェンスを起業しました。
インテリジェンスが軌道に乗ってきた頃、父親の会社を継いでほしいと言われ、宇野さんは大いに悩んだといいます。理由は、父親と反りが合わなかったことと、継ぐ相手が問題の多い会社だったことでした。
それでも、母親の説得や、衰弱していく父親の姿を見て、やるしかないと継ぐことを決意します。父親は死に間際に「1年間は何も変えなくていい、そのままでやってくれ」と遺言したものの、そのままでは潰れるという諸問題があったといいます。
宇野さんは連帯保証を引き継いで会社に入り、遺言に反して早速改革に着手します。電柱の無断利用問題という課題の解決に取り組んだこと。自ら作ったベンチャーの上場が目前という時期に、継ぎたくもなかった会社を継いで改革していったこと。川邊さんはこの展開を「参考にもならないぐらいすごい話」と表現しました。
その後の展開も波乱でした。改革がうまくいき、ブロードバンド時代に突入して調子に乗った結果、買収した会社がリーマンショックで減損。会社全体が銀行管理となり、資産の切り売りを迫られ、最終的には宇野さん自身も会社を出ることになったといいます。
その時、まだ鳴かず飛ばずだった動画のサブスク事業を自分で引き受けて続けたことが、今のユーネクストにつながっている、という流れが語られます。川邊さんは宇野さんを「不屈の男」と評しました。
川邊さんがこの回から感じたのは、経営者にとっての意志の強さの重要性です。市場性のある事業を意志強くしつこく続けられるかどうかが、強い経営者の条件ではないかと話しました。
(宇野さんの回は)起業したい人ももちろん聞いた方がいいと思いますけど、単純にもう元気になりたいみたいな人も聞いたら絶対元気になりますよ、これ聞いたら。
美食家・浜田岳文さんの回。ガストロノミーという食の楽しみ方
最後に振り返られるのは、配信が終わった直後の13人目、浜田岳文さんの回です。フーディーの浜田さんは、世界一の美食家とも言われる人です。川邊さんは当初、美食家が職業として成立するのかよくわからなかったといいます。
この回を聞くと、美食家が職業として成立していることがまずわかると川邊さんは話します。しかも、それは浜田さんが自ら作ってきた道にほぼ近いのではないか、と語りました。
川邊さんは、前編で振り返った格闘家の中井さんが自らを武道家と定義していたことと重ね、浜田さんの美食家という生き方を、終わりのない果てのない道を歩む姿として捉えます。好きなことだけで歩めて食べていけるから職業になっている、という見方を示しました。
浜田さんの生き方は、ほぼ1年中世界中を旅行して食べ歩き、食べたものを論評するというものです。そのために収入や家族などを犠牲にしてでも美味しいものを食べることにかけている、その偏り方を川邊さんは「エモかった」と表現しました。
うわ、こういう生き方してる人いるんだ。じゃあ自分も別に美食じゃないけど、好きな分野で極端にやってもいいんじゃないの?っていう自信を持たしてくれる。
もう一つの成果として、ガストロノミーという概念を理解できたことが挙げられます。食には栄養補給としての食と、文化としての食があるという前提のもと、ガストロノミーは文化としての食を嗜む所作であり生き方だと説明されました。
目の前の料理を単に美味しいものとして捉えるのではなく、どういう文脈でシェフが作ったのか、素材がどこでどんな文化的背景の中で使われているのか。そうした食のエコシステム全体を楽しむのがガストロノミーであり、浜田さんはその流派で世界を回っている人だとわかったといいます。
川邊さんは、この楽しみ方を推し活にも重ねます。ライブでただ乗るだけでなく、なぜその楽曲が生まれたのか、作詞作曲家はどういう人か、時代背景や歌い手の人生まで嗜むと、推し活だってもっと深くなると語りました。
後日談として、浜田さんが「美食の教養」というとても分厚い本を出したことが語られます。献本を受けたものの分厚さで読む気が起きなかった川邊さんは、収録時にオーディブル版があると聞き、キジ撃ちに行く道中でダウンロードして聞き始めたそうです。
(読み終わるまで)60何時間って出てたんじゃないかな。往復茨城まで行ったんで、往復で3時間ぐらい分聞きましたけど、面白かった。
それを聞いて良いレストランに行きたくなった川邊さんは、持っていたキジと山鳥を都内のレストランに預け、来週の予約を取ったといいます。自分も浜田さんほどではないがガストロノミーの思想を理解し、その一派になれるよう努めたいと話しました。
来年の川邊の会食。会ったことのない人、政治家やクリエイターを聞きたい
13人分の振り返りを終え、川邊さんは全体をまとめます。1年と数か月かけて、13人の人生や教訓、抱負を「川邊の会食~人生最高インタビュー~」で聞いてきたと語りました。途中で「15人」と言ってしまった箇所もあると自ら訂正しています。
聞き方の提案として、まずこのダイジェストを聞いたうえで、興味を持った回から聞いてほしいと呼びかけます。番組は今のところ毎週月曜18時に更新を続けているとのことです。
来年の方針についても語られました。知的好奇心の赴くままに聞きたい人の話を聞く、という軸は変わらないものの、お会いしたことのない方の話を第一優先に聞いていきたいと話します。リピートしたいゲストも時折入れるとしています。
経営者は人気の回だが、川邊さん個人としては日頃から慣れ親しんだ相手でもあるため、フーディーの浜田さんやジャーナリストの船橋さんのように、自分とは全く違う人生を追体験できる分野の人を聞きたいといいます。
具体的に挙がったのは、エッジの効いたシェフ、盛り上がっている女子プロレスラー、まだ招いたことのない政治家、そしてさまざまなクリエイターでした。川邊さんは一人語りでのダイジェストを締めくくりました。
まとめ
後編は、鞘師里保さんから浜田岳文さんまでの6回を、川邊さんが印象と後日談とともに一人語りで振り返る回でした。ゲストの人生から得た教訓と、収録後の変化がセットで語られているのが特徴です。
- 鞘師里保さん、乙武洋匡さん、徳永有美さんの回では、期待や境遇との葛藤を越えていくキャリアの歩み方が語られた
- 船橋洋一さんの「事実と真実は異なる」という一言が、ジャーナリストの本質として強く印象に残った回として紹介された
- 宇野康秀さんの回は、800億の個人負債を背負いながら意志強く事業を続けた経営者人生として「神回」と評された
- 浜田岳文さんの回では、食の文脈まで含めて楽しむガストロノミーという考え方が、推し活など他分野にも通じる楽しみ方として示された
- 来年は、会ったことのない人を第一優先に、シェフや女子プロレスラー、政治家、クリエイターなど新しい分野のゲストを招きたいと語られた




