そもそも本命は広告代理店だった
就職活動の話題になり、川邊さんが「最初はクリエイティブというか、広告業界に行きたかった」という徳永さんの過去に触れます。
徳永さんによれば、大学時代はほとんど勉強しておらず、大学院で社会学やメディアを学びたいと漠然と考えていたそうです。
メディアについて本を読み進めるうちに、広告を作る仕事に魅力を感じるようになったと話されています。
テレビCM15秒の間に、広告主の意見を取り込みながらも、時代を反映させながら伝えていく。そこに濃縮させる、そしてセンスよく、その作業がすごい楽しそうだなと思って。
徳永さんは、スポンサーなどいろいろな人の意見という制約の中で、自分の表現したいものをやっていきたいという思いがあったと語ります。
自分の意に反してる、そのスポンサーの方々とか、いろんな人の意見を聞くっていう、いろんな要素がありながらも、制約の中で自分の表現したいものをやっていきたい。
そして広告代理店を目指すにあたり、メディア系ではアナウンサーの試験が一番早く始まるため、練習のつもりで受けたのがテレビ局だったといいます。
なるほど。じゃあ本命はとにかく広告代理店だったけど、手前アナウンサーも受けてみようと。
そこでうまくステップがつけたらなというところで、テレビ朝日さんにご縁をいただいて。
広告批評と天野祐吉の言葉
川邊さんも当時から広告やクリエイティブに興味があり、広告批評 ── 天野祐吉らが創刊した広告・メディア批評の雑誌。広告を文化として論じる視点で知られたが、後に休刊した。が運営していた広告学校に、起業直前の大学2〜3年の頃に通っていたと明かします。
川邊さんによると、天野祐吉さんが最初と最後の授業を必ず担当し、その間は佐藤雅彦さんら名だたる広告プランナーやディレクターの話を聞けたそうです。
佐藤雅彦さんとか、そういうの話すごい聞いて面白かったですけどね。
徳永さんは、この天野祐吉さんの言葉を今でも大切にしていると語ります。テレビ朝日に入社し、鳥越俊太郎さん、渡辺宜嗣さんと3人で「スーパーモーニング」のMCをしていた頃、天野さんがコメンテーターとして出演していたそうです。
天野さんの言葉はもう本当に優しくて、視座がすごく富んでいて、とっても大好きになって。
徳永さんが天野さんの言葉として今も大事にしているのは、ニュースを伝える立場の人間がまっさらでいることの尊さだといいます。
なお「広告批評」はその後休刊となりましたが、川邊さんと徳永さんは、宣伝会議が今も頑張っていると言葉を交わしています。
アナウンサー試験で語った「3つの話」
徳永さんは、アナウンサー試験で自分が話した鉄板の話題が3つあったと振り返ります。漁の話、うどん屋の話、そして坂本龍馬の話です。
坂本龍馬については、司馬遼太郎が描く龍馬が好きで、武市半平太との友情や、龍馬が初めて富士の山を見て日本一の男になりたいと野望を持った瞬間の話などが大好きだと語ります。
徳永さんは卒業旅行で、坂本龍馬が好きではない女性2人を連れて、桂浜から龍馬が亡くなった京都まで龍馬ゆかりの地を巡ったそうです。
桂浜に行った時はもう震えましたね。
川邊さんも龍馬好きで、大学1年の時に運転免許を取ったのが嬉しくて、友達と車で桂浜まで行き、龍馬記念館を見て、京都では寺田屋に泊まったと語ります。
徳永さんは、桂浜の砂浜に立った時、建物は作り変えられていても、この景色や砂浜に立ったという事実は本当だろうと思い、震えたと話します。
この桂浜から見える景色とか、この砂浜に立ったという事実は、これは割と本当だろうなと思ったら、もうこの景色見てたのかと思ったら、もう震えて一人でわなわな。
こうした話を試験ですると、面接官のおじさんたちが感心してくれるといいます。徳永さんによれば、3つのうちどれかが必ず当たるのだそうです。
この3つのうちどれか当たるんですよ。やっぱり。
「いける気がした」テレ朝との縁
学生時代にアナウンス技術の練習はほとんどしておらず、今でも苦労していると徳永さんは率直に語ります。
難関のアナウンサー試験に受かった実感について川邊さんが尋ねると、徳永さんはエントリーシートを書いている時から手応えがあったと明かします。
自分がエントリーシートを書いている時に、あ、なんかこれはいけるんじゃないかみたいなのは。
生意気な盛りだったってことだと思うんですけど、なんとなく、あ、これできっといける気がするっていうのはなんとなく思って、自信を持って臨めたというか。
他局も受けたそうで、日本テレビはすでに試験が終わっていたといいます。徳永さんが一番行きたかったのはラジオがあるTBSでした。
ラジオってやっぱり音色がいいなと思って。
徳永さんは、声には心地いい時があるからそういう仕事をいいなと思っていたと語ります。しかし、自信のあるエントリーシートを携えて臨んだTBSは一次試験で敗退しました。
TBSに行って、まあ一次試験で敗北と。
徳永さんによれば、試験ではその場でいろいろあるパターンだったものの、萎縮して泣きそうになってしまったといいます。結果として、テレビ朝日と縁があったと振り返ります。
今思うと、テレビ朝日の社風に割と自分は合ってたのかなって。
テレ朝の社風と、間違えた「近畿」
テレビ朝日の社風について、徳永さんは「真面目だ」と言われると語ります。当時社員だった頃の印象として、自分も会社も不器用さが少しあるようなイメージだったといいます。
川邊さんが、テレビ朝日は元々教育チャンネルだったからだろうと補足すると、徳永さんも同意します。
1年目はひどかったと徳永さんは振り返ります。朝の天気番組で、今日の天気のポイントをフリップに書く際、「近畿」の「畿」の字を間違えてしまったそうです。
近畿地方今日は雨のマークみたいなのを書く時に、近畿の畿が違う。電話かかって、なんかそういうの勉強してなかったなと思って。
目を閉じたまま出社する「早朝番組の攻略法」
徳永さんは、早朝の番組「早起きチェック」などを担当し、深夜1時か2時に起きる生活になったと語ります。朝の番組を続ける中で、朝をどう攻略するかが楽しく、いろいろな実験をしたといいます。
徳永さんによれば、朝の番組では「朝起きることで仕事の半分終わった」と言われるほど、早起きがつらいのだそうです。
え?どういうことですか?慣れんじゃないですか?
慣れないんですよ。大人だからみんなそんな夕方とかに寝れないし。
徳永さんは大人が9時、10時に寝るのは簡単ではなく、そこから起きるのもつらいと語ります。先輩からは、起きて会社に来た時点で朝の番組は半分仕事が終わったようなものだと教えられたそうです。
そこで徳永さんが工夫したのが、ギリギリまで寝ていたいために、会社に行く服のまま寝ることでした。
もう一つの工夫は、夜中に起きてからスタッフルームに着くまで、ほぼ目を開けない一人ゲームだったといいます。
マンション出て車が待ってますから、それに乗る。ほぼほぼもう目は開けないと。よろしくお願いします、おはようございます、ってやって、もうまた寝ます。
徳永さんによれば、当時のスタッフルームはアークヒルズにあり、全部頭に入っているので目を閉じたまま降り、廊下は壁を触りながらエレベーターまで歩いていたそうです。
ある月曜の明け方、日曜深夜のサッカー番組終わりのスタッフに、目を閉じてヨタヨタ歩く姿を不審に思われたこともあったと徳永さんは笑います。
あの人は誰だみたいな。大丈夫?大丈夫?あの人みたいな感じで。
徳永さんは、こうした創意工夫が楽しかったと振り返ります。いかに寝る時間を確保するかという試行錯誤そのものを面白がっていたようです。
研修で「商品にならない」と言われた新人時代
アナウンス技術についても、徳永さんはスクールに一切通っておらず、実際の現場で怒られ、下手だと罵倒されながら身につけたタイプだったといいます。
入社後の研修期間について、徳永さんは同期のアナウンサーが5人いたと語ります。男性2人が小木逸平さんと小松康志さん、女性は徳永さん、上山千穂さん、野村正育さんの3人でした。
徳永さんによれば、研修は毎日「ういろう売り」から始まり、それを10分ほどかけて必ずやったうえで、現役アナウンサーがリポートの練習などを教えてくれたそうです。
1ヶ月ほど経った頃、徳永さんのリポートがあまりにひどく、スポーツ実況のレジェンドと呼ばれるアナウンサーから厳しい言葉を受けたといいます。
同期5人の中でも上手い下手はあり、徳永さんによれば上山さんと小木さんが上手かったそうです。徳永さん自身は「ズッコケ系」で、みんなの足を引っ張っている感覚だったと振り返ります。
クビを覚悟した甲子園予選の生リポート
研修の集大成として、夏の甲子園の東京都予選、西東京大会と東東京大会の決勝戦のリポートを新人アナウンサーがやるという登竜門があったと徳永さんは語ります。
神宮球場で、みんな初めてカメラに出て喋る機会に気合を入れて臨みました。徳永さんはディレクターと組み、2〜3回に1回リポートを入れていたそうです。
しかし普通のリポートになってしまい、自分の中でつまらないと感じた徳永さんは、担当チームが1点差で負けていたこともあり、9回の最後の攻撃でもう一度リポートを入れさせてほしいと懇願します。
そして最後のリポートで、応援団の子と話しながら、締まりのなさを補おうと勢いで叫んでしまいます。
1点負けてますけどねとか言って、頑張りたいんですねとか言って、1点なんてクソくらえって言ってしまって。
なぜそんな言葉が出たのかについて、徳永さんは自分の喋りに締まりがなく、締めるために叫ぶという原始的なやり方に走ってしまったと分析します。
なんかやっぱり締まりがなかったんでしょうね、自分の喋りに。だから締めるために叫ぶっていう、そういう原始的なやり方で。
リポートを終えた徳永さんは即座に号泣し、クビになると覚悟したといいます。神宮からの帰り、同期たちとぎゅうぎゅうのタクシーの中で泣き続けました。
同期のみんなにもこんなこと言ったらもう絶対にダメだって言って。大丈夫だよ、ゆみって言って。なんとかなるよって言って。
徳永さんによれば、昼向きの番組で「クソくらえ」と言ってしまったのだから、見ていないわけがなく、絶対にダメだと思い込んでいたそうです。
ところが、恐る恐るアナウンス部に向かうと、先輩は穏やかに受け止めてくれたといいます。
よくないけれども、頑張ったわねみたいな感じで先輩に言われて。
徳永さんは、こうした滑り出しだったため前途多難で、決してスマートなスタートではなかったと振り返ります。
でもそういう滑り出しだったので、一応前途多難ではありましたね。スマートでは決してなかった。
まとめ
広告代理店を本命にしていた学生が、練習のつもりで受けた試験からテレビ朝日のアナウンサーになり、早朝番組の攻略法や研修での挫折、クビを覚悟した生リポートまでを率直に語った回でした。新人時代の失敗を隠さず面白がって振り返る姿勢が印象的です。
- 徳永さんの本命は広告代理店で、制約の中で表現する広告の仕事に魅力を感じていた
- 試験では漁・うどん屋・坂本龍馬の3つの鉄板話で臨み、どれかが必ず面接官に刺さった
- 早朝番組では、服を着たまま寝て目を閉じたまま出社するなど、寝る時間の確保を工夫した
- 研修では「商品にならない」と言われるほど苦労し、アナウンス技術は現場で身につけた
- 甲子園予選の生リポートで「1点なんてクソくらえ」と叫び、クビを覚悟する失敗をした



