📝 エピソード概要
本エピソードでは、乙武洋匡さんが早稲田大学時代に『五体不満足』の出版に至るまでの経緯、そして福祉の旗頭としての期待への反発からスポーツライターを選んだキャリア初期について語ります。
さらに、自身のルーツへの感謝と社会への「恩送り」の意識から教育者へ転身し、小学校教師として感じた喜びと苦悩、そして私生活における子育ての経験が、彼をよりマクロな視点での教育改革や政治へと向かわせた経緯が詳細に描かれています。
🎯 主要なトピック
- 『五体不満足』の誕生と大学での活動: 早稲田大学入学後、地域住民と共に車椅子探検隊などのバリアフリー啓発活動に取り組み、その活動がメディアの目に留まり『五体不満足』の出版につながった経緯が説明されます。
- 福祉への反発とスポーツライターへの転身: 障害者=福祉という固定観念を打ち破るため、最も情熱を注げ、かつ周囲を驚かせる分野として、当時ブームだったサッカーを中心としたスポーツライターの道を選びます。
- ライターとしての独立と次のキャリアへの決断: 周囲の嫉妬や逆風を記事の質で跳ね返し、「『五体不満足』の冠なしで仕事ができる」という目標を達成した時点で、次の人生の目標を模索し始めます。
- 教育への「恩送り」と教員への転身: 少年犯罪の増加を背景に、自身が受けた大人たちの恩を次世代に送る「恩送り」を意識し、20代後半で教員免許を取得し小学校教員(3年間)となります。
- 小学校教師としての手応えと職員室での苦悩: 子供たちとの関係性には大きな喜びを感じる一方で、職員室では「腰掛け」と見なす同僚からのいじめや嫉妬に直面し、教師としての過酷さも経験しました。
- 教育委員とマクロな教育への関心: 現場での経験から教育制度そのものに課題を感じ始め、東京都の教育委員に就任(猪瀬都知事時代)。しかし、委員会での業務が処分の決定などに偏っていることから、政治への関心を深めます。
- 父としての障害の歯痒さ: 自身の障害を初めて「しんどい」と感じたのは、物理的な世話が必要な0歳児の育児でした。子育ての経験から、身体障害以外にも世の中には多様な困難を抱える人がいることを認識しました。
💡 キーポイント
- 大学時代のバリアフリー活動は、周囲を啓発することを目的とし、特に車椅子での移動体験を通じて、日常生活に存在するバリアの存在を可視化しました。
- 乙武さんは、ライターとして成功を収めることで「『五体不満足』の乙武」という看板を外すことに価値を見出し、自分の名前が記事の隅に追いやられることを喜びと感じていました。
- 教師としての教育論として、「子供の成長は急がず、種を植え水を与えることが仕事であり、担任期間中に花を咲かせることを求めすぎてはいけない」という考えを持っています。
- 勉強が苦手な生徒が好きなポケモンには詳しいのを見て、「学習内容に興味を持たせられないのは教師の責任」だと気づき、興味を引き出す努力で生徒が自己肯定感を高めたエピソードが紹介されました。
- 自身が教員として受けた恩恵を、より広範な教育制度の改革に活かしたいという思いが、教育委員、そして政治家への道を志すきっかけとなりました。
- 子育てにおいて、言葉が通じない物理的なケアが必要な時期に、「自分がやってあげたいのにできない」というもどかしさや情けなさを初めて感じ、これが人生で唯一、障害を負っていることを苦に感じた瞬間でした。

