面接に生涯受かったことがない、という告白
聞き手の川邊健太郎さんが、吉村さんが就活を一切やらなかったのかと切り出します。吉村さんはその時点で社員が十数人いたため就職するつもりはなかったものの、友達を作るために2週間から1カ月ほど入るつもりで、いくつか受けてみたと振り返ります。
当時の吉村さんは、東大で作った会社が年商10億を超えていたため、どこでも受かるだろうと考えていたそうです。しかしマッキンゼーやゴールドマン・サックスなどを受け、いずれも早い段階で落ちたと話します。
実家の食品メーカーが仕入れていたある総合商社では、重役から「面接まで来れば内定を出す」と言われていました。ところが面接前の適性試験でつまずきます。
そこで自分は頭がいいと思ってるかとか、自分はあらゆる問題を解決できると思ってるかみたいなやつがあって。僕は全部すごくそう思って、(過信を)過剰限定で書いていたら、適性試験で落ちて面接まで行かなくて。
やべえやつ来た。
吉村さんは、面接というものに生涯かけて一度も受かったことがないと明かします。小学校受験も筆記は通ったものの面接で落ち、中学と大学は面接がなかったため受かった、という一貫した経歴です。
面接というものに受かったことが生涯かけてなくて、小学校受験っていうのもしたんですけれども、筆記は受かったんですけれども、面接で全部落ちて。
吉村さんにとって「友達」とは何か
川邊さんは、就活の場でも友達を探しに行こうとしていた点に注目し、吉村さんにとって友達とはどういう存在なのかを尋ねます。
吉村さんは、大学1年でいくつものサークルに入ったのは、将来自分たちが何かをやるときに友達がすごく大事だと考えていたからだと答えます。自分たちで立ち上げた団体もいくつかありました。
そのひとつが、東大の学年3000人のうち活躍している10人だけが入れるクラブです。ハーバードのファイナルクラブ ── ハーバード大学に伝統的に存在する、選抜制の社交クラブ。卒業後も続く人脈の基盤とされる。や、イェール大学のスカル・アンド・ボーンズ ── イェール大学の秘密結社として知られる選抜制の学生団体。有力者の人脈組織として語られることが多い。の東大版のようなものだったと語られます。
当時はうまくいかず立ち消えになったものの、今ならできるだろうと、吉村さんは5年ほど前から再開し、現在もそのコミュニティを続けているそうです。
優秀な人なら従業員として雇うという考えもある。従業員と友達の違いはどこにあるのか
川邊健太郎 さんからの質問
吉村さんによれば、ミダス各社の幹部メンバーの多くはリファラル、つまり紹介によって集まっています。そのため仕事仲間であると同時に、深い友人関係でもある人がたくさんいて、両者に大きな差はないといいます。
みんなで家族同士でみんなで旅行行ったり、ご飯行ったりってことがすごく多いです。
会社ではなく「幹部同士」が助け合う相互扶助の仕組み
川邊さんは、自身も電脳体設立30年で当時の仲間と食事をしたばかりだと話し、小さかった頃からの仲間の関係が変わらないことに共感します。
一方で吉村さんは、昔からの仲間だけでなく、リファラルで新しく加わった人とも同じ関係を築いていると補足します。ミダス全体の特徴として、各社は業種業態が大きく異なり、事業はバラバラに動いているものの、相互扶助を強くやっているといいます。
ここで吉村さんは、相互扶助が会社同士のものではないと明確に区別します。経費や準備費用のやりとりはむしろ抑制的にしていて、扶助の主体はあくまで幹部メンバー個人だと説明します。
自分の得意分野に関しては、自分のその会社だけじゃなくて、横の会社もすごくサポートするってことをみんなでやってるんです。
たとえばM&Aが得意な社長、マーケティングが得意な社長といった各自の強みを、自分の会社だけでなく横の会社にも提供し合う形です。
この助け合いを支えるのが出資構造です。ミダスファンドにLP出資できるのはこの幹部メンバーだけで、横の会社がうまくいけば自分たちにもリターンが入る仕組みになっています。
横の会社がうまくいっても自分たちにリターンが入ってくるので。
新しいメンバーを迎え入れる「接触頻度」の設計
川邊さんは、すでに仲のよい人たちが団結している集団に、新しくグループインする人は緊張するはずだと指摘し、迎え入れる際の工夫を尋ねます。
吉村さんは、一般的なバディ制度のように伴走役を付ける仕組みがあると答えます。それに加えて、みんながすぐ仲良くなる要因として挙げたのが接触頻度の高さでした。
吉村さんが説明する接触頻度は、仕事とプライベートの両面にわたります。関わる人が全員集まる会が3カ月に1回、企業群の社長・会長が集まる会が月に1回といった具合です。
さらに中心メンバーは週1回の軽い会議、10ほどあるテーマごとの横断的な活動は2週間に1回、家族も呼ぶ遊びの会は2カ月に1回と、幾重にも接点が設計されています。
なんか接触頻度がすごく高い。
なぜミダスキャピタル自体を上場させないのか
川邊さんは、非上場である最上位のミダスキャピタルの役員に、各グループ会社の社長が入っているのかと尋ねます。吉村さんの答えは「入っていない」でした。役職ではなく、同志的な結びつきでつながっているという構造です。
つながりの核になるのは、やはりファンドへの出資です。ミダスの幹部の中心と、投資先企業群の役職者だけがミダスファンドに出資でき、その出資者同士の集まりが頻繁にあると吉村さんは語ります。
吉村さんは、自分たちの行動形態が通常のPEファンド ── プライベート・エクイティ・ファンド。企業に投資して価値を高め、数年で売却して利益を出すのが一般的。とは明らかに違うと言います。10倍にして売却することを繰り返すのではなく、マジョリティを取得して永続保有する点が特徴です。
永続保有型の例として、バークシャー・ハサウェイや日本の総合商社が挙がります。ただしこれらは資本上位会社が上場しているため、コングロマリットディスカウント ── 複数事業を持つ企業が、事業を単独評価した合計より低く株式市場で評価されてしまう現象。がかかりやすいと吉村さんは指摘します。
川邊さんも、親子上場の問題が出てくると応じます。子会社が多数ある状態では、各社の経営陣を組成するときに、最上位会社のストックオプションをそのまま使えないという難しさがあります。
これに対しミダスは、ミダス自体を上場させず、ミダスが管理するファンドが過半数を持つ会社を次々に上場させていく仕組みです。最初からコングロマリットディスカウントから解放され、各社ごとに適切で魅力的なエクイティ報酬を設定できると吉村さんは語ります。
ある意味自分たちの方が人を引きつけやすいんじゃないかと思っていまして。
吉村さんはさらに、戦前の日本や現在の韓国のような財閥家族という形態にも触れ、一つの家族に財産が集中する必要は全然ないと考えていると述べます。
一社では届かない「数十兆円」への設計思想
川邊さんは、この仕組みが今の株式市場やコーポレートガバナンスを考えると非常に合理的である一方、最上位が先に上場しているなどの経緯で実現しにくいことが多いと指摘し、ミダス設立時から初めからこの形態を考えていたのかと尋ねます。
吉村さんは「はい」と答えます。20歳から35歳ごろまではエアトリに注力し、もともとはエアトリをSBG ── ソフトバンクグループの略称。多数の企業に投資し保有する巨大な投資会社型のグループとして知られる。のように大きくしたかったといいます。しかし上場して時価総額1000億円ほどになったとき、その先に別の壁を実感します。
やっぱりこの先にSBGとかトヨタ自動車とか、ましてやマイクロソフトとかがあるわけじゃないっていうことを(エアトリ)当社として非常に深く実感をして。
吉村さんは、資本主義社会の端で上場企業をやるのではなく、ビジネス規模で数十兆円というど真ん中に行きたいと考えました。ただし、それは世界中のビジネスマンが目指しつつも、物理的にほぼ不可能に思える領域でもありました。
そこで生まれたのが、一社や一人では届かない地点に企業群として到達するという発想です。吉村さんは、その規模に行き着くために最低限必要なことが3つあると考えたと語ります。
吉村さんは、この1つ目と3つ目を一つの上場発行体で追求するのは難しいと感じたといいます。そこで行き着いたのが、プライベートエクイティファンドの形をとりつつ、LP出資メンバーを完全に内部に限定する現在の設計でした。
メンバーを内部に限定するとファンドの期限が来ないため、中長期目線の投資経営ができます。各社は独立したメンバーが経営しつつ、全部がミダスという一つのグループとして、特に経営陣同士で深く相互補完しながら、より大きなものを目指す形です。
川邊さんは、この仕組みを初めから考えて実行しているのは素晴らしいと評価します。むしろSBGの方が、あの規模の上場企業でありながらフルベットを続ける点で普通はできないと述べ、ミダスのやり方を合理的だと受け止めます。
資金繰りから解放された、エアトリ上場の景色
川邊さんは、ミダスの話に入る前にエアトリの話を一通り聞きたいと切り出し、資金繰りが大変だった3〜5年を何をきっかけに脱したのかを尋ねます。
吉村さんは、本当の意味で資金繰りから解放されたのは上場した時だと答えます。それ以前も、大石さんという方と経営統合し、広告会社としての仕入れが強かったことで粗利益率が上がるなど、少しずつ収益力は積み上がっていたといいます。
上場に至るまでの道のりは長いものでした。証券会社や監査人が入る上場準備を始めてから8年ほどかかり、直前期に戻ることを繰り返していたと吉村さんは振り返ります。
資金繰りから解放されたのは最高でしたし。
全員失敗した幹部採用と、ビジネスは人という学び
吉村さんは、エアトリを15年間やって得た一番の学びを、どんなビジネスもどんなメンバーでボードを組めるかがほぼ全て、という言葉で表します。
上場2年前ごろまでは、最終的には自分と共同創業者が何とかするという組織でした。売上のトップラインは伸びていたものの、営業利益率が上がらず、上場準備も進まずにストラグルしていたといいます。
当時の幹部採用には、年収の上限が自分たちの中にありました。その枠の中でヘッドハンティング会社からまとめて紹介を受け、良かれと思った人に入ってもらうことを繰り返していたそうです。
(幹部採用が)ものの見事に全員失敗したんです。全員失敗して。
そこで吉村さんは、上場2年前ごろに方針を転換します。年俸もエクイティ報酬も上限を取っ払い、本当に一番いい人、しかも自分たちが直接知っている一番いい人に来てもらう方向へ切り替えました。
この転換で加わったのが、ヤフージャパンでヤフートラベルの責任者を務め、その後Googleで旅行部門のトップを担っていた松波さんです。松波さんがCMOとして入り、CFOには大学の同級生、CEOには経営コンサルタント出身者を迎えました。
これらの人たちがトップに入ると、組織は一気に活性化し始めたといいます。吉村さんは、それまで意味がよくわからなかった「ビジネスは人」という言葉を、この経験を通じて実感したと語ります。
川邊さんは、エアトリ拡大期に一度失敗した人事戦略と、そのやり直しで得たノウハウがミダスに生きていて、それがリファラル採用のみでやる形に結実しているのかと確認します。吉村さんはその通りだと答えます。
吉村さんにとって上場は、資金繰りからの解放という意味でも最高であり、8年間の準備を経て組織が大変さを感じる中から、違う景色を見られた経験でもありました。上場したら見えるだろうと思っていた以上に、いい景色だったと締めくくります。
まとめ
この回では、就活全滅という意外なエピソードから、時価総額規模の企業群を「管理」ではなく「ビジョン共有」と幹部同士の相互扶助で束ねるミダスキャピタルの設計、そしてエアトリ時代の人事の失敗と学びまでが語られました。
- 吉村さんはミダス各社の幹部の多くをリファラルで集め、仕事仲間であり深い友人でもある関係を築いている
- 相互扶助は会社同士ではなく幹部個人同士のもので、得意分野で横の会社を支え合う仕組みになっている
- ミダス自体は上場させず、傘下の会社を上場させることでコングロマリットディスカウントを回避し、各社ごとに魅力的なエクイティ報酬を設定している
- 数十兆円規模に必要な条件として、決心した出資者が集まること、中長期目線の投資経営、マックスベットの3つが挙げられた
- エアトリ時代に幹部採用が全員失敗した経験から、上限を外して一番いい人を直接迎える方針へ転換し、それがミダスのリファラル採用に生きている





