「早く活躍したい」新卒のモヤモヤに、1年越しで応える
今夜のお便りは、ペンネーム「シュンスケ」さんから届いたものです。新卒1年目でマスコミ関係の仕事に就き、日々目の前の仕事に取り組んでいる方だといいます。
最近真夜中の読書会を聞き始めたものです。柔らかなお声でほっと心を落ち着かせることができて、このポッドキャストに出会えて幸せだなと思っております。
シュンスケさんは「いつか何者かになるんだ、早く活躍がしたい」という根拠なき自信を持ちつつも、今やれる仕事は限られていると感じているそうです。些細でも重要な仕事が多く、成長や前進の実感が湧かずモヤモヤしていると綴られていました。
周りの大人からは「そういう時期あったよね、積み重ねだからね」と言われるものの、自分に落とし込めずモヤモヤが消えない。この気持ちを晴らせる本を紹介してほしい、というリクエストです。
バタやんによれば、このお便りは実は1年以上前、2024年の暮れ頃にもらったものでした。すぐに答えられず、ずっと心に残していたといいます。
だから今はもう今度の4月で3年目になられるところかもしれないですね。お仕事どうでしょうか。
バタやん自身、1年ちょっと前まで人事部長を務めており、配属半年ほどの新入社員が同じような状況に直面するのを間近で見ていたそうです。だからこそ、当事者に近すぎて答えに迷ったと明かします。
このイシューとの距離が近すぎて、うまく答えられる自信がなかったんですね。
それでもようやく、シュンスケさんに読んでほしいと思える本に出会えた、と切り出します。
今夜の一冊、小川哲『言語化するための小説思考』
今夜の「勝手に貸出カード」は、小説家・小川哲さんの『言語化するための小説思考』(講談社)です。小説を書く作業を通じて、読者に伝わる言葉を探す思考の手順を明かした本だと紹介されます。
バタやんは、この本を「解説した本」というより「開示した本」と表現します。その理由は、まえがきにある一節にありました。
本書には、僕が小説を書くときに考えていることを可能な限り言葉にしてみようという試みの軌跡が記されている。
つまり、小川さんが小説を書くときの頭の中を覗き見させてもらうような本だといいます。直接的なハウツーや文章術、言語化のノウハウを期待すると少し違うかもしれない、とも添えられます。
そしてこの本は、キャリアや仕事術に関する本でも全くありません。それでもなぜシュンスケさんに渡したかったのか。その答えの前に、まずバタやんが面白いと感じた箇所が紹介されていきます。
なぜ「読みやすい」のか——情報を出す順番の話
本の中で例として挙げられるのが、あるストーリーです。主人公の男性が、マッチングアプリで知り合った女性と、採用面接の場で面接官と受験者として再会してしまう、という場面だといいます。
小川さんは、この場面をどう小説の文章にするかを例文で示しています。バタやんはそれを読み、すっと頭に入ってくる「読みやすい」文章だったと感じました。
読みやすいって何なんでしょうね?読みやすいって小説において果たして褒め言葉なんだろうか。
その「読みやすさ」の種明かしを、小川さん自身がしています。ポイントは情報を出す順番にある、というのです。
例文では、まず冒頭で面接会場だとわかり、主人公が面接官であることがわかる。そこにマッチングアプリで会ったことのある女性が入ってきて、主人公はすぐ気づく。しかも「やべえ」となる理由まで説明されます。
その理由とは、マッチングアプリでプロフィールの年収を偽っていたこと。面接に来たということは、この会社の年収水準がわかってしまう。だから気まずい、という流れです。
バタやんは、なぜこれが読みやすいのかを、小川さんの説明をもとにこう整理します。
もちろん、状況や心境がわからないまま進む小説もあり、そのギャップが最後に「そう繋がっていたのか」というカタルシスを生むこともある、とバタやんは補足します。そういう作品も好きだと話します。
ただし、そうしたギャップの大きい小説は、読み込む気力や、作家への信頼がないと入っていけない側面もあるといいます。冒頭で離脱してしまうリスクもある、というのです。
主人公と読者が同じだけ情報を持ち、先の展開が気になって読み進めやすい
状況がわからないまま進む。最後のカタルシスは大きいが、途中で離脱するリスクもある
冒頭で「どこへ連れて行くか」を提示する
先ほどの面接の例文では、冒頭を読んだだけで、この後この女性はどうなるのか、採用されるのか、主人公はどんな質問をするのか、と続きが気になってしまったとバタやんは言います。
小川さんは、特に新人賞の応募作では、冒頭で「今からあなたをどこへ連れて行きますよ」と提示することが重要だと説いているそうです。
どれくらいリアリティのある話なのか、共感できる話なのか、突飛な話なのか、不幸な話か、ほっこりする話か。冒頭でそれを示すことが大事だといいます。
一方で、何度か読んだことのある作家や、すでに知られた作家であれば、自己紹介的な提示を冒頭でしなくても、読者は「この人ならこんな感じ」と予想がつく、とバタやんは付け加えます。だからこそ新人賞応募作では、この提示が特に大切なのかもしれない、と話します。
「伝える」ではなく「伝わる」——書いた後に削る
この本には、小説はコミュニケーションなのだ、ということが何度も書かれているといいます。だから、読者がどう受け取るかを徹底的に計算する。それが「伝わる」ということであり、タイトルにある「小説思考」なのだとバタやんは受け取りました。
多くの場合、人は自分が言いたいことを書いてしまい、「伝える」方に重きを置いてしまう。けれど大事なのは「伝わる」ことに神経を使うことだ、というのです。
これは小説に限らず、誰かに何かを伝えたいと思うすべてのコミュニケーションに言えることではないか、とバタやんは考えます。
なるほどと思ったこととして、小川さんが「書いた後に自分のために書いた文を徹底的に削る」と述べている点を挙げ、耳が痛いと話します。
自分の言い訳のためだけに書いてしまう、足してしまう文章ってありますよね。これをいかに後から削るのか。
たとえば、紹介が遅くなった言い訳や、更新が滞っているという言い訳は、リスナーにはあまり関係ない。だから削った方がいい、と自分の番組に引きつけて振り返ります。
今は言語化ブームで、AIに頼めばそれっぽい文章が数秒で出てくる。言葉を重ねるのはとても簡単になった、とバタやんは言います。だからこそ、と続けます。
「伏線は存在しない」——小川哲が伏線という言葉を嫌う理由
ここから、なぜシュンスケさんにこの本を紹介したかったのか、という話に入ります。手がかりは「伏線は存在しない」という章です。
バタやん自身は小説やミステリードラマの伏線が大好きだといいます。ところが小川さんは、伏線という言葉が嫌いだと冒頭からバッサリ書いているそうです。
そもそも伏線とは何か。バタやんは本の解説を、暗示されていない意外な展開の違和感を減らすという大事な機能だと紹介します。
たとえば山奥の山荘を舞台にした密室ミステリーで、一度も出てこなかった、もともと潜んでいた人物が犯人だったら、驚きはしても納得はできません。「そんなのずるい」となってしまう、というわけです。
もう一人いるかもしれない、とちらつかせておかないと、読む側が「ルール違反だろう」と感じてしまう。その違和感を減らすのが伏線の役割だと説明されます。
一方で小川さんは、小説というのはそもそも全ての描写が何かを暗示し、副次的な役割を果たしていると考えているそうです。役割のない情景描写は必要がないくらいだ、と。
むしろ回収されない伏線はあってはいけない。だから「この小説は伏線回収がすごい」という褒め言葉はナンセンスだ、とも書かれているといいます。
キャリアを「伏線」として考える
この「伏線」の話に、バタやんは自分がよくしているという「キャリアの伏線回収」の考え方を重ねていきます。
40代後半になったバタやん自身は、今まさに伏線を回収するフェーズに入りつつあると実感しているそうです。一方でシュンスケさんは、今どんどん伏線を張っているフェーズだろう、と語りかけます。
就職したこと自体、一つの大きな伏線を回収したとも言えるかもしれない。その先も何者かに向かって、いろんな伏線を張っているフェーズだというのです。
小さい伏線もあるけど、象徴的で大きい出来事がゆくゆくつながって、点と点がつながって、今の自分が何者かっていうのを形作っている。
いきなり全然違う何者かになるのは難しい、とバタやんは言います。世界で活躍するテック系の大富豪に急になることはできず、学生時代に海外に縁があった、テックの会社で声をかけてくれた知人がいた、といった前フリが必ずあるはずだ、と。
だから今、シュンスケさんが2、3年で出会った、目をかけてくれる人や、些末だけど重要な仕事の中に見出した自分なりのコツは、後々大きな伏線になる可能性が絶対にあると励まします。
特に3年目ぐらいで出会う象徴的な出来事は、何者かになるうえで影響が大きいと思う、とバタやんは自身の理論として付け加えます。
書いてしまった文章を、いかに伏線にするか
最後に、バタやんは本の中から「神フレーズ」を紹介します。プロットを作らずに小説を書くという小川さんの言葉です。
書いてしまった文章をいかにして伏線にするかという、倒錯した発想で物語を構築している。
キャリアも人生も、先にプロットが提示されていない物語だとバタやんは言います。だからこそ、この言葉がそのまま生き方にも重なるというのです。
下染めの技法「身前」——さりげない仕込みの力
ここで少し話がそれる、と前置きして、バタやんが今読んでいるM.W.クレイヴンの『グレイラットの殺人』という海外ミステリーの話が挟まれます。
その解説に、この小説が娯楽小説として優れているテクニックの一つとして、伏線のほかに「身前」の技法が多く使われている、と書かれていたそうです。
バタやんは「身前」という言葉を初めて知ったといいます。「衣」編に「親しい」で「身」、「染める」で「ぜん」と読み、二文字で「身前」。元は肌着を下染めするような意味だそうです。
小説の技法としての身前は、物語の重要な部分で効果を発揮させるために、前もってさりげなく仕込みをしておく、ネタを撒いておくことを指すそうです。読者の興味を引く仄めかしや、土壌づくりのようなものだといいます。
伏線と似ていますが、バタやんの解釈ではもう少しあからさまで、「ああ、そうなると思った」という予想をさせる仄めかし方ではないか、と話します。
ミステリーやサスペンスでは、悪い予感に使われることが多そうだ、とも言います。「絶対この人やばいって気づいてたよ」という感覚が、後で「やっぱりそうだった」というカタルシスを生むというわけです。
一方で身前には、良い方の仄めかしもあると考えられます。肌着の下染めには綺麗な発色や長持ち、殺菌・消臭効果もあったそうで、そこから「身前は大事」とバタやんはまとめます。
俊介さんも身前をしていると思って、しっかり身前をしておきましょう。「あいつそうなると思ってたよ」って。
若い時に面倒を見ていた頃から、ただ者じゃないと分かっていた——周りにそう言わせるような前フリを、今のうちにしておきましょう、というエールでお便りへの回答は締めくくられます。
まとめ
新卒の「早く何者かになりたい」という焦りに、バタやんは小川哲さんの『言語化するための小説思考』を通じて、「今の些細な仕事や出会いは、後で回収される伏線になる」という視点を手渡しました。伝わる文章も、なりたい自分も、書いてしまったものをいかに伏線にするかにかかっている、というメッセージです。
- 紹介された本は小川哲『言語化するための小説思考』(講談社)で、小説を書くときの思考を開示した一冊
- 文章が読みやすいのは、主人公と読者の情報量の差が小さいから。冒頭で「どこへ連れて行くか」を示すことが重要
- 大切なのは「伝える」ではなく「伝わる」こと。そのために、自分のために書いた文や言い訳を後から削る
- 小川哲さんは「回収されない伏線はあってはいけない」と考え、キャリアも同じく、今の出会いや仕事が後の伏線になる
- 「書いてしまった文章をいかに伏線にするか」は意思と意地。さりげない下染め=「身前」を今のうちにしておくのが良い





