深掘りしたら方向性を見失った
前回は『銀河鉄道の夜』を初めて読んだ感想を語り合った2人。今回はそれぞれが関連書や資料でインプットを重ねたうえで、より深めた感想を持ち寄り、ゲームの方向性を絞ろうという回です。
山本はまず作品を読み直し、そのうえで関連する資料に手を広げました。
まずあの普通にもう一回読み直ししました。そのタイミングの2、3ヶ月前に出た『宮沢賢治をゆっくり読む』という本を見つけて。
巻末にあった、吉本隆明が書いてるんやみたいな、宮沢賢治についてっていうので、ほぼ日の講演の録画みたいなのがあって、そういうのを読んだり聞いたりして。
100分de名著や記事にも目を通し、解像度は確かに上がったといいます。ただ、その先に待っていたのは想定外の状態でした。
なんか上がりすぎて方向性を見失ったんだけど、相談したいっていう感じですね。
深掘りしても作品の印象は変わらなかった
最初に読んだ時と深掘りした後で、発見や「これは違った」という点はあったのか。山本は、印象が覆るような発見は少なかったと振り返ります。
むしろ深まったのは、宮沢賢治という人の背景でした。
日蓮宗の法華経とかはやっぱりたしなんでいるっていうところで、その世界観が入っていたり、農家としてしっかり生きているっていうところで、自然をそのまま体感できる感性があって、それがダイレクトに言葉で表現されているなとか。
山口も同じ感覚を持っていました。作者について深く知っても、最初に読んだ作品の印象がほとんど変わらなかったといいます。
辛い時期に書かれたといった背景が出てくると、作品の見方が変わることは多いものです。それが変わらなかったこと自体が、作品の強度を示しているのではないかと山口は考えます。
作者と書いてるものって分けたりとか、作者の死とかいろいろありますけど、それはありつつも、やっぱ読む側としてはなんとなく連想しちゃうじゃないですか。でも知ってもそんなに変わんないのは、宮沢賢治的なるものが文体とか描写に異常に表れてるのかもな。
作家性の強さと、東北という土地
山口は宮沢賢治の他の作品も読み直し、その作家性の強さに驚いたといいます。
作者全く知らん作品で、作者隠されてて「誰でしょう?」みたいに出されたら当てられるかもなぐらい強い。
その強さの正体のひとつが、突然差し込まれる自然科学の描写でした。
突然すごい細かい自然科学描写が登場したりとか、異常に解像度高く自然を見てる感じっていうんですかね。それが宮沢賢治っぽいのかもな。
話は宮沢賢治の暮らした土地へと広がります。山本は、花巻が『遠野物語』のエリアとほぼ隣であることに気づいたと話します。
神奈川で育った山口は、雪国で暮らす人の自然との距離感に、宮沢賢治の感性の源を見ます。
定期的に雪が降るじゃないですか。だから生活の中で自然を意識せざるを得ない。絶対に冬雪が来るみたいな自然現象が圧倒的にあって、自然と向き合わなきゃいけないっていうのが東北北海道の人とあるんじゃないかな。
さらに、先生でもあった宮沢賢治が若者に夢を託していた点にも触れ、細かすぎる描写の狙いを推測します。
宮沢賢治っていうと、いいとか悪いじゃなくて、深さっていうのかな。宇宙的な魅力さみたいなことを伝えたいっていうことがあったのかな。異常に描写が細かいのは、実はそういうことがメインだったりするのかな。
森羅万象になってしまう「本当の幸い」
山本は『宮沢賢治をゆっくり読む』を読んで、作品が繰り返し境界をまたいでいることに気づいたと話します。
境界をまたぐことがやたらと多い。都会と地方、東京と岩手、世界と日本、宇宙と地球とか。
先生でありながら変人でもあった宮沢賢治は、自分自身の境界も超えていたのではないか。それが作品の独特な空気感につながっているのではと山本は見ます。
山口は、この作品では自然が舞台ではなくメインになっていると受け止めます。
そう、だからやっぱ舞台じゃないですよね、自然が。むしろメインぐらいな感じっていうか。
しかしテーマを掘り下げるほど、話は「本当の幸い」という壮大な問いへと向かい、手に負えなくなっていきます。
言うたらなんかもう森羅万象みたいなことになってきてるわけですよ。そこから語り出すと、もう手に負えないみたいな。
山本は、ゲームの方向性を極端に2つの軸で捉えて相談を持ちかけます。
いろんな要素が入り組み、「これはルールなのか」と思うほど作り込む方向
電車コマですごろくのように進み、ものを集めてゴールを目指す分かりやすい方向
どちらに寄せるべきか、そしてどんな人に遊んでほしいのか。答えが出ず、山本は企画屋である山口に相談を持ちかけました。
「星空が見たくなる」を読後感の中心に
山口は、アドバイスではなく一意見として、と前置きしつつ、宮沢賢治が伝えたかったものから考えるべきだと提案します。
宮沢賢治がテキストを書く中でやりたかったであろうことは、やっぱ自然だったりとか、そういう「Sense of Wonder」的な話。自然はそういう発見に満ちてるみたいなことを言いたかったんじゃないかな。
そのうえで、山口が普段の仕事で最初に考えることを引き合いに出します。
来た人がどういう感触を抱いて帰るんだろうか、ボードゲームでいうと、やった後の感覚。それがどれなんだろうなみたいなことをやっぱ考えてた。
そして山口は、超ベタだと断りながら、この作品にふさわしい読後感を言葉にします。
いろいろ読み込んだ末に帰着する場所は、案外シンプルなものになりがちです。山本もこの言葉に強く納得します。
ちょっとなんか崇高に捉えてしまってたなみたいな。原っぱで寝転がろうとか、星空見たいとか、を本当に思ってくれたら、それがゴールだな。
遊んだ後の感情まで届くゲームはあるのか
山口は、ゲームをやった後に「星を見よう」と思わせるようなものが実際にあるのか尋ねます。山本は、そもそも目的を設定してゲームを作ること自体が少ないと答えます。
星空をテーマにしたゲームとか、星座を作ってみるとか、星空を抽象的に理解して陣取りゲームするみたいなのがあって。でも純粋にゲームをやった後に、その一個先の感情を抱かせようとするゲームはパッと出てこない。
話は、ボードゲームを遊ぶ層へと移ります。山本によれば、それは都会の文化だといいます。複数人が必要で、人口やカフェの多さが遊ぶ機会につながるためです。
ここで山口は、ある逆説に気づきます。
だからこそ、都会に住む人が多いボードゲームで、星が気になり見てみたくなる。その体験ができたら面白いのではないかと山口は膨らませます。
都会の人が多いボードゲームだからこそ、星が気になるとか見てみたくなるみたいなことはできたら面白いな。
2人が共有したのは、星の知識を教えるのではなく、漠然と星を見たくなる感覚です。
あれは夏の第三角形だからとかでもなくて、北斗七星七等分してみたいなのではなく、もっと漠然と見るというか。
表面は誰でもわかる、でも何か残る
山口の指摘を受け、山本は別の切り口として、表面的な分かりやすさの重要性を語ります。
宮沢賢治も、有名なのは童話として残っている。銀河鉄道の夜っていうと、ファンタジーとして面白そうというか。でも入ってみると、すごい感覚を得られてみたいなところがある。表面上は誰しもわかるし、誰しもできるぐらいになってた方がいいのかな。
前回はすごろく型をやや軽く見ていた山本ですが、この回では見方を変えます。
すごろくは置いといて、もっと分かりやすいのがいいな。誰でもルールがわかるし、ちょっとやってみるかってやった結果、あ、なんか感じるとことか思うところがあって。なんならもう一回宮沢賢治読み直そうかなとか、外見て「星が見えるやん今日」みたいな。
山口が付け加えたのは、これは星の知識を得るためのゲームではない、という点でした。
星に詳しくなることが、星を見る知識を得るためのゲームではない気がするんですよ。なんなら好きな星座作っちゃうぐらいの感じでいい。もっと純粋に星を楽しもうみたいな。
『銀河鉄道の夜』自体、科学的に正確でない描写に満ちています。宇宙空間で窓を開け、サギを捕って食べる。2人はそこに、この作品らしさを見出します。
深掘りの沼に一度溺れたことで、かえってゲームの輪郭が見えてきたと2人は振り返ります。
一回溺れないと見えないものありますからね。捨てたものも、完全に得なくてよかったインプットではない。
まとめ
作品と作者を深掘りするほど「本当の幸い」という壮大な問いに飲み込まれた2人ですが、対話を通じて「星空が見たくなる読後感」という原点に立ち返りました。表面は誰でも遊べて、遊んだ後に自然や星への興味が残る。そんなゲームの輪郭が見え始めた回でした。
- 宮沢賢治を深く知っても作品の印象は変わらず、その作家性の強さがかえって浮かび上がった
- テーマを「本当の幸い」まで掘ると手に負えなくなり、方向性を見失った
- 山口の提案で、遊んだ後に「星空が見たくなる」読後感をゴールに据える発想へ転換した
- 都会に多いボードゲーム層だからこそ、星を見たくなる体験に価値があるという逆説に気づいた
- 科学的な正確さより、想像に委ねて自然への興味を持ってもらうことを重視する方向で輪郭が見えてきた
