ヒトの免疫って何がスゴイの?胸腺の驚くべき仕組みとノーベル賞の裏話
サイエントークのレンさん・エマさんが、米国国立衛生研究所(NIH)National Institutes of Health。アメリカ合衆国の医学研究における最大の拠点機関で、メリーランド州ベセスダに本部を置く。世界最大級の生物医学研究機関。主任研究員の高浜洋介免疫学者。大阪大学、筑波大学、徳島大学などを経て、2018年よりNIHで研究室を主宰。胸腺上皮細胞の機能と発生を専門とする。先生をゲストに迎え、免疫学の世界を語りました。心臓の上にある小さな臓器「胸腺」が、どのようにして体を守る精鋭部隊を送り出しているのか——その驚きの仕組みから、2024年ノーベル賞につながる制御性T細胞の発見秘話まで、免疫学の深い世界を探ります。その内容をまとめます。
胸腺とは?大人になると消えかける不思議な臓器
高浜先生が専門とするのは、心臓の上にくっついている「胸腺胸骨の裏側、心臓の前上方に位置するリンパ系の臓器。T細胞(Tリンパ球)の分化・成熟・選択の場として機能する。英語ではthymus。」という臓器です。古代ギリシャの解剖学者の時代からその存在は知られていたものの、大人になるとどんどん小さくなってしまうため、「あってもなくてもいい臓器」として長く軽視されてきました。
胸腺の最大の特徴は、成長とともに劇的にサイズが変わること。胎児や新生児の頃には体重比で非常に大きく、握りこぶし大ほどにもなります。ところが思春期を過ぎる頃から「退縮」と呼ばれる現象でどんどん萎んでいき、大人になると心臓手術のプロでも「見えない」と言ってしまうほど薄くなってしまうのだとか。
胎児〜幼児期:握りこぶし大。体の中で体重比が最も大きい臓器のひとつ
成人以降:中身のない風船のように薄く萎縮。機能はゼロではないが大幅に低下
では、なぜ大人になると小さくなっても大丈夫なのでしょうか。それは胸腺が「T細胞免疫細胞の一種で、胸腺(Thymus)で成熟することから頭文字を取って名付けられた。ウイルス感染細胞の破壊や免疫応答の調節など、多様な役割を担う。」と呼ばれる免疫細胞を作り出す臓器だからです。子どもの頃に大量のT細胞を全身に送り出して免疫システムを構築してしまえば、その後は体内で分裂・維持されていくため、新たに大量生産する必要がなくなるのです。
無人島みたいな状態から守る人を供給して、途中からはもう無人島じゃなくなって、中でどんどん増えていく。ちゃんと守られる島になるみたいな感じですかね
ただし、人生100年時代を迎えた現代では、子どもの頃に作ったT細胞だけで何十年も免疫を維持し続けることの限界も見えてきています。そのため、萎縮した胸腺をどうにか復活させようという研究も進んでいます。しかし高浜先生は、単純に胸腺を復活させればいいという話でもないと指摘します。
免疫細胞の「超エリート選抜」——胸腺で起きている生と死
胸腺がT細胞を「作る」だけではなく「選ぶ」臓器であることが、免疫学の最も驚くべきポイントのひとつです。
一つ一つのT細胞は、それぞれ異なる物質を認識する能力を持って生まれます。理論上は10の22乗種類もの認識パターンがあり得るとされ、まさに「森羅万象に備える」ための仕組みです。ただし、その中には役に立たないものや、自分の体を攻撃してしまう危険なものも含まれています。
胸腺は、作った百万種類のT細胞から、わずか1万種類程度しか生き残らせません。選ばれなかった細胞は、胸腺内にいるマクロファージ「大食細胞」とも呼ばれる免疫細胞。不要な細胞や異物を取り込んで消化する貪食(どんしょく)機能を持つ。に食べられてそこで命を終えます。
本当にエリート中のエリートしか世界に旅立っていけないってことですよね
高浜先生は、この途方もない「無駄」にこそ生物の知恵が表れていると語ります。重要な免疫細胞を得るために百倍のコストを払っても、それでも構わないから体を守るシステムを作り上げる——進化がたどり着いた究極の品質管理と言えるかもしれません。
全身の情報を教える驚きの仕組み「無差別遺伝子発現」
T細胞が「自分の体を攻撃しない」ように教育するためには、「自分の体とは何か」を胸腺の中で教えなければなりません。ここで登場するのが、高浜先生がまさに研究している「無差別遺伝子発現胸腺髄質上皮細胞が、肝臓・膵臓・神経など本来は他の臓器に特有の遺伝子をランダムに発現させる現象。promiscuous gene expressionとも呼ばれる。」と呼ばれる仕組みです。
胸腺の中にいる髄質上皮細胞胸腺の内側(髄質)を構成する上皮細胞。T細胞の負の選択(自己反応性T細胞の除去)に中心的な役割を果たす。の一部は、肝臓、神経、腎臓など、体中のあらゆる臓器が特徴的に作るタンパク質を少しずつ発現させるという、驚くべき性質を持っています。集団としてみれば「全身の遺伝子カタログ」を胸腺内に再現しているのです。
髄質上皮細胞
胸腺内で肝臓・膵臓・神経など各臓器の特徴的なタンパク質を少しずつ発現
新米T細胞への「自己」の提示
「これは自分の体の成分だよ」と教え、強く反応してしまうT細胞を排除
安全なT細胞だけが全身へ
どの臓器に行っても自分の体を攻撃しないT細胞が卒業
エマさんは「高校の中でいろんな言語を先生に教えてもらっておいて、卒業したらいろんな外国(臓器)に行っても困らないようにする」と例え、レンさんは「いろんな大学から先生が来てちょっとずつ教えておく」と表現しました。高浜先生も「どちらも素敵な例え」と応じています。
正の選択と負の選択——二段階のデスゲーム
胸腺の中でT細胞が選ばれるプロセスには、明確な二段階があります。まず「皮質上皮細胞胸腺の外側(皮質)を構成する上皮細胞。未熟なT細胞を育て、自分の細胞とコミュニケーションが取れるT細胞を選び出す「正の選択」を担当する。」による正の選択(ポジティブセレクション)が行われ、次に「髄質上皮細胞」による負の選択(ネガティブセレクション)が行われます。
正の選択を通過した細胞は、皮質から髄質へと移動し、そこで再びふるいにかけられます。エマさんが「一次選考を通過したのに、また殺されてしまうかもしれない。イカゲームみたいですね」とコメントしたのも頷けます。
「胸腺ナース細胞」——セカンドチャンスを与える優しい存在
リスナーのアキさんから寄せられた質問で話題に上がったのが、高浜先生が発見に関わった「胸腺ナース細胞皮質上皮細胞の一部で、若いT細胞を内部に取り込むように包み込む構造を作る細胞。「ナース細胞」の名前は、もともとハエなどの腸上皮で卵細胞に栄養を与える隣接細胞に由来する。」です。
正の選択の段階で、最初はうまくいかなかったT細胞にもう一度チャンスを与える——そんな役割を果たしているのがナース細胞です。細胞は両親から2セットの遺伝子を受け継いでいるため、片方で失敗してももう一方を使って再挑戦できる場合があります。ナース細胞は、そのセカンドチャンスの環境を提供しているのです。
ナース細胞がそもそもナース細胞として存在するのか、ポジティブセレクションをする細胞の一部がたまたまナース細胞になっているのか、それがわからないということですか?
高浜先生はこの問いに「まさにそこが未解明」と答えます。顕微鏡で見れば確かにナース細胞の構造は存在するけれど、その5分前や5分後に同じ形をしていたかは分からない。生命活動を止めた「スナップショット」でしか観察できないため、特別な集団なのか一時的な状態なのかは今も議論が続いているとのことです。
免疫学の本質は「自己と非自己の認識」
免疫細胞の種類は、技術の進歩とともに2〜3種類から500種類以上に分類が広がってきました。表面に発現する分子(タグ)の組み合わせで細分化されていくため、「いつの間にか種類が増えすぎて諦めた」と感じる人も多いかもしれません。
しかし高浜先生は、細かいタグを全部知らなくても免疫学者であり続けられると語ります。免疫学の核心は3つの原理に集約されるからです。
自分と自分でないものを見分ける能力。免疫システムの根幹をなす性質。
自分自身の体には反応しないという性質。これが破綻すると自己免疫疾患が起きる。
免疫反応が特定の物質(抗原)に対して高い選択性を持つこと。非特異的な反応ではなく、狙い撃ちできる。
ノーベル賞の裏側——制御性T細胞と坂口志文先生の信念
胸腺での選別が完璧であれば問題は起きないはずですが、現実はそうもいきません。若い頃は良くても、年を重ねて臓器の分子発現パターンが変わったとき、かつて「安全」と判定されたT細胞が自分の体を攻撃し始めることがあります。関節リウマチ自己免疫疾患の一種。免疫細胞が自分の関節を攻撃し、炎症・痛み・変形を引き起こす。などの自己免疫疾患がその例です。
こうした免疫の暴走を止める「ブレーキ役」が、制御性T細胞Regulatory T cell(Treg)。他の免疫細胞の過剰な活動を抑制し、自己免疫疾患やアレルギーの発症を防ぐ役割を持つ。FOXP3という転写因子の発現が特徴。です。この細胞も多くは胸腺で作られ、「普通のT細胞になるか、制御性T細胞になるか」という分岐点を経て体内に送り出されます。
外敵と戦う「攻撃チーム」。ヘルパーは他の免疫細胞に指示を出し、キラーは感染細胞を直接破壊する
免疫応答の「ブレーキ役」。暴走しそうな免疫反応の閾値を設定し、自己免疫疾患を防ぐ
制御性T細胞の存在を見出したのが、2024年ノーベル生理学・医学賞2024年のノーベル生理学・医学賞は、制御性T細胞の発見と特徴づけの功績により、坂口志文先生らに授与された。を受賞した坂口志文大阪大学特別教授・免疫学フロンティア研究センター。制御性T細胞の発見者として知られ、2024年にノーベル生理学・医学賞を受賞。先生です。しかしその道のりは平坦ではありませんでした。
周囲が疑心暗鬼になり、サプレッサー研究がタブー視される中で、坂口先生は「それでも自己免疫病を抑える細胞集団がいるんだ」と信じ、研究を続けました。あえて「サプレッサーT細胞」ではなく「レギュラトリーT細胞(制御性T細胞)」という新しい名前をつけ、流行とは無縁の場所で地道に証拠を積み重ねていったのです。
高浜先生は筑波大学時代に坂口先生と交流があり、「目の前の流行とは関わらず、とても穏やかだけれどすごい芯の強い先生」と振り返ります。
なお、共同受賞したマリー・ブランコーフランス出身の免疫学者。FOXP3遺伝子の変異と免疫疾患の関連を明らかにした。とフレッド・ラムズデルアメリカの免疫学者。FOXP3が制御性T細胞の決定的なマーカー(タグ)であることを特定した。は、制御性T細胞を特徴づけるFOXP3制御性T細胞に特異的に発現する転写因子。この分子の発見により、制御性T細胞を明確に同定・研究できるようになった。という重要な分子を発見した研究者です。坂口先生が細胞の存在そのものを見出し、ブランコーとラムズデルがそのタグとなる分子を特定した——この組み合わせによって、制御性T細胞の研究は一気に加速しました。
高浜先生は2024年12月の日本免疫学会で坂口先生と再会する予定でしたが、坂口先生はちょうどストックホルムのノーベル賞授賞式に出席中でビデオ講演となり、直接会えなかったそうです。「本当に嬉しい。坂口先生が受賞されたことも嬉しいし、この領域そのものに光が当たったことも嬉しい」と語る高浜先生の言葉が印象的でした。
まとめ
今回は免疫学の世界を、胸腺の研究者である高浜洋介先生の視点から深く覗くことができました。「免疫力を上げよう」と日常的に使われる言葉の裏に、これほど精緻で壮大なシステムが動いていることに驚かされます。
胸腺という一見地味な臓器が、全身の臓器情報を持ち、95%以上のT細胞を容赦なく淘汰しながらエリートだけを送り出すという仕組みは、まさに進化が生み出した究極の品質管理です。そして、それでも完璧ではないからこそ制御性T細胞というブレーキ役が必要となり、その発見にはタブーに立ち向かった研究者の信念がありました。
後編ではリスナーからの質問にも答えていく予定とのこと。免疫学のさらに深い世界が楽しみです。
- 胸腺は心臓の上にある臓器で、T細胞を作り出す「免疫の学校」。胎児〜幼児期に最も大きく、大人になると萎縮する
- 作られたT細胞の95〜98%は胸腺内で淘汰され、わずか2〜5%のエリートだけが全身へ旅立つ
- 胸腺の髄質上皮細胞は「無差別遺伝子発現」で全身の臓器情報を再現し、自己攻撃するT細胞をあらかじめ排除している
- 選別は「正の選択」と「負の選択」の二段階で行われ、ナース細胞がセカンドチャンスを与える仕組みもある
- 免疫学の本質は「自己と非自己の認識」「自己寛容」「抗原特異性」の3原理に集約される
- 2024年ノーベル賞の制御性T細胞は、かつてタブー視された研究を坂口志文先生が信念で貫いた末の発見だった

