毒性学の父は酔狂錬金術師?パラケルススの生涯と医化学の誕生
サイエントークのレンさんとエマさんが、「毒と薬は紙一重」という言葉を生んだ破天荒な錬金術師・パラケルススの生涯と、錬金術から化学(ケミストリー)への橋渡しについて語りました。その内容をまとめます。
「毒と薬は紙一重」を最初に言った人
「毒と薬は紙一重」──多くの人が一度は聞いたことがあるフレーズでしょう。同じ化合物であっても、量が違えば毒にもなれば薬にもなる。この考え方を世界で最初に提唱したのが、16世紀の錬金術師パラケルスス本名テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム。1493年頃〜1541年。スイス生まれの医師・錬金術師で、「毒性学の父」とも呼ばれます。です。
たとえば水銀のような物質でも、ごく少量であれば薬として作用する可能性がある。逆に、体に良いとされるものでも過剰に摂れば害をもたらす。現代の薬学や毒性学の基礎とも言えるこの概念は、実は錬金術の世界から生まれたものでした。
錬金術がヨーロッパで実用化された経緯
番組ではこれまでの回で、錬金術の歴史を追ってきました。古代エジプトの実験技術と元素説万物は少数の基本要素(火・水・土・空気など)から成るという古代ギリシャ以来の考え方。アリストテレスの四元素説が有名です。が融合して誕生し、イスラム王国8〜13世紀頃のイスラム文明圏。アラビア語で「アルケミア(al-kīmiyā)」と呼ばれた錬金術が大きく発展しました。で「アルケミア」として発展。賢者の石や不老不死の薬を探すという哲学的な側面を持っていました。
ところが、これがヨーロッパに伝わると性質が変わります。イスラム圏では「人の人格を金のような高貴なものにする」という哲学的意味合いも強かったのに対し、ヨーロッパでは純粋に金を作る実用的な研究へとシフトしていきました。
その結果、職人たちが様々な材料を加工して金を作ろうとし、偽物の金を作る詐欺も横行します。貴族の家に入り込んで「金を作ります」と言って研究費をせしめる者が続出し、一部の地域では錬金術禁止令が出されるほどでした。それでも地下でこっそり続ける人が絶えなかったといいます。
パラケルススの破天荒すぎる人物像
パラケルススは1500年代、現在のスイスにあった小さな村で生まれました。日本では戦国時代のど真ん中、織田信長1534〜1582年。戦国時代の武将。パラケルスス(1493〜1541年)よりやや後の世代ですが、ほぼ同時代を生きた人物です。のちょっと先輩くらいの年代です。
父親が学校の先生兼町医者で、幼少期から哲学・医学・鉱物学を学びました。やがて医学の道に進みますが、大学の学問に失望し、各地を旅して民間伝承から学ぶ方が有効だと考えるようになります。医学の学位を「取得したと主張した」ものの、実際に取得したかどうかは今でも不明とのことです。
「ケルススより偉い」という自称
当時、ケルススアウルス・コルネリウス・ケルスス。1世紀頃のローマの百科全書的著述家。医学書『De Medicina(医学論)』が中世末期に再発見され、ルネサンス期にベストセラーとなりました。という1世紀のローマの医者が書いた本がブームになっていました。パラケルススは、この本がヒポクラテス紀元前460年頃〜紀元前370年頃。古代ギリシャの医者で「医学の父」と呼ばれる。体液病理説を唱え、西洋医学の基礎を築きました。の焼き直しにすぎないと見抜き、「ケルススより偉い」という意味のパラケルススを自ら名乗ります。
自分でつけたの?だいぶ傲慢な人だな
その人物像は強烈です。女性的な外見をしており、性に全く興味がなく、年中酒を飲み続け、趣味は権威ある人を怒らせることだったと言われています。
大学教授に就任した際には、「これまでの医学を転換させる」と宣言する張り紙を大学中に貼りまくり、当時流行っていた医学書を火の中に投げ込んで燃やしました。「どんな年寄りの才能を足しても俺のケツにも及ばん」と過激な発言を繰り返したそうです。
さらに最初の授業には、格式高い服装のルールを無視して実験用の前掛けで登場。「医学最大の謎を教えよう」と言って、容器にパンパンに詰めたうんこを見せたというエピソードまで残っています。
目上の人にはめちゃくちゃ嫌われるんだけど、大学生からは大人気だったらしい
講義は大盛況で学生が殺到しましたが、やりすぎて大学からは追放され、また旅に出る──というのがパラケルススの繰り返しだったようです。
錬金術と医学の融合──イアトロケミアの誕生
では、なぜパラケルススはそこまで従来の医学を否定したのでしょうか。当時の医学では、病気は体の中の体液のバランスが崩れて起こると考えられていました。治療として瀉血(しゃけつ)静脈などから血を抜く治療法。古代から19世紀頃まで広く行われ、体内の有害物質を排出すると信じられていました。ジョージ・ワシントンの死因の一つとも言われます。──血を抜いて体内の有害なものを排出する──という方法が広く行われていましたが、実験的な裏付けはありませんでした。
パラケルススはこれに異を唱え、病気は外部的な要因で起こるのだから、適切な薬を外から入れれば原因を解消できると主張しました。これは現代の医学から見ても正しい考え方です。
病気は体液のバランスの乱れが原因
治療=瀉血で有害物質を排出
実験的な裏付けなし
病気は外部的な要因で起こる
治療=適切な薬を投与して原因を解消
錬金術の技術(蒸留など)で薬を調合
植物だけでなく鉱物も薬にする
それまでの「薬」は薬草など植物由来のものが主流でした。パラケルススはここに錬金術の技術を融合させ、鉱物や化学物質も薬の成分として取り入れます。鉛、銅、水銀──こうした物質も量さえ適切なら薬になりうると考え、錬金術で培われた蒸留などの技術を使って様々な薬を調合しました。
たとえば、ケシの実ケシ科の植物の種子。未熟な実から採れる樹液にはアヘン(モルヒネなどのアルカロイド)が含まれ、鎮痛・鎮静作用があります。から抽出した成分がアルコールによく溶けることを発見し、ローダナムアヘンをアルコールに溶かしたチンキ剤。パラケルススが考案したとされ、19世紀まで広く鎮痛薬として使われました。という薬を作りました。死にかけの患者がめちゃくちゃ元気になったそうですが、実はこれにはアヘン(麻薬)が含まれており、根本治療ではなかったようです。
「ケミストリー」という言葉の誕生
パラケルススは、自分のやっている学問が従来の錬金術とは違うことを示すために新しい言葉を作りました。それまでの「アルケミア錬金術を表すアラビア語「al-kīmiyā」のラテン語形。「al」はアラビア語の定冠詞(英語のtheに相当)です。」から、アラビア語の接頭語「アル」を取り除き、代わりにギリシャ語で医学を意味する「イアトロギリシャ語の「iatros(医者)」に由来。医学的な意味を表す接頭語として使われます。」を付けて、「イアトロケミア」(医化学)と名付けたのです。
アルケミア(al-kīmiyā)
アラビア語の錬金術。「アル」は定冠詞
イアトロケミア
パラケルススが「アル」→「イアトロ(医学)」に置換して命名
ケミア → ケミストリー(Chemistry)
「イアトロ」が落ちて略され、英語のChemistryの語源に
このイアトロケミアは大流行し、薬剤師の収入や社会的地位が上がるほどの影響を与えました。錬金術の教科書も書き換わり、化学に近い授業が大学に次々と生まれていきます。レンさんは「錬金術から化学に橋渡ししていくのがこの人がやったこと」と評しています。
早すぎた天才の悲劇的な最期
パラケルススも一度は「不老不死の薬ができたぞ」と言って飲み、「俺は死なない」と宣言したことがあったそうです。しかし現実には、47歳という若さで命を落としました。
その死には諸説あります。敵に回してしまった地元の医者に悪党と一緒に夜道で襲撃されて亡くなったという説、酒を飲みすぎて転んで死んだという説、夜更かしと飲酒で体を壊して老衰のように亡くなったという説など、今でもはっきりとはわかっていません。いずれにせよ、47歳にしてはめちゃくちゃ老けていたと伝えられています。
権威ある人を敵に回し続けたため、死後すぐには評価されませんでした。「悪魔使い」と呼ばれたり、タロットカードの魔術師タロットカードの大アルカナ1番「魔術師(The Magician)」。そのモデルがパラケルススではないかという説がありますが、定説にはなっていません。のモデルではないかと言われたりもしたそうです。
しかし数百年を経て、パラケルススが錬金術を医学や化学に応用した功績が再評価されます。「新しすぎたんだと思う」とレンさんは語っています。当時は同じことをしている人がほとんどいなかったのです。
やっぱ敵を作ったら評価されにくい。でも正しいことしてたら数百年後にちゃんと評価されるかもしれないんだね
錬金術に終わりはあるのか?
パラケルススが16世紀に転換点を作った後も、錬金術は17世紀頃まで続きました。では、錬金術はどうやって終わったのでしょうか。
エマさんの「いつ終わるの?」という問いに対し、レンさんは興味深い見解を示しています。原子の構造19世紀以降に解明が進んだ原子のモデル。元素を別の元素に変換するには原子核反応が必要であり、化学反応だけでは不可能であることが明らかになりました。がわかるようになって初めて、「金を作ることがいかに難しいか」が理解できたのではないかというのです。
当時はまだ元素説万物は少数の「元素」から成るとする考え方。古代ギリシャのデモクリトスが唱えた「原子説」は長く忘れ去られ、19世紀にドルトンらが近代的な原子論として復活させるまで主流にはなりませんでした。の時代で、「原子」という粒の考え方はほぼ忘れ去られていました。金が何でできているかを分子・原子レベルで理解し、別の元素から金を作ることが事実上不可能であることが判明して初めて、錬金術は下火になったと考えられます。
ただしレンさんは、「考え方によっては今でもまだ終わってない」とも指摘しています。原子核反応を使えば理論上は金を作ることも不可能ではなく、学問が「終わる」とは一体何なのか──哲学的な問いが残されたまま、話題は今後のエピソードへとつながっていきます。
まとめ
パラケルススは、2000年近く続いた錬金術の伝統に風穴を開けた破天荒な人物でした。「毒と薬は紙一重」という概念を生み、錬金術の技術を医学に応用して「イアトロケミア(医化学)」を創始。それが巡り巡って現代の「ケミストリー」という言葉の語源にもなっています。
権威に逆らい、学位すら怪しく、うんこを見せて授業を始める──そんなキテレツな人物でしたが、「病気は外的要因で起こり、薬で治せる」という主張は正しかったことが後世に証明されました。科学の歴史は、必ずしもお行儀のよい人だけが作るわけではないようです。
- 「毒と薬は紙一重(量が毒か薬かを決める)」を最初に言ったのはパラケルスス
- 錬金術はイスラム圏で哲学的に発展した後、ヨーロッパで金作り中心の実用研究に変化した
- パラケルススは従来の体液病理説を否定し、外的要因による病気を薬で治すという考え方を提唱した
- 錬金術の技術を医学に応用し「イアトロケミア(医化学)」を創始。これが「ケミストリー」の語源となった
- 47歳で早逝し、死後すぐには評価されなかったが、数百年後に再評価された
- 錬金術の「終わり」は原子の構造が解明されてから訪れたが、完全に終わったかは見方次第

