肩書きが多すぎる男は今、何をしているのか
番組冒頭、いつもの進行役である慎平さんが不在の中、孫泰蔵さんが慣れないオープニングを口にするところから収録は始まります。この回のゲストは、awabarオーナーとして知られる小笠原治さんです。
小笠原さんは自己紹介の肩書きの多さに触れられ、かつてTwitterのプロフィールに「肩書が多くてすいません」と書いていた時期もあったと振り返ります。
今もっとも時間を使っているのは京都芸術大学で、クロステックデザインコース ── 京都芸術大学に設置された、アートとテクノロジー、実社会への実装を横断的に学ぶ学科コース。小笠原さんが担当しているという学科コースを担当し、200人近い学生を抱えています。さらにデジタルキャンパス局として次のキャンパス構想を進めています。
デジタルキャンパス局って言って、次のキャンパスを作りましょうと。
(バーチャルも)全部ひっくるめて、これからのキャンパスってどうあるべきっていうところから、そもそも学ぶって何やったっけ?っていうとこから話をさせてくれてるので。
小笠原さんは5年でアジアに1000万人規模の学び舎を作りたいと語りつつ、「いつも通り途中で飽きる可能性はある」とも付け加えます。
産官学を横断してきたイメージについて問われると、小笠原さんは意識的に境界を混ぜていると答えます。
教育って学ぶ人にとっては学ぶだけど、営む人にとっては公益としての教育っていう部分と、教育情報産業として輸出できるように考えるとなると、これは経産省と話した方がいいよねとか、そういうのはあんまり産官学とかを意識しないようにやってる感じ。
高校生で運転手付き、そして高三の2月に全てを失う
現在の活動の原点をたどると、小笠原さんが最初に働き始めたのは設計事務所でした。ただし、そこに至る前に、すでに事業の経験がありました。
小笠原さんは中学生でイベント会社を、高校生でも事業をやっていたと明かします。当時はバブル期で、女子高生の誕生日イベントに大手代理店やお酒メーカーがスポンサーとしてつき、数百万円が動く時代でした。
女子高生の誕生日イベントを、当時マハラジャとかっていう箱で、クラブとかディスコの営業前の時間に借りてやると、箱代も安い。お酒出すわけじゃないからベースも安い。スポンサーはすごいたくさん払ってくれる。
孫さんが「今で言うユーザーヒアリングやグループインタビューのようなもの」と整理すると、小笠原さんは当時そこまで考える頭はなかったと笑います。バブルだから「一回やってみるか」で通った時代だったと振り返ります。
転機は高三の2月に訪れます。一緒に事業をやっていた大人にお金を全部持って逃げられ、信用もお金も一度に失いました。
高三の2月にお金持って逃げられて。
18の高校生が、いきなりうん千万なくなりましたって言ってもね、嘘っぽいじゃないですか。
すべてを失った小笠原さんを拾ったのが、親戚の設計事務所でした。そこで仕事の取り組み方を教わったと語ります。
設計事務所からタイのオフショア、そしてインターネットとの出会い
設計事務所に拾ってもらった小笠原さんは、手書きの図面が描けず、見かねた所長からCADのはしりのような作業を任されます。人が描いた図面をデータ化する仕事です。
19歳からはタイに派遣され、現地の人にCADを教えて日本の施工図を描かせ、日本に送る仕事を担当します。今で言うオフショア開発です。
当時はインターネットがなく、データを入れたフロッピーディスクを物理的にタイから日本へ送っていました。航空便で1週間、船便なら10日かかったといいます。
そこで通信での伝送を試みる中、現地のチュラロンコン大学とデータ伝送の実験を行い、TCP/IP ── インターネットで通信を行うための基本的な取り決め(プロトコル)。データを小さな単位に分けて送受信する仕組みで、現在のインターネットの土台になっているに初めて触れます。
その後、疲れきった小笠原さんは22歳の頃、サンディエゴのUCSDに通う友達のもとへ半年ほど転がり込みます。日本人女性5人がルームシェアする部屋のリビングで寝泊まりする生活でした。
そこで彼女たちの彼氏が、パソコンで海の波や山の積雪の情報を見ているのを目にします。それが、かつて自分が触れたTCP/IPの上で動くものだと気づいた瞬間でした。
(画面を見ていて)これもともとTCPベースで、その上にHTTPっていうのがあって、え?これやってたやつやんみたいになって。
当時のブラウザはおそらくモザイクだったといいます。この体験がきっかけで、日本に帰ってインターネットの仕事をしようと決意します。
田中邦裕との出会いと、さくらインターネットの株式会社化
日本に帰った小笠原さんは、25、6歳の頃、DNS ── ドメイン名(例: example.com)とサーバーのIPアドレスを対応づける、インターネットの住所録のような仕組み。ネームサーバーとも呼ばれるの構築のために入っていたメーリングリストで、田中邦裕さんと知り合います。
当時、ネットに何かを書くのが当たり前ではない時代に、小笠原さんはコンテンツを増やそうと考え、紙のライターをネットのライターにする事業を始めます。関西のエルマガジン社のライターと組み、街情報をネットで発信していこうという構想でした。
この事業に田中さんが出資します。その狙いは、ライターが増えればウェブを見る人が増え、作る人が増え、最終的にレンタルサーバーを借りる人が増える、という連鎖でした。
この会社を株式会社化するタイミングで、田中さん、前の社長、小笠原さんの3人でさくらインターネットを一緒にやり始めます。ただし小笠原さんの関与は、当時のクォーター、つまり25パーセントほどの時間でした。週に1日から1日半通う程度だったといいます。
初期のさくらインターネットは、実はブログサービスもやっていました。企画は小笠原さん、コードは田中さんが書いていたといいます。時期は1996年から1997年頃の話です。
クォーターコミットで15パーセントを持ち、譲渡して辞める
小笠原さんはさくらインターネットに3年ほどで区切りをつけます。ただ、その3年間は特殊なものでした。
定款に載る創業者3人ですが、初期の3年間、3人でご飯に行ったことは一度もなかったと明かします。小笠原さんはクォーターコミットのまま、別の会社もずっと運営していました。
日銭を稼ぐため、さくらの中のエンジニアに宮崎のコールセンターのシステムや、今で言うSUUMOのような賃貸情報サイトを受託で作ってもらっていたといいます。回線代を払うため、みんなクレジットカードでキャッシングしながら回線代を払っていた時期でした。
辞めるタイミングは、ちょうどジャフコからの一発目の調達ができる頃でした。上場を全員が意識していた一方で、小笠原さんは辞める意思を伝えた上で抜けたと振り返ります。
当時、創業者同士で株の取り決めをするといった知識が広まっていなかったため、小笠原さんは辞める時点で15パーセントの株を持っていました。今から考えると異例の状況です。
辞める時15パー持って辞めてたから、結構やばいですよね。普通に考えたら。
さらに小笠原さんは、上場前に10パーセントほどを純資産価格で当時の執行役員などに譲渡し、上場時の売り出し協力で2パーセントほど売って、上場後は3パーセント以下になるようにしていました。
譲渡の背景には、「小笠原がお金に困っている」というストーリーがあったのではないかと本人は推測します。ただ、深掘りしてもしょうがないとも語ります。
上場が命を救った、一度目の連帯保証
上場した時にどう思ったかと問われると、小笠原さんの答えは意外なものでした。悔しさではなく、感謝の言葉が出てきます。
当時、小笠原さんは別で運営していた事業を畳むタイミングでもありました。実質的には、自分が連帯保証していた会社を畳み、さくらの上場で得た株の売却益で返済して終えることができたのです。
さらに、株で得た利益で連帯保証債務を相殺できる仕組みにより、2割ほどが戻ってきて、1億円ほどが手元に残り、次のことを始められたといいます。
さくら子会社の動画配信と、YouTube買収という終わりの始まり
一度目の危機を乗り越えた小笠原さんが次に関わったのは、さくらインターネットの子会社での動画配信事業でした。
さくらがオンラインゲーム事業をやる中で動画配信の話が持ち上がり、子会社を作って小笠原さんが資金調達に回ります。集めたのは7億円ほど、NRIなど8社ほどのVCが入りました。
さくらが債務超過になった際、この子会社が3億から4億の間ほどでさくらのISP事業(回線)を買い取ります。VCから見れば「親会社にお金を渡している」構図ですが、動画配信に回線は必要で、適正価格より少し安く買えたため納得は得られたといいます。
しかしその直後、2006年にGoogleがYouTubeを買収します。
(YouTube買収で)あ、もうこれ終わったって思って。
動画だけでは戦えないと判断し、Wi-Fiのアクセスポイントを全国に展開する話が持ち上がったタイミングで、小笠原さんはこの事業から抜けます。
二度目の連帯保証と、遅延損害金という名の泥沼
子会社から抜けた後、小笠原さんはこの会社で二度目の、そしてより大きな連帯保証を背負うことになります。
当時は経営者保証のガイドラインもなく、取締役を辞めても代表でなくなっても、金融機関から連帯保証を外してもらえませんでした。デットも多く借り、個人からの借り入れもありました。
連帯保証債務には、遅延損害金という名目でおおよそ14パーセントほどの金利がつきます。最初の3億円ほどの借金の際は、経験がなく、毎月200万円返しても借金が100万円増えるような状態に陥りました。
三億とかの借金だから、毎月200万返しても100万借金増えるみたいな。
二度目は生き延びるも何も、どうすればいいかは分かっていたと語ります。金融機関、個人、会社それぞれと話し合い、交渉しながら、毎年かなりの金額を返済していきました。
どうしていいかわからない額を前に、awabarという小さな一歩
巨額の連帯保証を抱える中でも、小笠原さんは止まっていませんでした。その頃始めたのが、awabarとコワーキングスペースのノマドニュースベースです。2010年、awabarはもう15年続いています。
もっとも、その前にはやる気が出ない時期もあったと明かします。どうしていいかわからない額の借金を前に、家入一真さんらとひたすら飲んでいた時期です。
どうしていいかわからん額の、やけど、数億単位で来るとやっぱり「どうすんねん、これ」って個人でってなんやけど。周り見たら二桁三桁の資産形成してる人も出てきてる時期なので、なんとかなんじゃね?って。
返し始めてはいたため、約束した金額を返しているうちは責められない、という感覚もありました。ただ、返すことだけにこだわって気持ちが死んでいけば誰も得しない、とも語ります。
そうしたすべてをひっくるめて、小さな一歩として始めたのがawabarでした。1号店を六本木に構えたのは、当時六本木に立ち飲みがほぼなく、面白いと思ったからです。
1年目、小笠原さんは自分自身がお客さんとして220日通ったといいます。「5人呼ぶまで帰らない」と決め、友達を呼び続けた結果、人が集まる場所になっていきました。
DMM.makeを二十億で任される、亀山流の勝負
awabarとコワーキングを起点に人と刺激が集まる中、次の展開はハードウェアの領域、DMM.makeへと向かいます。2013年に3Dプリントを始め、2014年に秋葉原に場所を作りました。
きっかけは、ネット業界の「失敗カンファレンス」というイベントでした。cerevo(Celebo)の湯浅さんと席が一緒になり、「チタンの3Dプリントができる」と聞いて興味に火がついたといいます。
調べるうちに、物を作れないと思っていた人が作れる場所を作れるのではと考え、ちょうど出版された書籍『Makers』が示す「ものづくりの民主化」の流れとも重なりました。
最初は1億円ほどでみんなに場所を開放するイメージでしたが、awabarに来ていたDMMの亀山敬司さんに構想を話したところ、話が大きく動きます。
(DMMで)どれぐらいかかるの?って言われて。二十億ぐらいすかね」って。半分断られてもいいやと。だからその場でいいよって言われちゃったんで。
当時のDMMは今のような規模ではありませんでした。DMM.comのイメージがあるからDMM.makeへと、ものづくりで新しい挑戦をするという座組みでの提案でした。
この事業は小笠原さんの個人会社が人を雇い、業務委託でDMM.makeという冠のもとに運営し、最後に事業譲渡する形で始まりました。その譲渡時の評価額が小笠原さんの評価になる、という仕組みです。
ABBALabの誕生と、ハードウェアへの投資機能
DMM.makeとセットで立ち上がったのが、ものづくり系のファンド、ABBALabです。DMM.makeの運営を受けている会社と、孫泰蔵さんの会社が出資して作った会社でした。
当初は自己資金で出資していましたが、面白い投資先が集まってきたことでファンド化します。LPにはさくらのほか、みずほや鴻海(ホンハイ)が入りました。
DMMはハードウェアを作る会社に出資する気がなかったため、「ハードウェアはしんどいだけやろ」という感覚だった一方、小笠原さんと孫さんはハードが好きで、投資機能が必要だと考えたのが背景にあります。
ファンドの投資先には、3Dプリンターで筋電義手を作る若手や、尿から血糖値を予測する試み、ホログラムのGateboxなどがいました。二人で3億円で始め、そのまま使い切るより、と考えてファンド化に進みます。
福岡スタートアップと、高校生・慎平との出会い
投資領域が広がる中、小笠原さんの活動は福岡へと広がっていきます。最初は家入一真さんから振られたコンサルのような仕事がきっかけでした。
福岡で明星和楽というイベントが始まるタイミングで呼ばれ、面白くなっていったといいます。福岡スタートアップ都市宣言は2011年か2012年頃のことです。
ここで、後に番組の進行役となる慎平さんとの出会いが語られます。慎平さんはまだ高校生で、家入さんのハイボールを運ぶような立場だったといいます。喫煙所で「起業するんです」と言ったところ、家入さんが「出すよ」と応じ、Fベンチャーズ、ABBALab、家入さんのNOWで1000万円ほどの最初のラウンドが組まれました。
小笠原さんは、慎平さん個人というよりチームに出資したと振り返ります。少しずれている慎平さんの周りに、反対側にずれてくれるバランスの取れたメンバーがいたと見ていたのです。
新平ってちょっとずれてるじゃん。でもなんか周りの人がちゃんとその反対側にずれてくれてそうなチームに見えたんで。
この投資を持ち込んだのは、つむぐをやっていた蒔田さんでした。「なんでお前が決めんねん」という空気の中で、慎平さんへの投資が決まったといいます。
Makers Universityが生んだ起業家たちと、孫泰蔵の入り口
ここで話は、聞き手である孫泰蔵さん自身と小笠原さんの出会いへとつながります。きっかけはエティックが運営するMakers Universityでした。
孫さんは4期生として参加し、ゼミの選考で「小笠原さんのファンドで働かせてください」と直訴します。翌週から福岡に住み込むことになりました。
Makers University出身の起業家として、タイミーの野川さん、GAUDIYの石川さん、サグリの坪井さんなどの名前が挙がります。二人は、この界隈の友達がほとんどMakers出身だと語り合います。
孫さんはもともと東京でベンチャーキャピタルとして働けると考えていましたが、実際は福岡でのソーシングが中心でした。その経験が、地方と東京の差を知る機会になったと振り返ります。
「俺の方が成功する」と思った悪いVCが、起業を選ぶまで
ファンドで働く中で、孫さんは自身の内面を正直に明かします。ソーシングでいろいろな起業家に会う中で、「絶対俺の方が成功する」と思っていたというのです。
いや絶対俺の方が成功するけどなって思ってる悪いVCだったんですよ。
めっちゃ思ってるの顔に出てたからね。
小笠原さんは、VCモデルの構造を率直に解説します。7年をベースに最大10年で、低い段階から投資を始め、絞りながら段階的に大きく投資し、IPOまで持っていってトータルで数倍を返すモデルです。
一方で小笠原さん自身は、VCモデルをやろうと思って始めたわけではないと語ります。どんな人がどれだけトライできるか、そこを見たかったのだと言います。
何回かトライしそうな人々に出資してるわけじゃないけど、そっちに張る方が長期的にはいいのかなっていう気はしてて。
孫さんは、起業家がこの程度なら自分が起業した方が良さそうだと感じてしまったと明かし、結果として起業の道を選んだと語ります。
衛星データプラットフォーム「Tellus」はどう生まれたか
孫さんが起業する直接のきっかけの一つが、小笠原さんがさくらで手がけていた衛星データプラットフォーム「Tellus」への興味でした。
Tellusは、経産省の宇宙関連の検討会がもとになっています。小笠原さんは政府系の委員を10個以上務めており、その一つがこの検討会でした。座長は夏野剛さんです。
マクロなデータ、ミクロなデータ、地上・家の中・空からのデータを見通して考えられる人が少ないことから声がかかったといいます。議論の結果、日本のクラウドで重要なデータを持つべきという結論になり、データ利活用の予算がつきました。
NECなどと企画提案をして選ばれ、3年間で40数億円の予算で始まりました。時期は2017年か2018年です。
孫さんはMakersのゼミ紹介で見せられたIoTの図に惹かれてこの世界に入り、ファンドを辞めてから宇宙データを扱うソラフネという会社を立ち上げます。
ソラフネは今もKaggleのようなデータ分析コンペを開き、そこで作ったモデルをAPIとして公開する構想から始まりました。しかし当初想定したようにはトランザクションが増えず、行政やエンタープライズへの営業へと舵を切り、単価の壁にぶつかった末に国を顧客とする方向が当たり始めたといいます。
宇宙とディフェンステック、「ルビコン川」を渡るかどうか
宇宙産業の話は、避けて通れないディフェンスとインテリジェンスの領域へと及びます。グローバルで見ると宇宙産業はこの二つが大きな比重を占めます。
小笠原さんは、誰かがディフェンスやインテリジェンスをやらなければならないと認めつつ、自分はそちらではないと語ります。楽しむ側、みんなを楽しませる側でありたいという考えです。
自分の利益の半分持ってかれてもいいから、それは他の人がディフェンスやりたい人がやってくれて、俺はみんなを楽しませる方をやりたい。
一方で、スタートアップがディフェンステックという言葉を掲げる動きには危うさを感じるとも述べます。鍵になるのは「プロトコル」だといいます。
プロトコルを知らないで済む間にちゃんと聞いときやって思ったりはするし。プロトコルをあえて無視してるんだとしたら、結構危ういなって思うスタートアップは、いるっちゃいる。
防衛省の視点も整理されます。防衛省にとって最優先は国を守ることであり、スタートアップの育成そのものが目的ではありません。有効なら使うが、という前提でしかない、と二人は確認します。
海外ではPalantirのようにこの領域で伸びた企業もあり、否定するものではないとしつつ、小笠原さんは「その川を渡るかと言われると、今のところ渡る気はない」と締めくくります。
肩書きが多すぎる問題と「スタートアップナビゲーター」
話はいったん、小笠原さん自身の悩みに戻ります。バーオーナー、大学教授、衛星データ、AI、さらに過去のDMM.makeやメルカリのR4Dまで、肩書きが多すぎてどう表現すればいいかわからない、という相談です。
どうしたらいいんですか?これ。とっちらかってて、俺。
孫さんは、どの要素にもスタートアップっぽさがあると指摘します。さくらも、京都芸術大学のクロステックも、官側から見てもアカデミアから見ても「スタートアップから来た人」という視点で見られているのではないか、というのです。
そこで孫さんが提案したのが「スタートアップナビゲーター」という肩書きでした。小笠原さんはこの言葉を「ちょっと考えよう」と受け止めます。
小笠原さんは、一つのことを順番にやってきた遍歴ではなく、常にパラレルに動いてきた自分の特徴を認めます。その中で「一番楽しかったのはtsumug(ツムグ)をやっていた時」だと振り返ります。蒔田さんがしんどくなった時期に、ほぼ自分がやっていた1年ほどが楽しかったといいます。
芸大でスタートアップ思考を教える理由、アートとテクノロジーの同根
なぜ芸術大学でスタートアップ思考を教えるのか。小笠原さんの答えは、アートとテクノロジーが本来は同じ根から来ているという考えに基づいています。
小笠原さんの授業「スタートアップ思考」では、ビジネスモデルとは何か、お金とは何かを扱い、クラファンでもECでも実店舗でも何か一つやれ、という実践的な内容です。
そのうえで小笠原さんは、アートとテクノロジーの語源を語ります。
元々同じギリシャ語のアルスなんですよ。アルスっていうのは人の手で作りしもの。素晴らしい技術がテクノロジー、美しい技術がアートっていう風に分かれてってるだけで同根なんですよ。
小笠原さんは、現代アートにはコンセプチュアル、Tech&Science、古典の再定義・再解釈といった流れがあり、日本ではTech&Scienceや古典の再解釈が期待されていると語ります。チームラボや落合陽一さんが伸びるのはその文脈だといいます。
自然(Natural)と人工(Artificial)を対比させれば、人が作るものはすべて人工であり、そこにテクノロジーが使われないことはありえない、という主張です。
この人工のものにテクノロジーが使われないなんてありえないっていうシンプルな話。美しい技術がアート、素晴らしい技術がテクノロジーで、この先を社会に実装しようとした時にデザインだったりエンジニアリングがある。
クロステックデザインコースには「何をやっていいかわからない」「なりたいものが見つからない」という学生が集まるといい、それがちょうどいいと小笠原さんは語ります。
喫茶店のおっちゃんみたいなVCと、投資家は本当に強いのか
孫さんは、スタートアップの世界にマッチョなイメージを抱いていたものの、最初に会った小笠原さんが「喫茶店のおっちゃん」のようなトーンだったことに救われたと明かします。
二人は、資金調達の場で相手を厳しく指摘することにエネルギーを使う心理がわからない、という点で一致します。見込みがあって強く伝えるならわかるが、そうでないなら「わかりました、また」で終わればいい、という考えです。
VCが叩かれやすい職業であることにも話は及びます。孫さんは、断る数の方が多い構造がその一因ではないかと指摘します。100件来ても投資は10件に満たないことが多いためです。
そのうえで小笠原さんは、出す側が本当に強いと思えたか、と孫さんに問いかけます。孫さんの答えは「そんなことはない」でした。
投資先がやる気なくしたら終わりやで、シンプルに。
一方で、田中さんのBrothers & Sistersのように、みんなにとって良くなるように動く投資家が敬われるのはわかる、とも語ります。業として投資しているだけなのに投資家様と扱われるのは構造的におかしい、という整理です。
「遊びたまえ、試みたまえ」教育とエコノミーのバランス
最近アカデミアにどっぷりなのかと問われると、小笠原さんは「アカデミアと思ってやっているわけでもない」と答えます。デジタルキャンパスというプロダクトを作っている感覚があるからです。
大学、ABBALab、オレンジ・アンド・パートナーズで子会社を作り、電通も出資しているといいます。学校法人が株式会社の子会社を持ち、そこに出資する形で事業を進めています。
小笠原さんが惹かれたのは、大学の思想の強さでした。先代の理事長が記した理念には「遊びたまえ、試みたまえ」「教師の自己否定」といった言葉が並び、今後30年の指針には平和を希求する人を増やすという目標が掲げられていました。
アジアで民族、国籍、性別、年齢とかによらない、偏らない芸術教育の機会を提供することで平和を希求する人を増やそうと書いてあって。やりたいなと思ったんですよ。
大学の通信課程はすでに1万7000人が在籍し、日本で最も大きい規模だといいます。小笠原さんはこれを、フリマアプリの構図になぞらえます。
昔で言う放送大学がヤフオク、うちがフリル、全大学がメルカリみたいな状態になりそうで。だからシンプルに負けないフリルを作ればいいんだなと思ってて。
1単位45時間、大学教育の空白と「教材のGitHub」構想
小笠原さんは、大学の単位認定の基準を切り口に、現在の大学教育の課題を突きます。孫さんは、1単位の基準を問われて即答できません。
大学設置基準では、1単位はおおよそ45時間の学習を修めたと認められることとされています。2単位の科目なら90時間ですが、90分の授業を15回受けても実際の授業時間は約22時間にすぎません。
ってことは残り68時間、何これって。ここは自学自習なんですよ。
124単位で学士となるため、計算上は5580時間の学習が想定されています。しかし現実には、テスト前に過去問を回すような形式的な運用になりがちだと二人は認めます。
小笠原さんは、その背景に興味関心を湧かせきれていないことや、学びが他の学びとつながっていく面白さの欠如があると分析します。そこを何とかしたいというのが、次のキャンパス構想の動機です。
その具体策の一つが「教材のGitHub」です。
教材のGitHubを作ると教材はずっとアップデートできる。プルリクでレビューして変更する、フォークできるみたいにしていって、より良い教材を目指しましょうと。
人間が企画し、AIが生成し、人間がファクトチェックと監修をして教材として出し、プルリクで修正していく形です。この領域でNotionと戦略提携をしており、日本でNotionと戦略提携している教育機関はここだけだといいます。
さらに2023年から、小笠原さんのコースの学生全員にLLMとRAGを渡しています。チャットで短期記憶、Notionで長期記憶を担い、授業後にAIが「今日どんなこと面白かった?」と聞いてくる仕組みです。学生はNotionのデータごと卒業後に持ち出せます。
大学は買えるのか、非営利の下に営利があるという発想
大学の運営を掘り下げる中で、学校法人という非営利組織ならではの特殊な仕組みが話題になります。学校法人は所有者がいない理事制の組織です。
小笠原さんは、非営利の下に営利がある構造を「いい形」だと評価します。過剰な営利を株主から求められないためです。
非営利、学校法人って非営利でしょ。この下に営利があったら、過剰な営利を株主から求められないじゃないですか。これすっごい良い形やなと思ってて。
似た構造の例としてOpenAIが挙がりますが、あちらは営利側が強くなりすぎている、という懸念も添えられます。
人口減少で大学が減る中、財務的に強い大学が残り、良い教員や職員が集まるという構図も語られます。小笠原さんは、大学が固定資産税もかからないため土地を買いがちである点を指摘し、通信を伸ばすならデジタル投資こそ不動産投資と同じだと主張します。
不動産の投資とシステム投資って、うち通信を伸ばしたいと思ってるんだから、デジタル投資って不動産買うのと一緒っすよっていう話をしてて。
話は神社や寺、宗教法人の売買にも及びます。しかし所有者がいないため、席をお金で買うことはできず、間に入る人が怪しく見える、という結論に落ち着きます。
資本政策のリアル、倍のバリュエーションとリードの意味
ここから収録は、起業家必聴とも言える資本政策の具体論に踏み込みます。孫さんが提示するのは、リードで信頼あるファンドが提示する低いバリュエーションと、新興ファンドが提示する倍のバリュエーションのどちらを取るか、という問いです。
小笠原さんはまず、リードを取ってもらう意識がスタートアップ側に薄いケースが多いと指摘します。リードはバリュエーションやラウンド設計を決め、協議を進める役割を担います。
重要なのは、次、その次のラウンドまで話しておくことだといいます。
要するに、二回先ぐらいまでは話しとかなあかんと思うんですよ。計画じゃなくて目標として、本当にそれについていける資金力があるのか、残り期間があるのか。
小笠原さんは、二倍のバリュエーションに走る人が多いが、担当者の良さだけで決めていて次以降のラウンドを考えていないケースが多い、と感じています。
さらに、金額の設計にも一言添えます。
その二倍だったら、せめて一点五倍お金出してもらおうよみたいなこと思っちゃうんすよ、俺。十で三、二十で三じゃなくて、十で三なら二十で四点五は取ろうよみたいな。
孫さんは、起業家は「ワンチャン狙う生き物」でもあり、頭ではわかっていても高いバリュエーションを取ってしまう人が多いと補足します。二人は、最終的には発行体の状況、資金使途、VCのLP構成など総合的に見るしかない、という点で一致します。
後付けのロジックと、後戻りできない意思決定
資本政策の議論は、「ロジック」と「直感」の関係へと深まります。孫さんは、再現性のないディールこそ強みになるという自身の考えを述べます。
小笠原さんは、DMM.makeを1億円で自前でやるか20億円でDMMと組むか、あるいはチームラボがDMMの資金でチームラボプラネッツをやったことも、どちらも再現性がなかったと振り返ります。
ただし、資本政策においては注意点があると釘を刺します。
再現性がないまではいいんですけど、後戻りしづらいところで再現性のないトライっていうのは、多分俺はあんまりしないなと思ってるんですよ。
バリュエーションについても、一度上げてから下げるダウンラウンドは調達しにくくなる可能性が高いことを指摘します。二度目、三度目のラウンドの可能性をどう見積もるかが判断の核心だといいます。
小笠原さんは、自身の意思決定の本質を率直に明かします。
小笠原さんは、次のトラクションを出せれば次もリードを取ってくれるかという「半分脅しに近いもの」を握ることで、チームにも頑張ってもらいやすくなると語ります。そのために毎月投資家と話しているといいます。
カーブアウトと経営者のインセンティブ、Tellusという実例
資本政策の議論は、小笠原さん自身が関わるTellusの実例へと及びます。Tellusは現在、さくらインターネットの100パーセント子会社です。
当初は経営株主に30パーセント持たせてほしいと願い出ていたものの、いつの間にかなくなっていたといいます。経営株主がいない状態では調達が非常にしづらくなります。
経営株主がいないことに違和感があるっていうだけなんですけどね。
小笠原さんは、Tellusを一般的なカーブアウトベンチャーだと位置づけます。さくらとは事業領域が違うため、宇宙・データ利用を切り出すのは自然なことだといいます。
そのうえで、カーブアウトの条件について明確な主張を述べます。
小笠原さんは、自分は取締役でも経営株主になりたいわけでもないと断りつつ、リスクを負って経営する人には、それに見合ったリターンと腹落ちできるものをセットにすべきだと語ります。官僚出身者など「そこじゃない」という価値観の人がいることも理解しつつ、見合ったものは得てほしいという願いを示します。
宇宙情報産業を基幹産業に、あったらあっただけ使える世界
Tellusの話から、小笠原さんが描く宇宙産業の未来へと話は広がります。宇宙や衛星の領域は、お金があればあるだけ使えるという点で二人は一致します。
小笠原さんは、L0という生データの活用に本音では踏み込みたいと語ります。人間が判読できるよう可視化する工程に、膨大な人・時間・お金がかかっているからです。
本音で言うとL0使いたいんですよ。L0の波長の状態でAIがわかればいい。可視化するのにどんだけ人と時間とお金使ってんのっていう世界なんで。
その延長で、能登の震災時にも衛星データを人間が見られる形にするのに1〜2日かかった例が挙げられます。この工程がなくなれば、人命に直結する速さが得られるかもしれない、という具体的な意義が語られます。
日本のデュアルユースは戦争ではなく災害が中心である一方、現状のデュアルユースは弱い、と二人は指摘します。
(デュアルユースは)めちゃくちゃ弱いです。デュアルユース風っすね。実際にはどっちにも役立ってないデュアルユース風っていうのは結構あって。
そのうえで小笠原さんは、目指す方向を言い切ります。
日本国内は地上空間のデータが十分にあり快適なため、そんなマクロなデータはいらない、だからこそアジアや国外へ行きたい、という考えも示されます。孫さんのソラフネはすでにアフリカで鉱物資源系などに取り組んでいるといいます。
AIとコーディングの未来、人間はマシン語を読まなくていい
衛星データの話は、AIと開発の未来へとつながります。小笠原さんは、AIやブロックチェーン、量子などを「ネクストコンピューティング」と総称しています。
小笠原さんは、今の作業や業務はAIに全部奪ってほしいと語ります。そうすれば人は自然と新しい仕事を作り、次の世代が仕事を作る世代になれる、という考えです。
一旦今の作業とか業務って言われるものは全部奪って欲しいんですよ。でもそしたら自然と仕事作るでしょ、多分。
コーディングについても独自の見方を示します。AIがマシン語を書けるなら、人間が読むための高級言語である必要はない、という発想です。
なんでコーディングっていう、なんで高級言語前提なのって思ってて。AIがそのマシン語であれば、これレビューとかいらなくて、テストドリブンでいいわけじゃん。
衛星データの可視化と同じく、人間が判読するための工程を省ける可能性があるという点で、二つのテーマは通底します。ニュービーが上げてきたコードを大人が寄ってたかってレビューして生産性が下がる、というのは「やり方が合っていない」だけだと小笠原さんは言います。
小笠原さんは、AIそのものへの純粋な面白さも語ります。知能は知性まで行くのか、自我とは何か、といった問いです。
自我って結局その自分と他の人と線を引くことじゃないですか。自分と他人をつなげるのって共感欲求だと思っていて。共感で繋がるとコミュニティになってったりするし、欲求で繋がるとエコノミーになっていく。
「AIなんとかくん」問題、言葉が思考を作る
話題は、AIサービスのネーミングとカルチャーへと移ります。孫さんは「AIなんとかくん」というサービス名が苦手だと打ち明けます。
孫さんは、わかりやすい名前ほどマーケティングで売ろうとしている感じがして、プロダクトへの思想やインターネット的なカルチャーが内包されていない印象を受けると語ります。
小笠原さんも、社内で「くん付け」されたプロダクト名が増えていることに違和感を覚え、「くん付け嫌だな」と社内に書いたと明かします。「なんとかくん」で売れて残った商品はガリガリ君や激落ちくんくらいで、可能性の低い名前だという見方です。
二人は、こうしたネーミングを許すと思考の体系まで変わってしまうのではないか、という懸念で一致します。
小笠原さんは、数の計算機、言葉の計算機に続き、マルチモーダルによって「意味の計算機」になった瞬間、人間の思考と何がどこまで違うのかという問いが立ち上がると語ります。自分がLLMになった気持ちになることがある、という告白も添えられます。
もらったトークンに対して計算してこう返すべきだろうという、こう喋りながら考えてるところ、これLLMじゃんって思う時があって。
小笠原治にとっての「伝説」とは
3時間近く話し込んだところで、孫さんは番組の定番の問い「あなたにとって伝説とは何か」を投げかけます。小笠原さんの答えは、自分の伝説ではなく、周りの人々の伝説を間近で見てきた「役得」でした。
高校時代の失敗で親戚に拾われたことがインターネットとの出会いになり、田中邦裕さんとの出会いと出資、さくらインターネットへとつながっていった流れを、小笠原さんは「すごく運がいい」と振り返ります。
その後も、孫泰蔵さんの兄である孫泰蔵さん本人(タイゾウさん)のガンホーの躍進や、亀山敬司さんのDMMの成長を間近で見てきたといいます。DMMは当時700億円ほどの売上が、10年で5000億円近くまで伸びたと語られます。
いろんなタイプの人と仕事しながら、割とみんなちゃんと成功してるみたいなのってあんまりいないんじゃないかなと思ってて。そこはまあすごい自分の中ではでかいですね。
小笠原さんは、彼らが著名になる前の、二十代の何者でもない時から付き合ってきたことに価値を感じています。慎平さんが大化けする可能性も含め、これから伝説を作る人がまだ出てくるだろう、と語ります。
成功者への嫉妬を、気づいたら乗り越えていた
最後に孫さんは、間近で成功を見て嫉妬しないのかと尋ねます。小笠原さんは、30代まではむちゃくちゃ嫉妬があったと正直に明かします。
同学年に堀江貴文さんや川邊健太郎さんら、後にビットバレーで名を馳せる面々がいた一方、当時の関西は「無風」でした。知り合いだからこそ、差がついていく感覚が強かったといいます。
特にさくらを辞めた後は上場と無関係になり、仕事としては一番儲けていた時期にもかかわらず、彼らと比べる気持ちがあったと振り返ります。
その嫉妬は、明確なきっかけなく消えていったといいます。
なんか承認欲求満たされたとか、なんかそんなんじゃなくて、単純にその人をすげえなって思えるようになったというか。気づいたらって感じですね。
真面目な話をするつもりはなかったと笑い合いながら、3時間の収録は幕を閉じます。慎平さんがいれば全く違う回になっただろうと語り合い、こういう回もあっていいのではないか、と締めくくられました。
まとめ
高校時代の起業失敗から二度の大きな連帯保証を背負いながら、さくらインターネット、DMM.make、ABBALab、Tellus、そして京都芸術大学へと領域を横断してきた小笠原治さんの回想録です。資本政策やカーブアウト、AIやネーミングのカルチャーまで、起業家が実際に直面する具体的な意思決定の話が詰まった回でした。
- 高校時代の起業失敗で全てを失った経験が、親戚の設計事務所、そしてインターネットとの出会いへとつながった
- さくらインターネットの上場が一度目の連帯保証からの再起を可能にし、小笠原さんは「命を救われた」と語る
- 二度目の巨額の連帯保証を抱える中でも、awabarという小さな一歩から人と刺激が集まる場を作り直した
- 資本政策では、目先の高いバリュエーションより、二度目・三度目のラウンドまで見据えて意思決定すべきという考えを示した
- カーブアウトの経営者には一定の議決権と将来のインセンティブを与えるべきで、リスクに見合ったリターンをセットにすべきだと主張した



